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●(117) 2006年1月9日
「日本列島大寒波」
このところ連日、テレビのニュースで、新潟県の津南町の雪が4メートルほどもあって積雪記録を更新していると報じられています。もう三十年も前の事ですが、何年か続けて学生時代の知人など総勢20名くらいのグループで正月休みをこの津南のスキー場で過ごしていたことを思い出しました。当時、スキー場はどこも大繁盛でしたので、お正月休みでも空いていて、雪が確実にあるところということで探してきた「マウントパーク津南」というスキー場でした。長野から飯山線で約2時間。または北陸・信越線で新潟の長岡へ、そこから乗り換えて十日町経由で入るのですが、どちらにしても非常に行きにくいところです。でもここの利点はJR津南駅のホーム横から、スキー場に昇るリフトがついているというところです。他のスキー場で駅からバスに乗ったりしていることを考えると、少々遠くても時間的には変わりません。我々はスキー場の中の宿に泊っていましたので、朝一番からナイターまでバカみたいに滑っていたものです。当時からドカ雪が降ると帰れなくなるよとは言っていましたが、ニュースで見る今年の豪雪だとその登行リフトも埋もれているのではないでしょうか。
ところで今年は先月から寒波襲来で京都もよく雪も降りますが、正月早々から黄砂が飛んできて車の汚れがひどいです。通常は春さきに、暖かくなってから黄河あたりの土地が雪解けして黄砂が飛んでくるというように思っているのですが、多分今年の黄河は凍っていないのかもしれません。大陸での森林伐採など地球全体の環境破壊も影響しているのでしょう。毎年、黄砂が飛んでくる3月頃に花粉症になりますが、今年はもうその症状がでています。左眼がヒクヒク、ショボショボするだけなのですが、うっとうしいものです。花粉症が早く始まった分、早く終わればいいのですが、このまま春まで続くとなるとちょっと期間が長くて心配です。
●(116) 2006年1月2日
「Amazing Grace」
新年明けましておめでとうございます。今年もお付き合いよろしくお願い致します。今年は私の生まれた丙戌(ひのえいぬ)の年で、六十年ぶりに廻ってきた還暦の年ということになります。といっても、誕生日は十二月なので先月59歳になったところなのですが゛・・・。
最近「アメイジング グレイス」という曲をよく耳にします。日本語では「大いなる恵み」とか「驚くべき恵み」とかに訳されているのですが、題名を聞いてもピンと来ない方も曲を聴くとご存知のはずです。1760年〜70年頃に作られたもので作曲者は不祥ですが、作詩者はイギリス生まれのジョン ニュートンという波乱万丈の生涯を送った人物です。20代に奴隷を運ぶ船の船長をするのですが、40歳ごろに志願して牧師になり、50代にはロンドンの教区司祭に赴任して奴隷廃止運動にも影響を与えた人物です。
昔から自動車などのCMソングとしてはよく使われていましたが、一昨年にはTVドラマ「白い巨塔」のテーマソングとしても使われました。それはニュジーランドのヘンリーという16歳の天才歌手が歌っていたのですが、昨年末には38歳で亡くなった本田美奈子さんの歌が彼女の追悼番組で何度となく流れましたし、そのあとも中島美嘉がジャズ風に歌っているのが連日CMで放送されていましたのでお聞きになっているでしょう。もともとは天使のようなきれいな声の女性歌手がアカペラ(無伴奏)で歌っているのがほとんどで、日本では白鳥英美子など美声の歌手が得意にしていました。
最近はゴスベルで歌われたり、ジャズ風に歌われたりと、男性が歌っているものもありますので、私も昨年末のホテルのパーティーで何回かこの曲を歌ってみました。テレビの影響で曲はかなり浸透していて皆さんよくご存知でしたので好評のようでした。
皆様方にも、今年は「大いなる恵み」があって、よき年になりますよう心よりお祈りいたします。
●(115) 2005年12月26日
「東山三十六峰」
前回の日記の続きで「東山三十六峰」について調べてみました。もっとおもしろい事を書けとご批判を浴びそうですがお許しを。
