カモミール 2



× × ×

 長く裏世界の頂点にあるボンゴレのボスは今で10代目になる。
 あまり頻繁に表舞台に姿は見せない10代目ドン・ボンゴレは、極東の小さな島国で生まれ育った東洋人である事は有名だ。
 ボスとしては随分と年若い事も有名。
 けれど逆に言えばその程度の情報しか流れてこない。
 同盟ファミリーや接点のあるファミリーではなければ、青年の名前も姿も分からない。
 慎重とも臆病とも言われている。
 ドン・ボンゴレとして何か考えがあるのだろうとも言われている。
 結局そんな噂など憶測の域を出ないのだから、面白半分にそんな話をしている人達が真実を知る事など出来ない。
「いや無理!絶対に無理!!」
「テメェ、いい加減にしろよこのダメツナ。」
「だって怖いんだから仕方ないだろうが!そんな大勢のマフィアがいる場所に出向くなんて!!」
 だから臆病という噂が概ね正しいだなんて幸いにも知られずにいる。
「お前、ドン・ボンゴレになって何年経った。」
「2年。」
「だったらそろそろ腹括れ!」
「無理!!」
 ドン・ボンゴレこと沢田綱吉は、幼い少年の姿をした家庭教師であるリボーンを相手に、その臆病さを躊躇いなく発揮していた。
 ちょっくら集まりに顔を出して来い、とリボーンが言った。
 それが、いつものように身内とも呼べる同盟ファミリーの集まりなら簡単に綱吉も頷いたのだが、名前しか知らないようなマフィア達が大勢集まったパーティーに出席しろと言われたら気軽に頷けない。
 今までは何だかんだと未出席で許されていた。
 この地位に就いてから暫くは、新しい体制になった組織の不安定さを懸念して、そして綱吉の身の安全を考慮して、もはやボスが出なければどうしようもないという事態でもなければ、綱吉が表舞台に出る事などなかった。
 けれどそろそろ、もうボスを継いでから2年、引き篭もっているのはいい加減に終わりにしろというのがリボーンの意見だ。
 確かに他のファミリーに失礼な事をしている。
 ボンゴレはそれが許される立場だ。
 代理としてボスに次ぐ地位の守護者を出している。
 それで十分と言えば十分なのだが、ずっとは続けていられない。
 分かっているが、怖い。
 それが正直な綱吉の気持ちだ。
「もう今更ボスになりたくないなんて言わないけどさぁ…。」
「なりたくないも何も就任してんだよ。」
「でもせめてマフィアになんか積極的に関わりたくないよ…。」
「その世界にどっぷりな奴が何を寝言ほざいてんだ。」
「発言の自由くらい許してくれ…。」
「ダメツナの泣き言なんて聞くだけ無駄だ。黙って覚悟決めろ。」
 取り付く島もなく切り捨てられて、綱吉は書類に埋め尽くされた机の上に突っ伏した。
 マフィアの集まりはどんなものだろうか。
 過去の自分の継承式を思い出す。
 数多くのマフィアが集まった式典だったが、あの時は完全に別の事へ気を取られていて、どうも来賓に関しては記憶が薄い。
 それがいっそよかったのだろう。
 何事もなくマフィアに囲まれて堂々としていられる自信は正直ない。
「リボーンさん。10代目がこう仰っているのですから、いつものようにオレが出席を…。」
「テメェはテメェで甘やかしすぎなんだよ。」
 獄寺が申し出たが、同じように簡単に切り捨てられた。
 なおも話を続ければ懐から拳銃が出てくるだろう。
 今でも彼は最強の殺し屋だ。
 拳銃を扱う速度と精度は、出来ればこんな所で目にしたくない。
「だいたい、そんな場所に行ってオレに何しろって言うんだよ。」
「マフィア世界の勉強でもして来い。」
「嫌だな…。」
「ついでに、適当に媚び売ってくるだろう奴から直感で使えそうな奴を見繕って覚えてこい。」
「無茶苦茶な…。」
「人脈と情報は武器だ。超直感なんてたいそうな能力があるんだから、有効活用しない手はないだろうが。」
「オレとしては、こんな普通に勘としか言えないものに頼るの、微妙に怖いんだけどなぁ…。」
 その勘に頼った結果、今まで散々助けられたのは確か。
 けれど明確な何かがない不安定さは拭えない。
「だから経験積んで来いって言ってんだ。」
「………、どうしても行かなきゃダメ?」
「オレが行けって言ってんだ、当たり前だろう。」
「うぅ…、嫌だなぁ…。」
「10代目、ご安心を。オレも一緒に行きますから!」
「ありがとう、獄寺君…。」
 誰が一緒でも行きたくない、なんて泣き言は、何とか安心させようとしてくれている獄寺には失礼だろう。
 突っ伏したまま泣きそうな気持で弱々しく礼を言う。
 せめてもの救いはパーティーまで時間がある事だろうか。
 それともいっそこのまま無理矢理送り出された方がいいのだろうか。
 判断出来ないままぐったりとしていれば扉を叩く音が聞こえた。
 すぐに、オレだけど、と言う山本の声が聞こえた。
 ドン・ボンゴレの部屋は幹部クラス、主に守護者しか近寄れない。
 訪ねてくる人間なんてごく一部だ。
「どうぞー。」
「よう、ツナ。獄寺と小僧もここにいたのか。」
「10代目に何の用だ。」
