第四話 子なきは去る 前編

『女大学』の「七去」のひとつに「子なきは去る」という厳しい掟がある。現代に生きるものにはなじみはないものだが、それを肌身で感じる事件が"現代人"の美鶴を巻き込んで起こった。
事の発端は、秋。半平太の家に、龍馬、光次、後に天誅組を率いる吉村虎太郎が訪れた日のことである。
その日は半平太がちょうど留守にしていたため、彼らを縁側に通して待ってもらうことにした
客人に出す茶菓子を探していた富子が、庭の柿木から採っておいた実があるのを思い出す。
「柿にいたしましょう」
「はい、そうですね。剥くのを手伝います」
このときの二人にはその後起こる事件のことは知る由もなかった。


二人が柿を剥いている時、龍馬は庭にでて柿の木をじっと見つめている。光次と虎太郎は縁に腰掛けて小さな声で話している。
「なぁ、光次。あの美鶴さんは、武市先生のお妾か?」
思わぬ質問に、顔を凝視してしまう。
「な、なきそうなる。美鶴さんは、お世話になっているだけで――」動揺が振るえとなって声に出る。
「ふうん…」なにか納得したように、何度も首を縦に振っていた。
「いったい、何を考えちゅう」
「あとで、教えるよ」
拭えぬ一抹の不安が胸をかすめる。虎太郎がなにかしようとしているは確かだった。
「柿を剥きちゅうがやきみんなーどうぞ」富子が柿を縁側の、光次と虎太郎の間に置く。
「ほう、うまい」
虎太郎は一欠けらとって口に運んで、自分の家のものよりもおいしいといって、
「お気持ちだけで…」
光次は礼を崩さなかった。
庭にいた龍馬は勝手に柿を取り、自分で剥いて、美味しそうに食べてしまっている。
お茶をもって台所からでてきた美鶴は、そんな光景をみて三者三様の性格が出ていて面白く感じていた。
「美鶴さん」
美鶴が全員にお茶を配り終えた時、虎太郎に声を掛けられる。
それと同時に富子がその場から立ち去り、美鶴は取り残された。
「なんでしょう…」ただならぬ雰囲気を察して声が小さくなる。龍馬は柿に夢中で気付いていない。
「実は、頼みがある。」
「はい、私にできることなら」
それを小声で聞いて美鶴は凍りついた。


―――武市先生の子を生んでほしい。


門が開く音がして、また、時間が流れる。あまりにも唐突過ぎて、思考が追いつかない。
渦中の半平太の帰宅後、あの言葉がぐるぐると頭の中を回るだけ。
なんだかんだ分からぬうちに、押し切られる形で美鶴は承諾してしまうのだった。



「しょうまっこと美鶴さんに武市先生の子を生ませるきか」
師の家からの帰り道、龍馬と分かれた後、光次は塾友に問いただす。
「ああ、先生の血筋をここで絶やすわけにもいかん。」
「先生にゃ富子さんがいらっしゃるやか」
「そうけんど、あがーに仲睦まじいというがやき、子をようせんがや…ほかの女子に託すしかぇいろう」
「身代わりにさせられる美鶴さんの気持ちはどうなるがだ!」
噛み付きそうな勢いで声を張り上げる友人に、虎太郎は目を見張る。
「すまない。…そうだな、血筋を絶やすわけにゃいかん――」
光次の心中に理屈では割り切ることのできない、どろどろとした感情が渦巻くのだった。


その日の夜、寝付くことが出来ず美鶴は屋根のうえに上ってぼんやりと星を眺めることにする。
「…どうしたら」
あの言葉を受け取ったとき、胸にほのかな期待があった。光次が止めてくれるんじゃないかと。
でも、それは期待でしかなかった。恋仲ではないだからとめる理由もない。
それに、あのあとの光次は少しも目を合わせてはくれなかった。
(中岡さん――)
後ろから人の気配がして振り向くと、龍馬のすがたがあるではないか。
「…なんだ、龍馬さんか――って、なんでここにいるんですか!」
「ちょっと、昼間の様子が気になってな…。中岡くんじゃーのうて悪かったな」軽い皮肉を言う。
美鶴は心の中を読み取られて、恥ずかしさのあまり顔から火が出そうになる。
「今日、なにか言われたのか。虎太から」
彼女の隣に腰を落ち着けて、さっきとはちがう真剣な声で問いかけた。
龍馬の顔が見れなくて、そっぽをむく。
「…まぁ、武市先生の子を生んでほしい、とか言われたんだろうな」
思わぬ言葉に美鶴は相手のほうに振り返る。
「どうしてそれを…」
「聞こえちょったがよ。それに、美鶴さんのようすがぎっちりと違った」
図星すぎてなにも言うことができない。
「富子さんはなんていってる」
「…このことには納得しているようでした――いえ、納得しようとしてました。」
その時の様子がありありと浮かんで、美鶴の心を締め付ける。
「笑っていたんですよ、いい案だと。だから私は具合がよくないことにして、実家にさがると…つらくないはずないのに」
ひざを抱えて、夜空を見る。
「そのことを言ったときの武市さんは、すごく心配して…嘘をつくのが心苦しかったって…」
龍馬はずっと黙って聞いている。
「子どもなんて出来なくても、どんなことがあっても――好きな人と一緒にいて何処がいけないんでしょうか」膝を抱え、顔を埋めた。
「美鶴さん、おんしはしょうまっことしょうえい女子だ」龍馬は彼女の肩をそっと抱く。
「アギを信じろ」
アギ?と美鶴が聞き返すと、半平太だと答えた。
「アギは富子さん以外は目に入らん、ほがな男だ」
「私だって、武市さんを信じてます。でも、こんなことになってしまうのが悔しくて…」
「虎太もわりぃ奴がやないんだ、尊敬しちゅう師の為に一生懸命なちや。」
「はい…わかってます」
龍馬と話をしているとなぜか心が洗われるようだった。人を心から信じてる。それが、表情から言葉から伝わってくる。
「美鶴さん…!」どさくさに紛れて押し倒してくる。
「調子に乗りすぎですっ!」
思いっきり男の急所を蹴り飛ばす。
蹴られた男は、強烈な痛みにもがいていた。



翌日、富子は実家に戻った。
「しっかりね」と美鶴言ったときの笑顔に寂しさがにじみ出ていた――。


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