カモミール 1



 マフィアの世界には長く支配者として立つ存在が1つある。
 組織の名前はボンゴレ、ボスは今代で10代目。
 古くから裏世界の頂点にあるボンゴレは、10代目のボスにまだ年若い東洋人の青年を選んだ。
 その事実はこの世界に生きる人間を随分と驚かせた。
 今もその立場と存在の異端さから青年は注目されている。
 そんな彼が少し前に驚きの決定を公表した。
 古くから裏世界の頂点に立つボンゴレファミリー。
 新しいながら急速に勢力を伸ばしたミルフィオーレファミリー。
 その2つが同盟を組むというものだった。
 公表された僅かな情報は瞬く間に裏世界で広まった。
 両ファミリーの性質は何もかも正反対。
 それが憶測に憶測を呼び、今となってはもう根も葉もない噂のような話が横行している。
 両ファミリーのボスが必要最低限しか語らないのだから仕方がない。
 どういう事なのかと大勢の人が話を聞こうとしたが。
 ドン・ボンゴレは、必要だったから、と言い。
 ドン・ミルフィオーレは、面白そうだったから、と言った。
 たったそれだけしか言わなかった。
 たったそれだけしか言えなかった。
 別に語ってもいいのだけれど、とドン・ミルフィオーレである白蘭は思っているのだが、話をしても相手が信じてくれなければ無駄な時間と労力を使うだけなので馬鹿らしい。
 切っ掛けを話しても信じてくれる人はほぼ皆無。
 そう言い切れる程に普通では信じられない事が重なった結果の同盟。
 話は数ヶ月前になる。
 白蘭は元々不思議な能力を持っていた。
 ここではない別の世界、いわゆる並行世界と呼ばれる数多くの世界に生きる自分と意識を共有する事が出来る能力だ。
 まず大抵の人間はここで白蘭の正気を疑うだろう。
 けれど白蘭がその能力を持っていたのは事実。
 実際にこの世界では実証されていない数多くの知識を持っている。
 必要があれば実証して見せてもいい。
 けれど安易に自分の手の内を見せるなんて、そんなつまらない事などしたくないので、見せびらかすような真似は結局していない。
 それに能力があったというのは数ヶ月前までの話だ。
 ある日を境に白蘭はその能力を失った。
 能力が消えたのか、ここで生きている自分以外の全ての自分が消えてしまったのか、今となっては確認のしようもないのだが、意識の共有が出来なくなった事だけは確かだった。
 原因は分からない、でも切っ掛けは知っている。
 能力が消えた事を実感する少し前に、別の世界を生きる1人の自分の意識が勝手に白蘭に流れてきた。
 彼は戦っていた。
 相手は少年だった。
 額と両手にオレンジ色の炎を灯した中学生程の少年。
 それは、彼の世界に約10年前からタイムトラベルで現れた、まだ幼いドン・ボンゴレの姿だった。
 彼の持っていた知識は勝手に流れ込んできて、その世界はボンゴレとミルフィオーレが戦争をしていた事、ミルフィオーレが優勢だった中で10年前のドン・ボンゴレとその守護者達が現れてからは戦況が変わって彼が自ら出向く羽目になった事、それを知った。
 戦争は戦況がひっくり返されたまま終わりを迎えた。
 そうして最後に彼が炎に呑まれて意識が消える。
 同時に白蘭へと勝手に流れてきた情報は途切れて、それと共に白蘭は他の自分の存在を感じる事が出来なくなった。
 数多く存在する自分の中のたった1人が消えただけだ。
 それでも彼の死は、彼の周りで起きた事は、白蘭の世界を閉ざした。
 正直寂しさを感じた。
 急に1人ぼっちになったような気持ちだった。
 けれどいつまでも寂しがってはいられない。
 白蘭の能力は努力によって得られた物ではなく元々持っていた物。
 きっとどう頑張っても戻って来る事はないだろうと、何となく直感で理解していた。
 だからこの先は1人で生きなければいけない。
 今まで他の世界の自分が持つ数多くの知識があったから、いつだって白蘭は情報において誰よりも優位だった。
 能力が消えた今、その優位さが簡単に覆される程度の情報量しかないわけではないが、いつまでもそれに頼るわけにもいかない。
 何とかしないとなとぼんやり考えた。
