☆永源寺コンサートのページ作りました。⇒
Fuzzコンサート in 永源寺
●(219) 2007年12月24日
「除夜の鐘」
バタバタしているうちにもう来週は大晦日で、除夜の鐘を聞きながら新しい年を迎えることになります。除夜の除には「はらう」とか「きよめる」「旧を去り、新を迎える」などの意味があるようで、旧暦での大晦日は冬から春へと季節が変る日でもあったようです。
「日本三大梵鐘」、「日本三名鐘」のことは213号にも書いていましたが、京都では妙心寺や延暦寺などの本山でも煩悩を打ち消すためにちと「除夜の鐘」が鳴らされます。ただし東西本願寺では鳴らさないそうです。親鸞さんの教えでは「人には煩悩があるということが基本にあって、煩悩を打ち消すという思想がない」ということのようです。
大晦日の「除夜の鐘」へ見学やお参りされる方のために、昨年の資料でお知らせします。知恩院では例年午後10時40分から僧侶が撞き始め、一般の参拝者は見学のみで、入場も同11時40分までと規制されています。あのダイナミックな鐘撞きは一度見てみたいものですが、私などその頃は多分酔っている時間ですのでとても無理のようです。方広寺では108回撞くのですが、参拝者も撞かせてもらえるようです。平等院でも午後11時半に南門から入って1打につき5、6人で撞けるらしい。三井寺では午前0時から冥加料2000円を納めれば人数制限なしに撞くことができるらしい。こんな時間にでもお元気な方はどうぞお参りください。
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先週の日曜日は小学校の同窓会。そしてホテルでのロータリークラブのクリスマス懇親会での仕事。出張の演奏の仕事はこれが本年最後です。妻も薬の副作用が減ったせいか少しは声がでるようになって嬉しいです。そのパーティーで進行のお手伝いをしてくれたのが、メンバーの方のお嬢さんで東京で活躍中の女優のSTさん。開演前に話をすると数年前の学生時代に923で2週間ほどアルバイトをしたことがあるとか。話していると次第に記憶が蘇り、帰ってから手帳を見ると確かに彼女の名前と連絡先が。俳優名も本名と同じなので、ネットで名前検索してみるとたくさんの映画に出演されていてかなりご活躍のようでした。世間は狭いものです。
●(218) 2007年12月17日
「合唱コンサート」
私の卒業した大学の合唱団が今年は第50回記念の定期演奏会ということでOB、OGとで9日(日)に合同ステージを持ちました。会場はコンサートホールの大ホールで10年前にこのホールができた時にも「フォーレのレクイエム」で合同ステージに立ちました。今回の練習は今年の2月から毎月2回ありましたが、私もライブがあったり妹の入院、妻の入院などもあってトータルで十数回出席したでしょうか。12月に入ってからも2回の練習があったのですが、土佐別院でのライブとホテルでの仕事でどちらにも行けず本番を迎えることになりました。もちろん家でしっかり譜読みをしていますので音的にはそこそこ自信がありましたが、あとは指揮者の要求どおり全体の曲の流れに乗ってタイミングを合わせられるかどうかでした。
曲は三善晃の「日本の四季」という曲で1998年の「国民文化祭おおいた98 合唱祭典」のために、大分県出身の瀧廉太郎の作品16曲をメドレーにして作られたスケールの大きな曲です。皆さんのよくご存知の「箱根八里」「荒情の月」「お正月」「花」などの曲も含まれています。このところはどこの合唱団もクラシックの大曲好みで、こういう曲はあまり演奏されていなく、録音されたサンプル一つもなく最初から作っていかなければならなかったようで大変でした。
この前日はウェスティン都ホテルで病院グループの大忘年会での演奏の仕事。900名ほど来られているのでしょうか、毎年私どもが仕事で行くパーティーとしては最も大きなものです。11月末まで妻が入院していた病院ですから先生方や看護士さんなど知った人がたくさんおられてご挨拶も大変です。そのあとの二次会で店にも座りきれないくらいの人が来られくたくた。結局帰って就寝は3時半。翌日8時過ぎ起床で、11時半からホールで最終練習。相変わらず少々寝不足でした。
