乾いた月―新選組副長土方歳三遺聞― 第一話 鬼面


場所は、箱館五稜郭。陸軍奉行並土方歳三は自室の窓から景色を眺めていた。すると扉からノックが聞えてくる。
「土方副長、市村です。御用があると伺いまして・・・」
"副長"という響きになんとなく懐かしいような虚しいような複雑な感情を抱いたが、入れと土方は言うと市村鉄之助が入ってくる。
「市村、頼みがある」
机の上に置いてあった渋紙で包んだ写真と脇に差していた愛刀の和泉守兼定を少年に渡す。
「これを俺の故郷――日野に届けてほしい」
市村は頭を振った。
「嫌です!私は土方副長と共に最後まで残ります!」
土方は間髪を容れずに厳しい声で言った。
「命令だ。」
その言葉に少年は少しだけ目を見開くが、すぐに寂しげに俯く。消え入りそうな小さな声で返答する、深く頭を下げる。
「市村」
声がしたので顔を上げると、土方が目の前に立っていた。
「よろしくたのむ」
頭を撫でてくれた土方はなんとも言いがたい、優しげでもあり、寂しげでもある笑顔を浮べていた。

明治二年四月十五日、未明。市村鉄之助は箱館を脱出した。その後ろ姿を自室から見送りながら、土方は京都での日々の追憶にひたっていた。
「新選組副長・・・か」


京都壬生村にある壬生浪士組改め新選組屯所に近藤勇、土方歳三、山南敬助が三人で難しい顔をしながら膝を突き合せていた。
「芹沢さんと斬れ・・・との、会津藩からの密命が下った」
近藤は複雑な顔をしている。
「芹沢さんはやり過ぎたな・・・」
土方もまた複雑な思いを抱えていた。
「とうとう御達しがきてしまったか・・・」
山南の口調はとても重かった。
その場にいた者の思いは実に複雑だった。壬生浪士組筆頭局長芹沢鴨は、もともと気性は荒かったが、このところ大坂力士との乱闘を起こしたり大和屋の焼討ちしたりと、会津藩の御預りになってからも乱暴狼藉が続いたためこういう運びになってしまった。しかし、芹沢が起こしたことはこんな事ばかりではない。時には新選組の為にしたこともあった。そんなこともあり実に心中は複雑だった。しかし、肥後守様からの密命だ。どうしても行なわねばならなかった。土方はなにか決意した様子で口を開いた。
「このことは俺らに任せろ。近藤さんはここにいてくれ」
「しかし!」
近藤は反論したが、すかさず土方が言い返す。
「密命なんだろう、局長のあんたまで動いたら怪しまれる。」
近藤は返す言葉もなく押し黙ってしまった。
「――近藤さん、我々に任せてください」
今まで黙っていた山南が口を開いて、ゆっくりと頷いた。
「・・・つらい任務だろうが頼む」
近藤は少し頭を下げると、土方と山南は力強く頷いた


文久三年九月十六日、深夜。八木邸の離れの庭に大雨の降る中、母屋に土方と山南、離れには沖田、原田が付いた。
となりにいた土方に山南は小声で話し掛ける。
「あぶないと思ってはいたが、本当に芹沢さんを斬らねばならなくなるとはな。」
土方は山南の方を向く。
「山南さん、俺たちはもうあとには引けねぇんだ。新見に詰腹を切らした時から」
実は芹沢暗殺の命がでる数日前、副長の新見錦が芹沢名義で祇園にて豪遊しているということで、詰腹を切らされていた。

「新見副長、芹沢局長の名を謀り、借上を重ねられたことに関して詮議を行ないますゆえ、屯所にお戻りください」
周りに新見を囲むようにいた妓たちが、ぞくぞくと出て行き土方と新見の二人だけになる。
「なぜわしが詮議など受けねばならぬ」
「詮議を行なうため、屯所にお戻りください。」
不服そうな新見に土方は繰り返した。
「わかった、わかった!戻ればよいのだろう」
そう言って立つとすぐに、手元にあった刀を抜き土方に斬りかかって来る。
「百姓上がりの俄侍の分際で!」
酒で手元が鈍っている太刀筋をスッとかわし、土方は新見の首を落とす。そして腹を切腹の後のように横一文字に割く。
「ひぃ!鬼!鬼やぁ!」
襖の向こうで盗み見ていた妓たちが叫びながら廊下を走っていく音が聞えた。
土方は"鬼"という言葉に反応した。
(鬼か・・・)
返り血を浴びたその顔は鬼面でも付けているかのように険しかった。

