日記(3/26-4/25) | ||
過去の日記
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4月25日(木)
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申し込み |
最近、またトップページを作り直したり。要するにただ遊んでいるだけなのですが・・・。このままじゃ遊んでいるだけ、マジヤバイ。・・・ダメじゃん。 というわけで、ホームページ開設の申し込みをしてしまいました。 怖いですねぇ。できるかなあ? |
4月22日(月)
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marbleさん(?) |
デザインを仕事でしている方のサイトを巡るのも楽しい。ただし見ることができれば。けっこう高い確率で 画面が真っ白、何にも映ってません〜 ということがあって。Jawa script関係の問題なのか、FLASHの問題なのか、ファイル自体が真っ白のままなのかそれとも他に原因があるのかわからないのですが。私のような貧相なパソコン環境がいけないのでしょうか。OS8.6のままにしているからかな? でも仕事の環境を考えると、OSのバージョンを上げても、ソフトや周辺機器のことを考えなくてはならなくなるし、でもWEBのことを考えたら最新バージョンが欲しいのは山々なんだけど・・・ぐるぐる・・・。 ・・・ぐるぐる・・・。 ところでタイトルは、marbleさんのサイトを見つけたことから。この方もデザイナーなのですが、名前が似てたり、誕生日が1日違いだったり、イタ車のオープンに乗ってたり(ウチは夫が乗っているのですが)似てる部分が多くて笑ってしまったので、思わずメールしてしまいました。あちらも笑っていただけたようで、メールしてみてよかったなあと思ったり。 |
3月31日(日)
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ネヴィル・ブロディ |
昔・・・92年頃か、ネヴィル・ブロディの講演を見にいったことがある。イギリスの有名なデザイナーなのだが、日本でも好きな人は多いだろうと思う。
当時日本ではデジタルデザイン黎明期とでもいうような頃で、印刷所の対応にも各社ばらつきがあった。(デザイン→出力センターで印画紙かフィルムで出力→入稿、というのが普通だった。今は雑誌でもデータで入稿できるようになったけど) 講演自体はほとんど覚えていないのがアレだけど、面白かったですよ。 ・・・多分。(あまり覚えてないから) で、その時のディスカッションで、参加していた日本人のデザイナーが、その日配られたフライヤーを手に、(ちょっと昔のわら半紙みたいなザラ紙を使っていたので)「こういった紙を使う時に、どの程度仕上がりを予測しているのか」(紙に対するこだわりはどの程度あるのかというニュアンスを含む)といった内容の質問をしたのですが、ブロディの答えはそっけないものでした。 「私は紙に依存するようなデザインはしていない。どの紙を使っても、たいした違いはない。」 印刷の仕上がりが、紙の種類によって微妙に違うので、微妙な風合いにこだわるデザイナーも多かったし、質問自体は当時とすれば当然なものだと思うのですが、現在のデジタルデザインの状況を見れば、彼の答えも的を得ている、と今にして思うのです。だからといって、彼が10年後を見据えていたかどうかは、はっきり言って分かりませんが。 |
3月29日(金)
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コンテンツ |
今頃になってコンテンツに迷いが生じる。 最初は自分の仕事についての事をメインコンテンツにしようと思っていたものの、タイシタコトないし、大体、最近はそれほど仕事もたくさんしてないし、雑誌なんかの方だと肖像権とかどうなるのかなあ・・・とか思って趣味のみのコンテンツにするつもりでいたのだが。 タイシタコトなくても、多少はいれるべきかなあ、と思いはじめる。趣味の方も、入れたいもの、削除しようかと考えるものいろいろぐるぐるしてなかなかまとまらない。トップのデザインも、試行錯誤してみたり。おおまかな形は決めていて、これで行こうと思ってはいるのだけれど細かいところがどうも。 仕事と違って締切りがないからそう考えるのか。いろいろ考えつつ、 「それより仕事はどうなってる、自分?」 と一言ツッコミをいれてみたり。アタマ切り換えて仕事に戻らなきゃ。 |
3月27日(水)
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心ゆさぶるもの |
ある時期「心がひっかかる」という言葉を好んで使っていた。 ある人から「それは、いいの?悪いの?」と聞かれて以来使っていない。覚えていないが誰かの作品についてだったと思う。 話の流れから、私がその作品を評価しているのが分かったのだと思うが、「ひっかかる」という言葉に文字通り『ひっかかって』しまったようだった。 よく、『綺麗なものに素直に感動できる人がいい』と言う人がいるけれど、 『感動』という言葉は便利すぎてちょっとつらいと思うことがある。綺麗なだけで人は簡単に感動してしまうものなのか分からないから。 心の動きについては、直接比較できることがないので他の人については何とも言えないけれど、私は、『感動という心の動き』はプラス方向とマイナス方向を同時に含むことで起こる感情なのではないかとおもっている。 自分の記憶の中にある何かを揺り動かされたり引っ掻かれたりするような怖さを内包するものに心を動かされるから。だから軽く「感動した」とは言えなくて、私としてはすこぶる素直に「ひっかかる」と言っていたのでした。 作品については受け手側が同じものを同じ条件で受け取っても、それぞれの人の生き方によって(あるいはその時の体調とか、気持ちによって)感覚は違ってくるから、全員が感動するというのは無理そうな感じがする。 泣けると評判の映画・ドラマとかで泣いた記憶ないし。 逆に『吉本新喜劇』で泣いたことが・・・(子供の頃だし、テレビだったし) ここは、『ヒカルの碁』をメインコンテンツにしているけれど、実はもっと好きな漫画家さんがいる。私の中では別格で、思い入れが強すぎて語ったりできません。 明るい日射しの中で闇を、闇の中で光を感じさせて、 それは人の心の動きのようだなあ・・・ と、言葉にするとなんか簡単だ。勢い余って思いの丈を綴ったファンレターを出してみたり、その時は何か伝えたくて仕方なかった。もちろん随分昔の、おかざき真里さんが漫画家としてデビューする前のお話。 |
3月26日(火)
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ウェブページ作り |
まだアップもしていないうちから、日記を書いてみたり。 |