コンサートはお客さんの入りも演奏もまずまずで盛会裏に終了。今回の指揮は伊東恵司さんという超売れっ子の優秀な若手指揮者で、私も十年ぶりの合唱で感動のステージでした。コンサートが終るとホテルで懇親会、そのあと結局夜中までしっかり飲んでしまいました。
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コンサートホールでの演奏会(私は下から三段目の右から5人目) アンコール曲はステージ下へ
●(217) 2007年12月10日
「高知堪能」
妻が11月30日に退院しましたが、病み上がりからすぐに強行スケジュールでした。翌12月1日は団体予約で朝からもろもろの準備。夜は40名ほどが来店しましたが翌日は土佐別院でのライブもあるのでと、早めに閉店しましたが片付けて帰ると結局就寝は2時。私は5時過ぎ起床でしたが、妻は4時に起きたとか。
朝5時50分にタクシーが迎えに来て伊丹空港へ。3月に高知空港で胴体着陸をしたというボンバルデイア社製の飛行機に乗って竜馬空港へ。そして11時半から「金子みすゞ」のライブ。午後は高知城近くで300年以上続いているという日曜市で買い物。山内一豊が築いた高知城近くにある山内家の私邸であったという立派な温泉旅館に宿泊。夜中まで土佐を満喫、食べて飲んでバタンキュー。
翌日は徳島県になりますが大歩危、小歩危から秘境の祖谷(いや)渓谷へご案内頂いて、最後は名勝桂浜から空港へ。7時頃に帰宅してそのまま店へ直行。私も疲れましたが妻も歩き疲れてグロッキー。
祖谷は白川郷(岐阜県)、椎葉村(宮崎県)とともに日本三大秘境のひとつと言われています。下の写真の祖谷の「かずら橋」も日本三奇橋のひとつです。土佐のはりまや橋も日本三大のひとつと言われています。期待を裏切られてガッカリするということで日本三大ガッカリ。あとの二つは札幌の時計台と沖縄の守礼の門だとか。
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祖谷のかずら橋にて(右の写真で橋の上から手をふっているのが分るでしょうか)
●(216) 2007年12月3日
「誕生日」
9月から入院をしていました妻が11月30日無事退院することができました。足腰が多少弱っているようですが、すっかり元気になりましたのでご報告させて頂きます。皆様のご支援、励ましに心から感謝御礼申し上げます。ところで退院した日から大忙しの毎日が始まりまして、退院から2日目の12月2日には高知でのライブもこなし少々働きすぎのきらいがあります。高知でのライブのことは次回にでも書いてみたいと思います。
毎年のことながらこの12月忙しい時期に夫婦そろって誕生日を迎えます。妻が4日で私が6日ですがいつも忙しくてゆっくり誕生祝いをすることは少ないようです。誰かが誕生日の祝いは自分のためにお祝いするのでなくて、生んでくれた親に感謝をするべき日だといわれたことがありますので感謝だけはしておきましょう。
以前に作家の渡辺淳一さんが週刊誌のコラムの中で「誕生日の日に自分の受胎した日を考えてみよう」ということを書いておられて、面白く読んだことがあります。細かい説明は省略しますが、だいたい次のような計算になります。
受胎月=誕生月−9(引けない場合は誕生月に12をプラス)
受胎日=誕生日+7(30を越える場合は30を引いて翌月)
ということで、例えば私の誕生日12月6日の受胎日は3月13日。9月24日の場合は1月1日の元旦ということになります。余談ですが大阪の岸和田では6月に生まれる人がが異常に多いらしいのですが、同じように計算すると岸和田最大のお祭り「だんじり」が行なわれる9月の頃のようです。
●(215) 2007年11月26日
「三日月」
