(52) ぼくにファン・クラブがない理由

 ぼくにはファン・クラブというものがない。そういうものは、作らないことにし

ている。

なぜならば、そうしたクラブの設定そのものが、ぼくにはどうも不自然に思えてな

らないからだ。

 ぼくあてにお手紙などを下さった方々については、そのお名前やご住所を事務所

のコンピュータに登録させていただき、何かお知らせすることがあれば、こちらか

ら連絡を差し上げることにしている。そういうことはしているが、会費を集めたり

規約を設けて運営するファン・クラブなるものは設けていない。

 ファンの方々に囲まれるのが嫌というわけではない。それどころか、みなさんに

囲まれて、「きゃあー」なんて騒がれるのは、嬉しい。しかし、どうしてもぼくは

ファン・クラブというものになじめない。

 こんなことを言っては申しわけないかもしれないが、ファン心理というものは、

移ろいやすい。初めは加山雄三を好きだと思って下さった気持ちが、時間とともに

変わってしまうこともあるだろう。

 それは、おやじを見ていて学んだことでもある。大衆の気分や支持がどう移ろっ

ていくか、ぼくは、おやじを通して目の当たりにした。移ろうことを責めているの

では毛頭ない。ファン心理とはそういうものだと思う。ファン・クラブには、その

心理の表れとして、人の出入りが必ずある。いったん入った人が、いつの間にか抜

けていく。そういうものなら、最初からファン・クラブは作らないほうがいいと、

ぼくは思った。

 ぼくは、夫婦にしても友達にしても、いったん築いた人間関係はずっとこわさず

に続けていきたいといつも願っている。せっかくの縁がこわれることをぼくは好ま

ない。ファン・クラブを作らないことにはそういうわけがある。

 ぼくの場合は、ファンの方々との交流は、コンサートかディナーショー、あるい

は講演でということになる。最近では、これにスキー場が加わって、交流の場が一

つ増えた。ファンの方には、この中から好きなときに好きなものを選んでいただき

たいと思っている。

 ぼくの歌を聞きたくなったら、コンサートかディナーショーに来ていただく。話

が聞きたいという気持ちがおありの方には、講演会場へ来ていただく。スキーがお

好きな方には、越後湯沢のスキー場に遊びに来ていただけたらと思う。

 これだったら、ファンの方々には自由にぼくを好きでいていただくことができる。

ぼくも、そういう形でファンの方々とふれ合いたい。会うのも別れるのもお互い自

由で、そのうえでお互いを愛し、思い合うことができる。無理なく自然につき合え

る形。ファンのみなさんのことを考えるとき、ぼくはいつもそう思う。

  この項終わり。

10年04月15日新設