札幌和服裁縫組合の軌跡
明治初期 開拓時代の職人達 札幌区の職人達
草分け期 縫製組合誕生  大正 昭和(戦前)
復興期 昭和(戦後)
活動期 昭和30年代
安定期
昭和40年代
完成期 昭和50年代 昭和60年代
停滞期 平成 発行物 歴代組長・支部長
 大正7年(1981年)開道50周年記念博覧会と札幌開府50周年であった記念すべき年に札幌和服裁縫組合は誕生いたしました。
 札幌和服裁縫組合がどのように誕生したのか?当時を知る和裁職人はすでに故人となりました。
 かっての和裁職人はあまり記録を残す習慣はありませんでした。生活改善のために、和服職人である先輩の先生たちはが大変なご苦労をされて和服裁縫組合を結成いたしました。
 私共は貴重な歴史を忘れることなく、この記録を後輩に残すことは私たちの役目でもあるものと思います。またホームページをとおして皆様のお役にたつことができれば幸いです。
明治初期
 明治初期、北海道でも明治以前に開かれた古い都市、港、例えば松前・江差、函館などは早くから職人が活躍していた。当時の港周辺には、大工・木挽(こびき)・左官・船大工・畳指職・石工・屋根職・曲物仕立・仕裁職など20の職業の職人が生業していたと明治4年(1871)の道庁に資料として残っている
明治4年6月現在の職人
職種 戸数 家族数 備考
    戸     %     人    平均
木       挽 1 1.8 3 3
大 工 職 14 25.5 43 3.1 内兼業4戸
左 官 1 1.8 2 2
柾 挽 1 1.8 3 3
黒 鍬 職 2 3.6 5 2.5 内兼業1戸
野 建 木 1 1.8 4 4
畳 指 職 1 1.8 5 5
表具師 ・ 経師職 3 5.5 11 3.7 内兼業1戸
鍛 冶 職 1 1.8 3 3
研 師 1 1.8 7 7
染 屋 1 1.8 3 3
仕 立 ・仕 裁 屋 3 5.5 9 3 内兼業1戸
髪 結 職 7 12.7 16 2.3
味 噌 ・ 醤 油 1 1.8 3 3
造 酢 1 1.8 4 4
造 酒 3 5.5 4 1.3 内兼業2戸
室 屋 ( 椛 屋 ) 2 3.6 9 4.5 内兼業2戸
濁 酒 ・ 椛 4 7.3 12 3 内兼業2戸
菓 子 屋 3 5.5 6 2
豆 腐 ・ 油 揚 4 7.3 11 2.8 内兼業2戸
合       計 55 100 163 3
「辛末蔵 市中人別申出綴」 (北海道総務部行政資料課蔵)による
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 北海道開拓行政の拠点として札幌に建設の槌音が始りだした明治2年頃より札幌に、函館で商売をしていた今井藤七が商品を仕入れて森町・室蘭郡を経由して札幌に呉服店を開業するなど、他の各種業者も進出してきた。札幌の職人の歴史もここから始った。
 開拓使が北海道開拓を推進する為、明治初期に農業移民・商工業者の移民を奨励した。札幌区史によれば、明治4年の札幌本庁募集に応じて来札した中に和裁師2名(中村甚五兵衛・今井浅次郎)がいた。
 この独立営業していた両人に就いて学ぶ者は多かったとあり。和裁裁縫師が存在していたことを物語る。(ちなみに明治8年、最初の屯田兵が入植時には、札幌の人口は約2,700人であった)
 
明治22年(1889)・『札幌区役所統計概表』によれば和裁師は数十名に増加していることが分る。
明治22年・札幌区の職人
職種 戸数 職種 戸数
本籍 寄留 合計 本籍 寄留 合計
杣(そま)職 21 19 40 鍛冶職 26 35 61
木挽 37 109 146 農具製造 0 1 1
大工 82 274 356 蹄鉄工 1 0 1
左官 2 5 7 鋳物師 6 6 12
屋根職 10 11 21 ブリキ細工 2 2 4
柾割職 4 4 8 錺(かざ)職 1 0 1
瓦焼 0 1 1 鉄砲修繕職 1 2 3
石工 12 23 35 時計職 2 1 3
煉化職 2 11 13 蝙蝠傘直職 1 2 3
井戸掘職 2 3 5 和服仕立 24 55 79
植木屋 0 1 1 洋服仕立 9 26 35
硝子製造 1 0 1 足袋職 0 1 1
建具職 0 9 9 雨合羽職 0 1 1
畳刺 3 9 12 機職 0 1 1
指物師 3 1 4 綿打 3 2 5
桶工 8 22 30 真綿細工 0 1 1
『明治22年札幌区役所統計概表』 ページの上へ
草分時代  (大正時代)
 〜札幌和服裁縫組合の誕生〜
 
