記事タイトル:鉛温泉スキー場 

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お名前: 管理人   
バス正面の鉛温泉スキー場の広告看板,ありましたね。車両ギャラリーの写真の中にも何枚かありますが,
赤と白の目立つ看板でした。
もっとも,四角いワンマン表示枠のある車両にしかつけられないので,オリジナル車の減少にともない,
幕広告に変わったと言うことなんでしょうか。

八幡平の現状は初めて知りました。私が去る頃,安比高原が脚光を浴び始め、東京からのスキー直行バスが
走り,現在ではJR東日本のスノーライナーにも選定されている訳ですが,良くなるものもあれば悪くなるも
のもあると言うことですね。
夏には「八幡平頂上行」のHW急行バスが最も大きな顔をして盛岡駅から出て行きましたが,あれも中型バス
ですか…。

追伸
雑誌写真の件,ごく一部に私本人の撮影した写真もあったりします。
なるべくダブらないようにしていきます。
[2003年1月13日 19時28分23秒]

お名前: 774急行   
どのような経緯で県交通が鉛温泉スキー場を運営するようになったのかは定かではない
のですが、ともかくペアリフト及びナイター照明を設置した80年代中頃からシーズン中は
バス正面・フロントガラス下のワンマン表示板の部分がスキー場の広告に差し替えられる
ようになりました
(広告は後に幕へと変更)
花巻市内だけでなく盛岡市内でも(もしかしたら県交通全エリアで?)正面に「鉛温泉ス
キー場」の広告幕を掲げた車が走っていました。
夏油高原スキー場オープンの後は花巻所属の車の3分の1程がこちらの広告幕を
付けていましたね。
花巻市営になった昨シーズン、そして今シーズンも花巻所属の車の一部には県交通直営
時代そのままの広告幕を掲げています。

県北バスエリアの八幡平ですが、八幡平スキー場はオープンしているものの、宿泊施設
である八幡平観光ホテルが給湯施設の故障に加えて建物自体の老朽化により昨年の春より
休業しています(八幡平ユースホステルは営業中)。
今シーズン盛岡から八幡平スキー場行きのバスは定期便2便・週末祭日のみ運行する便が
1便と「その頃」の半分に。
八幡平リゾートホテル・スキー場が営業を再開したのとは対照的ですが、盛岡駅前で見て
いる限り安比や雫石スキー場行きの賑わいに比べて八幡平スキー場、リゾートスキー場へ
向かうバスに乗り込むスキー客はごく少数となっているのも事実のようです。

余談ですが、藤七温泉・八幡平蓬莱荘も98年より休業中で県北バスの看板路線は何かと
泣かされているようです。運用の都合なのでしょうが3年程前から夏山シーズンでも中型
バス(ワンスッテップ)で間に合うほどですから・・・この路線は大型車が来るものと
当然のように思い込んでいた私にはただ驚くばかりです。

追伸:
写真の件納得しました。
「鉄道ジャーナル」「旅と鉄道」などで見覚えのある写真があり不思議だったもので(笑)。
[2003年1月13日 1時4分20秒]

お名前: 管理人   
鉛温泉スキー場は市営になったのですか。
最近はスキー人口の減少で,リフト経営も大変なんでしょうね。
県北バスのほうは,規模も雪質も良い八幡平スキー場なので,順調でしょうか?

88シーズンにはなぜか突然やる気を出した岩手県交通が,鉛温泉への道に大きな誘導看板を立てたり,バ
ス停を誘導サインにしたり,ボンネットバスを投入したり,かなり力が入っていました。
元々どうして県交通が経営していたかはよく知らないのですが,花巻電鉄から引き継いだのでしょうか?
鉛温泉は私も泊まりに行った事がありますが,秘境の良い温泉ですよね。当時一番すごかったのは,秋田
県の乳頭温泉ですが。

ところで,同じ写真載ってましたか?
正確に言うと,同じアングルで並んで撮った写真…なのですが。
前にもこの掲示板でちょっと言い訳させていただいたのですが,在京の方の岩手のバス撮影拠点(?)にも
なり得た私は,何度かそう言った方と同行撮影をしています。
この時は県交通の好意で,絶好のアングルにバスを置いていただきました。
[2003年1月12日 18時21分36秒]

お名前: 774急行   
今回の「思い出の1枚」は鉛温泉スキー場にたたずむ「新雪号」ですが、スキーを
始めたのがこの地にいながら実は最近のことで、地元のスキー場だというのに「その頃」の
様子を詳しく知らないと言うのが正直なところです(苦笑)。
始めた頃には既に「新雪号」は無く、代わってK−CCM410やP−LR312が
送迎バスとして活躍していました。
2001年のシーズンから県交通直営から花巻市営へと事業主体が変わり、スキー場の
規模(箱庭のようなスキー場ですから。笑)に比べてリフト代に割高感があったようで
「県内一高いリフト代」などと陰口を叩かれていたりもしましたが、市営になったことで
リフト代を数百円引き下げたところ、2000年度に比べ入場者が増えたそうです。
80年代初めには臨時バスも走っていて電鉄カラーの三菱MR490もこの運用に就いて
いました(確かツーマン)。乗客はそれなりにあったと記憶しています。

「雄大な自然」ならぬ「鉛集落の民家」を見下ろしながらの滑走ですが、スキーの後は
もちろん“立って入る”鉛温泉「白猿の湯」ですネ。

ところで、この「思い出の1枚」ですが、鉄道ジャーナル88年5月号の「バスコーナー」
に載っている写真とほぼ同一のように見えるのですが・・・ハテ?(笑)
[2003年1月12日 14時41分58秒]

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