和裁の部屋
プロフィール きものとshikitari あなたのきもの寸法
 『きもの』と関り38年程になります.始めの10年間は仕立の勉強に夢中でした。  
 また、プロとして独立してからは仕立の折りにはお客様が
『しっくりと着心地よく美しく装うにはどのように模様を配置をしたら良いのか?』とか、また将来その『きもの』がお子様やお孫さんの『きもの』にリメイクされ着用される時のことなどを思い描きながら仕立をしております。
 
小紋柄などは柄ゆきで大変に雰囲気が変ってきます。『きもの』を着られる方が引き立つように、常に心がけてお仕立をさせていただいております。

 
お客様のきもの仕立をさせていただきながら、沢山の勉強をさせていただきました。また、いろいろな美しい模様を目にすることにより私も『きもの』が大好きになりました。
 最近は先人の方々が生み出し培ってきた『きもの』の文様に魅せられております。また私も60代後半の歳となり、『きもの』のお仕立てのことで
『少しでも皆様のお役に立てたなら』と思うこの頃です
お世話になった教本とノート達
お世話になった教本とノート達
特に中央の教本と和裁を習い始めて執った
右の2冊のノートは私の宝物となりました
プロフィール
 昭和14年秋札幌の地で、8人の子沢山の家の四女として生れる。高卒。昭和33年に役所に就職、国家公務員となる。就職3年目に結婚する。
 22歳で第1子、長女を出産。勤務4年をもって退職する。(当時は保育園が非常に少なく退職せざるをえなかった)第1子誕生の4年半後に長男を授かる。退職後、子育てに専念するが将来の保険として『手に職を』と思い立ち、長女の小学校入学と同時に和裁学校に入学し6年間修学。(うち2年間、和裁学校で代理講師として修行する。)
 夫の転勤(昭和50年に単身赴任)を機にプロ和裁士として独立する。昭和50年に日本和裁士会に入会。日本和裁士会・札幌支部に所属。以後、和服縫製業に携わり現在に至る。小樽在住。現在夫婦2人暮らし。2人の子供はそれぞれ結婚。孫2人(男)あり。
ページの上へ
きものとshikitari
 日本人の歴史をふりかえる時、私たちの衣食住すべてに先人たちが培ってきた『しきたり』がさまざまな形で表現されています。
 人の一生のうちで遭遇するさまざまな出来事の中で生き続けている『しきたり』をきものを通し見直してみましょう。
お宮参り《誕生を神に知らせる》
家族揃って宮参り  昔々、子供の誕生は将来家を支える労働力を意味していました。と同時にそれは村落共同体の一員が増えるという村の喜びでもありました。

※宮参りとは親が子を神社に連れて行き、将来の健康と幸福を祈願するものですが、その村落共同体の一員に参加するための大切な儀式が今に残ったものです。
男児は生後30日・女児は32日で『宮参り』を行なったそうですが、現在は生後100日頃の吉日が一般的のようです。
七五三《子供の成長の節目を祝う》
北海道神宮にて、千歳飴の袋が大きいね  『七五三』は室町時代(約700年前・1336〜1573年)から行なわれていた。髪置き・袴着・帯解きの式をひとまとめにした行事である。祝いはもともと吉日や誕生日に行なわれていたが、次第に11月15日に統一された。北海道では季節柄10月に行なわれるのが一般的のようである。
 *
≪3歳の髪置=それまで剃っていた髪を、長く伸ばし、唐子まげを結う男・女児の祝い≫
≪袴着=5歳になった男児が初めて袴をはく式≫
≪帯解き=7歳の女の子の祝いで、それまで帯の代わりをしていた付紐を取り初めて帯を結ぶ式≫
袴の着付け風景  孫・5歳の時。おばぁ〜ちゃんである私が縫った、きもの・裃・袴を身につけて! かわいい孫も今は高校生になった。
ページの上へ