東山三十六峰はもともと峰々の数が三十六峰あったからではないらしい。無声映画のカツドウ弁士が新撰組の登場する場面で語った「東山三十六峰、静かに眠る丑(うし)三つ時、鴨の河原のしじまを破り、にわかに起こる剣戟の響き・・・・」という名フレーズで一般に広まったそうで、そののちに三十六峰を当てはめたらしい。
現在では次のようになっているそうですがかなり無理があるようです。( )内はその山あたりのご存知の場所を書いてみました。
1比叡山(別格) 2御生山(御蔭神社) 3赤山(赤山禅院) 4修学院山(修学院離宮)
5葉山(観音堂) 6一乗寺山(詩仙堂) 7茶山(茶屋家別荘) 8瓜生山(狸谷神社)
9北白川山(勝軍山) 10月待山(銀閣寺) 11如意ケ嶽(大文字山) 12吉田山(吉田神社)
13紫雲山(真如堂) 14善気山(法然院) 15椿ケ峰(哲学の道、大豊神社)
16若王寺山(東天王町) 17南禅寺山(南禅寺) 18大日山(大日堂)
19神明山(インクライン) 20粟田山(粟田神社) 21華頂山(知恩院) 22円山(円山公園)
23長楽寺山(将軍塚) 24双林寺山(円山野外音楽堂) 25東大谷山(東大谷本廟)
26高台寺山(高台寺) 27霊鷲山(霊山観音) 28清水山(清水寺) 29鳥辺山(西大谷本廟)
30清閑寺山(清閑寺) 31阿弥陀ケ峰(豊国廟) 32今熊野山(滑石街道) 33泉山(泉涌寺)
34恵日山(東福寺) 35光明峰(京阪鳥羽街道駅) 36稲荷山(伏見稲荷大社)
12月というのに先週から大寒波襲来。22日は忘年会のピークかもしれないのに、市内でも積雪が10cm。忘年会のキャンセルもたくさんあったでしょうし、参加しても早々と家路につかれたりと祇園街も大損害だったでしょう。私たちもスノータイヤをはいたタクシーが少なく、お客さんをお送りして早朝5時ごろにやっと帰宅で疲れました。
●(114) 2005年12月19日
「東山三十六峰マンテンマラソン」
先週はホテルでの宴会の仕事が水曜と土曜。923はこの三週間の土曜日は、パーティーの二次会で貸切なのですが、今週の土曜日は忘年会も多かったとみえて、たくさんお問い合わせを頂きましたが、結局トータルで30名以上もお断りをすることになってしまいました。忙しいのは週末だけ、皆さん分けて来ていただければとつくづく思ってしまいます。
このところ毎週土曜日に演奏の出張があって、日曜日には前日の宴会で置いてきた音響機器をホテルへとりに行かねばなりません。先週の日曜も昼過ぎに機材を取りに行って滑石街道から帰宅しようとすると、途中でマラソンのコースを横切りました。あまりご存知ないでしょうが、もう十年以上前から、12月前半の日曜日に「東山三十六峰マンテンマラソン」というハードな山岳レースが行われています。
コースは、まず宝ヶ池を一周して上高野から赤山禅院を通って修学院裏の尾根へ入ります。そこから南下、瓜生山を越え銀閣寺北側へ下りて、そこから大文字の火床を抜けて大文字山へ登ります。南禅寺裏の日向大神宮から蹴上げの東山ドライブウェイを登り将軍塚へ。そこから清水寺の裏の清水山を下って五条バイパスのトンネル手前で地下道をくぐって、火葬場入り口手前から山中へ。豊国廟のある阿弥陀ケ峰を越えて泉涌寺に下りてまた東山三十六峰の最後の稲荷山へ登る。千本鳥井の一番上の一ノ峰の奥をまわって伏見稲荷の本殿の南側に下りてくるという全長約30キロのコースです。30キロといっても優勝者は2時間30分くらいの記録ですからフルマラソンと同じくらいのスタミナ
が要求されます。
以前に知人が参加していたので知ったのですが、マラソンより東山の山中を縦断できる道があるということに興味があって、将軍塚から稲荷のゴールまでゼッケン無しで走ったことがありますが、アップダウンの激しい山道で想像以上に大変でした。コースのほとんどは「東山トレイル」として山歩きの道として整備されているところです。
毎年この時期は仕事が多忙な時で参加できせんが、一度気楽に挑戦してみたいと思うレースです。
●(113) 2005年12月12日
「師走」
祇園町も静かとはいえ、さすがに12月に入ると多少は賑わい始めます。
12月に入ってからの土曜日に3週続けてホテルで800名規模の大パーティーでの演奏の仕事があります。その日は二次会の会場として店にも来られますので、17日までの毎土曜日は貸切状態です。明日もホテルでの仕事と、何かとあわただしい毎日です。
