【工房主人の編集日録】                トップページに戻る

【復活・ボロ酔い日記

(2006年)
7月29日(土)
●部屋の片付け、一週間かけやっと終了(どの部屋も本と新聞と資料で雑然とし、読みたい本が出てこなくて、半日探しもの、という日が続き、イライラもピークだった。本箱を三つほど買い込んで、徹底的な改造を始めた次第)●10年間、一度も使いもしない画材、すべて処分し、せいせいした。

7月30日(日)
●新小岩、Yさんの奥さんの遺作展へ。幻想的な画風。草から紙を漉き、それに絵を載せていた小品に惹かれた。(ワタクシもジイさんになったら紙漉きでもやるかな)。●夜、Yさんと少し。かえってご迷惑をかけてしまいました。

8月1日(火)
●春樹論後半部、執筆本格的に開始。まずは『海辺のカフカ』から。構成はおおよそ頭にできている。●大江健三郎初期作品読み始める。

8月4日(金)
井崎正敏さん『倫理としてのメディア』(NTT出版)の出版を祝う会へ。取材のため遅れて参加。小浜さん、竹田さん、小川さんの姿も見える。(ご挨拶をしておかなければならない人が何名かいたが、つい失礼してしまう)●二次会はカラオケ。徹夜を覚悟。井崎さんと径書房のHさんと、井崎さんの学生1名、そしてワタクシで新宿へ。途中から馬鹿が一人紛れ込んできて、最悪の事態へ。朝方、原因不明のダウン。貧血状態になる。(実は昨日から降圧剤を服用し始めており、その影響かと少しビビル。)

8月6日(日)

●金曜の疲れが抜けていないが、しょーと・ぴーすの会に参加。『不安型ナショナリズムの時代』をテクストとし、著者の高原基彰さんをゲストに招く。開始前会場の件で少しごたごたしてしまう。●ワタクシの感想。従来型のナショナリズムの概念は、歴史を縦に切り結んでいくための装置、あるいは或る人物の行動や思想を垂直に掘り下げるための装置だった。ところが高原氏のそれは、むしろ横に網をかけるためのツールとなっている。この大きな違いを感じたことが一点。●韓国、中国への分析はどこまで先端にあるかは分からないが、団塊とニート世代を結んで見せた現状分析はなかなかのものだと思う。つまりこれはニート世代からのリアルタイムの発言・分析なのであり、そこがオッサンたちの「若者よ、何がニーとだ、働け、大人になれ」式の類書との決定的な違いだと思う。当然ワタクシは本書を強く支持する。







(2005年)
10月2日(日)
●月刊「健康保険」誌の原稿、仕上げ、Y先生へファックス。 土曜日までに終えるつもりの連載原稿だったが,この日までずれ込む。●しょーと・ぴーすの会、2回続けての欠席となる。申し訳ないが、今の状態では仕事以外の本にまで関心をむける精神的な余裕も、物理的な余裕にもない。●「春樹論」も思ったよりも進行に手間取っている。というか、執筆領域がどんどん広がり、ハンディキャップ問題以外のこの30年間の総まとめのようなかたちになってきている。

10月7日(金)
●青山学院短期大学にて、1時間半の特別授業。テーマはハンディキャップ問題。「養護学校」を少し話題にするがうまく話せなかった。思想として「養護学校」をどう語るか、とつい欲張りすぎたせいもある。●終了後の感想を読むと、ハンディキャップ問題についてのポイントは、ちゃんと聞いていてくれていることが分かり、ひと安心。

10月9日(日)
●「村上春樹論」関係でオウムの元信者Iさんへの取材インタビューを、仕事場にて行う。終了後、食事をしながら話す。●帰宅すると朝日新聞大阪本社の司法記者クラブのI記者よりメールあり。「寝屋川事件」についての取材協力の要請。●少し前、この事件についての記事を読み、被告となった少年が起訴前の鑑定で「広汎性発達障害」の診断を受けたこと、それについての杉山登志郎氏のコメントを付すなどしており、こんなふうに丁寧に報道してくれるようになったのかと感じていた矢先、ちょうどその記事を書いた記者からの連絡だった。18日に2回目の公判があるとのこと。すぐに取材を承諾。

10月10日(月)
●村上春樹関係、Iさんの取材談話のテープ起こしを始める。●市役所の福祉関係の仕事をする松戸のOさんという人よりメールがあり、内輪の講演会・学習会のスーパーバイズの依頼。(2月10日に決定)。場所は足立区の北千住にて。●健康保険誌に原稿を送付。

10月12日(水)
●Iさんへテープ起こし原稿を送付す。●春樹関係『ノルウェイの森』についての執筆に取り掛かる。

10月17日(月)
●『ノルウェイの森』についての論、とりあえず終える。折口、上田秋成に触れようかとも思ったが、あまり長くしても、と考えて断念。ひとまとめしたのを機に、PHP新書の編集者Hさんへ、これまで書きまとめた原稿を送付し、目を通してもらうことにする。そうとうに詰まってきており、この辺で第三者の目を入れ、頭を冷やす必要ありと感じる。。

10月18日(火)
●朝、新幹線にて大阪へ向かう。朝日の記者たちとワタクシ四人ほどで、傍聴券の抽選のために並ぶ。ワタクシ、ハズレ。キャップのNさんが当たりくじを引いてくれ、無事入手。1時半より公判。被告人尋問。自閉性のハンディをもつ少年らしい応え方や、問いへの確認の仕方が随所に伺える。被害者の遺族の姿も見える。●夕食を記者たちと。大阪泊。

10月19日(水)
●朝より事件の舞台となった寝屋川へ向かう。土地勘がまったくなく、JRで寝屋川に行ってしまう。中心は京阪寝屋川駅のほうだった。しかしこれがかえって幸いする。バスで京阪寝屋川駅に向かう途中、市役所があり、そこで下車し市役所へ。寝屋川市に関する資料(歴史、産業、人口構成ほか)を集められるだけ集める。●しかも事件となった小学校まで、市役所から徒歩で五分ほどだった。学校の回りをあまりウロツクと不審者と間違われるだろうから、ととなりのうどん屋へ入る。少年も事件の直前、うどん屋に入っている。しかしこの店ではなく、もう一軒別の店だった。そこでも情報収集。パートのおばさん(おばさんといっても30代半ばくらい)の子どもが、その学校の児童だった。亡くなった先生がどれくらい子どもたちに信頼されていたか、直接聞くことができた。最初の取材にしては収穫が大。

10月21日(金)
●青山短大で2回目の特別授業。この日は「自閉症」について。できるだけ具体例を話したこと、学生たちの関心も高かったことなどもあり、よく聞いてくれていた。この日も清水先生と昼食。●昼食後、その足で練馬美術館へ向かう。練馬駅より西武線に乗り、中村橋で下車し、徒歩五分ほどで練馬美術館に着く。佐伯祐三展をみる。感無量だった。昔、佐伯のナマの絵をどうしても観たくて、銀座のギャラリーや都内の美術館を駈けずり回ったことがあった。その佐伯を懐かしく観たが、あの激しいタッチの絵は、やはり感銘も深いものがあった。佐伯のお墓は大阪中区にある。こんど訪ねてみたい。

10月24日(月)
●「図書新聞」に書評原稿送る。高岡健さんの『自閉症スペクトラム』について6枚ほど。

10月25日(火)
●明日の講演のため、午前中、羽田に向かい、1時の飛行機で、北海道・伊達紋別へ。「太陽の園」の施設長さんより当地のお話を伺い、伊達市が早くよりハンディをもつ人たちと地域で暮らす取り組みに関わっていること、地域福祉に対して早くから実績のある土地であることを知る。凄いところに来てしまった、と思うも、ここでの取り組みは全国にもっと発信される必要があるとも感じた。ハンディをもつ人、高齢者、そうした人たちにとっての地域での暮らし。そのモデルケースになるはず、と。

10月26日(水)
●午後より講演。講演者が三人おり、その最後。終了が5時半ごろで、千歳発7時の飛行機で帰京。

10月27日(木)
●これまで取り溜め、少しずつテープを起こしていた老年科医、吉岡充氏へのインタビュー、まとめに取り掛かる。吉岡先生のお話を整理し、質問・意見を加えている作業のなか、高齢者問題に対してまだまだ不勉強と取材の不足を痛感す。村上春樹論の後、この仕事をまとめようか、と考えていたが、もう少し先になりそう。

10月30日(日)
●インタビュー集、いちおう4章構成とし、まとめ終える。分量が250枚ほどで、一冊分とするには、まだ量が不足しているが、取りあえず吉岡氏に送付し、「書き込み」をお願いす。



