加山雄三通り
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♪カヌーにトロッコ 野球場 鉛筆サックのロケットあそび
茅ヶ崎駅から俺んち経由 海に抜ける道 生まれた場所から たぶん死ぬまでひとすじ伸びた道 わんぱく坊主が駆けて来る 破れズックに夢つめこんで 海風 潮風 松林 拾った貝殻はポケットの中 カヌーにトロッコ 野球場 鉛筆サックのロケットあそび 茅ヶ崎駅から俺んち経由 海に抜ける道・・・♪ |
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ここが、俺の歌の中にもあるけど、茅ヶ崎市営球場。野球場ですよ。
トロッコをみんなで押し上げて、上からダ〜っと乗っかってくる。 |
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茅ヶ崎海岸
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茅ヶ崎駅を出発し、雄三通り、サザン通り商店街を抜け、いよいよ加山さん思いでの海、茅ヶ崎海岸へ。 |
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今日はいい波が立ってるよ、ほら。 ちょうど台風の後だべ。だから最高じゃん。ほらすげえいい波。ねえ、ここ結構いい波立つんだよ。 毎日、あの島に行ってたんだから、自分の作った舟でよ。毎日だよ。朝5時半頃起きてさ、にぎり飯を作って、一升瓶に水入れて、薪一束持って。 |
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サザエを獲って醤油と酒ちょっと垂らしてさ、そいで薪で焼いてそれで昼飯食うんだ。昔はさ、自由だったからね。今はそんなこと何も出来ないよ。 こんな急な坂になっちゃって、信じられないな。あそこまで泳いで行ったからな。足ヒレ付けて泳いで。烏帽子岩だけ変わらないな。昔のまんま。 |
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茅ヶ崎館
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ここに書いてあるでしょ。茅ヶ崎館っていう、この旅館がものすごく歴史があるの。古いです。若い頃からずっとある旅館だよね。料亭のような感じだねえ。すごい。
おじゃましま〜す。どうも、加山雄三です。 女将さん)いらっしゃいませ。 |
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長いこと住んでたけど僕は一回も来たことないと思うんでうけどね。 創業明治32年、都会の喧騒を忘れさせてくれる、静けさに包まれたこちらは、多くの著名人に愛された宿でもあります。その一人が映画監督の小津安二郎さん、決まってこちら「二番」のお部屋に泊まられたそうです。 女将さん)この八畳なんですけれども・・・。 僕が高校ぐらいのときから、よく(家に)来てたなあ、家に来ると「ビール、ビール」って酒ばっかり飲んでるんですね。家のお袋も親父も、御祖母ちゃんがね、親しくさせていただいて。 女将さん)初めていらっしゃったのは昭和12年でした。当館にいらっしゃったのは昭和12年。 えっ、12年!?僕の生まれた年だ! 女将さん)私が13年なんです。 ほう、一つ違いということは、二人同じ景色を見ながら育ってたんですね。 |
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これが、僕が高校生の時ですよ。もう何にも無くなっているでしょう。 女将さん)そうですね、砂防林として使ってたんですね。 そしてそこに植林したの、松を。今は見えないぐらい大きくなって。 女将さん)なりましたね、一杯になりましたけれど。 |
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古くから砂防林としての役割を担っていた海岸沿いの松林。ところが戦時中、薪にするためにとすべてが伐採されてしまいました。そして戦後茅ヶ崎を象徴する風景を取り戻そうとしたのが、加山さんや女将さん世代の子供たちだったんだそうです。 懐かしいやなあ。 女将さん)ちょっとひと風吹きますと一中には砂の山が出来ましたよ。覚えてます?シャベルとバケツ持ってまず勉強よりもお掃除でしたけど・・・。 それとね、火事覚えてます?学校焼けたんですよ、一回、中学校。 女将さん)そうでしたかねえ、私ちょっと・・・。理科室かなんか・・・。 そうそう燃えちゃったんですよ。 |
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2012年08月16日新設
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