入園・入学《勉強、お稽古はじめは6歳から》
 小学校入学は子供にとっても、親にとっても最初の晴れがましい儀式でもある。子供は集団のルールを身に付けなければならない。
また、お稽古事も6歳の6月6日から始めるとよいとされている。人間の記憶力が系統的に繋がり始める年令だともいえる。
十三参り《成長の節目を祝う女の子のお祝い》
 13歳は自分の干支が一巡した節目にあたり、精神的にも肉体的にも大きく変化、大人になる準備の年とも言える。母親は娘に大人としての心構えを教えたいものです。
成人式
 満20歳をもって成人とする思想は中国から伝えられたそうです。日本にも男子13歳〜15歳の『元服式』。女子には12歳〜16歳の『成女式』というのがあったそうです。現在は満20歳で『成人式』が行なわれている。
 昔は大人として認められるには、地方によっては高い山に登ったり、山ごもりをしたり隔離された生活などに耐えることなどで大人として認められた。 現在は誰もが簡単に成人として認められる世の中になった。時には成人式で破目をはずし醜態をさらす若者もいるようだが、悔いのない『美しい想い出』となるよう祈ります。
結納《結納は婚約成立の証し》
 結納の結いは『結いのもの』であり、二つの新しい家が姻戚関係を結ぶために、一緒に飲食する酒と肴を意味する。そしてその酒と肴を相手方に納めることで婚約が成立する。結納は本人同士はもとより家族・親族の心を一つにするということである
結婚披露宴《結婚披露宴社会に対して結婚を宣言》
 昔は村落共同体として生活が成り立っていたので、村の者同士が結婚する場合はお互い知り尽くしているので、わざわざ披露宴する必要はなかったが、村の外から嫁を迎えるともなるとそうはいかない。お互いの親睦を計り、地域の人の承認を得るために結婚披露宴は不可欠でもある。
 現代はこうした地域の承認は希薄になり、会社の上司・同僚・友人などに対しての披露が主である。
 今も昔も新郎・新婦が社会的環境から承認を受けるという意味は変らないようである。
銀婚式《銀婚を機会に何かに挑戦》
 新しい趣味や芸事に挑戦して生甲斐ある人生を。 結婚記念日を祝う風習は欧米から伝わったもの。明治27年、明治天皇が結婚25年の銀婚式をされたことをきっかけに、徐々に一般に広がりました。
       *
1年-紙婚。5年-木婚。10年-錫婚。
15年-水晶婚。 20年-磁気婚。25年-銀婚。
30年-真珠婚。35年-ヒスイ婚式。
40年-ルビー婚。45年-サファイア婚。
50年-金婚式。55年-エメラルド婚。
75年-ダイヤモンド婚
*葬・法要《人生最後の儀式》
 死の発生により、死者の家やそこにある品物はケガレの影響を受けるともいわれ、これが将来に及ばないように家族は喪中に入り精進落しなど、一定の儀式を済ませ裳から開放される。
 死者の魂は法要のたびにケガレを薄くして先祖霊へと昇華する
そうです。


*喪服の変遷
 喪服に黒が定着したのは大正から昭和にかけてのこと。昔はねずみ色や白など、今でも地方によっては白装束の葬儀もあるといいます。黒色が定着したのは明治32年に宮内省から『民間は白衿、黒紋付』という通達が出されたということです。

*裳の装いは帯がポイント
 
喪服は無地がほとんどですが装いは帯がポイントです。裳服用帯は吉祥紋はタブーです。自然現象をモチーフにした雲・水・山など幾何構成した文様や、唐草、般若心経を綴った文字文様など代表的です。夏物も同じことが言えます。
ページの上へ
あなたのきもの寸法
〜 あなたのより美しい着物姿を演出しましょう 〜
女物長着寸法 例 (身長158cm・腰回り92cm)
寸法
名称 cm 鯨(尺寸分) 備考
身丈 163 430 身長と同寸。長身の人は+4C〜5c。(身長により加減)
裄丈 66 174 身長×10分の4+約3C。(手足の長い人は加減)
肩幅 33 87 裄丈×2分の1
袖巾 33 87 裄丈×2分の1。
袖丈 53 140 身長×3分の1。(用途で変化する)
袖付 22〜23 55〜60 年令・帯の結び方(高く結ぶ、低く結ぶ)により変る。
前巾 25 66 腰回り×4分の1+2c。(体型により加減)
後巾 29〜31 77〜80 前巾+4〜5C(1寸1分〜1寸3分)。(体型により加減)
抱巾 23内外 63内外 前巾−1C内外。(胸巾により加減)
衿下 80 210 身長×2分の1
衽下がり 21〜23 55〜60 胸巾の広い人は5寸5分。胸巾の狭い人は6寸
衽巾 15内外 40 太身の人は広くする
衿肩明 10 27
繰越 2〜3 5〜8
つけ込み 2〜3 5〜8
身八つ口 15 40
※参考
長襦袢丈 131 345 身長×8,3
本振袖丈 111内外 293内外 身長×7,3
中振袖丈 101内外 267内外 本振袖−10C内外
小振袖丈 79内外 209内外 身長×2分の1
両腕を横に広げ、右手くるぶし〜
※裄丈 左手くるぶし迄の長さ×2分の1
裄丈×2分の1であるが、身長の高い人は、
※肩巾 コート着用を考慮し肩幅をやや広めにする。

※センチメートルを鯨尺に換算するには(cm×2,64)

※美しく着こなすための基本は、あなたの体にあった『きもの寸法』で仕立することです
ページの上へ
                            

トップページへ戻る  次へページへ進む