12月4日は妻の誕生日、6日が私の誕生日で、このところは毎年バタバタしているうちに終わってしまうのですが、今年は4日の日曜日に誕生パーティーをすることになりました。ホテルのバーで料理をとっての誕生会で、この日はお客さんが高級スコッチ「ロイヤルサルート」を提供して下さったので、ビールしか飲まない私もめずらしくウイスキーで通してみました。ホテルのバーでこんなにたくさん飲み食いしている連中も少ない。
みんなかなり飲んで調子の上がったところで先斗町に繰り出すことに、最近は休みの日にほとんど飲み行く事もなく、先斗町へ行くのもずいぶん久し振りのことです。たまに行くとなると、日頃の不義理のお詫びに寄らなければならないところがいくつもあります。まず、お腹が空いているわけはないのですが、馴染みのおでん屋さんへ。私の学生時代からお世話になっている「山とみ」という店で、おでん屋さんといっても、お造りから、串カツ、なべ物などと、何でもあるメニュー豊富なお店です。この日はホテルで食事のあとで、おまり食べられないのですけれど、お腹の膨れないものをいろいろ注文して生ビールで女将さんと乾杯。
もう一軒、「炎」というお店。私が学生時代にアルバイトをしていました歌声喫茶「炎」のリーダー中山隆さんが、歌声喫茶閉店後に始められたスナックで、学生時代の思い出いっぱいの店です。以前にも気まぐれ日記No.1(2003年12月1日分)にも書いたことがありましたが、中山隆さんは2年前に突然亡くなってしまわれて、現在は弟さんがやっておられます。またまた、ここでも調子が出てたくさん飲んでしまいましたので、先週の日記は夜中にヘベレケ状態で書いていたような記憶があります。
先週5日には観光客も減って少し静かになった東福寺へ。通天橋横の紅葉の絨毯がきれいです。
●(112) 2005年12月5日
「防犯ベル」
我が家の住んでいる住宅は130軒ほどあるのですが、毎年今頃に防犯ベルと、火災報知器の一斉点検が行われます。今年の我が家はその中の10軒ほどの組長で防犯委員にもなっており、その点検と連絡が今期のメインの仕事です。各家庭を訪問して室内に設置されている防犯ベルを押して、鳴るかどうかの確認。また火災報知器にドライヤーの温風を送って、作動タイムの確認もします。感知式の火災報知器は一度鳴ると、すぐには止まらないので、止めるのに冷やさなければならず、そのために濡れタオルも持参します。同じ町内とはいえ、こんなとき以外は、よその家のキッチンに入ることはないわけで、お互いに気を遣います。ベルといってもサイレンで、この日は朝10時過ぎから、あちらこちらでウ〜〜〜とサイレンが鳴り響いています。たまたまよそからの訪問者は何事があったのかと驚いています。
十二月に入ると京都の観光シーズンも終わりで観光客が一気に減ります。今週あたりは一度東福寺にも行ってみようと思います。いよいよ師走に入り忘年会も出張も多くなってきましたので風邪をひかずに頑張らなければ・・・・。
●(111) 2005年11月28日
「携帯電話」
久し振りで携帯電話を新しいものに替えました。妻の携帯の電池がヘタッテきたのがきっかけです。替えるときはいつも妻の分と一緒に同一機種を2台購入します。メカ好きの私が説明書をくまなく読んで、便利な使い方のすべてを伝授することになります。仕事の合間に説明本を読んで便利な機能を把握するのにも約2週間はかかります。今回はすでに2年以上も使っていた電話機でポイントもたまっていたので、数千円で新しいものがもらえましたが、機種選びでいろいろ見てみると最近の携帯の機能はすごい。FM、AMのラジオが聞けるもの、テレビが見れるもの、300万画素以上のカメラが付いているもの、バーコードが読めたり、電話機でショッピングができるものなど、かなり進化しています。私どものは標準的な機種ですが、カメラも130万画素もあって以前のものとは格段の差があります。当分のあいだ説明書にかかりっきりです。
従来の固定電話にも便利な機能がいくつもありますが、転送機能などもNTTに直接契約をしておくと、かけた方はほとんど転送に気がつかないくらいスムースに転送してくれます。事務所にかかってきた電話を自宅やゴルフプレイ中の携帯などに転送できるくらいです。事務所に人を置かなくても先方に気づかれずに電話の応対ができます。