日毎に日没の時間が早くなり、店の出勤時はすっかり暗くなっていて夜空に月が光っています。昨日あたりはちょうど満月のようでした。先日、テレビのアタッククイズの中で「月の上の部分が欠けているのは上弦の月か下弦の月?」という問題があって解答者は不正解でした。突然聞かれると分らないものですが、私などは月の右半分が光っているのが上弦の月で、左半分が光っているのが下弦の月という大ざっぱな覚え方をしています。そしていつも三日月は右に傾いていますので、クイズの上の部分が欠けている場合は右下部分の三日月ということになり、これは上弦の月という理解です。
旧暦は月と共にありますから、旧暦1ヶ月のうちで前半が上弦、後半が下弦ということです。上弦の月は新月から満月に向って大きくなってゆく途中で、下弦の月はだんだん小さく細くなってゆく月です。三日月を見たときに、この月がこれから大きくなってゆくのか、小さくなっていくのかを知っていれば簡単なことなのですが、昔に簡単な覚え方を習ったことがあります。三日月が「う」の形であるか、「し」の形であるかということです。弧の外側が右にある場合は「う」の形で、弧が左にある場合は「し」の曲線という覚え方をしておきます。「う」は生まれるでこれから大きくなり、「し」は死ぬということでだんだん無くなるというふうに覚えておきなさいということです。結局「う」の形の月は上弦の月、「し」の月は下弦の月ということになります。
去年「三日月」という絢香の曲が大ヒット。一度は覚えてみようかと挑戦してみましたが、私が歌うには雰囲気的にちょっと無理ということで挫折。
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妻は今日が入院中の最後の外泊。治療は今週水曜日で終了して、30日にはめでたく完全退院します。ところが退院してからすぐに、超ハードなスケジュールが待っていますので体力的には少々心配です。
●(214) 2007年11月19日
「冬支度」
京都もいよいよ秋の観光シーズンを迎え主要道路は車が大渋滞です。私は市内で移動するのにはなるべく混まない抜け道を通るようにしています。11月は一年のうちで最も観光客の多い月ですが、今年は紅葉の見どきが12月になりそうで、まだまだ紅葉狩りには早いようです。
毎年この時期はホテルの確保も大変なのですが、何年か前に大学時代の同級生が11月23日(祝)頃の連休に、東京からの知り合いを連れて男女4、5名ほどで京都へ行きたいからホテルをとってほしいという依頼がありました。それも数日前のことで、いろいろ手配をして、やっとのことで嵐山の渡月橋近くのホテルをとったことがあります。さぞや京都の雰囲気を堪能してくれることと思っていたのですが、みなさん夜中まで祇園で宴会、朝は起きたら淀の京都競馬場へと、単に競馬が目的の旅行だったようで残念に思ったことがありますが、まあ京都は花や紅葉以外でも楽しむことはいろいろありますからしょうがないです。
昨日は東京と近畿で「木枯らし一番」とのことで、いよいよ本格的な冬に向かいます。家の冬支度も大変ですが、我が家は今月の初めに妻が帰宅した時に衣類の入れ替え、電気敷き毛布、電気ごたつなどなどをしてくれましたのですでに準備万端です。寒くなって乾燥するとどうしても風邪をひきやすくなりますので、常に風邪薬を携帯して師走戦争に備えています。
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妻は順調回復のようで、今週も週末は店に出勤の予定です。
●(213) 2007年11月12日
「梵鐘あれこれ」
先週の休日に来客を案内して平等院へ行ってきました。そのあと滋賀県の石山寺から三井寺方面へ。
平等院鳳凰堂の中の阿弥陀堂がきれいに復元されたところですので見学は大混雑。1時間ほど待たなくては入れないとかで、我々は断念して庭と宝物殿だけ見学。車椅子の母を連れていましたが、庭園見学用のジャリ道仕様の車椅子が用意されていて驚きました。
平等院には国宝指定のものがたくさんありますが、ここの梵鐘も「日本三名鐘」のひとつで国宝です。「日本三名鐘」は「銘の神護寺」、「音の三井寺」と、鐘の形が良いといわれている「姿の平等院」です。すべて京都、滋賀にあって、この日もたまたま二名鐘を巡っているわけで、当然一日ですべてを見ることもできます。
