乾いた月―新選組副長土方歳三遺聞― 第二回 風雲


市村鉄之助の後ろ姿を見送った土方は大鳥圭介の訪問を受けていた。
「市村くんを…逃がしたのかい?」
問いかけられた男は見送った窓に視線を向けたままだった。が、それにも怯まず彼は話を続けた。
「君は優しいんだな」
「なに薄気味悪いことを言ってるんですか」
やっと土方は振り返った。すると、言った男は優しく微笑んいる。


――君は優しいんだな


ふと、ずっと胸の奥にしまいこんでいた記憶が鮮やかに蘇った。




土方歳三は監察方の知らせをうけ、島原田圃にて辻斬りを行い金品を奪って妓を囲うために使った加納惣三郎を自ら粛清したのだった。なんだか無性に酒が飲みたくなり、返り血を浴びていないか確認したうえ、暴漢から助けたのが縁で馴染みになった君菊のいる北野に足を運ぶことにした。

茶屋の一室で君菊は無言で飲み続ける土方に酒を注ぎづつけた。短時間に結構な量を空けたため、心なしか土方の顔色が青白くなっているではないか。
「土方先生、これ以上お飲みになったらお身体に障ります」
注意された男は意に返さず、いま杯に入っている分を飲み干すと膳の上に置いて、隣に座っている芸妓の方に顔を向ける。
「君菊、お前は何も聞かないのだな」
「聞いたほうがよろしかったですか」
出会った時と同じ凛とした視線を土方に向けた。
「いや、聞かないでいてくれたほうが有り難い。」
君菊の膝に置かれた白くて細い手をとる。
「…お前、俺が怖くはないのか」
今更な質問に女はきょとんとした顔をむける。しかし、すぐに表情が和らいで微笑みが浮かぶ。
「そのようなことありません。だって怖かったらこの手を振りほどいてますよ」
土方は目の前にいる君菊が無性にいとおしく感じ、肩を抱いて自分の方にだきよせた。
それに答えるかのように君菊は寄り添う。
彼は彼女の存在を有り難く思っていた。自分のことを新選組の副長としてではなく(先生とは呼ぶが)土方歳三としてみてくれている。何も聞かず言わずに黙って寄り添って、献身的に尽くし、心を癒してくれる温かい優しさが嬉しかった。

加納惣三郎粛清の翌日、だいぶ日も傾いたころ、庭に出て趣味の句でも捻ろうかと考えていると、縁側から声をかけられる。
「土方君」
その優しげな声の方を振り返ると庭下駄はいている山南の姿があった。
「…山南さんか」
「…加納君を粛清したそうだね」
山南の言葉が心に刺さる。
「これ以上粛清者を増やす必要はもうないじゃないのか、見せしめはもう十分だ…。これから先ついて来られなくなるものもがでてきたらどうする」
「それなら切腹させられるまでだ」
山南は溜め息ををつく。
「それでは君の立場がますます悪くなるだけだ」
土方は動じず、いつもの鬼副長の感じで答えた。
「誰がなんと言おうが関係ない。俺は適材適所だと思っている。」
今まで遠くに視線を送っていた山南は、土方になにかを悟った視線をむけた。
「君は…優しいんだな」
山南はいつもより優しい微笑みを浮かべている。想像もつかなかった言葉に土方はどう返していいかわからず口が開けっ放しになる。
「…少し顔色が悪い。君がそんなに飲まない酒を煽るときは、辛いことや苦しいことあった時、それから自己嫌悪してる時だけだ」
的を射すぎた指摘になにも言い返せず、そのまま去っていく山南の後ろ姿をじっと見送っただけだった。
「あ〜、図星な指摘ですね〜。土方さん」
となりに気配を感じて振り返ると沖田がいつもの茶化すような目線で兄貴分を見上げている。
「うるせぇ、なにしにきた」
「土方さんのお守りをしに来ただけです」
「ほざけっ」
怒号には怯まず、妙な鼻歌を歌いながら去っていく沖田に思わず吹き出してしまう。
「…ったく、総司の野郎」
土方は試衛館からの面々にはかなわないと、密かに思い、苦笑いを浮かべた。




「…そんなに見つめられると恥ずかしいな〜」
我に返ると、目の前で大鳥がニタニタしている。
「あなたのその濃い髭面なんて見つめるわけないでしょう」
「胸焼けがする…」と悪態を付くとまた窓の外に視線を戻してしまった。
「まぁまぁ、この髭面と一杯付き合ってはくれないか」
右手にワインボトル、左手に二つのグラスを持っていて、手をあげて土方に見せた。
無言で土方は席につく。その行動みて大鳥もうれしそうに向かい側の席に着いた。
そして二つのグラスにワインを注いて、一つを向かいに渡す。
「新選組は本当につよいね。」
大鳥がなんの前触れもなく言い出した。
「なんなんです、いきなり」
「新選組の組織力は目を見張るものがある。先々の戦で連勝を納めているじゃないか。今じゃ君のことを軍神と崇めている者もいるよ。」
ふ、と土方が笑った。目を閉じるとあの輝かしい日々が色鮮やかに思い出される。




