さて、ナイロビの空港を出発してから2時間。ひたすら単調な一本道が続いていたが、なんせ初めてのアフリカ・ケニア、見るもの全てが新鮮で、ずーっと車窓の景色に見とれ、カロに質問したりしていた。(カロは出発時風邪をひいて薬を飲んでおり、眠かったらしいのにごめんね。そうそう、フレッドさんも風邪をひいていて、旅の始めの3日位はよく鼻をかんでいたっけ…)
時々見かけるケニアの田舎町はバラック風の掘っ立て小屋が数軒立ち並び、中に1軒か2軒粗末な売店や、日本人の目から見ると他の民家と変わりはないが『HOTEL』と書かれている建物もある。ケニアで“キオスク”と言われる売店には、コカコーラやファンタのカラフルな看板が出ており、日陰で休んでいるお客さんの姿も見えた。
途中、横切る川の側では、洗濯をしている人もいれば、川の中に車を入れて洗車している人もいて、なんともおおらかである。
それから、カロが「あれはケニアでも少ない養鶏場」と教えてくれたが、ケニアでは牛・山羊の肉が多く、鶏肉は少ないらしい。
また、ナイロビから離れるにつれ、いたる所で牛や山羊、ロバを放牧している光景を見かけた。多分、今回の旅で1番多く見た動物は圧倒的に牛が多く、その次が山羊、それからやっとガゼルだと思う…。ロバは放牧されているだけでなく、日本の大八車のような荷車を引いて使役に使われている場面も何度か見た。まだまだ田舎に行けば、運搬の手段として大切な家畜らしい。
そして子供も多く、牛や山羊を追っている少年や、2〜3人で無邪気に遊んでいる子供の姿も多く見た。中には、車でそばを通るとこちらの方を見て、無邪気な笑顔で手を振ってくる子もいた。
ナイロビからナマンガへの道沿いは赤い土が多く、その土で大きさは様々だが小さい山が無数に出来ていて、何だろう?と思ったら蟻塚だった。
しかし、キリマンジャロはなかなか見えてこないなぁと思う頃、やっとタンザニアとの国境の町ナマンガの手前で、トイレ休憩として観光客向けの土産物屋に車が入る。ブーゲンビリアの花が咲き乱れ、石造りの建物はこざっぱりとした、一見のどかな土産物屋である。
しか〜しっ!!この後、旅の途中でトイレ休憩がてら何度もあちこちの土産物屋に立ち寄ったが、どこでも客引きの兄ちゃん(あるいはおじさん)の笑顔で一見愛想は良いが、何が何でも売っちゃる〜という姿勢・態度には、時に脅迫に近いものすら感じることもあった。
ここナマンガの土産物屋で、初めてケニアの土産物屋さん体験をした私は、最初は状況確認がてら見るだけで買うつもりは一切なかった。しかし、トイレから出てきた私を待ち構えたように、1人のお兄さんが声を掛けてきた。
そうそう、どんな田舎の土産物屋に行っても、絶対必ず片言の日本語で話し掛けてくるケニアの人がいた。みんな、「コンニチワ」「ヨウコソ、イラッシャイマセ」「ココ、安イヨ」「見ル見ル」「見テ見テ」「カワイイ」「トモダチ、トモダチ」などなど…。後はスワヒリ語と英語のチャンポンで商売してくる。
店の外や中には、マサイビーズで作ったブレスレットやネックレスなどのアクセサリー、木彫りの置物(普通の茶色い木肌のは安物で、カンバ彫刻やマコンデと呼ばれる黒いやつは高級品)、キシイストーンと呼ばれる石彫り、鮮やかな色調のカンガ、動物やマサイをモチーフにしたバティックと呼ばれるろうけつ染めなどなど…。品数は目がウロウロしてしまうほど多い。でも、いずれも値札はついておらず、全て彼らの言い値でお買い物することになる。もちろん値切り交渉もOKだ。というより、最初彼らは目玉がぶっ飛び出るような値段を言ってくるので、絶対値切らないとダメである。
ナマンガの土産物屋でも、私が動物をモチーフにした木彫りのネックレスをたまたま手にして見ていたら、早速攻勢をかけてくる。「カワイイ」「あなた、兄弟いるの?兄弟やお友達のプレゼントにぴったり!」…などなど。ものは試しにいくらか?と聞いてみると、相手はシリングか?ドルか?と聞き返してくる。そう、こういった土産物屋では、大抵アメリカドルかケニアシリング(1シリング=約1・5円)でお買い物するようになる。(ナイロビに近いグレートリフトバレーの展望台では日本円も使えたけど)
シリングとドル両方の値段を聞くと、5000シリングか30ドルだと言う。頭の中で大急ぎで大体の日本円に換算してみる。うっひゃ〜!こんな安っぽい木彫りのネックレスが7000円以上もするの〜?!覚えたてのスワヒリ語で「ガリサーナ!(とても高いです)」と文句を言う。すると、相手は一瞬オッ?という顔をして「スワヒリ語が出来るのか?」と聞いてくる。それから、相手はいくらだったら買うのか希望の値段を書きなさいと紙とボールペンを出してくる。こんなの10ドルも払えば十分すぎる〜と思って書くと、相手は「ダメダメ。私ビンボウ。10ドル安過ギ。私、腹キリネ」と日本語で言い、まけても25ドルだと言う。
そのうち、相手は「あなたは学生か?」と聞いてきた。本当は学校を出てから何年もたつのだけど、とっさにすました顔で「ハイ、そうです」と答えてしまった。すると相手は「スチューデントプライス!」と何度か言いながら15ドルまで値下げしてきた。お?いい感触?