9月2日(金)
●大阪の支援団体より講演の依頼。前回の講演者は滝川一廣さんとのこと。こちらの開催日は11月26日(土)。会の詳細は下記に。

9月3日(土)
●所用のため帰省。(5日まで)。いとこ総勢30名ほど集まる。初めて会う人も。●翌日高校時代の友人五名集結する。もう一人揃えば全員集合となるが、この一人とは連絡がつかなくなっている。

9月7日(水)
●『健康保険』誌へ原稿送付。『別冊宝島Real』も25日締め切りなので取材旅行に出かける前に粗稿を作っておきたいと気合を入れて執筆。

9月9日(金)
●『健康保険』誌の編集者Mさんとその上司Kさん(彼は樹が陣営の執筆者でもある)の御誘いで暑気払いを。東京八重洲口の焼き鳥屋で待ち合わせ、8時前にKさん馴染みの銀座へ。諸々の話し、仕事の話等など。

9月15日(木)
●かつて職場でお世話になったNさんと熊野へ。Nさんは退職校長で、日本のみならず世界各地を旅行している。また詩集や歌集をもつ詩人・歌人でもある。旅程の作成や切符の手配などすべてNさんにお任せしての旅。●朝9時の飛行機にて白浜へ飛び、白浜からバスで近露へ。近露には近露王子があり熊野古道中辺路のほぼまん中に位置する。民宿へ到着後、宿の主人に継桜王子まで車で運んでもらい、そこから一時間ほどの道をのんびり近露に向かって歩く。近露を通り過ぎ、さらに牛馬童子までさらに小一時間ほど歩く。帰路も徒歩で。

9月16日(金)
●熊野二日目。近露からバスで熊野本宮を越え湯の峰温泉へ。湯の峰温泉は小栗判官の伝説を残す日本最古の温泉とされる。「つぼ湯」という露天風呂があり、宿に荷物を預けるや、Nさんの強い勧めでまずは「つぼ湯」に入る。それから山越え(大日越え)の熊野古道を本宮まで一時間半ほど歩く。湯上りのため、滅茶苦茶バテるも何とか歩き通す。きつかったがいい道である。旧社地のあった大斎原(1889年の洪水ため現在地へ移築)を通り11時40分ごろ熊野本宮着。社殿までの階段が結構きつい。●昼食に、醤油で味付けした炊き込み御飯を、塩漬けの高菜で巻いた「めはり寿司」を食べる。午後、本宮から発心門王子まで7キロほど歩く予定だったが、二人とも疲労激しく断念。ビールを飲み、そのままのんびり本宮界隈で休憩。バスで湯の峰へ戻る。●宿は高級老舗旅館。風呂も温泉も大変よい。温泉通のNさんに言わせても、これほどの温泉は滅多にないとのこと。夕食は食べきれないほどの品数。すべて温泉の湯で調理されているとのことで、湯豆腐など確かに美味い。それにも増して驚いたのは焼酎の温泉割り。これはびっくりするほどうまかった。

9月17日(土)
●熊野三日目。早朝のバスで新宮へ(1時間20分ほど)。新宮はご存じ佐藤春夫・中上健次両文豪生誕の地。まずは徒歩で熊野速玉大社へ。社殿自体は新しいが、宝物殿が素晴らしいと知らず、ついサボって入らずじまい。残念!●佐藤春夫記念館へ入る。春夫老が実際に使っていた建物を移築したものでそれほど大きくはない。自作の詩の朗読テープが流れる中を見学。●新宮から電車で那智勝浦に行き、バスで那智大社まで。那智の滝を初めて目の前にし、圧倒されて言葉なし。30分ほどぼんやりと過ごしたあと青岸渡寺へ。西国霊場の一番で多くの参拝者がある。そして隣の那智大社へ。●3時過ぎにバスで那智勝浦に戻り、美味い魚を食べようと食事の場所を探す。ちょうど宵祭りの日で、若い衆が山伏修験者の出で立ち集まっている。やっと一軒の店を探し出し、マグロ、鯨などを肴に電車の時間までビール。●Nさんはそのまま名古屋へ行き、新幹線で帰宅。当方は伊勢に向かうため途中下車。Nさんには感謝の言葉なし。伊勢到着が夜七時ごろ。

9月18日(日)
●7時ごろホテルを出て内宮(ないくう)へバスで向かう。バスを降りると「猿田彦神社」という看板が目に入り、まずはそちらへ。そして内宮へ。日曜ということもあってか、団体客とカップルと観光客。そうかここは一大観光地だったのかと今さらながら納得す。●小一時間ほどで次の外宮(げくう)へ。バスを待つも道路の混雑が激しくなかなか来ない。4キロほどの道のりならと思い歩き始めるが、旅も四日目となるとさすがに体力を消耗している。途中でとうとう日和ってしまい、通りかかったタクシーを拾って外宮へ。内宮よりも小さい。しかしどちらも警備は厳重だった。撮影禁止地域でカメラを出すと、すぐに警備員が跳んできて注意している。●伊勢の駅に戻った時にはまだ昼前。予約した名古屋発の新幹線の時刻までどう過ごすか算段し、松坂へ途中下車することに決める。●本居宣長の鈴屋と記念館が松坂城公園内にあり、徒歩で向かう。記念館はなかなかよかった。そこでぼんやりと一時間ほど過ごす。●宣長さんは医者ではあったが、学問の徒としてはシロウトで、賀茂真淵との出会いで古事記研究を決意。時に35歳。以降、手紙で教えを請いながら勉学を進め、『古事記伝』の終稿が72歳。今でいう民俗学のようなことも研究している。●記念館の職員に宣長さんと長男春庭のお骨を分骨した寺の場所を聞き、そちらへ向かう。本居宣長の宮はすぐに見つかるが、寺を探すのに一苦労。探し当てて墓地に入ってからお墓を探すのに再び手間取る。秋分の日の前でお墓の掃除に来ている人が数人いたが、皆知らない。ある人は一緒に探してくれ、やっと見つける。●松坂市内には宣長さん所縁の場所がいくつかあり、再び訪れることを決意し、名古屋へ。名古屋発19時24分の新幹線で帰京す。

9月20日(火)
●東京都通所施設の職員の方々をお相手に代々木にて二時間ほど講演。時間が足りなくなり、後半部分端折ってしまう。終了後のアンケートに、後半の話を聞きたかったという声が複数あり反省。●また午後のジンポジウムはむしろこちらが勉強をさせてもらった。迂闊にも「通勤寮」の現状はまったくしらなかった。その通勤寮が「障害者自立支援法」以後は廃止になるという。取材の必要を強く感じた次第。●終了後懇談会。

9月27日(火)
●『別冊宝島Real』へ原稿送付。山本譲司さんには「報道の問題を」と伝えてあったが、考えた末触法障害者の「贖罪・更生」についての内容となる。

9月28日(水)
●午後の飛行機で札幌へ。5時ごろホテルに到着。交流の夕食会に誘われ、顔を出すと『自閉症裁判』で取材をさせていただいた小樽のMさんの姿もある。8時過ぎ部屋に戻る。

9月29日(木)
●9時より1時間半ほど講演。事件のこと、障害観のことなど話す。●終了後、主催者の方々より触法者の現状やこれまでの取り組みを話してもらい、現場がどんな条件の中で取り組んできたか、その大変さを改めて実感す。●懇談の中でも再三出てきたことだが、触法の人びとへの取り組みを続けてきた現場はある。そしてまだまだあるはずである。どんな取り組みをしているか、情報流通の必要を痛感。そのパイプ役に慣れればと痛感す。●春樹論、9月中には脱稿を、などと書いたが、とにかく時間が取れない。

 

知的障害のある人の「支援と関係性」を考える連続講座T

●11月26日(土)午後2時〜  大阪市立東淀川勤労者センター(地下鉄御堂筋線「新大阪」・JR「新大阪」下車 東出口より東南に徒歩5分)
浅草事件の背景には何があったのか、周りの人との関係を紡ぐことが不得手な「自閉症」青年による殺人事件から、「支援と関係性」の本質が逆照射されてくる・・

■第一部 講演 午後二時〜三時
佐藤幹夫(フリージャーナリスト)
  
浅草レッサーパンダ事件を扱った『自閉症裁判』(洋泉社)の著者・批評誌『樹が陣営』主宰。1953年生まれ。
自閉症裁判の初のリーディングケースとして位置づけられる浅草女子短大生(レッサーパンダ帽)殺人事件はなぜ、単なる「凶悪な通り魔」殺人事件として処理されてしまったのか?――四年に及ぶ徹底取材を経て、司法・ 教育・福祉・司法精神医学が問わずにきた重要課題を明らかにする問題作(「自閉症裁判」の帯より)


■第二部 トークの場 三時半〜五時
本書のなかで佐藤幹夫さんは「私たちが望む安全で安心できる社会とはなにか。そのとき私たちが分け持たなくてはならない責任をどう考えたよいのか」と問題を投げかけています。
この「事件」を積極的に受け止めることは、日々私たちが葛藤している「支援と関係性」を問うことにつながるのではないでしょうか。パネラー(EPOの現場から、当事者から)も参加者も、平場で共に生きる社会とはなにか? 現場の問題や悩みを出し合いながら…しゃべりましょう!

