カモミール 11



 クロームは別の仕事の為に今はここにいない。
 こんな時に誰だよと思いながら獄寺が電話を取ろうとしたが、いいよと言って綱吉が取る。
 電話は正一からだった。
『開発班責任者、入江正一です。お話したい事があるので面会の時間を頂けないでしょうか。』
 普段とは雰囲気が違う、随分しっかりとした強い声が聞こえてきた。
 それを聞いて自然と綱吉の口元に笑みが浮かぶ。
 何かを期待していい、そう思わせる声だったからだ。
「大丈夫です、今すぐにでも来てください。」
『ありがとうございます。』
 短いやり取りで終わった電話を置いて綱吉は獄寺を呼び止める。
「獄寺君、正一さんが来るから護衛に言ってここまで通させて。それとキミはもう少しここにいて。」
「何かあったんですか?」
「あったと言うか、何かしたみたいだよ。」
 超直感など無関係に綱吉はそう感じた。
 もしかしたら白蘭が侵入したボンゴレのネットワーク内から、新しい可能性でも見つけてくれたのだろうか。
 そうだったら獄寺の助けになる。
 他の事でも正一なら無意味な報告なんて態々しに来ないだろう。
 先程獄寺が握り潰してしまった書類を伸ばし、簡単に机の上を片付けながら待っていれば、程なくして控えめなノックの音が聞こえてきた。
 どうぞ、と綱吉が言えば、失礼します、と返して正一は扉を開ける。
 随分と緊張した面持ちだった。
 獄寺にもリボーンにも気付いていないかのように、真っ直ぐに綱吉の所へと来る。
「報告します。」
 そう言うと同時に正一は綱吉に持っていた物を渡す。
 渡されたのは3つに纏められた紙の束。
「ミルフィオーレのネットワークにクラッキングしてきました。」
「………、え?」
 ぽかんと綱吉は目を丸くした。
 予想もしていなかった報告に、一瞬何を言われたか分からなかった。
 そろりと渡された紙の束を見る。
 どれも1枚目にはマフィアの名前が書かれていた。
 ミルフィオーレ、グリッジョ、ジャッロ。
 ちょうど先程の話に出ていた名前ばかり。
 これが偶然である筈がない。
「何で他のファミリーの名前が…。」
「ここ数日間、おそらくドン・ミルフィオーレが個人的に連絡を取っていたと思われる相手がグリッジョファミリー。ここはミルフィオーレとジャッロファミリーとの連絡が多かったので。」
「全部まとめてクラッキングしたと…。」
「はい。」
 頷く正一の何処か吹っ切れたような目を見て、綱吉はクロームから、白蘭と正一が少し話をした、という報告を受けていた事を思い出す。
 内容を聞いた綱吉の感想は、ちょっとした挑発だな、と思った。
 綱吉へ、白蘭を殺した記憶はあるか、と聞いた時と同じ。
 そしてどうやらその挑発を真正面から正一は受け取ったらしい。
 いつもなら出来る限りかわすか全力で逃げるかのどちらかなのに。
 今回は、本当に馬鹿正直に、白蘭の言葉を受け止めた。
 その結果が綱吉の手元にある報告書。
 覚悟を決めた正一は驚くくらい強い。
 戦える場所は限られてしまうが、その中でならばとても大胆で確かな強さを、普段の彼からは考えられないくらいに見せてくれる。
 分かっていた事だったが、それを改めて実感する。
 流石だな、と感心するが、今は感心してばかりはいられない。
「正一さん。これがどれだけ危ないか、分かってやりました?」
「………。」
 綱吉に尋ねられて正一は口を噤んだ。
「正一さんはずっと城にいるわけでも、外に出ればオレみたいに護衛が付くわけでもない。ボンゴレの仕業だと知られるだけならいいですが、もし正一さんが特定されれば狙われる事は十分にあるんですよ。」
 少しだけ逃げるように正一は視線を落とす。
 分かっていたかと聞かれれば、勿論分かった上でやった。
 自覚の足りなさは白蘭の一件で痛い程に実感したが、裏方でも自分はマフィアの人間で、相手にしているのもマフィア。
 この世界では人の命が時折信じられないくらい軽く扱われる。
 自分の身の危険は当然考えた。
 怖くなってやめようかと思ったのも本心だ。
 けれど結局は侵入を実行して情報を持って来た。
「正直、ドン・ミルフィオーレには、ばれる。」
 素直に正一はそう言った。
 ミルフィオーレのセキュリティが厳しい事は有名だ。
 ボンゴレと並ぶ程と言われているが、実際にはミルフィオーレの方が上だという事をつい先程実感してきた。
 少しどころかかなり無理をした部分もある。
 痕跡を全く残さないなんて無理だった。
 今夜中にも侵入されたとミルフィオーレの人間は気付くだろう。
「でも、ドン・ミルフィオーレじゃなきゃ、ばれない。」