これとは別に「日本三大梵鐘」というのがあって、鐘の大きいものとしては「東大寺」、「知恩院」、「方広寺」とかで、そのうちの二つが京都の街なかにあります。また日本最古ということでは「妙心寺」にある梵鐘だそうです。
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平等院の梵鐘
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妻も十日間ほど退院していてほとんど普通の生活をしていましたが、今週から3度目の入院ということになります。また週末には帰ってきていますが、完全退院は11月末になります。
●(212) 2007年11月5日
「驚異の千日回峰行」
10月21日未明に星野圓道さんという住職が千日回峰行の中の「堂入り」で満行されたと新聞に載っていました。堂入りは断食、断水、不眠、不臥のまま九日間、堂にこもって不動真言を十万回唱えるというもので、生きたままの葬式といわれているほどの難行です。医学的には実現不可能とされているのですが戦後12人目も満行されていて今回は6年ぶりとのことです。信じられないような修行の「堂入り」ですが、これも千日回峰行の中のひとつで、まだ千日回峰行が満行したわけではありません。千日回峰行はこの世のなかで類を見ない過酷な修行といわれています。
千日回峰行は七年間に千日をかけて四万キロ、ちょうど地球一周の距離を歩きます。最初の3年間は1年間に百日の修行で比叡山の山中を一日に30キロ歩きます。午前零時に出発して闇の中を、東塔-西塔-横川-日吉大社-無動寺谷などを巡るコースです。そして4、5年目はこのコースを一年間に二百日歩き、この時点で7百日を終了し、この堂入りとなります。
この堂入り満行の星野住職も、このあと六年目の来年は赤山禅院までの距離が伸びて一日50キロのコースを百日歩き、この時点で八百日が終了します。そして最後の七年目は「京都大回り」といわれる京都市内を一日84キロという距離を歩く難行があります。コースは大体、次のようなをものです。
一日目午前零時に山坊を出て通常の50キロコースを終了したあと赤山禅院へ。午前十時に赤山禅院を出発して薬師堂-真如堂-八坂神社-清水寺で昼食。午後は六波羅蜜寺-因幡薬師-五条天神-神泉苑-出世稲荷-北野天満宮-西方尼寺‐上御霊神社-下鴨神社‐河合神社-そして御所近くの寺院到着。そして翌朝午前零時、一日目の逆コースをたどり赤山禅院から比叡山へ、山上の通常コースを巡り自坊へということです。
この「京都大回り」を百日こなし、これで九百日を終了します。最後の百日は通常の30キロコースを歩き、千日回峰行が満行となり大阿闍梨となられる訳ですが、凡人には信じられないような体力と気力です。
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妻もかなり順調に回復しているようで今回は2日に退院しました。次回は13日から月末まで最後の入院治療となります。今週は店に出勤しています。
●(211) 2007年10月29日
「カラオケ遊び」
先週はライオンズクラブ歌唱同好会のお稽古会でした。選曲はいつも最新のオリコン登場曲の中から、楽譜を見て私が選んでいるわけです。今回は演歌好きの皆さんに応えて歌い易そうな曲から、山本譲二の「惚れたおまえと」、島津亜矢「富士」という2曲を選びました。ところがあとから見ると、この2曲がいわゆる長調の演歌の典型的な作り方でコードの進行がほぼ同じで、またメロディーも最初の出だしがド・レ・ミというよく似た曲でした。片方のカラオケで他方の曲も歌えるくらいに似ています。ということで「富士」のカラオケをかけて「惚れた・・・」を歌ってみましたが大体歌えるようです。練習曲としてこの日に2曲を一緒に覚えようとするとかえってゴッチャになってしまいそうで、今回は私の選曲ミスでした。
昔の歌謡曲の歌詞はほとんどが七五調か七七調の4行か6行の詩でしたので、歌詞の字数さえ合えばカラオケで違う曲をいろいろ歌うことができました。飲み屋などではカラオケで違う曲を歌うという遊びは昔からありましたが印象に残っているのは、「銀座の恋の物語」のカラオケをかけて「与作」の歌詞で歌うというものです。歌詞カードの準備がいりますが、なかなかお洒落な「与作」になります。