                                                         
●参加費:2500円 ●定員:一〇〇名 ●申込先:ファックス06-6320-6068・メール LEL00217@nifty.com 
●主催:障害者と支援者をつなぐNPO法人エンパワメント・プランニング協会 (EPO)大阪市東淀川区西淡路2-3-4 電話06-6324-1133
●共催:大阪府総合福祉協会 ●後援:大阪知的障害者育成会 ●ファックス・メールにてお申込みを!先着順、定員になり参加不可能の方へのみ返信します)

●支援と関係性を考えるEPO連続講座 
社会的事件に加害者や被害者として巻き込まれる知的障害者の具体事例をもとに、その心の世界を学び、社会との軋轢にともなう混乱や挫折を乗り越えるための具体的な支援のあり方、支援者の関わりや役割を考える。また既存の社会制度が知的障害者を包括していない現状を明らかにし、知的障害者が社会の成員として当たり前に暮らしていけるようにするために提起されるものはなにか、支援者として共通の認識を創りあいたい。 第一回として「『自閉症裁判』をめぐって」、その後に知的障害者と「司法」「権利擁護法制」「心理」(順未定)などを予定。現場の支援者が、従来の「福祉」にはなかった新たな視点を「支援」の中身に位置づけられることを!



7月11日(月)
●『そだちの科学』第五号原稿締め切り。「浅草・レッサーパンダ事件」の裁判を振り返っての内容で20枚ほど書いて送る。●雑誌「健康保険」誌に連載中の「高齢者医療・介護の現場から」の取材のため、老年科医のY先生を尋ね、インタビュー取材。

7月14日(木)
●この日もY先生にインタビュー。二時間以上お付き合いしていただく。場所が築地のため、終了後、うまそうな寿司屋を探して食事をとるも、うまいんだか普通なんだかよく分からなかった。●インタビューを簡単にまとめたあと、再び春樹論執筆に頭をリセットしようとするがうまくいかない。

7月16日(土)
●サポート研という東京・神奈川を中心とした福祉関係者の会があり、Mさん主宰の公開研究会に招かれる。滝川一廣さんへの「公開インタビュー」。内容は自閉症・アスペルガーのさまざまな問題をどうとらえるかが中心。●終了後、打ち上げ。久しぶりに滝川さんとゆっくり歓談。

7月21日(木)
●『別冊宝島Real』より原稿依頼あり。編集長のIさんと会い、内容の詰めと確認。触法障害者の原稿、私のもの一本だけではインパクトが弱いのでぜひ山本譲司さんの原稿も一緒にと依頼。承諾してもらう。●青土社より岸田秀さん対談集『日本人はどこへ行く』送られる。

7月25日(月)
●鳥取県の養護学校にて講演のため、この日出発。新幹線から姫路でスーパーはくとに乗り換え、夕方4時過ぎに到着。●夕食に山陰地方の名産岩牡蠣やら蟹やら賞味す。無論お酒は控えめに。

7月26日(火)
●午後より講演。終了後打ち上げ。自閉症の問題、もう少し丁寧に話したかったができず、残念。●今回の拙著に福祉の関係者は敏感に反応してくれているが、学校関係者は今ひとつという印象があるなかで、鳥取のこの学校は卒業後の問題についても積極的な関心を示してくれた点が心強い。養護学校の現場、いま色々と大変だろうことは察せられるが、それにしても鈍すぎないか。他人事ではないと思うのだが。●打ち上げ後、二次会三次会とお誘いを受け、つい甘えるままにお付き合いする。皆さんは翌日大丈夫だったろうか。

7月27日(水)
●出雲取材一日目。春樹論のテーマが定まったとき出雲と伊勢、熊野へゆく、できれば四国へもという考えがひらめいた。なぜかはできあがった本に何らかのかたちで現われるはずである。●午後、出雲到着。早めにホテルに入り、少し休憩の後、市内を回る。出雲、松江をどう効率的に攻めるか、研究。●さすがにこの日は酒なし。

7月28日(木)
●早朝、出雲大社へ。なるほどこれが出雲大社かと実感。早い時刻のため人がおらず、ゆっくりと参拝す。案内書のような所があり、若い職員にいろいろ話を聞く。つい取材のようになってしまうが、面倒がらずに対応してくれる。●大社の隣りに「出雲教」と大きな看板をもつ古式ゆかしい社家があったが、これがなんであるか。新興宗教の本部でもなさそうだし、見たとき不思議に思っていたが、それを教えてくれた。出雲国造家(こくそうけ)はかつて千家、北島両家が交代で務めていた。それが明治維新以降、千家のみが務めることとなったのだという。むしろ古式は北島家に残っているとも。●午後、松江へ移動。すぐにバスで山代方墳、風土記の丘資料館などのある山代の郷を訪ねる。土地の名が「八雲立つ」の八雲町。松江は「神々の国」であると実感。茶臼山を見ながら資料館から山代の郷を歩き、八重垣神社へ。さらに神魂(かもす)神社へと足を伸ばす。10年程前におびただしい銅剣が発見された荒神谷古墳群や、出雲大社よりも古いとされる熊野神社は残念ながら素通りとなる。●タクシーで六所神社から武内神社へ。どの神社も風格があることおびただしい。武内神社へ向かう途中、急に空が真っ暗になり、激しい雷雨。到着したときには激しい雨と共にバリバリという雷の音が真近かでしている。松江市内に戻ったら雨など降っておらず道路も全く濡れていない。傘もさせないほどの雷雨は何だったのか。神々の歓迎だったかなどとついあらぬことを感じ入る。●松江は古寺が当時のままで残っておらず、京都、奈良のような保存がなされていないために平凡な一地方都市となっているが、少し回っただけで京都・奈良に劣らない古代の要所だったことが分かる。古代史という観点からもっと注目されてもよいところだと思う。松江泊。●この日、下の娘、ニュー時ランドへ1ヵ月ホームステイのため出発。

7月29日(金)
●タクシーで、賣布(めふ)神社、佐太神社へ。美保神社へも足を向けたかったが時間がなく、断念。タクシーの運転手さんは中年の女性だったが、当方の神社めぐりを不思議がりながらも、参拝中はメーターを下ろして待っていてくれるなど3時間ほど付き合ってもらう。●午後松江発。岡山で新幹線に乗り継ぐも、トラブルのため指定券が使えなくなり、一本後の電車に乗車。神戸で新幹線を降りて春樹氏ゆかりの地を散策するつもりだったが、急ぎの仕事が入り断念。そのまま帰宅。

8月1日
●取材に出る前に準備していた『健康保険』誌への原稿を送付す。●春樹論執筆、再び本格化。これまで書き溜めていた原稿のうち、文芸批評的な部分の多くを削除し(ほぼ100枚ほど没にする)、方向をはっきりと宗教関係と定め、再構成した上改めて書き始める。(8月いっぱいほとんど家を出ず、外で酒も飲まず、オクサン以外とは話をしない引きこもり生活の始まり)。●ある月刊誌編集部のYさんより電話。触法の障害者をテーマとした座談会を企画しており、内容、人選についての相談をとのこと。

8月7日(日)
●宇都宮事件の集会のため宇都宮へ。山本譲司さんと待ち合わせて会場へ行く。人間学アカデミーHPの管理人のSさん、研究会でご一緒するKさんの姿も。共生舎の岩渕進さんとも久しぶりにお会いす。「いい仕事をしたな、佐藤」と言っていただき、感無量。●二次会で盛り上がり、新幹線に間に合わず。山本さんの知り合いの深見史さん、手塚愛一郎さんご両名のお宅へ一宿一飯の恩義を受ける。二人はオウム真理教信者たちの住民票不受理をめぐる支援者として行政やマスコミと闘った当事者であった。「多くの知識人に支援を呼びかけたが、誰一人として応えなかった」と深見さん。「この国の知識人には絶望した」とも。そうした二人の話から刺激を受けること大であった。●二人の共著『悪魔のお前たちに人権はない!〜学校に行けなかった「麻原彰晃の子」たち』(社会評論社)と深見さんの著書『通訳の必要はありません』までいただいて帰路へ。(翌日より再び引きこもり生活始まる。)