 白蘭は他の自分達よりも自分が不真面目である自覚があった。
 周りが世界を手に入れる事を目指して頑張る中、白蘭はそのうち他の誰かがその光景を見せてくれるだろうと、ミルフィオーレファミリーを作ったものの、それ以上の事はしなかった。
 けれど能力が消えた今、誰かが作る光景を見る事はもう出来ない。
 他を頼れなくなったのだから自分でやろうか。
 ちらりとそう考えたが、どうも気が乗らなかった。
 トゥリニセッテにも世界征服にも元々興味が薄かったので仕方ない。
 それならば、この狭い世界だけで生きていくしかないのなら、いっそ更に狭いマフィアの世界で人並みに足掻くのもいいかもしれない。
 そんな事を思っていた矢先に面白い事実を手に入れた。
 白蘭の世界を閉ざした原因である、別の世界の自分を倒した幼い頃のドン・ボンゴレは、今この世界を生きているドン・ボンゴレの10年前の姿だという事を。
 彼とその守護者は戦争を知っていた。
 そして何故か、飛ばされた先の未来で一緒に戦った仲間達の記憶が、本来ドン・ボンゴレが生きている時代を生きている、タイムトラベルも戦争も全くの無関係だった仲間達へ受け継がれている事も知った。
 随分と面白い事になったと白蘭は感動した。
 他の世界の自分を殺した相手ではあるが恨む気持ちはなかった。
 それなりに満足して消えた彼の気持ちに水を差したくはない。
 彼だって自分なのだから、多少性格の違いはあっても、敵討だなんてそんなつまらない事はまず望まないだろう。
 だからこの奇妙な繋がりを白蘭は純粋に楽しむ事にした。
 折角この狭い世界で不自由に生きていこうと思ったところだ。
 楽しむ為の道具は多い方がいい。
 この奇妙な繋がりも、裏世界に君臨するボンゴレの絶対的力も、折角あるのだから使わないなんて勿体ない。
 そうして白蘭はボンゴレに同盟を申し出た。
 記憶では少年だった青年は、最初は酷く警戒した様子で、でも最後は諦めたように、白蘭の申し出を受け入れた。
 この世界ではお互いに交流は皆無。
 けれど、命懸けで戦った記憶がある、それが妙な信頼を生んだ。
 青年は何処か自分を理解してくれている様子だった。
 白蘭も青年の事を理解して信じられる気がした。
 そうは言っても純粋な信頼関係ではない。
 ボンゴレは白蘭が何かおかしな事をすれば全力で潰してくるだろう、過去の悪夢はもう見たくない筈だ。
 逆に白蘭もボンゴレが期待外れだったら早々に切り捨てるつもりだ、役に立たない道具をいつまでも持っていたって仕方がない。
 利害の一致という言葉がとても似合う。
 それが崩れた瞬間は迷いなく戦うつもりだ。
 けれど、おそらく戦争が再び起こる事はないだろうな、という根拠のない妙な信頼で同盟は成り立った。
 傍から見ればファミリーの性質の違いから同盟は歪に見えて。
 実際にこんな話をしたら異常者か妄想癖で片付けられる。
 面倒だからやっぱり話さないのが利口だという結論に戻ってきた。
「ドン・ミルフィオーレ?」
 声をかけられて白蘭は視線を目の前に戻す。
 そこには少し不思議そうな顔をした男がいた。
 ミルフィオーレの人間ではなく、白蘭に面会を求めた別ファミリーのボスを担っている男だ。
 お互いに忙しいので面会時間は限られている。
 だから少し考え事をするだけのつもりだったのだが、思ったより長くなってしまったらしい。
 とりあえず分かりきっていた結論は出た。
 不審そうな顔をする男に白蘭はにこりと笑顔を作る。
「すみません。少し驚いてしまったもので。」
「そんなに驚くような事でしたか?」
「それは勿論。なにせ、ボンゴレを一緒に討とう、ですから。」
 白蘭の笑みにつられるように男も笑った。
 男は40代に差し掛かったくらいの年齢だろうか。
 背は高く体格はがっしりとしていて、目に見えて分かりやすい強さを表現していた。
 体格にはあまり恵まれなかった白蘭にとってわりと憧れる外見だ。
 それに男の目が印象的で、野心を含んでギラギラとしている雰囲気を隠さずにいるあたりがいい。
 男が従えるグリッジョファミリーは中規模程の組織で、特別有名ではないが無名でもない。
