カモミール 8



× × ×

 流石に眠気を感じ始めた、もう空が明るく青空も見え始めた夜明けと言うよりは朝と言った方がいい頃に、3人は無事帰ってきた。
 3人とも怪我はなく、一緒に行動した部下達も無事だと言った。
 全くの無傷は無理だったが全員了平が治せる程度で済み、今は獄寺の指示で後片付けをしている。
 本来ならそこまで終わらせて戻ってくるまでが了平の役目だったが、心配している綱吉を安心させる為に守護者達には帰還命令が出た。
 途中で任務を放り投げるような気持ち悪さが若干あった。
 でも守護者のまとめ役がそう言ったのだ。
 私情に走っているとは思うが、ボスを安心させるのも大切な仕事だと帰ってきた。
 戻ってきた3人を見て安心した後、正一が謝ろうと前に出る。
 それを止めて綱吉が先に頭を下げた。
 危険な目に遭わせてごめんと謝る。
 頭を下げる綱吉と隣で慌てる正一を見て、了平は2人の頭を掴んだ。
 大きな手は片手だというのにしっかりと2人の頭を覆い、驚いている2人を余所にその手で頭を乱暴に撫でた。
 力が強くて髪がぐしゃぐしゃになり、ジェットコースターにでも振り回された後のように目が回った。
 ふらふらする2人へ了平は満足そうに笑う。
「こうして全員が無事に帰ってこれたのだ。何を謝る事がある。」
「でも…。」
「おどおどせず胸を張れ!お前のおかげで事が起こる前に作戦を変える事が出来たのだからな!」
 掌で正一の背中を叩く。
 手加減しても衝撃は強くて息が詰まった。
 了平はそれにも笑って、それでこの話は終わりになった。
 綱吉に直接意見が出来る守護者は誰も何も言わず、獄寺だけがやはり何か言いたそうだったが、結局は綱吉に従う選択をした。
 綱吉に直接の意見は無理でも正一には何か言ってくる可能性があった作戦に参加した部下達は、元々作戦変更の原因を知らないのか、知っていながら気にしていないのか、こちらも何事もなく終わった。
 けれど何もないのも気が咎めるだろう。
 綱吉はそう言って正一に一応の処罰を与えた。
 今月中にセキュリティシステムを全て新しくしろという内容だ。
 元々やる予定の仕事が処罰になっただけ。
 本当に名ばかりの処罰だが、それでも何もないよりはよかった。
 通常の仕事に、合間を見つけての新システムの構築。
 忙しくて時間などあっという間にすぎる。
 綱吉と白蘭が会う約束をした日が来るのはすぐだった。
 正午の約束と知っているので時間が近付くと正一の手が止まる。
 どうしても2人が気になって応接室がある方へと目を向けてしまう。
 正一の研究室からその方向を見ても壁が見えるだけ。
 ぼんやりしている時間も今は惜しい。
 分かってはいるが目の前の物にどうも集中が出来ない。
 綱吉は何を話すつもりなのか。
 白蘭は何を言うつもりなのか。
 気になった正一は苛立った気分で立ち上がり研究室を出た。
 向かう先は綱吉と白蘭がいるだろう部屋。
 勿論そこに入れる筈はなく、それどころか今は近付く事さえ禁止だという命令が出ているが、どうせこのままでは仕事など手につかない。
 10分の面会予定だ。
 その間くらい仕事はいいだろうと正一は廊下を走った。
 短い面会だから早く行かなければすぐに終わってしまう。
 そして実際に面会は早々に終わってしまった。
 予定していた10分すら必要なかった。
 綱吉と彼の守護者4人に、白蘭と彼の守護者も4人。
 揃って顔を合わせたのは約束の正午ちょうど。
 ボンゴレの雲がいないのはいつもの事で、雷は現在候補扱いで正式な守護者ではなく、霧は2人いるが片方がいないのもいつもの事。
 ミルフィオーレ側は元々雷と霧が空席だ。
 通常時としては全員集まったと言えるだろう。
 その中での会話は短かった。
 ボスが2人向き合って座り、守護者達はお互いのボスの後ろに立ち、酷く重い雰囲気の中で白蘭はそれを楽しむように笑みを浮かべていた。
 綱吉は疲れたような顔でその笑顔を見て、そうして一言。
「オレへの要求を簡潔に述べてください。」
 ボンゴレ側の守護者が僅かに驚きを見せる。
