隠し部屋へようこそ vol.12


徒然なるままに

[シクラソマの喧嘩]

なぜシクラソマは闘争するのであろうか。まあシクラソマに限らずシクリッド全般に言えることであるが。
ひとつは縄張りを守るため。
ひとつは異性の奪い合い。
ひとつは食べ物のため。 
ペアでお互いの力を確かめあうための噛みあい。
ワシが一番強いんじゃい!と証明するため。
人間の理解の及ばない戦いもあるのかもしれない。
狭い水槽でのマンツーマンの戦いでは弱い方は確実に殺されるであろう。
彼らは相部屋にされたとしても人間のように利害関係も考えずに我を主張する。
気に食わなければ殺すのみ。負けたと認めて逃げ回っても許してもらえない。
混泳でも最終的には絶えず苛められている個体が出てくるように思う。
シクラソマの中にも厭らしい奴がいて、決まった相手をとことん苛めるということもあるようである。

喧嘩をするのもシクラソマの魅力のひとつなのかもしれないが………

死ぬまで喧嘩したらあかんやん!


[お風呂にて思う]

『けんちゃまは風呂に入らない男』という噂が立っている………
そんなことはなーい。
私はスポーツクラブのお風呂によく入る。
そこで思うこと。
かかり湯をしない人のなんと多いことか。
サウナから汗まみれの身体で出てきて、水風呂にザブン。
明らかに運動で汗まみれになっている身体のまま、湯船に入る。
見るからに汚〜〜〜〜い!! 
そして顔を洗う!洗う!潜る!頭もゴシゴシゴシ〜〜!
泣けてくるよ。
私の年代は子供のころは銭湯に通っていて、
かかり湯をしなかったり、走って遊んでいたりしたら
怖い近所の爺 (いつもいた銭湯の番人ゲイリー・グットリッジのような爺である。もちろんタトゥあり)にこっぴどく怒られたもんである。
ちなみにこの爺は、急所を隠していても怒る。
『男は隠したらあかん!』とよく言っていた。

そしてシャワーを振り回して使う奴!
ここの風呂は狭いのである。
にも関わらず周りのことを何も気にしていない。
隣の人にかかろうが、まったくお構い無しである。
湯船に浸かっていてもお湯が飛んでくる。
まあお湯がかかるくらいなら気にならないが、水をかける奴がいるのである。
こうなるとそこらじゅうで揉め事が起きる。
家の風呂で育った人は公衆浴場ではこんなものなのであろうか。
あの爺の前に連れて行ってやりたいもんである。

公衆浴場には掟があるんやど!

それから湯船に浸かると、必ず唄を歌うおっちゃん。
鼻歌どころではなく、歌詞までついている。
上手いのか下手なのかしらないが、こっちはリラックスしている風呂で
おっさんの唄を聞きたくないのであーる(涙。

[ラーメン屋での恐るべし!]
 

私は結構ラーメンが好きである。
よくひとりでも食べに行く。
そこで遭遇した恐るべし!である。

日曜の午後三時くらい、ラーメンを食べに出かけていった。
家から割りと近く、お気に入りの店である。

比較的空いていて、カウンターに座った。
『中華そばとギョーザ2人前、焼き飯半分、そしてビール』と注文した。

椅子をひとつ空けて野球帽をかぶった若い男が、その向こうにまた席をひとつ空けて、ひとりのおっちゃんが座っていた。
うーん、歳の頃は50歳半ばぐらいであろうか。
そのおっちゃんはスポーツ新聞を読んでいた。
若い男は食事が済んだ様でタバコを喫っていた。

おっちゃんにできたばかりのラーメンを店のおばちゃんが運んできた。
そのおばちゃんが『お待たせしましたー』とラーメンをテーブルの上に置こうとしたときに
事件は起きた。

真ん中の若い男が立ち上がって出口に向かって走り出した。
事情はよくわからない。多分食い逃げなんだろう。
そのときにおばちゃんを突きとばしていったのである。
おばちゃんが持っていた出来立てのラーメンは、
そのおっちゃんの下半身にぶちまけられた。

おっちゃんは『あっ』と言っただけである。
若い男はそのまま走り去った。

おばちゃんは『真にもうしわけございません』と叫んだ。
私は変なことに感心した。
この惨事に『真にもうしわけございません』とスラリと言ってのけたおばちゃんにである。
きっといつも真に申し訳ない事をいっぱいしているのだろう。
言い慣れていた。