8月20日(土)
●東松山市のある支援団体より講演の依頼。「障害と何か」を中心に話をしてほしいとのこと。期日を調整し2月18日となる。

8月28日(日)
●北海道伊達市の施設より講演の依頼。こちらは触法関係を主題とし、10月26日。

8月30日
●『こころの科学』123号、鈴木彰典さんよりいただく。鈴木さん、「こころの現場より・養護学校」というコーナーの連載をはじめており、その第一回目が掲載されている。

8月31日(水)
●装丁家のMさん、編集者のOさん、ライターのIさんなどと千葉・市川にて暑気払い。T書房のYさんも途中から加わる。蕎麦屋ではあるが刺身もいきがいいし他の料理も手が込んでいて美味。OさんIさん日本酒を飲んでいてとても美味そうに見える。当方は翌日の仕事を考えて我慢し焼酎を。●この日まで執筆と並行して五来重、宮家準、末木文美士、堀一郎、桜井徳太郎、村山修一、鎌田東二などの各宗教民俗学・神道学の先生たちの著作を引っ張り出し、再読。再読と言っても前に読んだのが二〇年以上も昔ことだからほとんど初読と同様。折口先生の全集も読み始める。●春樹論、なんとか9月中には脱稿したいが、作品解読、元宗教信者たちへの取材、記紀神話研究の再読など、まだまだやらなくてはならないことは山積している。



4月25日 樹が陣営29号執筆者

T (シリーズ人間学アカデミー)人間はどこまで自由か
小浜逸郎―責任論2
長谷川三千子―自由という謎2
浜田寿美男―『私』はどこまで自由か2
滝川一廣―親であることの責任1

U (小特集)セクハラについて
佐藤通雅・・・セクハラ論の入り口まで
赤田圭亮・・・無菌化する学校
・阿久津斎木・・・男女共同参画社会で暮らすために

中山順子・・・セクシャル・ハラスメントから見えてくること
苅田日出美・・・セクシャルハラスメント〈セクハラ〉が内包しているジェンダーという怪物

V 新シリーズ<吉本思想>との再見
添田馨・・・吉本隆明 論争のクロニクル(2)
中山勉・・・詩人としての論争家(1)‐吉本隆明の「聖痕」
・根本義明・・・吉本隆明論を読む(1)勢古浩爾著『生きていくのに大切な言葉・吉本隆明74語』(二見書房)
・佐藤幹夫―[漱石的主題]と吉本隆明


W 本を読む
井崎正敏―『自由』という根拠、『義』の責任・佐伯啓思著『自由とは何か』(講談社現代新書)
内海新祐―[つながり」にアラートな臨床家の肖像・滝川一廣著『新しい思春期像と精神療法』(金剛出版)
・夏木智―「良き大人」になるための創造的提案・小浜逸郎著『正しい大人化計画』(ちくま新書)
水島英巳―下方からの祝福・河津聖恵著『青の太陽』(思潮社)
・林幸司―ふたりの女性へのレクイエム・佐藤幹夫著『自閉症裁判』(洋泉社)

X 連載
・浦上真二・・・古書会読11
・近藤洋太・・・戦後思想私記2‐三島由紀夫ノート
・勢古浩爾・・・石原吉郎(7)
・由紀草一・・・平和を語る作法・2
・山内修・・・病床から・その3
・斎藤祐・・・<文学>の記憶1・今どき「小説家」であるということ・阿部和重著『グランドフィナーレ』(新潮社)
・倉本有子・・・日本から発信する知的障害者支援―スペシャルオリンピックの視点から

12月23日 (10/22)山形新幹線にて長井市へ。赤湯に着こうというところで地震あり新幹線徐行(中越地震)。まさかあれほどの大惨事とは。ともあれ2日間の日程、無事終了。
(10/25)秋田県にて取材。浅草事件関係で被害者遺族へ。たいへんにつらい取材だった。
(11/19)『創』最終回原稿送付。
(11/21)しょーとぴーすの会。滝川さんのテキストのため、学生などをふくめ30人以上集まる。
(11/26)浅草事件の判決公判へ。「無期懲役」の判決が下される。終了後浅草事件現場へ。帰宅して後、『創』へ追加原稿を急ぎ書き、送る。
(11/28)神奈川の施設関係者「サポート研」の主宰によるシンポジウムへ。1時間半ほど話す。
(12/3)副島さんに同行し、秩父へ夜祭見学。埼玉の施設関係者及び、上山病院の吉岡先生を紹介していただく。
(12/11)副島弁護士主宰の浅草事件の総括集会へ。高岡健さんの講演など。終了後二次会、三次会へ。
(12/17)青山学院短大へ特別講師。終了後学生より感想を。これくらいよく聞いていてくれれば、と安心。後浅草へ最後の取材。夜は、健康保険連合会にて近藤洋太さんほか編集部の松本さんなどと食事。
(12/19)浅草事件関係の共生舎リーダー岩渕進むさんへ最後の取材。
(12/23)『レッサーパンダ帽の男』脱稿。ページ調整のため、10ページ分ほど削除。これで終了。後はゲラ校が出てからの作業。

2005年の予定
・1〜3月を目途に『村上春樹論』PHP新書用に執筆。
・四月より『健康保険』にて1年間、「老いと死」をテーマに毎回14枚ほどの連載開始予定。
・予定よりもうんとずれてしまうが「樹が陣営」29号、四月ごろに刊行。

10月23日 (9/29)『刑法三九条は削除せよ!』の見本できる。小川さんと副島さんの事務所に行き、手渡し、少し歓談。その後神保町に戻り、同時期発売の『大人になれないまま成熟するために』の著者金原瑞人さん、その編集を担当した今野哲男さんら4人で打ち上げ。
(10/3)久しぶりに我孫子養護の青年学級へ。主だったメンバーがきている。夜、元同僚、SさんTさんと湖北にて呑む。
(10/4)浅草事件の被害者Oさんのお宅へ伺う。
(10/6)副島さんの事務所で山本譲司さんらと『シェルター開設準備』の打ち合わせ。ホームレス支援をしている池田幸代さんらと合流し懇親会。浅草事件執筆のためにホームレスの取材も必要だったのでグッドタイミング。
(10/8)「教育と医学」誌に原稿送付(20枚)。夜、山本譲司さんの新潮ドキュメント賞授賞式に、小川さんと参加。柳美里さん(選考委員)、日垣隆氏(同時受賞)、新潮45の編集者にゴアイサツを(笑)。二次会、小川さん、副島さんのほか『創』の篠田さん、北海道テレビのG君に加え、『セックスボランティア』の著者河合香織さんまで巻き込んで四谷へ。
(10/11)師匠の披露パーティー。西尾幹二さん、橋爪さんなど参列。装丁家の間村さんも。結局朝まで自由が丘で呑む。
(10/13)「現代詩手帖」と「創」へ原稿送付。「現代詩手帖」は今回を最終回にしてもらう。「創」の原稿は「裁判の章」としたが、また長くなってしまう。送付後、村瀬さんの新著『宮崎駿の〈深み〉へ』(平凡社新書)を読む。放ってある「ドラゴンボール論」をまた書きたい意欲が湧いてきた、そのような刺激的な新著だった。
(10/18)ポットの沢辺さんに表紙の内容を沿え、依頼。
(10/19)池田さんの紹介で、飯田橋にあるホームレスの支援団体「もやい」へ取材。
(10/21)23日に山形県の長井でおこなわれる講演会のレジュメをファックスにておくる。