「もう後には引けない、か。」
山南はそれだけ言った。土方は前に向き直り、抜刀する。山南もゆっくりと刀を抜いた。
「・・・いくぞ」
二人は縁側から音を立てないように、襖に貼り付くように近付く。襖を開けると酒に酔って芹沢は愛妾のお梅と共に眠っていた。
それを確認すると一気に踏み込む。芹沢と隣で寝ている愛妾お梅も殺害する。芹沢の心臓に一気に刀を突き立て、お梅は肩から切り下げる。この出来事はほんの一瞬だった。殺害するとすぐに八木邸から少し遠くに離れる。各々別々に戻ることにしていた。

土方は村の外れまで来たところで被っていた頭巾を取る。雨に打たれ濡れた土方の精悍で整った顔から、水が伝っては流れ落ちていった。
後ろから男女が揉めている声がして降りかえると、女が数人の男に囲まれていた。下手には突っ込めないので暫く様子を伺うことにした。
「おい、女!言う事はそれだけか!」
「だから、ぶつかったことは謝りました。」
「俺たちを誰だと思ってるんだ!勤王の志士だぞ!」
すると、志士と名乗った男たちに女は臆することなく凛とした態度で言い放った。
「勤王の志士とは肩が当たっただけなのに、しかも謝ったのに許せないほど心が狭いのですか?」
「このっ!」
男たちが刀まで抜き出したので、しかたなく土方は割って入ることにした。そして、抜身を鍔で受け止めた。
「邪魔するな!」
土方は男たちを蔑むように笑みを浮べる。
「何がおかしい!」
「ふっ、その女が言ったことがあまりにも最もだったのでな」
「コイツ!」
とうとう男たちは刀を振り回し始めたので組み合った相手を突き飛ばし、一番強そうな男の片腕を落とす。すると周りにいたものたちは腰が引けてくる。
「さぁ、今度はどいつがこうなりてぇんだ?」
そう言うと、悔しそうに男たちは散っていた。
「ありがとうございました。なんとお礼を申したらよいか」
土方はずいぶん気の据わった女だと思っていた。血を見ても身じろぎもしなかったのだ。
「それより女、こんな夜更けに何を・・・!」
女が急に視界から消える。
「おいっ!」
土方は女を助け起こす。
「すみません。ほっとしたら急に腰が抜けて」
土方は可笑しくなって少し笑みを浮べる。
「お前見たところ、略装をしているが花町の人間ではないのか」
女は立ち上がるとバツが悪そうに下を向いた。
「はい、上七軒で舞妓をしております」
また、質問しようとすると女は遮るように話す。
「あの!何故このような夜更けにこのようなとこにいるか聞かないで下さいませ。」
「なぜだ」
言い難そうに言葉を詰まらせて言う。
「な、情けない理由ですので・・・その・・・」
「言いたくないか」
女はこくんと頷いた。
「置屋さんに黙って来てしまったのでそろそろ戻らなければ・・・」
「そうか」
土方は抜いた刀を鞘に納めた。
「もしよければ、気が向くようでしたらいつでも上七軒においで下さいませ。命を救って頂いたせめてもの恩返しがとうございます。」
女の顔は暗くて見えなかったが、声が愛らしかったので目の前にある顔はどんなに愛らしいことだろうという思いを馳せていた。そして思わず名前を聞いてしまった。
「・・・お前の名は?」
「君菊にございます。その、お侍様の名前も聞いてもようございますか」
「土方、土方歳三だ。」
何の躊躇いもなく答えてしまい、自分の置かれている状況を思い出して、しまったと思った。
「君菊、今日俺にあったことは誰にもいうな。俺にも色々ある・・・」
また一段と不自然さが増したが、君菊はわかったというように深く頭を下げて、自分が身を置いている置屋に戻っていった。
土方はその後ろ方を見えなくなるまで見送った。


土方が戻ったころには芹沢鴨暗殺が伝わっていた。検分は原田が行なった。下手人は長州者の仕業と言うことになった。が、実は芹沢派暗殺に関わったのは、土方、山南、沖田、原田だというのは公然と伏せられた。
暗殺から二日後、芹沢の葬儀が終了した後、近藤を真ん中に、右に土方、左に沖田総司が縁側に座って、雨上がりの青い空を眺めていた。
「何だか部屋が広く感じますよ」
「それだけ芹沢局長の存在が大きかったのだろう」
今まで会話を聞いていた土方が視線を空に向けたまま口を開く。
「なぁ、近藤さん、総司。」
二人は土方に視線を向ける。
「これからは、この新選組を真の武士の集団にしていこうじゃないか」
近藤も沖田も笑顔をみせる。
「そうだな」
「そうですね」
二人はまた空に穏やかなそれでいて力強い視線を移す。そのなかで、土方だけは違った。穏やかではない並々ならぬ決意が瞳に宿っていた。




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