大正7年(1918)、開道50周年記念大博覧会・札幌開府50周年であったこの記念すべき年に札幌和服裁縫組合が誕生した。
 大正11年(1922)札幌市制施行、人口は日毎に増加し呉服屋の開業も相次ぎ、仕立屋の需要も増し見習い生の養成をしなければならない時代に入った。今井百貨店・五番館・なかうろこなど20店あまりの呉服店が売上を競った。当時、見習い生を多く抱えていた札幌和服裁縫組合の会員の多くが丸井百貨店の専属工場として活躍した。
休眠期(昭和・戦前、戦中)
 〜昭和7年(1932)三越デパートが札幌に進出した〜
 
大正末期より昭和初期は『きもの』全盛時代であったが、昭和12年(支那事変)で仕立物全般に変調の兆しが現われてきた。昭和18年(1947)ごろには大東亜戦争も激しくなり絹製品は全面的に廃止となり衣料品も配給制度となった。仕立物は日に日に減少し廃業、転業のやむなきに至った。
復興期(昭和・戦後)
〜活動再開〜
 
昭和20年(1945)8月15日大東亜戦争(開戦・昭和16年12月8日)は敗戦と言う名で終わった。丸井百貨店の建物はそのまま残っていたが3階から上は進駐軍の指示により20年11月より札幌逓信局が入居していたが、昭和22年(1947)11月全面解除になり呉服販売が再開された
 丸井百貨店・五番館・三越百貨店・他呉服店が出揃い(中うろこ・竹島・若島・花柳・竹内・三ッ丸・まるしん真木・小川屋・杉山・菊池・寺川・梅本・有馬など)呉服販売に伴い仕立物は増加現象が続き戦前以上に活況を呈する。特に丸井百貨店と札幌和裁裁縫組合会員との係わりは強固だった。
 昭和27年(1952)の『きものブーム』到来。27年8月札幌和服裁縫組合は丸井百貨店と最初の工賃値上げ交渉を行ない28年(1953)10月予想以上の好条件で改定され妥結した。札幌和服裁縫組合が行なう丸井百貨店の工賃改定交渉が他の呉服店の工賃改定の牽引役を担ってきた。
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活動期(昭和30年代)
 日本和裁士会に加盟〜
 
昭和30年代前半より呉服業界は、南北朝鮮動乱により社会情勢は急変し経済状態は好転の兆しが見え神武景気を迎えることとなった。組合員の経済状態も日増しに良くなり目覚しい成長の一途をたどり組合活動も次第に自発的な行動をするようになってきた。
 昭和36年(1961)4月札幌和服裁縫組合は日本和裁士会に加盟。翌、昭和37年(1962)7月に北見・昭和41年(1966)8月に小樽・函館・室蘭・旭川の和服裁縫組合が加盟。北海道に日本和裁士会の支部が6支部誕生)

『仕立て屋』から『和裁士』と呼び名が変り、札幌支部会員の自覚は目覚しく適正な加工料であること、労働条件を厳守、最低賃金法に見合う工料雇用問題など、当時の役員、特に五十嵐正次・尾沢賢蔵・佐藤勲・宮崎昇・五十嵐正直が一丸となって取り組んだ。
 
北海道の和服仕立加工料は札幌・今井丸井の仕立加工料がほぼ中心で、総ての工料値上の原動力となった。
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安定期(昭和40年代)
 〜労働基準法で8時間労働の実施〜
 
