記事タイトル:県交通の譲受車について |
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譲受車の前身を知っている方が見てくれるとは,HPを始めた甲斐があります。 常磐交通のワンマン車は前後ドアなので,前中ドアの車両は完全ワンマン化後には早めに廃車になったのでしょうね。 県交通では,もちろん中乗り前降りで,何の違和感もなく活躍していました。 元日立電鉄のBU10は私も何度か乗りましたが,青モケットの三方シートのままでした。 ただ,国際興業のBU04に押されて,あれよあれよと言う間に姿を消してしまいました。 帝国ボディの1両だけが,数ヶ月長生きしましたが。[2002年7月18日 19時5分56秒]
キハ28と申します。 HP本文の県交通の譲受車を拝見しました。 常磐交通の北村のBU05が県交通にしかも85年まで稼動していたとのことで大変驚きま した。ご存知かと存じますが、同車は常磐交通のワン・ツーマン化のため大量増備されたグ ループで、同社のいすゞ車の比率アップに貢献したものと推測しております。晩年は中扉締 切の上、ワンマンカーとして活躍しておりました。実は、このグループは昭和50年代初頭 位に急に姿を見せなくなり、その後の行く末についてずいぶん疑問に思っていましたが、H Pの写真を拝見して疑問が少し解決した感じです。県交通時代は中乗り前降りだったのでし ょうか? 日立電鉄の前期型BU10(川重)も当方にとっては懐かしい車両で、出入口の電照表示が 特徴的でしたね。移籍後も青モケットの三方シートだったのでしょうか? 当方、上記2車種は乗車してからすでに四半世紀以上が過ぎましたが、こういうHPの形で 再びお目にかかれるとは思ってもいませんでした。 最後に、素晴らしい写真の数々、ありがとうございました。[2002年7月17日 21時50分11秒]
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