9月20日 (8/12)現代詩手帖へ原稿送付。日頃感じていた「新聞」という素材への問題意識を中心にすえた短評となる。
(8/13)小浜逸郎さんへ「責任論」の起こし原稿を送付。
(8/23)浅草事件公判、最終弁論。
(8/24)滝川一廣さんのテープ起こし原稿を送付。当初のインタビュー、そうとうかたちを変えてしまう。これは滝川さん、怒るかなと心配。
(8/29)浜田寿美男さんの起こし原稿送付。やはり、浜田さんが困ってしまうだろう原稿を作ってしまう。(浜田さん、滝川さん、ごめんなさい。なんとかよろしくお願いします)。
(9/2)浅草事件取材のため上野より特急寝台で札幌へ。
(9/6)帰宅。
(9/8)長谷川三千子さん、高岡健さんへゲラ校送付す。
(9/12)山元さんのテープ起こし終了し、送付。終了後、「しょーと・ぴーすの会」へ。朝までんだくれてしまいました。
(9/14)近所の図書館へ行き、当時の新聞を読み返したり、浅草事件関係の資料をコピー。
(9/17)青山学院短大へ行き、清水真砂子さんの授業で「特別講義」。「障害」とはなにか。どう考えるべきか。「支援」とは、などなど。85分の予定だったがなんとか終わる。まあまあの反応ではなかったかとか、学生はまったくのビギナーなので、もっと具体的な例をあげてもよかったのではないか、とかあれこれ反省。ともあれなんとなくコツをつかんだような気になる。終了後、清水さんより昼食をご馳走になり、又『ゲド戦記』を全巻いただく。ありがとうございました。
このあとは10月に山形で。これも90分くらい話さなくてはならない。担当のHさんに無理をいって、前日に出かけ、当日午前中見学させていただくことに。
(9/18)『創』11月号用の原稿、佐藤の分と山元さんへ(Y被告の元担任)のインタビュー原稿の2本送る。第二回目分の原稿執筆に取り掛かる。裁判とY被告の成育史が中心テーマとなる予定。

9月7日
(変更版)
28号の全体構成と執筆予定者(今後変更がが出るかも知れません。タイトルはすべて仮題です)



8月8日 「嵐」のごとき7月をやっとき切りぬけました。
7月10日、人間学アカデミ―のシンポジウム。訳あって、ここまで身動きできない状態が続いていた。(結果、7月4日の、櫻田淳さんをお招きしてのしょーと・ぴーすの会も欠席を余儀なくされた)。仕事は素晴らしく山積しており、10日以降、ドトーの如く仕事の鬼となった次第。その様子の一端を下記に。
(7/13)現代詩手帖連載原稿、送付。東京新聞Oさんより『セックスボランティア』の書評依頼あり。800字にて、とのこと。
(7/23)高岡健さん、次号掲載のため五反田にてインタビュー。人格障害論とアスペルガー障害についてが中心。きわめて明晰明快なインタビュー。
(7/26)浅草事件、被害者ご両親Oさん宅を訪問し、お話を。2時間ほど、いろいろと思い出していただきながら聞き取る。
(7/27)「そだちの科学」用の原稿、脱稿し、おくる。30枚ほど。栃木県の某施設を素材とし、紹介を兼ね、取り組みについて分析と考察を加える。
(7/28)「創」編集長と四谷にて。11月号、12月号に二回連載で浅草事件を取り上げたいとのことで、30枚ほどの原稿執筆の依頼。あわせて被告の元担任であるYさんと、高岡氏のインタビューも掲載との許可有。グッドタイミング。
(7/29)高岡さんに、インタビューの起こし原稿、送付。「これはプロの仕事だ」と高岡さん。お世辞と知りつつも嬉しい。
(7/30)副島洋明さんの事務所にて洋泉社新書「刑法三九条」のインタビュー。3時間ほど話していただく。終了後「共愛会事件」関係の打ち合わせと、関係者のHさんを紹介される。
(7/31)樹が陣営次号用のため、滝川さんにインタビュー。2時間ほど。別件で、「教育と医学」誌の原稿執筆を紹介してもらう。
(8/1)副島さんのインタビュー、処遇論と訴訟能力の鑑定等を中心に30枚ほどにまとめ、ファックスにておくる。
(8/4)『教育と医学』より正式依頼あり。テーマは「障害児の人権をどうとらえ、どう守るか」とのこと。洋泉社新書「刑法三九条」用の原稿40枚、脱稿し、送る。編集部長Oさんより「大変よろしい」との感想。西船橋にて、「三九条」の進行状況と以後の段取りの確認、全体の構成をどうするかなど、話す。
(8/5)札幌のYさんへ、取材依頼。(9月2、3日に札幌へ)
(8/6)東村山にて精神科医の富田三樹生氏へ樹が陣営次号用のインタビュー。内容は「医療観察法」について。なるほど、こういう矛盾があったのか、と深く納得。戦後の精神医療の施策をテーマにもう一度予定しているが、こちらに余力があるかどうか。

8月以降の予定。
・8月・・現代詩手帖連載。小浜さん、滝川さん、浜田さん、富田さんのテープ起こし。(浅草事件の公判、最終弁論、共同通信のSさんよりレクチャーを受けながら浅草の取材など、浅草事件関係の取材、本各化。)洋泉社新書「三九条」、著者校正他、編集作業。
・9月・・札幌へ取材。現代詩手帖連載原稿、「創」原稿とインタビューの執筆。札幌へ取材。清水真砂子さんより依頼のあった青山学院短大にて「特別講義」の一回目。
・10月・・現代詩手帖連載。「教育と医学」誌へ執筆。「創」二回目原稿執筆。山形県長井市にて講演。「浅草事件」の単行本化を目指し執筆。樹が陣営発行予定。

