(8) お互いをカバーし合えるのが相性
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人間の相性だけは、努力ではどうすることもできないものだ。その善し悪しは、
人知を超えたところで決められているような気がする。私たちは、二十余年一緒に 暮らしてみて、自分たちが相性のいい人間同士だということがよく分かり、そのこ とについては、ただただ天に感謝したい気持ちでいっぱいだ。 私たちが、お互いに一番助かったことは、どちらかが落ち込んでいれば、もう一 方がいい波動になっている。どちらかがオーバー・ヒートしていれば、もう一方が 冷静になっているというように、どちらかが必ずどちらかを支えることができたと いうことだ。何かあったときに、二人一緒に落ち込んだり、あわてふためくという ことがなかった。それが、結婚以来いくつもあった山や谷を私たちがなんとか乗り 越えてくることができた大きな理由なのかもしれない。 普段は多分にそそっかしいところのある私だが、主人が突っ走りすぎてトラブル を起こしたようなときには、おそろしく冷静になる。本当なら怒っていいような場 面で、「ねえ、あなたはどうするつもり?どうしたらよいかしらね」 私はものすごく冷静な声を出す。とにかく解決策を探すことが先なのだという判 断が先に立って、怒るどころではなくなるのだ。そういう私を前にすると、彼も頭 にのぼっていた血が下がるらしく、 「俺も、もう一度ちゃんと考えてみるよ。心配かけて悪かった」 落ち着いて物事を考えてみようという気になるらしい。 反対に、私が子育てに自信をなくしているようなときには、 「そんなこと、いちいち気にすることはないじゃないか」 という主人の強い一言が、どれだけ気持ちを救ってくれたか分からない。家とい う小さな世界の中で凝り固まっていた気持ちがいっぺんにほぐれて、考え方に余裕 ができるのだ。私は、そうやって主人の言葉に助けられて、何度も子育ての難局を 乗り切ることができた。 そのときそのときで、私たちは、相手に欠けているものを補い合い、励まし合っ て生きてきた。それが自然にできたところが、相性の相性たるゆえんだろうか。 だが、そういう私たちの相性にもウィーク・ポイントはある。多分にそそっかし い私に対して、主人も負けず劣らず、かなりそそっかしいのだ。タキシードに着替 えたのはいいけれどズック靴をはいたまま出かけたりしたこともあった。それにや っと気がついた私が大あわてで主人のあとを追いかけるというような場面は、これ からもなくなることはなさそうだ。 |
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10年02月18日新設
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