(28) 親は教えることを教えられる存在

 映画「赤ひげ」(山本周五郎原作・一九六五年公開)に出演したことは、ぼくに

とって大きな節目となる出来事だった。それまで役者をしていることに迷いを感じ

ていたぼくは、黒澤明監督のもとで仕事ができたことで、迷いがふっ切れ、役者を

続ける決心ができた。

 このときのぼくの役回りは、三船敏郎さん演じる養生所の主”赤ひげ”のもとに

やってきた医者の卵。エリート・コースを歩いてきたものだから、貧乏にあえぐ患

者たちの本当の気持ちなど推し測ることもできないという若者の役だった。そこに

二木てるみさん扮する少女が登場し、この少女が心に負った深い傷を治そうとする

過程で、この若者は初めて人を思いやる心にめざめ、自分も成長していく。

 ぼくは、黒澤監督の映画にかける姿勢に感銘すると同時に、そこに描かれた人間

の姿勢にも深い感銘を覚えた。若者と少女は、助ける者と助けられる者としてでは

なく、試行錯誤をくり返しながら一緒に成長していく者同士として描かれている。

 この映画は撮影に一年以上もかかっている。ぼくは、その間ずっと役を演じなが

ら、人間は誰かが誰かを一方的に救ったり育てたりするのではなく、たとえぎくし

ゃくしながらでも、ともに学び成長していくものだと教えられた気がした。この体

験は、若かったぼくには貴重な出来事だった。

 それから何年かたち、家庭を持ってみて、ぼくはこのときと同じことに何度とな

く気づかされた。家庭も、みんなが一緒に育っていくものであり、親が一方的に子

供を育てているのではないということに気づいた。

 親は、子供にミルクを与え、服を着せ、学校へ通わせ、一生懸命子供を育てる。

その間に、親が学ぶことの、なんと多いことだろう。親は、子供を慈しむ心を学び

生命の大切さを知り、忍耐を覚え、たくさんの喜びや苦しみを味わう。親も、その

ようにして子供に多くのことを教えられ、人間として育てられていく。教えること

を教えられる存在が親だともいえる。

 家族は一緒に成長していく仲間。そう気がつくと、ぼくは、女房や子供たちが余

計にいとしいと感じられ、幼い子供の寝顔を見ていたりすると、自分の子供であり

ながら、彼らが何か大きな意志のはからいによってぼくの仲間になるためにやって

きた存在のように思え、感動さえ覚えた。

 今もなお家族とともに成長している。そう考えると、ふと、自分がなんだかまだ

あの医者の卵のままでいるような気がすることがある。

  この項終わり。

10年08月05日新設