高温に耐えられる粘土、しかも珪藻土の枠が決まっていますから、膨張してしまう物は七輪自体を割ってしまいます。陶土を販売するお店と相談することになりました。
「あの、私は鍛冶屋作業を趣味にしている者で、高温に耐えられる粘土を探しています・・・・」
「えっ? 鍛冶作業ですか? 今までそんなこと相談されたことはないですから・・・・。高温というとどの程度の温度でしょうか?」
「1600度〜1700度まで耐えさせたいのですが・・・、そして、膨張しない物が良いのですが・・・」
「そうですね、どんな高温でも焼き固まらない『道具土』と言う物がありますが・・・」
「道具土? それはどんなことに使う物ですか?」
「えーとですね、登り窯などで、入り口を煉瓦でふさぐとき、目止めするときに使う物です。」
「ではそれを注文します。」
「えー、これは20kg単位で販売します。」
「え〜〜〜〜〜っ、20kgですか・・・・・・・・?! (しばらく考えて) ・・・・・宜しくお願いします。」
と、こんな具合で『道具土』と言う物を手に入れました。
道具土で壁面・底部の補強をした状態(4つの穴は羽口) 七輪側面に出来たヒビ
上の写真は2001年8月の写真です。かなり厚めに道具土で補強したので、火床は小さくなってしまいました。
どんな高温でも焼き固まらないと言うことで毎回成形が必要かと思いましたが、なんと、羽口部分から8cmぐらいの所までは、まったく陶土のように焼き固まり、これも少しずつですが溶け出すことが分かりました。口縁に当たる部分は焼き固まらないので、これは毎回成形してやる必要があります。
しかし、補強したにもかかわらず一番おそれていた側面のヒビが・・・・・。鍛冶作業中にこの側面が破壊したら、火傷をする・火事になる・・・・。そこで今度はまわりを銅板で覆う作業をすることにしました。勿論、底の部分も銅板で覆ってあります。
銅板で側面を補強した七輪
これでしばらくは使用できるでしょう・・・・。何故ここまでこの七輪にこだわるかと言うと、この七輪、20000円もしたのです。ほいほいと買い換えられる代物ではないですから、大切に大切に補強しながら使うことになったのです。
この七輪のどの辺が高温になり、どの辺で加熱すると良いかということは、この1年間の作業を通じ分かってきました。現在は羽口の穴は2つにしています。
こうやって思い出してみると、2年間の鍛冶作業は試行錯誤の連続・・・・。 横山 祐弘さんの『鍛冶屋の教え』の本を教本として、良くここまでやってきたと思います。
そうでした、鋼や地金を供給してくれている工場の社長さんは、頂いた鋼と地金はそのままでは溶接できないと、話されていました。しかし、横山さんの『鍛冶屋の教え』をもとに鍛接作業をすると、しっかりとくっついたのです。最初に鍛接に成功した物を工場に持っていたら、「オオ〜付いてるね!!」と、僕の作業を認めてくださり、それ以来色々と面倒を見て下さっています。
日本では2000年間、この鍛接の作業で刃物を作ってきたわけですね。自分で作業をしていて、先人の経験と知恵の凄さにつくづく頭が下がってしまいます。人類で一番最初に「鉄」を手にしたのは紀元前3000年頃のエジプトの人々でした。紀元前2300年頃に、ヒッタイト(古代トルコ)の人々は鉄剣を手にしました。この当時の人々の経験による知恵は、今も脈々と受け継がれているのだと思います。そう考えながら毎回鍛冶作業をしています。
『熊公の独り言』 ◆ 失敗鍛冶 ◆ に書きましたが、このように火床となる七輪の手入れや、鍛接の実験、焼き入れ・焼き鈍しの実験を2年やってきたので、そろそろしっかりとした製品を作ろうと意気込み過ぎて6月の作業は失敗したのでした。
これから、鍛冶作業をした場合、このページに報告して参ります。
(2002.08.18)
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