(55) 人を嫌だと思うのは自分の中に嫌な部分があるから
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人と会うことは苦にならないし、ぼくは好き嫌いの激しい性格でもないが、たくさん会う
うちには、ごくたまに、「この人、嫌な人だなあ」と感じることもある。 若いころは、それを相手のせいにしていた。相手のここが悪い、あそこがヘンだ、だから 自分はその人を好きになれないのだと、考えていた。しかし、年を重ねるにつれて、その考え も少しずつ変わり、自分がなぜその人を「嫌な人だ」と感じるかを考えるようになった。 そして、あれこれ考えるうちに、それは、自分の中に嫌な部分を持っているからではない かということに気がついた。相手のどこそこが嫌だと、マイナス面の感情にばかりこだわって いるのは自分であり、その感情から抜け出そうとしないのも自分、一番嫌な奴は、そうした自 分ではないか、原因は相手にあるのではなくて、自分にあるのだと思うようになった。 「よし、それなら、誰かを嫌だと感じても、それほどこだわることをやめてみよう。自分の気 持ちをコントロールしてみよう」 それからぼくは、自己流ながら、精神コントロールを心がけるようになった。 精神コントロールといっても、大層なことをするわけではない。誰かを嫌だと感じたら、そ の感情を抑えつけたりはせず、素直に受け止め、その後に、「どうして嫌だと思うのだろう」 と、自分に問いかけてみる。するとそこに、それまでの意識から一歩外に出た自分が生まれる ことになる。まず、こんなふうに、自分を客観視するくせをつけるようにしてみた。 自分を客観視できるようになると、だれかを嫌いだと思う感情も、冷静にながめることがで き、「なんだ。つまらないことを考えて、ばかばかしい」と、自分の感情も整理できる。それ ができるようになって、ぼくは、以前よりずっと楽な気持ちで人に接することができるように なった。 人を嫌って、いいことは何もない。その人に会えば気が重くなり、それを我慢するから精神 的にくたびれる。精神的な疲れは、ストレスとなってときには体をむしばむこともある。相手 もこちらの気持ちを察するから、お互いの関係がぎくしゃくし、それでまたストレスがたま る。人を嫌って得るものといったら、そういう悪循環だけだろう。 今のぼくが、そこから完全に無縁というのではない。たまにはやっぱり「あの人、ちょっと なあ」などと思ったりしている。しかし、これまた「人は全て鏡なり・・・」と思う。 この項終わり。 |
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11年09月29日新設
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