八月十八日の政変の以後、長州の動きが不審だった。そのため監察方に探らせていると、山崎烝から、枡屋の吉衛門が怪しいとの報告を受ける。
「本名の古高俊太郎と名乗ったきり、黙ったままで一向に口を開こうとしません」
「うむ、ここまで強情とは…」
先ほどまで古高の相手をしていた島田魁からの報告を上座で渋い顔をしている近藤の隣で、土方は目を瞑り聴いていた。
「どういたしますか」
今まで黙っていた土方が口を開く。
「拷問は俺が代わる。それから、五寸釘を八目蝋燭を用意してくれ」
島田は怪訝そうにしていたが、承知、と言って部屋を離れた。
「…トシ。わかっているとは思うが、殺すことだけはするなよ」
「あぁ。俺もそこまで馬鹿じゃない」
土方は不敵に笑うと局長のもとを後にする。

前川邸の地下蔵に入ると、古高は真っ直ぐ強い視線を土方にむけてきた。
「…何時まで黙ってるつもりだ」
目線を合わせて話しかける。
「…」
(やはり、喋らない、か。ここまでくると敵ながら天晴れというところか…)
土方は不気味なくらい嬉々としながら、先ほど島田に用意させたものを古高にみせた。
「これはどうすると思うか」
見せられた方は理解できず、相手の手にあるものを見つめる。
すると横から二人の隊士に地へ押し付けられた。
「これは耐えられるか?」
土方の言葉が言い終わるのと同時に足に強烈な痛みが走り、あまりの痛みに悲鳴は声にならなかった。
「さぁ、話す気になったかい」高い位置から痛みにもがいている古高に話しかける。
「は、話す!だ、だから、と、取ってくれっ!」
「それはできねぇ相談だな、取るのは喋ってからだ」上ずった声の古高の懇願を一蹴し、言った。

すべて話を聞き終えた土方は近くにいた平隊士を呼び寄せる。
「は、はい」
返事した声は微かに震えていた。
「近藤局長に幹部隊士と集めてほしいと伝えてくれ」
それを聞くとすぐさま土蔵から駆け出していった。
ふと周りを見渡すと、土蔵にいた平隊士たちの土方は見る目は恐怖に満ちていた。

局長室に幹部が集められ、緊急会合が行われる。土方の話を聞いた近藤は憤慨した。
「――なんということだ。京都に火を放ち、その混乱に乗じて容保様を殺害し、天子様をかどわかし、長州にお連れするだとっ」
「その様な暴挙させるものか!」とものすごい剣幕で、部屋全体に聞こえるくらい大きな声で叫んだ。このときの土方の目は炯々と輝いていた。

長州系の勤王派の面々が会合を行いそうな、鴨川の西岸を中心に調べることとなり、新選組は祇園会所に集結していた。会津藩など諸機関に連絡したが、いくら待ってもいっこうに援軍にくる気配がなく、時間だけが刻々を過ぎていく。
「どうする、局長」
そう冷静に聞いたが、土方は内心焦っていた。この期を逃すわけにはいかない。長州のこの計画を未然に防ぎ、大勢を捕縛することができたなら、新選組の名を高めることができると考えていた。
「しかし、容保様の御沙汰がない…」
飛び出したい気持ちを押さえ、ぐっと我慢をしているような近藤を、土方はもう一押しする。
「このままでは、奴らは計画を実行され、京の町が焼け野原にされちまうぞ。そんなことになったら新選組の名折れだ。さぁ、どうするよ、近藤さん。」
すると局長は立ち上がって言った。
「我々だけでも市中を探索を始めよう」

屯所の留守を預かっているもの、体調不良者を除いた、隊士三十四人は近藤隊と土方隊の二手に分かれて行動することとなった。近藤隊は沖田総司、永倉新八、藤堂平助など十一人とともに鴨川西岸の河原町通を捜索。土方隊は斉藤一、井上源三郎、原田左之助など残りの二十三人を率いて鴨川東岸の祇園から縄手通を、民家や旅館をしらみつ潰しに調べた。
「次、行くぞ」
中々あたりがなく、苛立ちが募ったころ、土方隊に監察から報告がある。
「近藤局長の隊にあたりました。池田屋です!」
「わかった、すぐに行く」後ろに声をかけるとすぐに池田屋に向かった。

駆けつけてみると、戦闘はすでに始まっていた。一階には明かりがあったが、どうやら二階は完全に闇。
よく耳を澄ますと近藤の気合いが聞こえてくる。
永倉の姿を近くで確認したために、呼び寄せた。
「新八、様子はどうだ。」
細心の注意を払いながら、副長の下へ足を運ぶ。
「二階は総司と近藤さん、総司は昏倒。一階は俺と平助なんだが、平助のほうは額を切られた。」
そのふたりは引き上げさせた、それだけ言うとまた、戻っていく。
(命はあるみてぇだな)
胸を撫で下ろした土方はまたあらたに身を引き締めて、切り込んで切り込むのだった。


新選組の損害は一人が死亡しただけである。多くの浪士を捕縛し、大勝を収める。事後処理をしていたところにきた、会津藩のしっかり身を固めた兵たちが、滑稽に見えた。
日が昇ったころ、新選組の朱の誠の旗印も天に昇る。
「凱旋だ!胸を張って進め!」
朝日を浴びて、大きな通りを歩く隊士たちの顔は実に誇らしげで良い顔であった。
前をあるく土方の顔も。



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