さて、カーニボアでお腹を満たした後は、そのまま稲野辺さんについてもらって、ナイロビ市街にお買い物に行く。
ところで、現在日本で出版されているケニアのガイドブック、それから旅行会社の注意書きなど全て、ナイロビの治安は非常に悪く、決して1人で街中を歩かないようにと書かれている。もちろん、今回もホテルに着いた時点で稲野辺さんに再度念押しされた。
さらに、昨年(2002年)11月のモンバサでのテロ事件や12月の大統領選挙の影響か、ケニアの治安悪化を懸念した外務省から、12月よりナイロビ市街の中心部に日本人観光客を連れて行ってはいけないとツアー会社に注意が出ていたらしい。だから、12月以降、今回利用したツアー会社の客で市内中心部に案内されたのは私が初めてとのこと。どうりで、泊まったホテルも普段はインターコンチネンタルやナイロビヒルトンなど中心部のホテルが使われているのに、今回は少し市街から離れた所にあったわけだ。
稲野辺さん曰く、「もともとナイロビの治安は悪いのに今さらって感じがしないわけでもないけど…」むしろ、懸念されていた大統領選挙は平穏に終わり、長年政権を掌握して汚職など腐敗された政治で貧富の格差や治安の悪化等を招いた前大統領モイ氏が後押しする候補者が敗れ、多くの人々が望んでいたキバキ氏が当選したことで、今、この国では希望に満ち溢れ、犯罪や暴動も減っているとのこと。むしろ、今の時期の方が落ち着いて旅行できるかもしれないとのことだった。
話は少しそれるが、空港からホテルへ向かう車の中でもカロラインさんとこの話になった時、彼女に日本ではケニアの大統領選挙についてどう報道されているか?と聞かれた。東アフリカの中心国とはいえ日本から遠い国、日本では新聞でも扱いは小さい方だった。だが、旅行するにあたって情報収集していた私には気になることだったので、少しはこの問題について勉強したつもりだ。それで、「日本では、モイさんが敗れキバキ新大統領が誕生したことでこれからのケニアは良くなるだろうと期待している」と答えると、彼女は「そうなの、そうなの。モイ悪い人、キバキいい人」と喜んでいた。翌日向かったアンボセリ国立公園のゲートでも、管理官とドライバーさんが、田舎でもキバキ新大統領に期待し、希望に満ちているということを話しているのを聞いて、この国の新しいスタートがどれだけ民衆の期待を集めているのか、強い熱気を感じた。(雰囲気は日本の小泉政権が誕生した時と似ているのかなぁ?)このままキバキ政権が内政も外交も上手く行い、この国の人々の暮らしが良くなれば、旅行者にとっても旅しやすい国になるかもしれない。稲野辺さんも、「数年後ケニアを再訪したら、道路事情ももっと良くなっているかもしれません」と言われていた。(ケニアの道路事情の悪さは、後々痛烈に思い知ることになる)
しかし、今の時点では治安の悪さは世界でも有名な都市ナイロビなのである。今回、私がナイロビの中心部でお買い物をしたのは“やむおえない事情による特例”と稲野辺さんに言われた。
さて、まずは市内の大手マーケットに行って、下着とミネラルウォーターを買う。売り場も日本の大手スーパーと同じように広く、品揃えも豊富だ…と思っていたら、「ただ単に同じ物を何列にも並べているだけで、それほど種類は多くはないのですよ」と、同行してくださった稲野辺さん。それと、品のない話になるが、下着を選んでいた時思ったこと…。ケニアの女性はなんて胸が大きいんだ?!(爆)
Tシャツも買いたかったが、ここでは思うようなデザインがない。稲野辺さんも、せっかくならお土産になるようなアフリカらしいデザインがいいですよね、ということでもっと市街中心部のお店に連れて行ってもらうことになる。
マーケットを出て、車はメインストリートのケニヤッタアベニューをさらに中心部へと進んでいく。「この建物の中に日本大使館があります」など、稲野辺さんに説明してもらいながら車窓を見ていたら、思わず目のまん前に飛び込んできたのが、ライフル銃を構えているアーミー!それも、ライフル銃そのものが真っ先に目に入る。ちょっと衝撃的だった。よく見れば、銀行の入り口などあちこちに銃を持って警備している人がいる。最近の日本も決して安全な国というわけではないが、このように平然と銃がある風景に何ともいえない衝撃を受ける。
目的のお店の前で車から降りると早速、「カバンは背負わず前に抱えるように持って」と注意される。もちろん、お店でお買い物してお釣りをもらっても、それをきちんとお財布にしまいカバンに入れるまではお店を出てはいけない。