 その程度の位置にいるボスとしては悪くない印象だ。
 しかも随分と面白い発言をしてくれた。
 白蘭が口にした通り、ボンゴレと同盟を組んでいるミルフィオーレにボンゴレを倒す為の協力を要請してきたのだ。
 相当の策士なのか、ただの馬鹿なのか。
 どちらにしても使いようによってはとても楽しくなりそうだ。
 そんな気持ちをあまり表に出さないようにしながら白蘭は話を続けた。
「こちらがボンゴレと同盟関係にあるのはご存知ですよね?」
「それは勿論。一時はその話題で持ち切りでしたから。」
「このままボンゴレにこの情報を流すのが同盟ファミリーとして当然の行動だと思うのですが?」
「でも貴方はそうしないでしょう、ドン・ミルフィオーレ。」
 随分と確信を持った言い方だ。
 白蘭と男に接点は全くないのに、その自信は何なのか。
 少し考えれば白蘭には心当たりがあった。
 実際はどうか知らないが、白蘭は気紛れに情報を撒く事がある。
 何か面白い事が起こればいい、もしくは面白い獲物が釣れればいい、そう思いながら様々な情報を。
 ボンゴレに関しても怒られない程度に撒いた。
 餌が上等なので大物が釣れればいいなと思っていたが、もしその餌に引っ掛かったのなら、まあそれなりに面白そうな獲物が釣れた。
 ちらりと白蘭は後ろに護衛として立っている桔梗を見る。
 彼は白蘭の視線に小さく頷いた。
 これで明日にも本当に自分が撒いた情報で釣れたのか、それなら何の餌に引っ掛かったのか、調べが付くだろう。
 けれど他に確証を得られる何かがあったのかもしれない。
 もしそうならその情報は知っておきたい。
 白蘭は再び視線を男に戻した。
「根拠は?」
「貴方がただ大人しくボンゴレに膝を折るような器だとは、どうしても思えないのです。」
 男の言っている事は正しい。
 確かにミルフィオーレはボンゴレに敬意を持って接し信頼を得た他の同盟ファミリーとは違う。
 けれど敵というわけでもない。
 白蘭にとってドン・ボンゴレが酷くつまらない男になれば、その時は遠慮なく切り捨てるつもりだが、そうでなければ他人から見てどれだけ歪だろうと自分達なりに友好的にやっていくつもりだ。
 そしてドン・ボンゴレは今のところ白蘭の期待を裏切っていない。
 だから別にボンゴレを潰す理由なんて何もないのだけれど。
 もし目の前の男がドン・ボンゴレ以上に白蘭を楽しませてくれる力を持っているのなら協力してもいいと思う。
 世界征服もトゥリニセッテも興味はない。
 狭く不自由になったこの世界でどれだけ楽しめるかが今の興味の全て。
 楽しませてくれるなら相手は誰だっていい。
 今のところはドン・ボンゴレが1番楽しい相手だというだけで、別に彼でなければいけない理由なんて何もない。
 男がそれ以上の楽しさを見せてくれるなら彼だって構わないのだ。
「ドン・グリッジョ。確か貴方は何度かボンゴレと戦っている。今回の提案もその流れですか?」
「情けない事に、ボンゴレの若造には随分と邪魔をされている。それを鬱陶しく思っているのは我々だけではない。」
「彼はマフィアにしては酷く甘い人間ですからね。」
「そんな子供を頂点に据えたボンゴレは、もうその地位にいる資格などないと思いませんか?」
「確かに彼には似合わない。」
 白蘭は小さく声を立てて笑った。
 普段のドン・ボンゴレは何処にでもいるような青年だ。
 あれが裏世界の頂点にいるなんて普通なら考えられないだろう。
 ならば目の前の男がふさわしいかと聞かれれば、そうとは思わない。
 けれど誰が頂点にいようが、別にそんな事には何の興味もない白蘭にとってはどうでもいい話だ。
 全ての基準は自分が楽しいかどうか。
 ここでボンゴレと戦ったら楽しいだろうか、と白蘭は考える。
 ドン・ボンゴレにとっては悪夢のようだった戦争を、再び起こしたら一体どうなるのか。
 裏世界はどんな有様になり、ドン・グリッジョはどう動くのか。
 色々と考えた後に白蘭は頷いた。
「面白そうですね。是非とも詳しい話を聞かせてください。」





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