 けれど今は発言の自由がない。
 守護者はただの護衛で、ここは2人のボスだけが話をする場。
 動揺に揺れる空気を感じながら、白蘭が返したのも一言だった。
「この前に言った通りだよ。」
 たったそれだけの言葉を交わした後、ただじっとお互いの顔を黙って見合わせる。
 その時間は随分長かった。
 30秒が過ぎても1分が過ぎても2人は動かない。
 そうして時計がきっちり3分を計ったところで綱吉が目を伏せた。
「分かりました。その要求を呑みましょう。」
「流石ドン・ボンゴレ。話が分かる人で嬉しいよ。」
「詳しい事は後でメールでも送ってください。」
「素敵なデートになるよう頑張るね。」
「期待しています。」
 両方の守護者達は話の内容がさっぱり分からない。
 それでも綱吉と白蘭は納得していた。
 話は終わりだと白蘭は立ち上がる。
 綱吉は止めず見送りの為にクロームを呼んだ。
 道は分かるから大丈夫だよ、と白蘭は言ったが、目を離した隙にまた何か面倒をやられてはたまらない、と言って綱吉は肩を竦める。
 それはそうだと笑った白蘭は、開かれた扉の前で足を止めた。
「ああ、そうだ。」
 ぽつりと言って振り返る。
 綱吉と目が合った途端に浮かべた白蘭の表情はとても優しかった。
 同時にとても冷たかった。
 その表情に綱吉が気を取られていれば、白蘭は何でもない様子で突然思ってもみない事を尋ねてきた。
「キミはボクを、白蘭を殺した時の事って、今も覚えているのかな?」
 思わずといった様子で綱吉は勢いよく立ち上がった。
 白蘭へ向ける目は嫌悪感で綺麗に染まっている。
 握った両手は上手く力の加減が出来ずに震えていた。
 今にも掴みかかってきそうな様子だが、でもそれだけだった。
 それ以上は動かなかった自制心は流石と言うべきだろう。
 むしろ周りの方が白蘭の言葉に反応し、獄寺が前に出ようとする。
「何を急に…っ!」
「隼人!!」
 獄寺を止める為に叫んだ声は今にも泣きそうだった。
 あまりにも悲痛な響きに獄寺の足がぴたりと止まる。
 獄寺が振り返れば綱吉は俯いていて表情が見えない。
 何かに耐えるように両手は強く握られたままだったが、やがてそれをゆっくりと開いて、それからもう1度しっかりと握り直した。
 今度は震えてはおらず、それを確認して綱吉は顔を上げる。
「覚えていますよ。」
 だってそれは今でも深い傷として残っている。
 ボス候補ではあった。
 普通では考えられない戦いの中にいた。
 有り得ない生活を送っていた。
 それでも、それまでは、確かに自分は普通の子供だった。
 何処にでもいるような中学生だった。
 そう思える最後のラインをぶち壊したのは、確かにあの瞬間。
 この手に伝わる感触など何もなかったが、それでも確かに自分の炎に呑まれて消えた白蘭を見た時。
 白蘭はリング1つ残しただけで他は何もかも消えてなくなった。
 確かに自分が消した。
 確かに自分が殺した。
 悪夢のような戦争が終わった直後、もうごく普通の生活に戻る事など出来なくなっていた。
 あの時は他に選択肢がなかったなんて慰めにもならない。
 自分の意思で自分の手で人を殺した。
 地面に落ちた白蘭のリングを見てそれを理解した瞬間の絶望感。
 その傷を、今も塞がっていないのに、どう忘れろと言うのか。
「貴方は…、白蘭は、オレが初めて殺した人間で、オレがこの道を選ぶしかない最後のひと押しをした人間だ。」
「うん。」
「忘れるわけが…、忘れられるわけがないっ…!」
「ならよかった。これからもよろしくね、綱吉君。」
 泣きそうな程に悲痛な声を聞き、白蘭は笑顔を返す。
 とても満足そうで、綱吉はいっそ殴ってやろうかと考えたが、それはぐっと我慢する。
 彼の残酷さはよく知っている。
 傷口を踏み躙るくらい可愛いものだ。
 そう自分を納得させながら、綱吉は無理矢理笑みを浮かべた。
「………、連絡、待っています。」
「うん。」
 頷いた白蘭は部屋を出た。





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