第三話 寒桜の如く

慣れてきたようだから高知城下を見てきたらどうか、という富子の提案で一人で出てみる。が、さ
っそく道に迷ってしまった。悪いことに上士の屋敷が立ち並ぶところに出てしまう。
「参ったな…」
辺りを見回すと、下士が住んでいる村とは違い、立派な屋敷が立ち並んでいる。こうも違うと自分
が歩いているのが場違いのような気持ちにさせられる様だ。土佐藩の身分制度は厳しいものだと最
近やっと理解した。上士は下士が無礼を働くと問答無用で切り捨てることが出来るのだ。それが町
民でも同じだ。士農工商などない現代人の美鶴にとっては、それには酷く憤りを覚えていた。
「こんな腹立たしいとこから早く出ちゃおう」塀際を早歩きで進んでいく。
ある家の塀へ差し掛かると、その上から声が美鶴に投げかけられる。
「おい、そこの女」
美鶴は上を見上げると、彼女と同い年ぐらいの上士の青年がこちらを覗き込んでいた。正直なとこ
ろあまり関わりたくない。
「なにか御用でしょうか」
「なにが御用でしょうか、じゃねえ。そもそもなんでお前のようなものがここにいる」青年は呆れ
たようなしぐさをする。
「そ、それは…」
美鶴が言いにくそうに目を逸らすと、青年は鼻で笑った。
「お前、さては道にでも迷ったか」
図星すぎてぐうの音も出ない。ふと視線を元へ戻すと青年は美鶴を物色するように見ている。そし
て、最後には顔を凝視してきた。
「…お前案外美しいな、名はなんと言う」
同い年ぐらいの癖に偉そうな態度に腹が立ったが、素直に答えておく。
「…美鶴と申します」
ほお、と感嘆の声がしてまた、彼女を物色するように見る。
「お前が…武市の家に世話になっている噂の娘か」
「噂?」思ってもなかったことに思わず聞き返した。
「自分のことなのに知らんのか。女としての生業もこなし、学才もあり、国論を論じる、優れた美
人。おまけにお前は縁談の申し入れをすべて断っている。」
確かに、来た話はすべて断っていた。でも話を持ってきたものは皆、美鶴を容姿だけで選び中身を
見てくれようとはしてくれなかった。
「どうだ。私の妾にはならぬか」
ナンパのような軽い感じで言われ、思わずカチンとくる。
「私はあなたのような軽い人間の妾になどなりません」と言い放つようにいう。
おどけた様な目が冷徹なものに変わり背筋が凍りつく。
「なぜ嫁にいかぬ…女子は嫁ぎ、夫に尽くし、子を産めばいいのだ」
数え年ではもう十九歳になる美鶴は、この時代の結婚適齢期を相当過ぎている。そのことについて
は道場の門弟からも耳にタコが出きるほど言われていた。器量もあるのにもったいないと。それを
言われるたびになんともいえない憤りを覚えるのだった。
「それに、なぜ勉強に励む?女子の癖に生意気だ」
それがこの時代の女への考え方だ。大きな壁にぶち当たったような衝撃で相手を見つめたまま動け
なかった。
「俺の女になればいいのだ」
いや、と拒絶していた。ふと、美鶴の心に浮かんだのは、真っ直ぐな瞳をもった真面目で誠実な青
年。その青年の思わぬ登場に頬を赤らめる。
「私の生き方は自分で決めます!」踵を返して、その場から急いで立ち去った。


美鶴はとにかく走った。浮かび上がってきた気持ちを振り払うように。
最初は純粋に勉強がしたくて、彼に教えを求めた。でも、だんだん彼と一時でも長く居たい。ただ
それだけの思いで勉強をするようになっていった。
「いや、いやっ!そんなんじゃない…!」
彼女は自分がそんな邪な気持ちを知られて軽蔑だけはされたくない。
青年の影を振り払う走って走ってようやく半平太の家の門の前にたどり着いた。
戸を開けると、帰ろうとしている実物の青年に出くわす。美鶴は自分の運のなさを怨んだ。
こんなときに限ってしっかりと出くわすのだから。
「み、美鶴さん。どうした、そんなに急いで」
彼女は心の準備をしていなかったためか頬を赤らめ、下を向いてしまう。
「大丈夫か」
美鶴の額に手を当てようとする。その光次の行動に身体がビクつく。
「あ、すまぬ…」手は引っ込まれた。
あとは重い沈黙が辺りを支配する。
耐え切れず涙が美鶴の漆黒の瞳から流れ落ちた。
それを見た光次が彼女の腕をとり、引っ張っていく。
「な、中岡さん?!」
突然の行動に美鶴は動揺を隠せない。
「…」しかし、光次はなにも言わなかった。
その反応に彼女はこれ以上なにも問わず、大人しく引っ張られていく。

だいぶ家から離れた所で止まり、美鶴のほうに振り返った。
「しょうまっこと、何があった。」
心配そうに尋ねる光次の顔を彼女は見ることが出来ない。俯いたまま普段よりも小さなこえで話し
始める。
「今日…上士のかたに妾にならないか、と言われました。それでお断りしたら、なぜ嫁にいかない
のか。何のために勉学に励むのかと…女の癖に生意気だと」
あふれる感情を抑えることが出来ず、涙声で真情を吐露した。
「嫁いで、子どもを産み育てるだけが女の幸せなんですか?!」涙がポロポロと溢れてくる。
心の内を吐露しているうちに美鶴は自分ががなぜ勉強しているのかがわかった。光次の役にたちた
い、共に歩いていきたい―――。
「女の私にも志があります。私はたくさんたくさん勉強してそれを果たしたい…!」
桃色の花弁二人の間を通り過ぎる。それが来たほうを見ると、刹那、強い風がふき花吹雪がおこる

「あれは…」
男女の視線の先には大きな寒桜が満開になっていた。それの美しさに一時、言葉を失う。
近くまで行くとまた一段と大きさを感じた。
「美鶴さん」光次が上を見上げたまま、訛ながらも標準語で話す。
「嫁いで、家の奥に入った方が女子にとって幸せなのだと思ってる。でも…」
今度は美鶴の方をみて言う。
「お前は今のままでいい。今は勉学に励んで、そして自分の志を果たして思う。…俺はそれを手伝
いたい」
真っ直ぐな瞳に見つめられ、頬が熱くなるのを感じながら笑顔でしっかりと頷いた。
「中岡さん、私この寒桜のようになりたいです」
「…そうか」
二人は並んで、華麗に咲く寒桜を静かに眺めるのだった。


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