街の中になかなか駐車場がないので、フレッドさんは私達が買い物をしている間車を走らせている。また戻って来るのを、道端に立って待っていると、ちょっと怪しげなスーツ姿の兄ちゃんが、いきなり「コンバンハ!」(なぜか“こんばんは”たった)と声をかけてくる。「いきなり日本語で話し掛けてくる人は怪しいと思っていい」と稲野辺さんに言われ、二人で知らん顔…。
けれど、街の中の風景は、一見どこにでもある都市の風景と何ら変わりがない。
きちっと背広を着たビジネスマンもいれば、日本と同じようにジーンズや今風のオシャレなファッションで決めている若い女の子もいる。(これが結構可愛い子だった)かと思えば、アフリカらしい派手な原色カラーの民族衣装をまとったビッグマザー風の女性も歩いている。
アフリカ=近代化から遅れているわけではなく、携帯電話を持ったビジネスマンもいる。ケニアでもナイロビでは携帯電話が普及しており、携帯電話の広告を目にする機会があった。なんでも、公衆電話より携帯の方がつながりやすいので、携帯を持つ人が増えているそうだ。街角で何台も並んだ公衆電話も見かけたが、以前は電話待ちの人がズラッと列を作っていたが、携帯電話の普及でそういった光景も減りつつあるそうだ。
さらに、ケニア人といってもケニアは42部族の民族から構成されており、部族が違えばその顔かたちや肌の色の黒さが微妙に違う。街角に立ち、歩いているケニアの人をウォッチングするのも楽しい。それにしても、日本人ビジネスマンでカラーシャツが似合う人はそうそういないけど、ケニアのビジネスマンはカラーシャツがよく似合う。
さらに、ここは赤道直下とはいえ標高約1700メートルの高原都市。思ったほど暑くはないが、頭上から照りつける陽射しは強い。だからなのか?着ている物はてんでバラバラ。半袖Tシャツもいれば、セーターを着ている人もいる。(ちなみに私は薄手の長袖シャツを着ていて、ちょうどいいが日向ではちょこっと暑いかなと感じた)「みんな着たい物を着ているだけなんです」という稲野辺さんの解説はわかるようなわからないような…。(笑)
買い物を終え、来た時とはまた違う道を通ってホテルまで帰る。
コンフェレンスセンター、それにヒルトンホテルなどランドマークになっている円形の丸ビルなど近代的な建物が集まっているかと思えば、植民地時代の影響か英国風のシックな石造りの建物があったり、イスラム教のモスクがあったり、街は賑やかだ。車窓越しに見たウフルパーク(ウフルは自由という意味)は、緑豊かできれい、一見のどかな感じのする公園だ。だが、中に立ち入るのはとっても危険、犯罪の頻発する地帯なので観光客は絶対立ち入ってはいけないと言われる。しかし、見た限りではのんびり横になってくつろいでいる人もいて、この光景から治安が悪いとは想像がつかない。(そうそう、ポレポレ=スワヒリ語でゆっくり=の国のケニアではお昼休みが2時間はあるそうで、ちょうどまだみなさんお昼休みタイムだったようだ)
午後3時過ぎ、ホテルに帰る。ホテルにはプールがあって、そこで泳いだり日光浴を楽しんでいる白人客も大勢いた。周りは緑が多く、赤や黄色、ピンクなど色とりどりのブーゲンビリアの花が咲き乱れている。
しかし、ホテルも決して安全な場所ではないらしい。ホテルでの盗難話は珍しいことでもなく、中にはホテルの従業員もグルになっているという話も聞く。パナフリックホテルの各階にも、エレベーターと階段があるところではしっかり警備員さんが立っている。けれど、通りすがりにちゃんと「ジャンボ〜!(スワヒリ語でこんにちは)」とか「ハロー!」とにこやかに挨拶してくれる。(そうそう、ケニアでは公用語は英語だが、スワヒリ語も多く使われていた。みなさん、どうやって使い分けているんだろう?)そして、私がエレベーターに乗ろうとしたら、エレベーターボーイよろしくといわんばかりにサッと昇降ボタンを押してくれた。だけど、2つあったエレベーターのうち1つは6階のボタンを押してもなぜか5階までしか行かず、泊まっている6階へはそこから階段を使って上がらないといけないし、もう1つのエレベーターもボタンを押してもなかなか動き出さなかった。さすが、ポレポレの国ケニアのホテルだ。(笑)
このホテルは、今回ケニア滞在中利用した宿泊先の中では唯一テレビがあって、ケニアのテレビ番組を見たが、サッカー中継(ケニアではサッカーが1番人気のあるスポーツなのだそうだ)やニュース、歌番組と、日本と変わらないなぁと思った。
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