昭和40年(1966)から50年(1976)の間に6回の加工料の改正をおこない、8時間労働・祝祭日の休日実施などもできるようになり、生徒も順調に確保できるようになった。
 昭和46年・札幌で始めての和裁国家検定実施される。(審査員委員長・札幌支部長尾沢堅蔵氏)
※参考:北海道の組合員数(昭和41年=1967)
 
札幌:81名・函館:44名・室蘭:43名・
  北見:29名・旭川:29名・小樽:18名 (合計244名)
完成期(昭和50年代)
昭和51年 (1976) 和服仕立工料改正
昭和52年 (1977) 札幌和服裁縫組合創立60周年記念式典
(6月20日・北海道ホテル)
昭和53年 (1978) 和服仕立工料改正
昭和56年 (1981) 和服仕立工料改正
昭和58年 (1983) 札幌支部旗作成
昭和59年 (1984) 第31日本和裁士会全国通常総会開催
(5月23日・京王プラザホテル)
昭和61年 (1986) 『針塚』建立
(8月・成田山別院・新栄寺)
昭和62年 (1987) 札幌和服裁縫組合創立70周年記念式典
(10月17日・札幌厚生年金会館)
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針塚
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参考資料:『北海道和裁連合会30周年年誌』による(発行平成3年6月20日発行)
編集者:札幌支部・五十嵐正直氏(故人)  ・  室蘭支部・船場新太郎氏(故人)
         
停滞期(平成)
 平成初期に於いては丸井今井では3回の仕立工料改正がおこなわれました。
平成7年頃より日本和裁士会では海外縫製問題がクローズアップされてきましたが、この頃にはまだ札幌会員には実感はなく仕事量は確保されていましたが、海外法制問題はボクシングのボディブローのようにじわじわ効いて、呉服店の倒産も相次ぎました。
 また、北海道拓殖銀行の破綻(平成9年11月)により、会社の倒産など相次ぎ暗い影を落としました。未だに北海道経済は暗く長いトンネルを抜け出せない状況です。
 最近の新聞・テレビなど、日本経済北海道経済は『いざなぎ景気超え』と報じておりますが、大企業の業績は大上昇しましたが、庶民の暮らし向きは好転するどころか下降たことは、大きな社会問題です。
 このような状況下で和裁士会札幌支部は工料問題、後継者問題、会員減少が大きな問題です。
成元年 (1989) 仕立工料改正
平成3年 (2003) 6月20日/北海道和裁連合30周年年誌発刊
平成3年 (1991) 11月/仕立工料改定
平成5年 (1993) 10月6日/会報『うんしん』第1号発行
平成7年 (1995) 仕立品に保証ラベル・ネームリボンの添付
平成8年 (1996) 11月/PL法保険の加入(生産物責任賠償法)
平成9年 (1997) 仕立工料改正
平成12年 (2000) 6月18日/北海道和裁連合40周年記念誌発刊
平成17年 (2005) 7月/札幌支部会則発布
平成18年 (2006) 4月/新聞『うんしん』第1号発行
平成18年 (2006) 7月17日/ホームページ『仕立て屋ゆきの部屋』内に『日本和裁士会札幌支部』開設
平成19年 (2007) 特定非営利活動法人(NPO)和装教育国民推進会議 北海道支部設立に参画
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発刊物
北海道和裁連合会30周年誌 北海道和裁連合会創立40周年記念誌
北海道和裁連合会30周年記念誌 北海道和裁連合会40周年記念誌
会報『うんしん』 札幌支部新聞『うんしん』
会報『うんしん』通算61巻発行 新聞『うんしん』第1号発行 ページの上へ
札幌和服裁縫組合歴代支部長
(大正7年4月1日創立)
歴代支部長名 氏名 就任
初代組長 佐藤平吉  大正7年4月1日(1918年)
2代組長 斉藤太一郎
3代組長 小林喜一
4代組長 佐藤源治
5代組長 長谷川一夫
6代支部長 佐藤源治 昭和36年4月〜44年8月
7代支部長 尾沢堅蔵 昭和44年8月〜51年6月
8代支部長 佐藤勇 昭和51年6月〜54年
9代支部長 五十嵐正治 昭和54年〜55年5月
10代支部長 宮崎昇 昭和55年5月8日〜平成17年5月
11代支部長 溝井ユキ 平成17年5月8日〜
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