923の固定電話も閉店後はいつも妻の携帯に転送してありますので、いつも連絡がつくようになっています。いろんな人がおられるわけで、昼間に仕事をしておられる方は何の疑問も感じずに、夜の予約や演奏の仕事、請求書の問い合わせなどを昼間に店にかけてこられて話を済まされます。多分、店にいると思ってられるのでしょうが、昼間に店に居るはずはないでしょうにね。
先日の日曜日の夜に、家で飲んでいるところに店からの転送電話。京都府下の市長以下、各界の重鎮が是非、行きたいというアリガタイおはなし。「30分だけ余裕をもって来てください」と言うと同時にタクシーを呼び、店に駆けつける。お客様とほとんど同時に店に到着でしたが10名ほどがお越しになり、それはそれで嬉しいことでした。
●(110) 2005年11月21日
「学生アルバイトOB」
学生時代に923でアルバイトをしていた女性二人が訪ねて来てくれました。五年前に卒業した彼女たちでしたが、当時は某女子大の同じクラスの学生たち10名くらいが毎日交代で来ているような頃でした。訪ねてくれたその一人は大学院へ進み、今はダンスの先生をしているとのこと。もう一人は大学時代からの希望であった小学校の教員を目指して初志貫徹、講師などを経て今年から正式教員として採用され、5年生の担任もしているとか。なかなか苦労もあるらしいが、やる気充分で頑張っているようです。みんな五年も経つと、すっかり社会人の顔になっています。今年バイトの4回生の女子学生も出身地の信用金庫に就職が決まりひと安心。京大4回生の男子学生は大学院の試験も終わり無事進学。もう七年以上も前から、うちの店でバイトをしてくれていた理学部の原子物理をしている学生も、今年は博士課程の3年目で、来年1月から東京大学の講師として就職が決まったようです。みんなそれぞれこれから大きな夢を持って社会で活躍するわけですが、私たちも親のような気持ちで見守っています。たまに昔のバイト生たちが訪ねてきてくれるのは嬉しいことです。
ただでさえ静かな祇園町、ブッシュ大統領が京都に来られるとかでこの一週間は厳戒態勢でまったく人通りがない状態。おまけに15日の夜は小泉総理が祇園の「権兵衛」というそばやへ来店、全国からも応援の警察が来ていて戒厳令の夜のようでした。京都の秋は一年で一番忙しい観光シーズンですから、まったく迷惑な話です。
ところで小泉首相、「権兵衛」で何を食べたのかは少々気になります。
●(109) 2005年11月14日
「雲ケ畑中学」
先週は雲ケ畑中学校で「金子みすゞ」のライブをさせて頂きました。中学校といっても小学校といっしょになっていて中学生2名、小学生10名の小さな学校です。その割には先生は15名ほどおられる恵まれた環境です。
当日は学芸祭、文化祭ということで朝9時から生徒の劇、合奏、PTAコーラスなどのほか、先生方の出し物もあって、ご家族ぐるみでお弁当を持って見に来られるような地域全体のイベントになっています。午後は私どもの「金子みすゞ」コンサートです。
上賀茂神社から賀茂川に沿って上がると20分ほどで着きますが、すごく山の奥へ入ったような気がします。もちろんここも京都市です。学校の横には賀茂川が流れていますが、ここではまだ小さな小川です。この賀茂川はこの奥の桟敷岳を源流として下り、出町の高野川との合流地点から下流が鴨川となります。このあたりでは京都市内と比べると、やはり気温が低いようで会場の講堂、控え室にはもうストーブが焚いてありました。途中の道も市街地よりはかなり木々の紅葉が進んでいるようで、整然と並ぶ北山杉の中、絵になるような光景です。
学校は昔の映画で見るような山の中の素敵な小学校でした。校長室には開校当初からの歴代校長先生の名前が書いてあるように、地域と学校の密接なつながりを感じます。また生徒全員の今年の目標と一緒に、一人ずつの写真も校長室に貼ってありますが、街なかの学校では考えられないことです。恵まれた自然環境と、マンツーマンのような先生と生徒間のいいコミュニケーションができているのでしょう、行儀の良い、のびのびと育った生徒さんたちでした。素朴で懐かしい時代の小学校の雰囲気に、おもわず私どもの子供時代にタイムスリップしてしまいます。先生方も優しく親切で、こういうところにいると、みんな気持ちが穏やかになれるような気がします。
●(108) 2005年11月7日
「歌と健康」
