記事タイトル:花巻電鉄色の廃車体 

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お名前: 県交通家族会   
 管理人様 ご無沙汰しています。
 また、貴重な写真を見せてくださった関係各位の皆さんに心から御礼申し上げます。
 さて、バスの前部のイメージ(ヒサシ付)はあっていると思います。
 後部の写真を見せていただきましたが、何せ幼少だったものですから、記憶が定かでありま
せん。ごめんなさい。
 トップドア車ですから、主に観光・貸切用で使われていたと思います。

 春以降に、探しにいってみたいと思います。
 
[2004年3月4日 17時26分48秒]

お名前: 管理人   
だいぶ長いことお待たせしてしまいましたが,やっと53様からいただいた花巻電鉄廃車体の後ろ姿等をアッ
プしました。「その後の廃車体>1990年の廃車体」のところにあります。
また,「“その頃“別の角度から>53様2」のところに県南バスの三菱車体の廃車体があるのですが,これ
花巻電鉄の24〜25(窓上ヒサシ付きという共通点が)と同じでしょうか?どうでしょう。
[2004年2月27日 21時50分31秒]

お名前: 県交通家族会   
 管理人様、こんにちは。
 私めのあやふやな記憶を掲示していただき、誠に御迷惑をおかけしています。
 さて、
 「50‐13」は ご教示いただいた北村車体です。フロントガラスの上に庇がついていた
のを覚えています。また、車体側面後部窓は写真のとおり固定式です。
 「36〜37」は 川崎車体(岩手の人様)です。シフトノブが右手で操作するため、「外
車」といわれていたことを覚えています。
 「38〜39」は 北村車体です。なお、「13」との違いは (1)フロントガラス上の
庇がない (2)車体側面の後部窓は上が「13」の固定窓を横に倒した形で、下に引き違い
サッシがついているものとなっていました。これは「36〜37」の後部窓も同型です。

 また、「日野の センターフロアエンジン 中ドア タイプ」は「15〜17」が正しいと
思います。(この辺が記憶が薄れています・・・・。)
 なお、16が廃車になった後、花巻市内の民家の物置として20年近くは使われたはずです。
 (いつのまにかなくなり、写真をとっておけばよかったと、非常に悔やまれます・・)

 非常にあやふやな記憶で再び御迷惑をおかけします。
 ご存知の方に教えていただきたいと思います。

    
 
[2004年2月9日 12時52分58秒]

お名前: 管理人   
県交通家族会様,とりあえず内容をナンバー一覧に反映させて頂きました。ご確認いただいて,違うところ
があればご指摘ください。
なお,下の「5015〜17」と「5016〜18」はどちらが正しいんでしょう?
それからいすゞのキャブオーバーには北村車体と川崎車体があり,当サイト内にも県南バス廃車体の画像が
あります。北村車体川崎車体(岩手の人様撮影)です。どちらが近いですか?
[2004年2月7日 20時37分28秒]

お名前: 県交通家族会   
 管理人様、こんにちは。
 そして、皆様本当にありがとうございます。

 さて、管理人様のご質問ですが、実は「50−29〜32」は記憶がないのです。
 記憶があるのは、(何といっても、私は昭和37年生まれなので、記憶違いもあるかもしれま
せんので、御了承願います。)
 50−13 は いすゞの キャブオーバー  中ドア タイプ
    15〜17 は 日野の センターフロアエンジン 中ドア タイプ
    20〜21 は 日野の前出「16〜18」の拡大改良 中ドア タイプ
    もしかすると、廃車体は 22 かも知れません。前ドア タイプで 正面の前面窓が
   傾斜しているタイプ(電鉄には、めずらしい形でした)
    24〜25 は 三菱の前面窓の上部に「ひさし」がついた 前ドアタイプ。
    28及び33と34 は三菱製の「岩2く50−42タイプの前の形」で、前ドアタイ
     プ。後に前扉を封鎖され、中扉をつけてツーマンタイプに改造されたもの。
    36〜37 は いすゞ キャブオーバー のシフトノブが 右側についているもの
    38〜39 は 同じく いすゞの キャブオーバー ですが、シフトノブが 通常に
   左手で操作するもの。
    40    は いすゞ BR20  ツーマン 川崎
    41    は いすゞ BR20  ツーマン 北村 等です。
   なぜナンバーを覚えたかというと、幼少当時、花巻電鉄は「持ち車制(どの路線に行こう
  とも、持ち車でその路線を走ること)」を取っていたので、「40は○○さん」とかすぐ
  わかったのです。(花巻電鉄の電車鉛温泉線が廃止される昭和44年頃まで続いたと思い
  ます。)
   幼いときに「何で、ないナンバーがあるの?(29〜32)」と聞いたことがあります。
   すると、「中古車を買って、すぐ廃車になったのだ」と聞いています。
   電鉄にもボンネットはあったようですが、それも記憶にありません。
   ということで、廃車体を楽しみにお待ちしています。
   見せていただいたら、記憶が戻るかも・・・・

   よろしくお願いいたします。
       
 
[2004年2月6日 12時52分21秒]

お名前: 管理人   
2〜3年前まであったというのは朗報です。
雪が解けたら是非行ってみて下さい。
ところで53様より,1990年に撮った同車の廃車体画像が届きました。次回アップする予定ですが,エンジ
ン部の網は「真中に一つ」の次のバージョンである「小さいものが左右に並んでいる」タイプでした。「真
中が大きく左右に小さいもの」があるタイプよりは古いと思います。なので,型式もR21ではないようです。
これは登録番号で言うと何番になるんでしょう。「5029〜32」はどんな車両でしたか?
[2004年2月5日 22時18分33秒]