もうひとつ、二人で別々の曲を一緒に歌う遊び。一人に「真っ赤な太陽」(美空ひばりとブルーコメッツ)のカラオケを歌ってもらって、もう一人は歌詞カードを見ながら「恋の季節」(ピンキーとキラーズ)を一緒に歌うというものです。コードの進行がほぼ同じですので不思議な共演になります。「恋の季節」は1番しか歌詞がないので2番もその歌詞で歌ってください。特に最後の部分はどちらも「恋の季節なの・・・」「恋の季節よ・・・」と面白い掛け合いになります。一度お試しを。
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妻はまったく元気で帰宅、店にも出勤していたのですが、入院患者の外泊日数に限りがあるとかで昨日29日から病院へ戻りました。元気ですので退屈しのぎに音楽や落語のMD、任天堂のDSを持参。またこの週末には外泊ではなく一時退院の予定。
●(210) 2007年10月22日
「ウヰスキー」
私は年中ほとんど休むことなく飲んでいますが、基本的にはビールしか飲みません。といっても毎日そこそこ飲んでいるわけですから、ビールの消費にはかなり貢献しています。でも地方へ行くとそこの日本酒を飲んだり、九州などへ行くとやはり焼酎を飲んだり、たまにパーティーなどに行くとワインを飲んだりとするのですが、主体はやはりビールです。ほかの酒を飲むとついついペースを乱してしまうのでと味わう程度にしています。
ところで学生時代には大切に味わって飲んだウイスキーをこのところは、ほとんど飲む事がなくなってしまいました。うちの店でもウイスキーを飲んでおられるのは昔から飲み歩いておられる50歳以上の方が主で、その方々もだんだん焼酎党に移っておられるような気がします。
ウイスキーに「鍵つき」と「鍵なし」という話があります。ビンに鍵がかかっているわけではないのですが、ウイスキーのスペルには「Whiskey」と「Whisky」があって「key」の付いているものとないものがあるということです。アメリカのバーボン・ウイスキーは「鍵つき」で、スコッチ・ウイスキーは「鍵なし」ということです。イギリス人に言わせると、英国紳士は自制心があるから鍵がなくても飲みすぎたりしないけれど、だらしないアメリカ人には鍵が必要だとか。アメリカ人に言わせると、スコッチなんて酔うほどまで飲む気がしないが、バーボンはうまくて強いから鍵がないと困るのだとか。ちなみに日本製のウイスキーはスコッチと同じで「鍵なし」です。
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その後、妻は順調に回復しているようですが、先週は副作用のせいでしょうか多少疲れ気味でした。
●(209) 2007年10月15日
「京町家の貸し切り宿」
先日退院した妹が手のかかる母の相手をしてくれますので、少しは自分の時間ができました。その上、この一週間は妻も退院して連日店に出ていますので、かなり楽をさせてもらいました。担当医の話によりますと検査の結果、妻は順調に回復とのことです。
余裕の出たところで13日(土)は久々で合唱の練習にも出席しました。12月9日にコンサートホールで行なわれる現役とOBの合同ステージに出演するためのものですが、6月以降はまったく余裕がなく、先月に1回出席しただけです。コンサートもあと2ヶ月ということで、今回は現役との合同練習でしたが現役メンバーはたくさんいて人数の多さに圧倒されました。