先週は某ライオンズクラブの歌唱(カラオケ)同好会のお稽古日。ほとんどが60歳代で、70歳、80歳代の方も来られいます。今回の練習曲は大川栄作の「駅」と、堀内孝雄with五木ひろしの「ふたりで竜馬をやろうじゃないか」の2曲。どちらもキーの高い歌手の歌なのですが、この会のメンバーの皆さんはみんな声の高いメンバーで、ほとんど原調のままで歌えます。どうなるかと思っていた心配をよそに、皆さんしっかり歌えるようになりました。
日頃から皆さんに、楽しく歌うということは健康にもいいですよとお勧めしているのですが、確かに皆さんお歳の割にはお元気です。日常の生活ではそんなに大きな声を出すことも、そんなに高いところの声を使うこともないでしょう。せいぜいゴルフの時に「ファ〜〜」と叫ぶくらいでしょうか。使わなければ歳とともに声帯の筋肉も少しづつ衰えてもくるでしょう。
その同好会のメンバーのおひとりが一昨年、突然、脳梗塞で倒れられました。たまたま入院された病院ではリハビリにカラオケを使っておられ、もともと歌がお好きだったその方には相当な効果があったように思います。当方にも奥様同伴で何度もカラオケのお稽古に来ていただきましたが、来られる度に見違えるようにお元気になっていかれる様子がわかりました。先日来られた時にはすっかり回復されていて、病院からも驚異的な回復と驚かれているようです。
先日も、ガンの患者さんにモーツァルトの曲を聞かせると、かなり免疫力がアップして治癒効果があるというテレビ番組をしていましたが、音楽は身体の健康にもかなりの良い影響を与えるようです。
デパートの食品売り場ではチャイコフスキーを聴かせて作るピロシキを売っていますが、これはどうなんでしょう?
●(107) 2005年10月31日
「新曲”愛ある故に”」
先日、私が歌う「愛ある故に」という曲がシングルCDで発売されました。カップリングはこの夏にレコーディングしました「人生(とき)は幻」という曲ですが、編曲のイメージで少々演歌曲っぽくなってしまいました。どちらも曲自体は以前に作っていたもので、私も歌を仕事にしている割には歌手という立場は苦手で、誰かに歌ってもらいたかったのですが、今回は私の歌で発売ということになりました。詞は拉致被害者帰還応援歌ということで、3年前の5名の帰国を記念して、その帰国日10月15日に発売されました。音楽自体がどんどん進化していっているこの時代に、どのように受け入れていただけるか心配です。
☆また久々に風邪をひいてしまい、どうなるかと心配していましたが、とりあえず4,5日間仕事以外は寝てばかりいると治ってしまいました。こんなに早く治ったのは奇跡的です。
☆ラジオの最終回を初めて最初から最後まで家で聴きました。聴いて下さった方々、ありがとうございました。
●(106) 2005年10月24日
「ラジオ番組、最終回」
今年2月からやってきましたFMラジオ番組「藤山一男・由美の”金子みすゞの世界”」が今週の29日放送で終了します。たまたまネットでお知りあいになった「イチロー57」というHPを作っておられる方が、スポンサーとして番組提供をして下さいました。自分達がパーソナリティーの30分番組は初体験で、本当に貴重な経験をさせて頂いて感謝しています。タクシーの中のラジオから自分達の声を聴くのも不思議な感動でした。もともとアナウンサー志望だった妻はともかく、自分の話術の稚拙さも充分納得しました。毎回、私達の昔の曲もかけさせて頂きましたお蔭で、過去の曲の整理もできました。また何か違うテーマで新しい番組を、とかも言っているのですが、私は客観的な実力を悟りましたので、あまり自信がありません。今回は番組タイトルになっている、金子みすゞさんの曲はなしで、ほとんど私共のオリジナル曲で構成しています。
〜〜〜
先週は某大学の自動車部の創設70周年記念パーティーに呼んでいただきました。250名ほどの盛大な会で、お蔭で久し振りの懐かしい方々にもたくさんお会いしました。大学の現役チアガールも十名ほど来て、チアダンスをを披露してくれましたが、あんなに間近で見ることは少なかったのですが、統一された素晴らしい演技にみなさん感動ものでした。
●(105) 2005年10月17日
「アマチュア声楽家」