カウンターの中の男が『救急車!』と叫んだ。
周りも『水かけたれ〜』やら、『大丈夫か〜』とか騒然としている。
おっちゃんは『いや、大丈夫です』と言った。
ズボンはラーメンだらけでずぶ濡れである。
『大丈夫ちゃうやろ〜』と私は言いたかった。
おっちゃんは『熱い』と言わない。
コップの水をチン○ンのところにおもむろに掛けた。
私にはこの行動を笑う余裕はなかった。
そこだけは火傷したくなかったのか、辛抱できなかったのか?
後から思い出せばおっちゃんには悪いがクスクスと笑ってしまう。

しかしその時は息を止めて成り行きを見てしまっていた。顔は?私はおっちゃんの顔を見た。
『おっちゃん、やっぱり熱いンやん、めっちゃ我慢してるやん。冷や汗出てるやん』と私は思った。
店長らしき男がカウンターの中から出てきて、謝りながら『病院で見てもらった方が』
と言っているのだが、おっちゃんは『たいしたことありません』と言い怒っている様子はないのである。
『たいしたことあるやろ〜』と私は叫びたかった。
その後、おっちゃんは店長らしき人と、奥へ消えて行った。

この後、どうなったのか私は知らない。
もしかしたら、若い男とおっちゃんはグルで、ラーメン屋から金をせしめているのかも
しれないなと邪な推理をしてしまった。
こんな場合は店から慰謝料や治療費をもらえるのか?知らないが。
いや、でもあの熱さは普通ではないはず。
そんなもの普通の人間には我慢できるはずがない。
いや、我慢と言う問題ではなく大火傷をきっとしているだろう。
おっちゃん、やっぱり善意の被害者か?良い人すぎるのか?
怒ったことがないのか?ひょっとして神様仏様か?
といろいろ頭の中をグルグルといろんなことが浮かんでいた。
そのうちにポリスマンがふたり来た。食い逃げ男の年恰好を聞いたりしていた。
ところで……
店の人、みんなで掃除してるけど……

ワシの注文した品物、まだビールしか来てへんやん!(怒!

[恨みのある東京]

けんちゃま、若干23歳の物語である。
大阪で真面目にサラリーマン勤務をしていた私に突如の辞令が下った。
『本社勤務を命ずる!』
お・お・ご・と・である。
当時、気の合った仲間と、サーフィンやら夜遊びやら遊び呆けていた私に
ひとりで東京へ行けとは、そりゃないぜおっかさん!と言った所である。

まあ良いだろう。
初めての独り暮らしだ(といっても寮である)
可愛い子には旅をさせろ(おふくろは厄介者がいなくなるとマジに喜んでいた)
男を磨きに東京へ行ってやるぜと列車に飛び乗った。
月曜にホームでの『転勤さんお見送り』が企画されつつあったのだが
そういうのが大の苦手の私は金曜に会社で挨拶を済ませ、
日曜に東京に出発することにした。

前日の土曜は、大阪の仲間たちとオールナイトで遊びまくって、
朝帰りして夕方前まで寝ていた。

この日のことは、遠い昔であるが鮮明に覚えている。
新幹線で東京駅に着き、会社の寮の先輩に電話をした。
当時は携帯電話なんてものはない。公衆電話である。
行き先は寮のある三軒茶屋である。寮までの道はわからない。
『その駅で待ってるから、山の手線で渋谷まで来て、
そこから何々線に乗り換えて……。』と先輩は詳しく説明しようとしてくれた。
『先輩、子供ではないのだから、駅名さえ分かっていれば行けますよ。
今から行きますから、時間を合わせてその駅で待っててください』

と大口を叩いたけんちゃまであった。

絶対にたどり着くであろうという
確信に近い自信のようなものがみなぎっていた。
だが事態は恐ろしい方向へと進む。

山の手線?知ってるよ大阪の環状線みたいなもんやないの。
ぐるぐる回ってる電車やん。
どのホームやのん?うん、山の手線・渋谷方面って書いてあるやん。
ここやな。すぐ来た電車に乗った。