14日(日)は私の高校の同級生が、もと自宅であった京町家の母屋を改築して泊れる宿をつくり、その完成披露がありました。前の923があった場所のちょうど裏側(北側=花見小路古門前東入る)なのですが、もともと二百年前から造り酒屋をやっていた家で、私の学生時代はまだここでお酒を造っていましたが、その後、伏見の蔵に拠点を移し、もう何十年も使われないままで放ってあったようです。昔は京都の旧市内でもお酒を造っているところがいくつかあったのですが、このところの日本酒離れと共に現在はほとんどなくなってしまったようです。この宿はここのお酒の銘柄と同じ「祇園 金瓢(きんぴょう)」という名前で、吹き抜けのある2階建ての京町屋を1日1組だけに貸すということです。祇園ですから料理はお好みに応じて近くの料亭や仕出し屋さんからとってくれますし、自炊がご希望ならそこそこ道具も設備もあります。町家といっても風呂、トイレ、エアコンなどは新型の電気製品が入っていますので、ホテルのようなものです。宿泊は八畳と六畳の和室がありますので何人泊まれるのか分りませんが、料金は1棟貸し切りで5〜6万円のようです。
●(208) 2007年10月8日
「退院」
毎週、病人のことばかりですみません。脳出血でリハビリ治療していました妹が先週末に退院しました。多少、右手の指が動き難いのと、会話中、たまに単語の思い出しに時間がかかるくらいのことで、日常生活にさほど障害はありませんが、性格はかなり明るくなったようです。ただ家に帰ると認知症の母と生活をするわけで、お陰で私自身は多少は昼間に動けるようにはなりましたが、今後またどんな問題が出てくるのか不安です。
妻は週一度の抗がん剤治療も1クール(3週間)が終了し、この一週間は退院ということになりました。副作用も少なく順調に回復している様子です。先週も金、土は店に出勤。日曜日の午後は夫婦で知人のクラシックのコンサートで府民ホール「アルティー」へ。夕方からは祇園のクラブの二十周年パーティーで都ホテルへと、まったく病人とは思えないような元気さです。また私と違っていつもパーティーの抽選会では何か貰ってくるのですが、今回も350名の中から13名しか当らない抽選に大当りしました。まあ、この強運なら病気も吹っ飛んで治りそうです。ただ足腰の筋力が弱っているようで長く歩くと疲れるようです。
退院中の今週一週間は多分、店に出てくることと思いますので、お出かけになりましたら覗いてみて下さい。
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ところで毎年3月に大阪での春場所が終ると店にお相撲さんが来られていたのですが、いつも時津風部屋の真面目な力士で、このところ連日の時津風部屋の報道を見ていると、知っている力士がチラホラ。とうとう親方の解雇ということになりましたが、若手はもういちど原点に戻って頑張ってほしいものです。
●(207) 2007年10月1日
「不思議な力」
連日バタバタと走り回っているうちにあっという間に一日が過ぎてしまいます。店は妻が入院してから静かで、やはりババさん(ママ)がいないともうひとつ活気が足りません。まあこのところ祇園全体がまったく静かのようですが。
妻は入院してからあとは日毎に元気になってきています。9月初めの永源寺のコンサートの頃が最低の体調でした。1回目の抗がん剤治療もよく効いたようで、今日は2週目治療の検査日ですが相当良くなっているようです。先週は金曜から日曜まで外泊で、金曜、土曜は店に出ていたくらいです。入院当初は食欲がなくて食べられないといってかなり痩せていたのですが、このところ食欲もでてきて昨日、病院へ戻る前にはトンカツが食べたいと言って、トンカツ専門店へ寄ってしっかり食べて行ったくらいです。ただ当然のことながら運動不足ですので足腰の筋肉が弱っていますので筋力を付けなければいけません。
ママが肺ガンだと公表すると皆さん仰天されますので、ガンという病気の重さを知ります。妻や私の明るさにも驚かれます。日毎に元気になっていますが、もちろん病院での治療の効果、知人から頂いたガン封じのお守り、お札などにの効果もあるのでしょう。みなさんに感謝の気持ちで一杯です。
今ははっきり申せませんが私にはある力で「妻が治る」という確信があります。外泊で家に帰ったときにそれを実践してはいるのですが、それが大きく治癒に貢献しているものと思っています。私はもともと非常に理科的、科学的思考の強い人間ですので、新興宗教のマジナイとか非科学的なことには大変な拒否反応がありますので、そういう類いのものではありません。妻の病気が治らなければその魔法の力にも何の説得力も無いわけですので、是非妻を完治させて改めてご報告したいと思います。