「え?」
「綱吉君はあの人が敵になる事はないって、そう言ったよね。」
「ええ、確かに。」
「侵入した事はばれても、それがボクだと分かるのはあの人だけだと、他の人ではボクだと突き止められないと、その自信はある。」
 賭けをした、と言ってもいい。
 綱吉が、白蘭は敵ではないと、そう言った言葉を信じて。
 白蘭が、2人で喧嘩しようと、そう言った言葉を真に受けて。
 馬鹿みたいだと思いながら正一は賭けをした。
「あの人が敵じゃないなら、今でも綱吉君やボクとあの人の関係は何も変わっていないなら、ボクがした事だなんてあの人は誰にも言わない。だからボクがクラッキングしたなんて、絶対にばれない。」
 ミルフィオーレの体制がどうなっているかは知らない。
 けれど、あの面倒で訳の分からないセキュリティが突破された、その報告は必ず白蘭へと届く筈だ、あんな物を全て正確に理解出来る人間が白蘭以外にいるとは思えない。
 だったら正一を突き止められるのも白蘭だけの筈。
 訳が分からないなりに、相当の無茶はしたけれど、正一も出来る限り追跡されないよう仕掛けた。
 組織同士として見れば正一は本当にまずい事をした。
 でもこれはくだらない2人の喧嘩。
 組織なんか関係ない、白蘭が先に手を出して挑発をしてきた、それに馬鹿正直に正一が乗った、たったそれだけの話だ。
 白蘭が本当にその気なら、たったそれだけの話にする筈だ。
「グリッジョとジャッロの方は侵入さえばれない。だからあの人が何も言わず笑って終わらせればボクは平気だ。」
「でも、もし本当に敵だったら?」
「キミはそうならないって言った。ボクはそれを信じる、全力で。」
 完全に不安がないわけではないようで、それに耐えるようにぎゅっと強く両手を握り締め、表情は緊張の為か睨んでいるように見える。
 それでも真っ直ぐに信じると言う正一の言葉を疑うなんて出来ない。
 確かに全力だ、殆ど命懸けで、正一は綱吉を信じた。
 そうして同時に白蘭の事も。
 綱吉はその気持ちを受け止めて、思わず声をたてて笑い出した。
 今度は正一の方が驚いて目を丸くする。
 真剣な気持ちに対して悪いとは思うが、でも耐えられなかった。
「綱吉君…?」
「すみません…。だって、そんな事はないって言っていたのに、結局は正一さんも白蘭を信じているじゃないですか。」
「ボクが信じたのは綱吉君の事。後は売られた喧嘩を買っただけ。」
「普通は買いませんって。あれでもマフィアのボスですよ?」
「………、頭に血が上ったんだよ…。」
 きまりが悪そうに正一はそっぽを向く。
 その様子にますます綱吉は笑ってしまった。
 けれど笑ってばかりもいられない。
 込み上げてくる笑いを何とか抑えながら、正一が持って来た報告書を捲って簡単に目を通す。
 本当に重要な事は口頭か書面が多い。
 メールでのやり取りが印刷されているが、流石にここで決定的な事を伝えるような真似はしていない。
 けれど欠片を拾い集めていけば答えは1つしかない。
 特に白蘭からのメールは酷く、隠している振りをしながら証拠になりそうな文章を平気で送っている。
 どう考えても遊んでいる。
 そして確かに白蘭は彼らと一緒に動いている。
 ばれる筈がないと思っていたのか。
 ばれる事を前提にグリッジョとジャッロに対しても遊んでいるのか。
 おそらく後者だろう。
 きっと正一がこの情報を掴むと、そうなれば凄く面白いなと、そんな白蘭の気持ちが見える気がした。
 ぱらぱらと全てに目を通す。
 普通に考えれば、この報告書は白蘭がボンゴレに敵対したという事を裏付けるだけの物になる。
 これを読めば、先程大人しくさせた獄寺も、そして他の守護者達も、きっと白蘭への不信感を強くするだろう。
 けれど綱吉は満足そうだった。
「獄寺君。」
「はい。」
「会議をするから守護者を集めて、早急に。」
「分かりました。」
「リボーンはどうする?」
「つまんねぇ遊びに首を突っ込む趣味はねえよ。」
「それもそうか。」
「油断して足を掬われるんじゃないぞ。」
「分かっているよ。」
「どうだか。」
 獄寺は守護者達へと連絡をして、リボーンは部屋から出ていく。
 何だか急に慌ただしくなった。
 取り残された気分になっている正一の肩をぽんっと綱吉が叩く。
「綱吉君…?」
「ありがとう、正一さん。」
「え?」
「今はこれが1番欲しかった。」
 報告書を持った綱吉はとても晴れやかな顔をしていた。





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