京都には全国的にも名立たる合唱団がいくつもあります。もともと京都は大学も多いので、学生時代から合唱をしてる方たちが、卒業後も優秀な合唱団をつくっています。私の店もまだカラオケのない時代から、歌える店としてやっていましたので、合唱団でソロのできるような声自慢もたくさん来られていました。卒業後何十年も経った今でも、定期的にボイストレーニングを受けておられるような熱心な方もおられます。私も、もともと合唱をやっていたとはいえ、悪声ですので、そんな優秀な合唱団メンバーの方の声は羨ましく思います。
ただ時々、そんな優秀な声の持ち主にも不満を感じることがあります。その方々を楽器の演奏家とするならば、非常に立派な音をだされる方ばかりです。でも素晴らしい音を出される演奏家が、必ずしも素晴らしい音楽を奏でるかというと、疑問な部分があります。オペラや歌曲の音の難しい、変拍子のたくさんある難曲を覚えて歌われたりするのには感心しますが、楽譜なしで誰もが知っているポヒュラー曲とか、歌謡曲などを歌われたりすると、リズムに乗れなかったり、外れたりというようなことがあってガッカリしてしまう事があります。器楽奏者でも非常に良い音を出されるのに、曲全体として伝わるものが少ないと感じることがあるように、日頃から高い声がどこまで出るとか、低いところがどこまで出るとか、楽器としての声作りばかりに力を入れ過ぎていて、本来の音楽全体をどう奏でるという部分が、足らないのではないかと思ってしまいます。
私共のような声の悪い者が言っていても、少々やっかみのようにも聞こえますが・・・・。
10月15日に私の新曲、「愛ある故に」が発売になりました。⇒
愛ある故に
●(104) 2005年10月10日
「桜が狂い咲き」
自宅すぐ横の川沿いに先月の下旬から桜が咲いています。たまたま新聞に載っていたので知ったのですが、このところの環境、気象の異常が原因でしょうか。もちろん春ほど豪華に咲くわけではないのですが、それにしても確かにたくさんの花をつけています。そのあと注意して川沿いを歩いてみるとあれあれ?結構何本もの桜の木が花をつけています。調べてみると花の数の少ないのもありますが、全部で十本以上もの木が花をつけていました。桜の種類ではほとんどが山桜で、枝垂れ桜が少々、染井吉野の木で花をつけているものはありませんでした。このようにじっくり観察したことはなかったのですが、よく見ると毎年今頃には多少は花をつけているのではないかと思ってしまいますが、どうなのでしょう。来年また調べてみることにします。
専門家の話によると、花芽に成長抑制ホルモンを送る役割である葉が、台風などの強風によってちぎられてしまうと、抑制が効かなくなって時期はずれに花が咲いてしまうらしい。そういえば確かに今年は二度も台風が近くを通りましたが、そんな説明では味気ない。桜自身の心の問題としてとらえたい。
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山科、旧安祥寺川沿い(10月10日)
●(103) 2005年10月3日
「続 上醍醐」
先週の私のこのページを見て、山歩きの好きな友人がアドバイスのメールをくれました。彼は私が上醍醐に行っている頃、ちょうど北アルプス登山をしていたようで、私をうらやましがらせるような写真も送ってくれました。
彼の許可なしでメールをご紹介します。
★★〜〜上醍醐から大谷までの縦走は、私も妻と歩きました。歩き応えのある楽しいコースでした。藤山さんが道を間違えられたのは、開山堂から舗装道路の横嶺峠に下りられて、舗装道路を道なりに(尾根を)北上するところまではよかったのですが、京都国際ゴルフ場に向けて舗装道路が大きく東(右)に曲がっていくところを、道なりにゴルフ場に向かって歩かれたからです。この右に曲がっていくあたりで、舗装道路から分かれて、まっすぐ北上する登山道があります。この道を2〜300mほど北上し、途中で左に高塚山に向かう道を右に分けて進んでいきますと、20分ほどで桜の馬場に出ます。この道は迷うことがない広くてはっきりした道です。今ごろは濃いピンクのツリフネソウが咲いていると思います。私もまた歩きたいと思います。
それにしても迷いながら醍醐から大谷まで3時間40分とは恐れ入ります。私と妻は、朝10時に三宝院から上って、途中で各お堂をお参りしたり、お札をもらったりして、登山道に入ってからも、休憩や昼食をとりましたが、大谷に下山したのは6時間後の4時でした。藤山さんとはとても一緒に歩けないなぁ・・・。
それに歩く時はやっぱり1/25000の地図と磁石は持って歩いてくださいね!