世の中には科学では解明できないような不思議な力もあるようです。
●(206) 2007年9月24日
「外泊帰宅」
妻の入院で毎日の生活が、がらっと変ってしまいました。食事、洗濯、掃除と大忙しの毎日です。お陰(?)でいろんなことを勉強します。ご飯の炊き方、食事の用意と後片付け、洗濯機の使い方、ゴミの分別とゴミだしなどなど、慣れないことばかりで主婦の仕事の大変さも痛感しています。一日中、分単位で時間に追われているような気がします。
「気まぐれ日記」が妻の闘病日記になってしまいそうですが、妻はたまに咳きがでるくらいで、まわりの人も驚くくらい元気にしております。どうしても運動不足で体力が衰えてきますので、できるだけ食べるように努力しているようです。今のところ点滴による治療のみで、毎週火曜日が準備、水曜が治療点滴、木金は調整点滴です。週末から月曜までは帰宅しても良いとのことで、先週も週末は帰宅していて土曜日には店に出ていたくらいです。 そんな中、23、24日は入院中の妹も外泊帰宅。その世話もあってバタバタの連休でしたが、妻が料理をしてくれましたので、久し振りに手作り物を食べることができました。
というような生活で毎週土曜日あたりは店に出てくるものと思いますので、また週末にでもお出かけになりましたら覗いてみてください。病院では電話はできませんがメールチェックはしているようですので、またメールでもしてやってください。
●(205) 2007年9月17日
「妻の検査結果」
永源寺コンサートの翌日から妻は検査のため一週間入院。翌週は検査の結果待ちということで一時退院して店にでてきていましたが、かなり疲れるようでした。そしてついに金曜日に検査結果の発表、何と残念ながら「肺がん」とのことです。隠していても勝手に噂が流れてより怪しい情報になってしまいそうですので、本人の希望で皆さんにはっきりと公表することになりました。当然ショックはショックでしたが早期発見でしたので治療計画もあり、妻もそれほど落ち込んではいるわけではなく、年末までにすでに受けているいろんな仕事も頑張るつもりで意欲満々ですので、よろくお付き合い下さい。
なお妻の希望でお見舞いなどのお気遣いは、ご遠慮させて頂きたく思います。当然、完全復帰するつもりですので、本復祝いのご挨拶をするのも大変ですし、折角お見舞いに来ていただいても、病院を抜け出して帰っているかもしれませんのでということです。またお見舞いを頂いても、万が一、ひょっと、たまたま、病気以外でも交通事故とか、不慮の災害に遭わないとも限りません。それが香典になってしまってお返しができなくても困りますのでと、バカなことを申しております(笑い)。メールか掲示板で楽しいお見舞いのお便りを頂ければありがたいということです。
ということで、店は私とバイトのお嬢さんで頑張ることになりますのでよろしくお願いします。でも時たま、突然ママが出てきていることもあるかと思います。その日は大当り?ハズレ?
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先週13日は日本診療録管理学会の懇親会での演奏の仕事。なかなか一度聞いたくらいでは覚えられないような学会名ですが、2日間ホテルグランヴィア京都の宴会場(3F〜5F)すべて貸切りで、当日の懇親会は花街からも舞妓さん8名に芸妓さんという豪華なレセプションパーティーでした。妻が病気なら私一人でもいいと言われていたのですが、本人の希望で妻も参加しました。ステージでは「まあ、倒れてもお医者さんばっかりやし」と、根性で5曲ほど歌いましたが、さすがに疲れたようでした。それにしてもいろんな学会があるものとつくづく感心。
そんな忙しい中、以前から募集があった音楽連盟主催の作曲コンクールの締め切りが15日で、11日に大慌てで「雪子」という詩に付曲、深夜に録音して翌日投稿。
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