記事タイトル:河南営業所 |
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河南営業所の近くにあった車庫というのは,確か南大通車庫と呼ばれていました。 当サイトでも,「東日本急行」の看板の残る時代の写真を掲載しています。 あと,冬の盛岡市内に県南部から応援車が入っていたとは知りませんでした。 確かに冬の車両運用はハードで,予備車も増えていたようには記憶しています。 私がいた頃には,乗務員の応援と言うのはあったようです。 団地内の道路などに,バス路線を示す大きな看板があって,最初はなんのためにあるのか疑問だったのですが, 多分県南部の乗務員に,分かりにくい経路を間違えないようにするためだろうと納得しました。[2002年10月27日 22時55分10秒]
楽しく掲示板拝見させて頂いております。 河南営業所閉鎖の件ですが、現在バス停名が「南大通2丁目」となっており、河南営業所跡地は コンビニやカラオケボックス、回転鮨などの入ったアミューズメントビルに変貌しています。 昔は近くにバスの駐車場もありまして、盛岡発着の長距離バスの休憩所になっていましたが、 現在、これもなくなってしまい、大船渡と釜石のバスは松園、湯本と千厩のバスは都南に入ります。 河南営業所担当の路線のうち、松園に移管されたのは、浅岸線、浅岸学校線、玉山線、土淵線の 一部(都南担当もあり)と桜台団地線(紫波担当もあり)ですね。後は都南営業所に継承されています。 太田線の一部には紫波、矢巾、大迫の車両も使われますし、下厨川線には紫波の車両も入ります。 かつて、新庄線には高田、大船渡、釜石、一関などから冬になると応援の車両がきていました。 全車生え抜きのBU10でした。[2002年10月27日 19時51分24秒]
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