2月27日 ちょっと収拾がつかなくなりかけているが・・・
(1/21)「現代詩手帖」Tさんより書評連載の依頼あり。ヤマのようにやらなくてはいけないことがあるのに、これ以上仕事を増やすことができるかどうか、逡巡。
(1/24)樹が陣営次号の企画内容、ほぼ決まる。一つは「小谷野敦を読んでみる」というコンセプトで。若い書き手に依頼す。
(1/27)浅草事件公判傍聴。証人は簡易鑑定医米元医師。簡易鑑定にはそうとう問題ありと再度感じる。(「現代詩手帖」の仕事を引き受けると決める。夏までには仕上げたい村上春樹論のリハビリを兼ねて。加藤典洋氏の著作二冊送ってもらう。)
(2/2)長谷川三千子氏、人間学アカデミー講義のテープ起こし終了。思索のスケールの広さ、大きさ。これはなかなかのものだと痛感しながらの作業だった。
(2/5)神奈川県橋本市にある医療少年院見学。
(2/13)浅草事件被害者のご両親Oさんに取材。なんとご両親とも私と同郷であるばかりか、お父さんは高校の先輩、お母さんの弟さんは私と同期。再び浅からぬ縁を感じるも、しかし私は真っ二つに引き裂かれる。引き裂かれたことをそのまま提示するしかないだろうとあれこれ構想を。モチベーションが一気に高まる。
(2/16)「現代詩手帖」一回目原稿送付。小谷野敦『反=文芸評論』を取り上げる。この間、小谷野氏の著作を読み続けており、氏がきわめて本格的な文学者・知識人であることを確認。なかでも漱石論は特に優れている(次回は加藤氏の著作を取り上げる予定。その準備のため現代文学を読み始めている。手始めは芥川賞受賞作)。
(2/20)浅草事件公判傍聴。最終被告人尋問。若い女性検察官そうとう踏み込んだ質問。Oさんのお母さんより「千の風にのって」のCDを。帰宅後繰り返し聴く。訳詩・作曲は作家の新井満氏。
(2/24)
文藝別冊吉本特集号到着。未知の若手が何名か執筆しており関心をそそられる。阿部和重『シンセミア』読了。驚愕。この作家はちょっと凄い。
(2/26)樹が陣営次号掲載予定の滝川氏の「自閉症論」一回目のテープ起こし終え、送付す。滝川自閉症論も相当なもの。この日呉智英氏に急遽インタビュー依頼。樹が陣営次号、四〇代知識人について、何が「断絶」となっているのかなどなど。私も四十代のある方と往復書簡を予定しており(この人は大変優秀)、いわば小谷野氏のコーナーと併せ、当方の問題意識を立体的にという意図でのインタビュー。
(2/27)頭がザワザワしているのでちょっと整理。@樹が陣営の準備(小谷野氏ご本人にもなんとかご登場願いたい)。A現代詩手帖の執筆準備(加藤氏著作と文学作品を読む)B浅草事件取材と資料整理。構想。C人間学アカデミー講義のテープ起こし。・・・これら4本を同時進行させているが、収拾がつかなくなりかけているかも(笑)。阿部和重『インディビジュアル・プロジェクション』読了。やはり驚愕。
1月17日 発送、終了
(1/11)しょーと・ぴーすの会。司会なるも遅刻す。由紀さん、ゴメン。二次会にて大酔っ払い。駅に向かう際、滝川さんに助けられていた記憶あり。滝川さん、スミマセンでした。
(1/12)終日、宛名がき、住所のスタンプ、振込用紙など発送と購読案内の業務。
(1/13)購読案内終え、宅配さんに持っていってもらったところで、重大なミスを発見。「3号分予約300円 4号分予約400円」となっている。読んでも、まあ間違いはしないだろうとも思ったが、やはり回収。一日の仕事がおじゃんに。ときどき、こういうことがある。
(1/14)気を取り直して、購読案内を修正し宅配にまわす。印刷の港洋社のSさん、わざわざ樹が陣営26号を届けてくれる。感謝。とにかくやれるところまでと、先に夕食をつくり、娘とオクさんに食べさせ、夜、宅配便が取りに来るまで袋詰め作業に没頭。
(1/15)予約者の分、確認するも、洩れがないかと不安。事務整理が雑になっていると深く反省す。午前中、定期購読者,執筆者への発送終了。午後P出版へ行き、小浜さんSさんと打ち合わせ。小浜さん、一足先に帰り、Sさんと二人で食事。編集業について、貴重なアドバイスをいくつか。
(1/16)書店発送、あらかた終わるも結局1週間かかってしまった。(この日の注文で、23号、とうとう品切れに
1月10日
やっと来ましたお正月
(12/28)『別冊文藝』掲載インタビュー第一弾。勢古浩爾さんと御茶ノ水にてお会いす。2時間半ほど。終了後、Oさんに誘われ吉本家忘年会へ。吉本さんとホンの少しだけ話す。帰宅後、テープ起こし始める。
(12/30)西さんとの対談本『哲学は何の役に立つのか』の見本、届く。うれし。
(1/1)元旦なし。終日勢古さんのインタビューのテープ起こし。
(1/2)
テープ起こし終了し、勢古さんに送る。全部で80枚ほどになる。終了後、呉智英さんに、ファックスにてレジュメ送付。インタビューの内容を少し相談。呉さんの話したいこととワタクシの聞きたいことの8割が重なっている。
(1/4)河出にて呉智英さんにインタビュー。終了後、呉智英さんと話しながら新宿まで歩く。「樹が陣営」の話になり、若干赤字ですが9割がたはなんとか回収できていると言うと「それはすごい、経営手腕がある」と驚いている。しかし赤字はなんとしてでも回避しなくては。帰宅して後、少し仕事。テープ起こしにとりかかる前に、依頼のあった吉本さん関連の原稿を先に書き始める。遠慮せず書こうと腹を決める。
(1/5)
樹が陣営26号、最終編集終了(ぴったんこ196ページに収まり、ほっとする)、プリントアウト。写真、カットの貼り付けを終え夜には宅配に回す。ひとつ片付く。沢辺さんより表紙、届く。紫の地に濃い青の文字。この色使いはワタクシにはとてもできない。レイアウトもさすが。
(1/6)勢古さんより1校目届く。遥かに面白くなっている。ワタクシも図に乗って少しボケを加える。吉本原稿終了し、「別冊文藝」Oさんに送付。呉智英さんのインタビューの起こし、始める。最初に構想していた講演形式をインタビュー形式に変更。樹が陣営印刷の港洋社Sさんへ「目次」メールにて送付。
(1/8)勢古さんより2校目。字句を統一し、誤植を確認し、編集部におくる。すぐに「たいへん面白かった、期待以上のできでした」と返信入る。まずはひと安心。せっかくだからタイトル発表しちまおう。「偏愛こそ最強である――路地裏からの吉本談義」とす(なんとなく「勢古浩爾」が髣髴としません?)。港洋社Sさんより、本文ほか特に問題なしという連絡。こちらもほっとひと息。
(1/9)呉智英さんのテープ起こし、終了。枚数、ややオーバーするも、なんとかまとめる。厳しい吉本読解になったが編集のAさんに送付。しゅうりょう!終了!シューリョー! やっと来ましたお正月。みなさま明けましておめでとうございます。本年も、よろしくご愛顧のほどお願いします。・・・と思っていたら、小浜さんよりTelあり。アカデミー4期についての相談。西さんとの本の感想など。

[年頭に当ってここだけの所感/「走れ!走り続けよ」]
◆樹が陣営26号執筆の「犯罪報道論」(ある仕掛けを施しておいたので是非お楽しみに)、もう二章を加えて夏までにはまとめたい。ハンディキャップ問題の社会的側面の照射。某新書と約束してある村上春樹関係の原稿、夏から秋にかけて一気に。少しでも「売れる文芸物」にするために切り口をどうするか。「浅草レッサーパンダ帽事件」の公判もそろそろ終盤。構想が少しづつできてきており、こちらも年内には。その他、中途のままになっている「自閉症論」もあり◆さらに無謀にも「樹が陣営」年三回発行の体制をつくりたい。1月5月9月を刊行月とし、9月は総特集を。5月(28号)の構想はできておりあとは実現するのみ。予定どおり承諾を得られれば、あっと驚く号に。9月(29号)これまで取り組んできた精神医療、司法精神医学、社会の精神医学化の問題の集大成的な号にしたい。すでに数人の精神科医にインタビューの内諾を得ている。こちらも実現に向けてひたすら依頼、依頼、また依頼◆これが全部できたら3〜5年分の仕事を一気にしてしまうことになるが・・・命短し走れやオヤジ、である。乞うご期待。

12月21日 うれし楽しや怒涛の年末年始へ。
・(11/26)『別冊文芸』より吉本さんの特集の原稿依頼あり。フリー編集者のOさん、編集・企画の協力をしており、そのご縁で。
(11/30)洋泉社より1月発売の、西さんとの対話集『哲学は何の役に立つのか』の帯びコピーと表2の広告文、作成終了。今回はいつになく早くOKが出る。この日より近くの図書館にこもって「樹が陣営」原稿用の資料収集を始める。予想外に時間がかかりそう。
(12/8)「樹が陣営」26号、残念ながら12月刊行は無理と判明。それならとイラク情勢についての原稿を佐伯啓思さん櫻田淳さんに期間が短いのを承知で依頼す。アメリカから見た日本のイラク派遣についてのリポートを宗近さんにも。無理は承知ですがなんとか、と。
・(12/13)ゲラ校、ほぼ返送さる。黒岩さんよりも次号用の写真とどく。
・(12/15)佐伯さん櫻田さん宗近さんよりともに承諾を得る。感謝この上なし。名古屋のOさんより滝川さんの資料届く。感謝。
・(12/16)浅草事件公判傍聴。証人は精神科医の高岡健氏。弁護人にとっては完璧と言ってよいような隙のない証言に終始。自閉症とアスペルガー障害に関するレクチャーのような感さえあり、裁判長まで(珍しく?)身を乗り出して聞いていた。前回の公判で、被害者のご両親へ拙著をお渡しし取材のお願いをしてあったのだが、この日許諾をいただく。感謝この上なし。高岡さんへもアスペルガーの問題や「責任能力」他についてインタビューの依頼をし、承諾をいただく。
・(12/17)夜、PHPへ。編集のHさんと櫻田さんに企画について依頼。ちくま新書を脱稿したばかりだったが、前向きに考えましょうと櫻田さん。終了後、食事。櫻田さん、変わらず意気軒昂なり。
・(12/18)雑誌『健康保険』より依頼されていた原稿「精神保健福祉『改革』の向こうにあるもの」30枚、少し足を出したが送付す。午後、河出書房のAさんと船橋にて。『別冊文芸』で吉本さんの特集の編集の協力を、とのこと。勢古浩爾さん、呉智英さんにインタビューをという方向に話が。ところがなんと締め切りが1月20日と1ヵ月もない。お二人に頼み込むしかないと腹を決める。
・(12/19)勢古さんより承諾の連絡。感謝。
・(12/20)『健康保険』誌の編集のMさんよりゲラ校送付。原稿に添えて拙著の写真と書評まであり。(小浜さんアカデミー講義、最終回)
・(12/21)呉智英さんよりTelあり。インタビュー、なんとか承諾してもらう。感謝この上なし。「樹が陣営」の原稿はひとまず置き、『文芸』用の原稿執筆とインタビューの準備を明日より始める。年末年始のひと月で「樹が陣営」の編集と、『文芸』用の原稿とインタビュー、すべて同時進行なり。