…ココだけの話、この後、行く先々のロッジや土産物屋で、私は実年齢よりずっと若く見られた。(1番は「15か18か?」って言われたっけ… (* ̄m ̄*) すごい年齢詐称じゃ。ここまで書いたら、本当の年齢が明かせない)なので、土産物屋で年齢や職業を聞かれると「アイアム貧乏学生!」と答え、お金のないフリをして値切り交渉していた…。(爆)
でも、やっぱり買う気はない。知らん顔してブラブラ歩き出すと、しつこく追いかけてきて「ジャパニーズボールペンがあるか?」と聞いてくる。そう、ケニアの土産物屋でのお買い物のきまり(?)物々交換である。彼らは大抵ボールペン、それもノック式のを欲しがる。それをプレゼントするからと言うと、必ず値引きしてもらえる。(値引きの割合は相手や状況などによって随分違ったが)私も事前に、働いていた病院でドクターからもらったボールペン(製薬会社さんがくれる薬の名前が入ったやつ)を用意していた。一応見せてみたら、相手の目がキラキラキラリンと光った。きっと、示した中に3色ボールペンがあったからだと思う。(どこでも黒の単色より3色ボールペンを欲しがられた)とうとう相手は、ボールペンをくれたら10ドルでいいと言ってきた。オイオイ、最初の30ドルはどうなったんじゃ?しかし、申し訳ないけど、ここでは相場と品物を見定めるだけで買うつもりは一切ない。逃げるように車に向かうと、とうとう「8ドル!」までに値下げしてきた。
…けれど、結局買わなかった。ごめんよ〜、ナマンガの土産物屋の兄ちゃん、キャタはさんざんたぶらかした挙句何も買わないなんて悪いやつじゃの〜、と思われるかもしれないが、なんのなんの。この値切り合戦にはさらにオチがあって、2日後の19日アバディアに向かう途中、再びこの土産物屋に立ち寄り、同じ兄ちゃんにつかまって、気に入ったバティックを1枚選んだらさらにもう1枚とマサイビーズのネックレスも買わされ、当然のようにボールペンも持って行かれたんじゃけぇ…。(しかも、しめて70ドル也。絶対、兄ちゃんの方が得している。ぼったくられたと思うのは私だけ??)
一見冷たいようだけど、買う気が無いなら強気で断るか、無視しないと押しきられてしまう。
そして、これもケニアの1つの現実。田舎町は貧しい人も多い。この後行く先々の土産物屋ではボールペンだけでなく、日本のコイン(硬貨)や彼女にやるから持っている靴下をくれとか、色々ねだられた。土産物屋の側で休んでいると、子供にボールペンをくれと言われたこともある。簡単に物やお金をあげることが彼らの為になるとは思えず、私はその都度「ノー」と断った。(ただまたずっと後で書くが、アナのロバの件ではついついお金をあげてしまったこともあるけど)それが正しい行動なのかどうかわからない。だからこそ、この国の人達や暮らしをもっともっと知りたい、そしてまたいつかこの国に来たいと痛烈に思った。(後日、旅を終えてナイロビに戻った時、稲野辺さんにこの話をしたら、「いいんです、それで。案外断って問いただしたら“ただ言ってみただけなんだ〜”と言う人もいるのです。」…だって。ガクッ。)
…しかし、いくら値切り倒しても、絶対安くなったというわけではない。
ガイドブックにも書いてあったし、実際帰りのナイロビ空港の免税店で見た方が圧倒的に安かった。大きな声じゃ言えないけど、例えば値切り倒して1つ5ドルで買ったマサイビーズのブレスレット、全く同じ物が空港の免税店では2ドルだった。トホホ。
けれど、空港の免税店に必ずしも気に入ったデザインがあるとは限らないわけで、勝負の賭けどころは難しいのだが…。嗚呼、ケニアのお買い物は難しいナリ〜!
教訓…ケニアの土産物屋での買い物は、あくまでも値段にこだわらず、ゲーム感覚で値切り交渉を楽しむことだけを目的にしたほうが楽しい。買った値段でぼったくられたとはぶてたり、後悔してはいけない、いけない、絶対に…。
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