お名前: 県交通家族会   
 皆さん、いろいろな情報をどうもありがとうございます。
 花巻営業所の方から聞いた話だと、「川井村川内だったと思う。2〜3年前まではあったっ
けぞ!」とおっしゃっていたことを思い出しました。
 実は弟が川井村に住んでいるので、雪が消えたならいってみようと思います。
 この頃のバスは、後部のエンジンルームの穴に「クランクシャフト」を突っ込んで、エンジ
ンを回したことを覚えています。
 当然、スターターでも始動できたでしょうに、非常に衝撃的でした。
 ぜひ、探しに行きたいと思います。
 また、旧花巻電鉄の「岩2く50−××」関係の廃車体は、他には現存しないのでしょうか。
 御教示をお願いしたいと思いますし、現役時、廃車体問わず、写真についてもよろしくお願
いいたします。(勝手なお願いですみません。)
 
 
 
[2004年2月4日 19時42分52秒]

お名前: 53   
僕も花巻電鉄の廃車体写しました1990年8月です 場所なんですけど、アルバムを見て
見ると、盛岡で写真を撮り、そのあと花巻電鉄が写っており、そのあと釜石の海岸が
写ってますので、写ってる順番から思うと国道106号線だと思います
たしか乗用車を盛岡から釜石に向けて運転中、橋か、なにかの上を走行中右下に見え
ました。それで国道をおりて旧道か村道かわからないですけど、道路の近くに置いて
ありました  撮影終了後国道にもどらずそのまま走っており、車を止めてジュース
を飲んでいると(あいさつ村)という看板があり、道を歩いている小学生に
でっかい声で「こんにちは」といわれてビックリした記憶があります。
小学生がいっぱい歩いていたので近くに小学校があったのかもしれません
その道をさらに走ったらまた国道に出た記憶があります
なにせ14年前なので記憶違いでしたらゴメンナサイ
ぼくも川井村だと思います
  まだ残ってるといいですね、現在の姿がみたいですね
[2004年2月4日 13時49分28秒]

お名前: farewell song   
覚えていることは管理人さんの書かれた通りなのですが、製材所のような木材が積まれた
場所だったのは記憶があります。
国道(107号だと思ったのですがこの車両が川井村のものとなると106号かも知れません)
から見下ろすやや広い谷の下にありました。
富士重とも呉羽とも見分けにくい前面傾斜ボディで一体何者?と思いながらシャッターを
切りました。三菱であることはエンブレムで明らかで、塗装が花巻電鉄だというのは予備
知識があったのですが、時間がなくそれ以上の調査が出来ず、私も心残りがあります。
[2004年2月3日 23時54分38秒]

お名前: 管理人   
お久しぶりです。
「岩2く5024〜27」の後部エンジンの網が真中にあるタイプが,まさに今回話題のfarewell song様から
の画像の車両(車両ギャラリー>>別館>>廃車体>>1992年の廃車体)ではないでしょうか?
この車両も後面は2枚窓のようです。
廃車体の場所は,もう10年以上前のものですので,お教えしても問題はないかと思うのですが,なにせ撮影
者自身もハッキリ覚えていないそうです。ただ,「釜石へ向かう途中なので,107号線沿いではないか」と
のことです。さらに「高台の下に置かれていた」そうです。
もしまだ残っていたとすると,これはかなり貴重なものなので,是非探してみてください。
北上から宮守村あたりまで,「高台の下」を手がかりに走ってみていただいて,見つかったら「ボディメ
ーカーのプレート」をまず見ていただきたいし,可能なら「銘板」で型式と年式を見ていただきたいと思い
ます。残っていないでしょうね・・・。

ちなみに,川井村に行った車両は,どうなったんでしょうね。まだあるんでしょうか。
[2004年2月3日 21時3分12秒]

お名前: 県交通家族会   
 管理人様、お久しぶりです。
 さて、花巻電鉄色の廃車体が現存する(した?)なんて、びっくりしました。
 幼少の頃、花巻電鉄には前ドアタイプのバスが多くあったことを覚えています。
 「岩2く50−24〜27」は後部が2枚窓で後部エンジン部の網が真中にデーンとあるタイ
プでした。三菱だったと思います。 その後の「岩2く50−28」及び「50−33と34」
は三菱製の「岩2く50−42タイプの前の形」で、やはり後部が2枚窓、後部エンジン部の
網は真中が大きくて、左右にも小さい網がついていたタイプでした。この3両は、昭和45年
ごろ前扉を封鎖し中扉をつけてツーマン用に改造されました。その改造法は、前扉をそのまま
残し、下部を鉄板で外と中から、挟み撃ちにして固定し、ステップを埋めたその上に2人がけ
の座席を置いたものです。ですから、夏は当然、あけることのできる窓がないので風が入りま
せん。
 さて、花巻電鉄の廃車体ですが、当時電鉄に勤めていた方が退社する際に、前ドア車の廃車
体を買って実家に持っていった人がいると言う話を花巻営業所の方から聞いたことがあります。
 その話からすれば廃車体は「川井村」と聞いていますが、この車も「川井村」のものなので
しょうか。市町村名だけで構いません。ご教示願えればと思います。(本当はダメなのでしょ
うが敢えて無理なお願いをいたします。)
 よろしくお願いいたします。
 
[2004年2月2日 20時21分16秒]

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