記事タイトル:廃車体&県交通ボンネット |
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「岩2く376」のまきば号が国際興業経由で山梨交通へ行き,もう1台が土佐電気鉄道と言うことですね。 土佐に行ったのは,まきば号時代は「岩22か1764」だった車両ですね。 その前の番号が「岩2く377」だったと言うのは,私も初めて知りました。 一旦廃車になっていたのを,1982年の新幹線開業時に復活させ「岩22か1764」になったそうです。[2002年10月5日 18時44分47秒]
管理人様 土佐電気鉄道のHP見させていただきました。 矢巾営業所に留置されていたときには、まさか現役復帰するとは思いませんでした。 確かに、廃車体がなくなったときには、「遂にお陀仏か」と観念していました。 偶然、2001年2月か3月に、JTB時刻表の記事に掲載されていることを発見し、切り抜 きして、今、事務所のマイデスクに貼り付けています。 ただ、旧ナンバーが「岩2く377」とは知りませんでした。 「岩2く376」しか見ていませんでしたので・・・・。 これからも、楽しい情報をよろしくお願いいたします。[2002年10月4日 20時59分37秒]
県交通家族会様,fragile様。 急遽,リンク集に二つの会社を追加しました。 土佐電気鉄道のHPでは、バスのメニューページにいきなり「元まきば号」が出てきます。 なんでも,冷房をつけたり内部的には大改造をしているそうですが,見た目は変わりません。 山梨交通のHPにはまだ登場していませんが,バスの日のイベントでお披露目をした模様です。 色は山梨交通の旧カラーだと言うことのようです。 いずれにしても,バス事業者に引き取ってもらうのが,彼らにとっても本望だと思います。[2002年10月1日 19時39分42秒]
土佐電気鉄道にも、元岩手中央バスのいすゞTSD40Aがいるようです。 記事によれば「1966(昭和41)年新造、岩手中央バス、岩手県交通で活躍後、1988 年に廃車、その後、整備工場の片隅で10年以上眠り、2001年1月に四国で現役復帰した。」とあります。 見に行きたいのですが、なにぶん遠すぎます。今も元気でしょうか。[2002年10月1日 12時43分13秒]
そういえば、岩交から国際興業に譲渡された「さわらび号」が 山梨交通に再譲渡されたそうです・・・[2002年9月28日 21時37分24秒]
村民様 生活路線でのボンネットバスに乗車経験があるというのも,段々珍しくなってきましたね。 だいたい幼稚園時代くらいにボンネットバスの記憶があると言う人は,通常では40代近いんですが、 岩手県では80年代に入るまで残っていたと言うことで,一回りくらい違ってもおかしくないでしょうね。 ある面で,恵まれていた(?)と言うことでしょうか。[2002年8月6日 22時18分31秒]
県交通のボンネットのTSD40改ですが、自分が幼稚園児の時 に乗りました。浅岸学校線のバスセンター−銭掛間です。当時も 冬場だけの運用とのことでした。ツーマンバスだったことを 覚えています。[2002年8月5日 22時5分27秒]
なくなっていましたか,元西武の廃車体。 私としては思い入れのある車両なので,ちょっと残念。 ボンネットバス,あの時代に一般路線で使用されていたというのは奇跡に近いものでしょうね。 そのおかげで新幹線開業後に観光路線デビューできたわけですが。[2002年8月4日 17時32分50秒]
こんにちは。 「元国際興業!」のスレッドでの管理人さんのコメントより >元西武の廃車体も残ってるんですか。廃車後15年は経っていると思いますが、よく残っていてくれたという感じですね。 >廃車体は,敷地の所有者の気まぐれでいつのまにか消えてしまうことがあるので,安心は出来ませんが。 その花巻の元西武のBU04ですが、昨日近くで見ようと思い車で行ったのですが撤去されていました。 さて、県交通のボンネットのうちTSD40のほうですが、1979〜80年頃にNHKニュースの中で登場したことがあります。浅 岸学校線(盛岡バスセンター〜銭掛)で使用されていた当時の紹介映像でしたが、中央バスカラーだったのを記憶してい ますし、盛岡へ行ったときに大通の七十七銀行そばの交差点ですれ違ったのを見たこともあります。 このニュースで「銭掛」という地名がインプットされ、一度は行ってみたいと思っていました。 3年前にその願いが叶いKC-LR333Fで訪問しましたが、水道橋〜銭掛は山道が続き最後までボンネットが残ったのも納得 できます。(冬場だときついかも)[2002年8月4日 8時0分32秒]
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