(6)年をとることをみつめ合う

「あなたこのごろ、お義父さまにそっくりになってきたわね」

「なんだよ。おまえこそ、だんだんお義母さんに似てきて」

 これは私たちの強力な殺し文句。これを言われると、私たちは、お互いにギャフ

ンとなってしまう。

 不思議なもので、人間というものは年をとればとるほど親に似てくる。そのくせ

、人にそう言われるのはとてもいやなのだ。

 部屋の電気をこまめに消してまわっているぼくを見て、女房が笑う。

「あなた、何しているの?」

「何って、もったいないじゃないか、誰もいないのに電気がつけっぱなしなんて。

この不況に節約しない手はないだろう。節約、節約」

 ところが、ぼくのほうは新しい事業を始めるにあたって、多額のお金を使ったば

かりだ。

「あんなに使っておいて、今さら電気代を倹約してもね」

 そう言ってから、彼女は溜め息まじりにこう続けるのだ。

「お義父さまによく似てきたわねえ」

 この一言で、ぼくも意地になって消してまわった部屋の電気をもう一度全部つけ

てまわる。

「俺は、おやじのようにケチではないぞ!」

”おやじ”の上原謙は、昔はなかなかのしまりやで、家族に、「トイレの紙を使い

すぎるな」と言ってみたり、それこそ部屋の電気を自分で消して歩くような人だっ

た。その姿を見て育った息子は、「俺は、絶対にああならない」と常に広言しては

ばからなかったのに、年をとってみると父親そっくりのことをしている。

「ああ、嫌だ嫌だ」

「親子よねえ」

 私たちは笑い合う。嫌だ嫌だと言いながら、私たちは、そこに暖かなものを感じ

ている。人間は、年をとれば、自分が紛れもなく親の子であったことを実感し、親

もこうして年をとっていったのだということに気づく。そうして自分が年をとると

いうことを、素直に受け入れることができるのだ。私たちは、自分だけではなく、

お互いが年をとっていくことを、そんなふうにみつめ合っている。

 妻が自分の母親にポンポンとものを言っているのを見れば、ぼくも思う。お義母

さんに似てきたなあと。

「やだ。似てないわよ」

 ぼくは、そんな妻や義母をいとしくながめているというのに妻は、認めようとし

ない。

10年01月14日新設