11月24日 ●原稿、続々到着。
・(11/15)i工房へ。故・Y君のお母さんと少し話す。主催者であるEさんより障害者用のパソコンの話を聞きたかったが、ならず。
・(11/16)早朝、内海さん、渋井さんより原稿入る。滝川さんに『健康保険』誌より依頼のあった原稿のための取材。終えてから「しょーと・ぴーすの会」。
・(11/17)小浜さんより原稿(一校)はいる。感想述べる。橋爪さん原稿を、渋井さんへゲラ校をそれぞれ送付す。
・(11/19)富田三樹生氏へ取材。富田氏は『精神病院の底流』『東大病院精神科の30年』(ともに青弓社)の著作をもつ精神科医。この七月に可決された「心身喪失者等医療観察法案」への危惧、怒りが真っ先に。取材後、できれば樹が陣営次号に、その全体を掲載したい旨依頼す。終了の後、取材先病院の心理士として勤務するKさんに病院内を案内してもらう。
・(11/21)「言・哲の会」。小浜さんに参加を強く勧められるも、書き始めた原稿がまとまらず、欠席。
・(11/22)人間学アカデミ−、橋爪さん最終回。終了後、打ち上げ。(由紀さん、原稿締め切りの確認不徹底のため今回パスしてもらう。深謝)。内海さんより2校目、入る。
・(11/23)小浜さんより2校目、入る。さすが、きっちりとまとめなおしている。夜、電話にてアカデミ‐の今後について、少し相談。
・(11/24)依頼原稿書き上げる。編集部意向と、おそらく温度差あり。了承確認のため滝川氏、富田氏、kさんへ送付。小浜さん、内海さんへゲラ校送付。次号の構想、少し。
11月15日 ●橋爪大三郎さんインタビュー終了
・(11/7)精神医療関係の取材、さすがに思うようにはすすまない。近隣の病院に取材を申し込むも断られる。その他関係者へも押しかけ依頼をするが、見ず知らずの人間が警戒されるのは当然。
・(11/8)阿久津斎木さんより原稿届く。コンパクトではあるがきっちりと問題の所在をまとめている好論文。午後、人間学アカデミ―橋爪さん講義2回目。さすがに面白い。(人間学アカデミー掲示板参照)。
・(11/9)岸田さんへ最終ゲラ校、阿久津さんへもゲラ校送付す。
・(11/10)福祉施設関係者とともに久里浜の少年院を見学。京浜急行久里浜駅よりタクシーで10分ほど。少年院法(刑訴法の少年版)なるものもとづいた少年院の目的、種類などの説明を受ける。この20年ほどの子どもたちの大きな変化として、たいへんにおとなしくなっており、@見栄を張りたい、目立ちたいA一人ではなにもできない、この2点につきるとのこと。院内でのトラブルもほとんどないとのこと。終了後感想会。
・(11/12)取材を兼ねて読み進めていた野村進氏の『救急精神病棟』読了。相当な力作。千葉にて、舞踏家一鷲さんとお会いす。哲学者の鷲田清一さんなどともイベントをやっているとのこと。ご本人「舞踏」とは少し違うと言う。
・(11/13)朝日紙朝刊に「相次ぐ少女の連れ去り」との見出しで特集記事あり。これに想を得て、樹が次号の原稿をと思い立つ。午後、東工大にて橋爪大三郎さんに1時間半ほどインタビュー。終了後、「金融関係」についての取材。
・(11/14)西研さんとの対話集二校目ゲラの校正。橋爪さんのインタビューのテープ起こし。故Y君のお母さんよりファックス入り、彼が関わっていた小規模作業所「i工房」の作品展の案内あり。明日出かけてみるつもり。

11月5日 ●「精神医療の現在」取材開始
・(10/25)都内某病院にて臨床心理士として勤務するKさんへ取材。
・(10/26)西研さんとの対話集の「あとがき」を書き、送付す。
・(10/29)橋爪さん『永遠の吉本隆明』の見本でき、洋泉社へ。その足で装丁家・間村俊一さんの個展へ(原宿)。間村さん不在。残念。そのまま東工大へ行き、橋爪さんとお会いす。樹が陣営次号用のインタビューのお願いなど。
・(10/30)岸田さんインタビューのテープ起こしを終了し、送付する。追加の質問を多く加えてしまう。
・(11/1)人間学アカデミー橋爪さん「アメリカ論」講義始まる。終了後小浜さんほか7名ほどで歓談。山内さんよりゲラ校いただく。赤入れ多く、二校を。
・(11/2)浅草事件関係者による滝川一廣さんの会へ。滝川さんの自閉症論、遊戯療法論など。言語治療の話も出る。持っていた滝川さんのインタビュー集、拙著、完売。滝川さんの積極的な活動を望む声が多く出て、ファンがまた増える。嬉しくもあり、ワタクシのせいで滝川さんのお仕事を増やしてしまったとちょっと複雑。
・(11/4)浅草事件公判を傍聴。証人は精神鑑定医。争点の1−被告Yが精神遅滞という診断で了解可能であるかどうかをめぐるもの。争点の2−被告人の資料(成育史、詩文、被告人の公判での発言、これまでの証言者の発言等)の心理的背景にどこまで踏み込んでの診断であるか、その妥当性をめぐるもの。この日初めて、被害者Oさんののお母さんへ拙著をお渡しし、取材の依頼をする。

10月24日 ●岸田秀さんへのインタビュー、無事終了。
 23日午後、世田谷の閑静な住宅街の一画にあるご自宅にお邪魔する。テーマはずばり「性」について。岸田唯幻論のおさらいをしながら、日ごろワタクシが感じている問いを遠慮なくぶつける。今回は「概論」。シラフだったのがちょっと残念。今日からテープ起こしに。
 ところで、ここは工房主人が学生時代に住んでいた所と目と鼻の先。銭湯に行くとき、食事に行くときなど、通った道。インタビュー終了後、昔住んでいたアパートを探したところ、なんとかたどり着くことができた。帰路、散歩中の岸田さんとばったり。
・西研さんとの対話集、ゲラ校正。ここに至るまで、いろいろと西さんにはご無理を願ったが、もう少し。
・樹が陣営次号用の原稿、まずは浦上真二さんより、連載の原稿を。そして山内修さんから、「病床より」150枚をいただく。舌ガンとの闘いの記録。一読後、凄まじさに鳥肌が立つ。紙面の都合上、前半部分を掲載。

10月14日 ・橋爪大三郎さん『永遠の吉本隆明』(洋泉社新書y)校了。29日に見本ができるとのこと。
・西研さんより、最終稿、届く。この1週間、根を詰めて原稿に向かい、体重が4キロも落ちてしまった、と西さん。全体がビシッと引き締まったのはもちろん、最終章の、東浩紀・大澤真幸両氏の『自由について』への批判的言及は圧巻で、西さんの体重減は、最後にこの大仕事をしてもらったせいです。ワタクシ、さっそくゲラ稿作成に入っています。
・仙台の佐藤通雅さんがやっておられる『路上』より、『ハンディキャップ論』についての原稿依頼あり。
・同じく雑誌『健康保険』誌より、精神医療の現在の問題点についてのルポの依頼もあり。こちらは20枚で12月締め切り。さっそく取材のアポを開始。
・『樹が陣営』次号のために、あの岸田秀さんへのインタビューも承諾していただいており、これが10月23日。というわけで、これから12月に向けて、また全力疾走が始まります(でも、息もつけないくらいのほうがワタクシにはちょうどいい)。

10月10日 ・「浅草事件」関係の取材で、都立梅丘病院へ見学に。ここは児童精神科のみ。見学者は成人施設の関係者が中心。
・都内に、児童の発達障害専門の精神科医は、なんとたった10人ほどしかいないのだとのこと。・・・


樹が陣営25号まで
7月03日 ●終了!・・しゅうりょう・・シュウリョウ!!!
無事版下作成を終え、本日には届いた旨、印刷屋さんより連絡がありました。皆様ご協力いただき、こころより感謝いたします。竹田青嗣氏、瀬尾育生氏、小浜逸郎氏の項立てを紹介します。

竹田青嗣氏 ・・ 自由と相互承認の社会原理へ―『共同幻想論』以後、国家論をどう構想するか
・『共同幻想論』の基本構想の独創性と先駆性/「国家の解体」から次の課題へ/市民社会的近代国家の成熟に向けて/「共存の論理」をどう構想するか/ヨーロッパ近代哲学集大成者としてのヘーゲル/「自由と相互承認」について/吉本国家論と思想のリレー/『言語にとって美とはなにか』と竹田言語論/「言語の謎」と「世界の謎」/吉本思想をどう読むか