中高年の山歩きは
「前だけ見ずに右左、道端の風景を楽しんで!」
「山をトータルで満喫してください。」
ご注意申し上げます!〜〜★★
というものでした。
私の場合、このような山歩きは毎日のランニングの延長程度にしか考えていなく、こんな近くの5〜600mの山で遭難するはずも無いし、地図も磁石も無くても、持ち前の動物的な勘で方向を間違えることもないしと、思い上がっていることがいけないようです。それこそ最近、中高年の登山者が増える一方で、山での事故も増えているようですので、私のように自信過剰で軽装備、無計画、無謀な登山者は、反省する必要があるようです。彼のメールでの忠告をきいて少々反省(?)。妻も当日は予定より遅い帰りに遭難したのではないかと、多少は心配をしたみたいで、このメールを見せると大拍手でした。山はもっと時間的にゆとりをもって歩きたいものです。そうそう、もうええ歳なんやから!・・・・・はいはい!。
東山の山科側からコース全体の写真を撮ってみました。
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右端の醍醐山から高塚山、後ろ側の尾根の写真中央左が音羽山、左下が逢坂の関です。平面上の直線距離でもそこそこあります。
●(102) 2005年9月26日
「上醍醐」
前々回(99)に書きました音羽山に再度挑戦。先週の日曜日の午後に、気楽に上醍醐から音羽山に抜けてみようと出発。上醍醐は麓の醍醐寺から約1時間強のコースですが西国三十三ヶ所の札所になっていますので結構参拝者も多い。地下鉄の醍醐駅に車を置いたのが1時45分。醍醐寺の奥まで早足徒歩で15分、そこから上醍醐に向かって約45分で一番上の開山堂に到着。結構な登りですが、信仰のためにかなりの年配者も登って来られていて、皆さんお元気なのには驚きます。
一番上の開山堂から、「桜馬場より牛尾観音へ」と書かれた道標に従って進む。15分も歩くと突然車の走っているアスファルト道に出て驚く。そのあたりから道案内がまったく無くなり、勘をたよりに道なりに進むと、京都国際ゴルフ場の中に入ってしまう。ゴルフ場のフロントで尋ねると、多分私のような登山者が、度々来るのでしょう、丁寧に教えてくれました。ゴルフ場のコースの横を通ってまた山に入っていくのですが、なかなか分かり難い。コースの途中の2ヶ所でゴルフ場のスタッフにあっちですよと声をかけられ何とかまた山の中へ。音羽山の麓の桜馬場へ行くつもりだったのですが、多分このあたりで間違ったのでしょう、いつまでたってもアップタ゜ウンの激しい山道が延々と続く。上醍醐から1時間以上、車を置いてから2時間以上も歩いていると体力の消耗も激しく、もう帰りたい気持ちになっていましたが、まったくの山の中、ここからではどこへも下りられず、とりあえず気力で前へと進む。
そうするうちにやっと滋賀県の石山寺から音羽山へ行く道筋に合流。その先のパノラマ展望台で、石山寺から登ってきて休憩中の登山者に出会うが、もう既に4時半、日が短くなってきているので早くどこかへ下りなければと焦る。結局、どこへ下りても電車の駅にでるのに1時間ほどはかかりそうで、当初の予定通り音羽山の山頂から京都と滋賀の間の逢坂の関に降りることにする。音羽山の山頂からは急斜面の長い階段が続き、もう足はガダガタ。最近こんなに疲れたことは珍しい。だいたい歩きがせっかちですので、コースタイムの2/3くらいのスピードなのですが。今回は道を間違ったこともあって、ペース配分が狂ってしまいました。
醍醐駅出発からほとんど休憩無しで3時間40分以上歩きつづけで蝉丸神社のある大谷駅へ到着。大慌てで京阪電車の京津線に乗って山科駅へ。山科駅売店で買った缶ジュースを一気飲みして、地下鉄で醍醐駅へ。車をとって6時15分帰宅。あまりの疲れで風呂にも入らず、夕食に大ビンのビールを2本飲んでバタンキュー。完敗。
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