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入園・入学《勉強、お稽古はじめは6歳から》 |
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小学校入学は子供にとっても、親にとっても最初の晴れがましい儀式でもある。子供は集団のルールを身に付けなければならない。
また、お稽古事も6歳の6月6日から始めるとよいとされている。人間の記憶力が系統的に繋がり始める年令だともいえる。 |
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十三参り《成長の節目を祝う女の子のお祝い》 |
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13歳は自分の干支が一巡した節目にあたり、精神的にも肉体的にも大きく変化、大人になる準備の年とも言える。母親は娘に大人としての心構えを教えたいものです。 |
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成人式 |
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満20歳をもって成人とする思想は中国から伝えられたそうです。日本にも男子13歳〜15歳の『元服式』。女子には12歳〜16歳の『成女式』というのがあったそうです。現在は満20歳で『成人式』が行なわれている。
昔は大人として認められるには、地方によっては高い山に登ったり、山ごもりをしたり隔離された生活などに耐えることなどで大人として認められた。 現在は誰もが簡単に成人として認められる世の中になった。時には成人式で破目をはずし醜態をさらす若者もいるようだが、悔いのない『美しい想い出』となるよう祈ります。 |
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結納《結納は婚約成立の証し》 |
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結納の結いは『結いのもの』であり、二つの新しい家が姻戚関係を結ぶために、一緒に飲食する酒と肴を意味する。そしてその酒と肴を相手方に納めることで婚約が成立する。結納は本人同士はもとより家族・親族の心を一つにするということである。 |
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結婚披露宴《結婚披露宴社会に対して結婚を宣言》 |
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昔は村落共同体として生活が成り立っていたので、村の者同士が結婚する場合はお互い知り尽くしているので、わざわざ披露宴する必要はなかったが、村の外から嫁を迎えるともなるとそうはいかない。お互いの親睦を計り、地域の人の承認を得るために結婚披露宴は不可欠でもある。
現代はこうした地域の承認は希薄になり、会社の上司・同僚・友人などに対しての披露が主である。
今も昔も新郎・新婦が社会的環境から承認を受けるという意味は変らないようである。 |
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銀婚式《銀婚を機会に何かに挑戦》 |
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新しい趣味や芸事に挑戦して生甲斐ある人生を。 結婚記念日を祝う風習は欧米から伝わったもの。明治27年、明治天皇が結婚25年の銀婚式をされたことをきっかけに、徐々に一般に広がりました。
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1年-紙婚。5年-木婚。10年-錫婚。
15年-水晶婚。 20年-磁気婚。25年-銀婚。
30年-真珠婚。35年-ヒスイ婚式。
40年-ルビー婚。45年-サファイア婚。
50年-金婚式。55年-エメラルド婚。
75年-ダイヤモンド婚 |
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*葬・法要《人生最後の儀式》 |
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死の発生により、死者の家やそこにある品物はケガレの影響を受けるともいわれ、これが将来に及ばないように家族は喪中に入り精進落しなど、一定の儀式を済ませ裳から開放される。
死者の魂は法要のたびにケガレを薄くして先祖霊へと昇華するそうです。
*喪服の変遷
喪服に黒が定着したのは大正から昭和にかけてのこと。昔はねずみ色や白など、今でも地方によっては白装束の葬儀もあるといいます。黒色が定着したのは明治32年に宮内省から『民間は白衿、黒紋付』という通達が出されたということです。
*裳の装いは帯がポイント
喪服は無地がほとんどですが装いは帯がポイントです。裳服用帯は吉祥紋はタブーです。自然現象をモチーフにした雲・水・山など幾何構成した文様や、唐草、般若心経を綴った文字文様など代表的です。夏物も同じことが言えます。 |
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