小浜逸郎氏 ・・ 音声について、あるいは吉本言語論の根本的限界について
はじめに/1 「書かれた文学言語」という動機に内在する限界/「自己表出・指示表出」の問題/2 時枝意味論をなぜ退けたのか/言語の多義性は「謎」ではない/自己表出概念に過度に固着していないか/「自己表出」を書き言葉に収斂させることへの疑義/3 言語主体としての「聞き手」/「音声」による能動・受動にこそ自己表出の契機がある/4 「対象概念」の視覚的偏向/聴覚のもつ情緒性/5 「音声」こそが内面を形成する/「意味」とは相互的・共同的な把握と形成である/6 「関係存在としての人間」による言語論へ

瀬尾育生氏 ・・ 全体性への認識と文学の主張する場所
文学や詩はどこで存在を主張するのか/詩の「直接話法」について/倫理と世界認識の問題/全体性‐「寓意」と「全体喩」/「存在力」としての吉本隆明/吉本的直観とその根拠/吉本思想の八〇年代以降について/憲法九条の問題/「国家を開く」ことと吉本「段階論」/「存在倫理」について/「関係の絶対性」が世界史的な善悪を裁くのではないか/国連の問題/共存の論理と「正しい理念」/多数性の問題/当事者性について/「犯罪」としての9・11テロ/「存在的カテゴリー」としての存在の倫理/戦争詩論について

●この号、いまから反響が大きく、京都三月書房さんで早々に宣伝を出してくれたおかげ。三月書坊さんよりすでに予約注文あり。今回は、ダイレクトメールの反応もよく、最初600部くらいかと算段していたのが強気になり、800部で、と印刷の港洋社さんへ。しかしきょう急に気が変わって1000部へと変更。余っても、いずれ出るだろうこの号は(こう書きながら1200にしようかなと欲を出し始めている工房主人でありました)。

6月21日 ●あとひと息デス。がんばって!
勢古浩爾氏・滝川一廣氏より、いただきました。
黒岩久雄氏よりも力作写真30葉ほど届く。

滝川一廣氏「非国家論としての共同幻想論−−『次の時代のための吉本隆明の読み方』に寄せて」
・こころのおくれと共同幻想論/やさしいお話としての『古事記』『遠野物語』/家族論としての共同幻想論/共同性への遅れ

勢古浩爾氏「吉本隆明の恋」
・戦後最大の事件/自滅か死か逃亡か/結婚の経緯/「いい人」たちの三角関係/奪うことと奪われること/おまえはただの男にすぎない/恋愛という絶対性/吉本隆明の罪悪感/一夫一婦制に道徳もへちまもない/「私の半身・私の大切な人」―沢村貞子の恋/その後―終わりのはじまり

●今週もすごかった(笑)。樹が陣営編集。編集後記、表紙の裏表の広告等の作成。表紙をなんと、プロのデザイナー沢辺均さんに(クリック)。すごい表紙になりました。そして目次の方も港洋社の鈴木さんに。これはまだ見ていませんが楽しみに・・・。それから次号案内の作成とダイレクトメール。
そして人間学アカデミー卒業シンポジウムの企画を立案し小浜さんと相談。ダイレクトメールで参加の呼びかけ。3期の準備。各講師の方々の日程・講義タイトル等、最終確認。
さらに、間隙をぬって7月20日締め切りの「ハンディキャップ論−課題」(洋泉社・新書y)の序章30枚ほど執筆。・・・・というような一週間でした。
6月13日 ●ゲラ校正もだいぶ進んで・・・
・報告が遅れていましたが、工房主人「吉本隆明−「存在の倫理」について」80枚にかかりっきりになっておりました。1日12時間ほどかけ、10日間。やっと第1校目を脱稿。「存在の倫理」だけで80枚も何を?・・・おっしゃる通りです。書いた当人もビックリしています。
・これまで原稿をいただいてある皆さんのゲラ校正がほぼ終了しました。
・浜田寿美男さんよりエッセイを、添田馨さんより「リレー書簡第4信」をいただきました。

[エッセイ]
浜田寿美男氏「風景を見る、地図を見る―その見るもの位置」
添田馨氏「「「存在倫理」=反原理/反倫理」

●橋爪大三郎氏校了。この際です。その章立て、項立てなど、全体の構成を紹介しちゃいましょう。

「〈吉本隆明〉というレッスン―遠くまで、自分の力で考えるために」

【レッスン1】吉本隆明という思想家―その時代と全体像へ
〈§1〉資質と時代
◇吉本隆明は「戦後思想の巨人」である。が・・・◇吉本隆明の二つの側面―科学者であり文学者であること◇内面と社会、その総体を語る思想家
〈§2〉「近代という自由」と吉本思想
◇「近代の自由」とは何か◇日本近代化の諸事情◇戦後日本の特殊性と文学者たち◇吉本思想の特質と代償◇「次」へのステップのためになすべきこと

【レッスン2】吉本隆明の仕事を読む―いくつかの著作から
〈§1〉転機としての『擬制の終焉』
◇六〇年安保闘争とマルクス主義◇スターリン主義批判の意味したもの◇団塊世代への影響
〈§2〉『共同幻想論』の独創性
◇『共同幻想論』の源泉(1)−フロイト◇源泉(2)−デュルケムと物理学◇ヘーゲルと「逆立」の問題◇「インセスト・タブー」と構造人類学◇『共同幻想論』の先駆性
〈§3〉『言語にとって美とはなにか』と思想的同時代
◇先行研究者たち−三浦つとむとソシュール◇「品詞」研究の画期性◇言語本質論から文学の原理論へ◇フランス現代思想との同時代性

(今回の「樹が陣営」でははここまで。以降【レッスン2(続き)】〈§4〉『心的現象論』について〈§5〉吉本思想、80年代以降の仕事  【レッスン3】橋爪社会学と吉本思想  と続きます。こちらはオタノシミニ・・・)

6月1日

●本日までさらに三篇
・本日までさらに三篇、原稿をいただきました。いずれも力のこもった力作です。

[作品論]
井崎正敏氏「吉本ナショナリズム論の有効期限」
河津聖恵氏「鳥の眼(バードアイ)が導く方位−『記号の森の伝説歌』小論
斎藤祐氏「『超「戦争論」』と「メロスの倫理」」

●工房主人、「リレー書簡」の原稿は終えましたが(吉本隆明は現代の説法者である、という突飛なことを書いてしましました)、このあと、「吉本‐親鸞論」に挑みます。「存在倫理」について、なんとかもう少し書けないものかと考えています。書けないかも知れません。鎌倉仏教論、中世宗教論などを集中的にひもといていたのは、かれこれ10年以上も前。再び本箱のあちこちから、関係資料や本を引っ張り出しているのですが。・・・・

5月27日  ●まもなく締め切り、デス。
・現在25号に向けて少しづつ原稿が寄せられています。凄い号になるはずなので、前宣伝を兼ねてこれまでいただいている分の紹介を。

[インタビュー]
橋爪大三郎氏「<吉本隆明>というレッスン―遠くまで、自分の力で考えるために」
[作品論]
村瀬学氏「『共同幻想論』の中核のイメージ−閉ざされた共同体の批判」
根本義明氏「『マチウ書詩論』のこと」
[エッセイ]
田中絋太郎氏「吉本さんとの情景」
佐藤通雅氏「『路上』発行のころの吉本隆明−自立誌ということ」
[連載から]
倉田比羽子氏「『言語にとって美とはなにか』と菅谷さんの無言のオブセッション」
浦上真二氏「三島由紀夫の帯文について」
[リレー書簡−『超「戦争論」』と「存在の倫理」について]
宗近真一郎氏「シンボル行動批判/世界視線の行方」
由紀草一氏「我々の段階/戦後平和主義批判」
佐藤幹夫「説法/親鸞/「存在倫理」」
・まだまだ続きます。

●アブナカッタ。
4月14日に竹田青嗣さんのインタビューを無事終えたことはすでにお伝えしました。お忙しいなかなのでできるだけ早くテープ起こしをと考え、18日には仕上げ、メールにてお送りしました。あとは竹田さんが[磨き上げ]てくださるのを待つだけ、と思っていた工房主人でした。ところが、24日の「人間学アカデミ―」の際、「まだ届いていないが」と竹田さん。まさか、と工房主人は真っ青。「群像」の仕事があり、あれがあり、仕事が山積み、というお話のあと。・・・・翌日、やはり届いていないという竹田さんからのメール。どこかへ消えてしまった。これまでも何度かあります。確認を怠ったこちらのミス。ただただお願いし、「なんとか仕上げましょう」とい竹田さんのありがたい一言をいただき、ほっとした工房主人でした。ほうんとうに申し訳ありませんでした。ほんとうにあぶなかった。

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