渋谷というアナウンスに反応するモードを作り、座席に座り瞑想する。
ところが!である。
なかなか渋谷は出てこないのである。
駅名もほとんど知らぬものばかりで、少し不安になってきた。
この時点ですぐに人に聞けば良かったのだが、山手線に乗っていると確信を持っている私は
車内アナウンスにも特に注意せず、何故か我慢していた。
そう、大阪人は東京で馬鹿にされるわけにはいかないという変なポリシーを持っていた。
そのうち、なんとか神奈川というアナウンスがされた。
か・な・が・わ?って確か東京都ではないのでは?と馬鹿なりに考えた。
ここで我慢は限界を超えた。
当時はイケイケのけんちゃまである。
同じくらいの年恰好の男の横に移動し、『おい、これは山の手線とちゃうんかい!』とすごんだ。
礼儀も何もあったものではない。
しかし、その子は割といかつい容姿にも関わらず律儀にも
『これは京浜東北線です。もう横浜ですよ。』と標準語で丁寧に返してくれた。
そのイントネーションが妙にもの悲しく、私の心を苛立たせた。
なぜか横浜には憧れているものがあったが、そんな場合ではない。
我慢して、なぜこんなことになったのか考えた。
頭の中に浮かぶメロディは、ブルーライト横浜である。
京浜東北線?初めて聞くがな。だまされた!
多分ホームにはきちんと書かれていたのであろうが、
私は渋谷方面の山の手線に乗ったはずである。
誰が聞いても、悪いのは私だと言われるだろうが、
花の都大東京、恐るべし!希望に溢れる若者を一気に奈落の底へと突き落とした。

とりあえず、打ちのめされた私はそこからまたなぜか律儀にも東京駅まで引き返し、

今から考えたら東京駅まで戻らんでも……
野口五郎の私鉄沿線ばりに、横浜から渋谷を目指せば良かったのでは?。


今度は間違わないように、(くっそー同じホームの反対側の電車やないけ!)
電車の色も違うがな!
山手線を確認して乗り、渋谷にたどり着いた。
慎重に三軒茶屋を目指す。
着いた。
先輩は居なかった。
寮に電話をしても、先輩は居なかった。
電話に出たのは寮の管理人さんだろうか。
場所を聞いてまっすぐに寮に向かった方がいいのだろうなと思いつつも、
住所はわかるが、もう辺りは暗いし、とてもひとりでたどり着けるとは思えなかった。
しょうがないので、腹も減ったし居酒屋に入った(大間違い。
一時間ぐらい飲んだだろうか、先輩に電話をするがまだ居ない。
結構酔っ払っていた。
店のおばちゃんに住所を見せて、『ここからどうやって行ったらええのん?』と聞いたら
おばちゃんはやさしく、目印を入れて地図を書いてくれた。
おお、東京にもエエ人おるやん、世の中捨てたもんじゃないぜ!と感動しつつ、
寮に着いたら深夜の12時であった。

入り口の電気は消えていたが鍵はかかっておらず、数人の男が食堂で酒盛りをしていた。
『大阪から転勤で来た○○ですけど、ワシの部屋どこですかの?』無茶苦茶である。
『こんな時間に来たの?管理人室へ行きなさい!』と言われ、腹が立ったが(何故腹が立つ?)
とりあえず管理人室のドアを開け、『こんばんはー』と叫んだ。
そんな僕に起こされたパジャマ姿の管理人のおっちゃんは食堂でセッキョーをしてくれた。
酒盛りをしてた奴らが笑っている。復讐の炎がメラメラと燃える。
おっちゃんは熱弁を奮っている。お互い眠たいのに、そんながんばらんでもええやん。と思った。
『若造』と言われたのは今まで生きてきてこのときだけである(苦笑。
ああ、大阪の岩おこし持ってきたんです!と土産を渡すと、
『おまえ、へんなとこできっちりしてるな』と笑いながらようやく部屋へ案内してくれた。
どこへ行くにもお土産だけは忘れないのが功を奏した。
何事もなくスヤスヤと眠りに着く、けんちゃまであった。
後、この素晴らしき管理人のおっちゃんには、何度と無くセッキョーを喰らった。
小さい頃から親父がいなかった私には、本当に良き親父代わりに思えたものである。

しかしそう言えば……

先輩、どこいったん?

翌日、こっぴどく怒られて聞くところによると、私が飲んでいた四軒隣の居酒屋で
一時頃まで飲んでたらしい。
ある程度の時間で寮に帰れば連絡がついたのでは?
それから自分が飲み出したらワシのことは、ほったらかしかい?
という怒りは、先輩の真っ赤な顔を見てると
飲み込まざるを得なかった。『理不尽』という言葉が頭の中を駆け巡った。
携帯電話のない世の中はこんなものだった。
初めから最後まで怒られまくりの東京の生活4年間であった。

ちなみに大阪の市バスは降りるときに金を払うのだが、
東京の都バスは乗り込むときに前払いである。
ダッシュで乗り逃げすることが不可能である(大人になってからはやってません。
恐るべし東京!

注。
大阪人の中には当時の私のように、ワケもなく東京にライバル心メラメラという
人がかなり多いので、東京の人は気をつけてください(笑。


こつこつと思った事を書いて、溜めていました(笑。
シクラソマとまったく関係のない話をぐだぐだとすいません(汗。
つきあってくれた皆様、ありがとうございました。