「睨むなよ。邪魔しに来たんじゃなくて、仕事の報告書。」
「あ、お疲れさまー。」
 書類を数枚受け取り、綱吉はパラパラとめくる。
 また仕事が増えたなと思いつつ、親友が怪我もなく仕事を終えた事を嬉しく思っていれば、書類の枚数が多い事に気付いた。
 ホッチキスで止められた書類が2つ。
 首を傾げて見れば、それは開発班の報告書だった。
「ああ、それと、もう1つは入江から預かってきた物な。」
「正一さんから?」
 机に置いてある時計に目を向ける。
 そういえば開発班の現状について報告に来ると言っていた時間だ。
 書類だけでも平気と言えば平気なのだが、開発班責任者の正一は毎回律儀に自分で持って来て綱吉にちゃんと説明をしてくれる。
 専門用語が多く細かい事となると流石に知識が回らないので、そんな心遣いは本当に助かる。
 そんな正一が来ない。
 何かあったのだろうか、と不思議そうな視線を綱吉は山本に向けた。
「白蘭が来てるから手が離せないって頼まれてきたんだ。」
「ふーん…、えっ!?」
 軽い調子で山本が言うから、つい流されて綱吉も簡単に返事をして、けれどすぐにとんでもない事を言われたと気付く。
 白蘭が来ている。
 そんな事は初めて聞いた。
 どうして連絡がないんだ、と思ったが、そんなのは白蘭が何かしらの手段で勝手に入ったからとしか考えられない。
 もしかしたら警備について見直さないといけないのか。
 というかこれだから常識が通じない人の相手は嫌なんだ。
 頭が痛い、と思わず綱吉は頭を抱えた。
「入江に白蘭が来てるの伝えろって言われてたわ、そういや。」
「出来れば最初に聞きたかったというか、正直聞きたくなかった…。」
 同盟とはいえボンゴレとミルフィオーレの関係は微妙な位置にある。
 ボスの独断で決めた同盟だ、綱吉と白蘭の間には何の疑問もないが、それは部下達も同じかと聞かれたら綱吉は頷けない。
 それを白蘭も分かっている筈だ。
 分かっていて家主に挨拶もなく、おかげで綱吉は部下達に何の通達も出せないまま、その辺をほっつき歩くなんて。
「絶対に楽しんでいるだろう、あの人…。」
 正一も電話してくれればいいのにと綱吉は思った。
 でも多分白蘭に邪魔されているんだろうと容易に想像が出来た。
 山本に伝言を頼めただけ正一にしては上出来だ。
 しかも律儀に報告書付きで。
「まったくもう、あの人は…。」
「どうしますか?10代目のご命令とあれば排除しますが。」
「あはは、だったらオレも手伝うかな。」
「城が吹っ飛ぶからやめてお願い…。」
 泣きたくなる気持ちを抑えながら懇願する。
 この言葉が冗談ではなく実際に起きてしまう事なのが悲しい。
 そう思いながら重い腰を上げて綱吉は立ち上がる。
 正一が山本へ伝言を頼むのは阻止しなかったのだから、綱吉を困らせついでに呼び出すのが白蘭の目的だろう。
 無視したいが、無視し続けていれば問題が大きくなるだけだ。
 スーツの上着を獄寺から受け取り、今でも綱吉の最強の武器である、でも平常時は間が抜けている毛糸の手袋を内ポケットに入れる。
「ごめん、リボーン。さっきの話はまた後で。」
「仕方ねぇな。お前は少し白蘭を甘やかし過ぎじゃないか?」
「オレは正しい距離感だと思っているよ。」
「………、そうか。」
 小さく呟くとリボーンは部屋から出て行った。
 この件に関してはこれ以上口出しをするつもりはないらしい。
 一応それなりに信用してくれている家庭教師に心の中で礼を言った。
「獄寺君と山本もありがとう。仕事に戻って。」
「オレも一緒に行きましょうか?」
「大丈夫。白蘭の事は全面的にオレの責任だからね。」
 今こんな関係にあるのは綱吉の決定が原因。
 そしてその決定に踏み出したのは綱吉の我儘が原因。
 戦いたくはないが放置もしたくないという曖昧さの結果だ。
 だってもう、出来れば彼とは、2度と戦いたくない。
 何気なく綱吉は両手を見る。
 そうして10年前の戦いを思い出して無意識に顔を顰めた。
 綱吉のその様子に2人は気付き、獄寺がその両手をしっかりと握り、山本は少し乱暴にぐしゃぐしゃと綱吉の頭を撫でた。
 突然の事に綱吉は目を丸くする。
 そうして、慰められているんだ、という事に気付いた。
「ごめん…。」
「このくらい気にするなって。」
「てかテメェは何を10代目に軽々しく触れてんだ!!」
「頭を撫でたくらいで怒るなよ。」
「十分に怒るような事だ!!」
「………、だから城が吹っ飛ぶからやめてってば…。」
 今にも武器を構えそうな2人にため息交じりに綱吉は言う。
 けれどこれもきっと、普段通りの様子を見せて綱吉を安心させようとしているのだろう。
 心遣いは有り難かった。
 でもその物騒な雰囲気は本当にやめてほしかった。
 何とか2人を宥めて部屋から追い出し、落ち込んでいる暇もないよと肩を竦めて綱吉も正一の部屋に向かった。





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