臨済禅を学んだ独照性円が南禅寺栖雲庵から正保三年(1646年)に北嵯峨細谷に草庵を結んだのが始まりである。その際の庵の名は没蹤庵という。独照が明の高僧隠元隆gに黄檗禅を学び、隠元を直指庵に請じてからは、伽藍を建立するなどし、直指庵は大寺院となった。
その後、独照は、直指庵に坐して枯松の枝が地に落ちるのを見て大悟し、庵がすでに大寺院になっているにもかかわらず、寺号をさけ、直指人心 見性成仏の旨を守って「直指庵」と号した。
独照の弟子、月潭はこの直指庵の二世となり詩文をよくして高僧の名をたかめたが、その後は法嗣が衰え、独照の墓堂を存するだけとなった。幕末の頃、近衛家老女津崎村岡局がこの直指庵に入り、再興、浄土宗の寺とし、土地の子女の訓育につくし現在に至る。嵯峨で最も北に位置する竹林に囲まれ、心が洗われる所です。