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2011年8月6日更新 |
活動報告 行政視察(仙台市)報告 |
私たち(会派凛)6人は、平成23年7月13日・14日に、東日本大震災の大被害を受けた仙台市を視察に行ってきました。 復旧・復興に向けて大忙しの最中に迷惑ではないかと思っていましたが、逆に歓迎するとのことで行ってきました。 |
▲職員が管理棟屋上から撮影した津波来襲 仙台市は、人口103万人、面積は船橋市の約9倍の788kuもあり、泉区・青葉区・太白区・宮城野区・若林区の5つの区になっている政令市です。 13日はまず、仙台市議会事務局で仙台市の被害状況の説明を受けました。 ここから地元の菅原市議会議員さんの案内で宮城野区蒲生(がもう)にある「南蒲生浄化センター」を訪ねました。 この浄化センターは、約72万人分の下水を処理している太平洋沿岸にある大きな下水処理場です。 ちなみに船橋市の西浦下水処理場と高瀬下水処理場は両方で約50万人分の下水処理場ですから、その大きさが分かると思います。 地震の被害よりも大津波による被害が甚大でした。 痕跡から調査した結果、大津波は最大高が10.5mに達していたそうです。 このセンターと海の間には防風防砂林の松林がありましたが、松の木が大津波により流され、建物に激突し建物が大破していました。 3月11日の大震災の際は、この大きな処理場には、出入り業者も含めて100名余りが仕事をしていたそうですが、約1時間後に大津波が襲ってくる前に全員が一番高い建物の管理棟屋上に避難し全員無事だったそうです。 その屋上から襲ってきた大津波を携帯電話で撮った映像を見せてもらいました。 毎日のようにテレビで見たあの映像よりも臨場感に溢れていて、撮った人も怖くなったそうで、後半部分は画像が乱れていました。 |
▲津波の衝撃で破壊された送風機棟 下水を処理するには、一般的には、流れてきた下水を @溜めるA大小ゴミを取るB最初沈殿池から上澄みを次の工程に流す C微生物に汚れ(有機物)を食べてもらう D最終沈殿池で汚れをエサに増えた微生物の固まりである活性汚泥を沈殿させて上澄みを流す E溜まった上澄みを塩素消毒して川に放流する。という工程です。 この南蒲生浄化センターは全工程が破壊されてしまいました。 これを復旧するには莫大な費用がかかります。 国の助成を受ければ9割ほどが国、残りが仙台市となります。 国の査定を受ける必要がありますが、何時査定に来てくれるか見通しが立たないそうで、困り果てていました。 「多くの国会議員が視察に来て事情は分かっているのに何もしてくれない」と嘆いていました。 仙台市としては市民が長時間不便を強いられるのは忍びず、応急的に@〜Bまでの工程を復旧させ消毒してから川に流していると話していました。 私はこの状況を心配して「この混乱のときだから誰も何も言わないだろうが、一息ついた頃に『汚い水を流され海が汚れた。この補償は誰がするのか』などの話になるのでは」と尋ねたところ、浄化センターの所長は「そうなんです。それを心配しています。国が早く来てくれないと」と嘆いていました。 被災を受けた現地では今すぐやらねばならないことが山積しているのに、政局に明け暮れしている国会と無能議員にへきへきしています。 |
▲海水浴場入口に手向けられた花 その後、若林区荒浜を訪ねました。ここも海がすぐそばにあり、大津波により家という家がすべて流され300名以上が亡くなられたとのことです。 海水浴場がありましたが見る影もなく階段付近には、まだ新しい花が手向けられてました。 住宅地だったところは、もちろん家はありません。 被災から4ヶ月も経っていますので残材は片付けられ道路が復旧されています。 どういうわけか建物の基礎のみ残されていました。 何故基礎まで片付けなかったのか聞いたところ「基礎を残すことで自分の家があった場所を探し易くする」のだそうです。 |
▲荒浜小学校体育館の外観 無人の小学校がありました。「荒浜小学校」です。 4階建も3階あたりまで津波が押し寄せたそうです。 |
▲荒浜小学校体育館の内部 体育館はやはり目茶目茶に壊れています。 壁の時計は大津波が襲ってきた午後4時で止まっています。 |
▲荒浜小学校校舎の外観 ついこの間まで遊んでいたグラウンドには、津波被害に遭った所有者不明の車、バイクなどが運び込まれ整然と並べられています。 |
▲荒浜小学校校舎の垂れ幕 寂しさと侘しさのみ感じる荒浜小学校ですが、4階のベランダから「たくさんの力をありがとう」の垂れ幕が風になびいていました。 ここに通学していた子供達は、三々五々市内の学校に通学を強いられているそうです。恐らくこの荒浜小学校は二度と子供達の歓声を聞くことはないと思われます。 |
▲積まれた瓦礫(がれき)の山 翌日は、仙台建設業協会本部で被害状況と復旧状況の説明を受け、若林区にあるガレキの集積場所などを視察しました。 この集積場は、材木は材木、タイヤはタイヤ、電器製品は電器製品などに分別されて集積しみんな小山に見えるくらい大量に積み上げられています。 この最終処分に膨大な時間と費用がかかるでしょう。 私は、この瓦礫を海岸線に沿って山積みにして、大量の土で覆って「大きな堰堤を築いて公園などを作れば瓦礫処理できるのでは」と提案してきました。 |
▲唯一残ったガソリンスタンドの骨組み 若林区にある、被災者が入居している仮設住宅も見てきました。 あちらこちらの空き地に建っていましたが、1ヶ所は非常に大きな敷地に沢山の仮設住宅が建っていました。 写真を撮るのはもちろん車を停めることすらはばかりましたので、目に焼き付けるだけにしました。 年老いた夫婦が無言でひなたぼっこしている姿にはやるせない思いがしました。 聞いたところによりますと、この大きな仮設住宅では200世帯が入居していて、自治会も立ち上げているそうです。 |
宮城県震災復興計画(案)の概要(「河北新報」H23.7.14朝刊より抜粋) 幸いにも宿泊したホテルで、地元の「河北新報」の朝刊の見開きに「宮城県震災復興計画(案)の概要」を見ることができました。(以下に要点を書きました) |
《緊急重点事項》 1.被災者の生活支援 2.公共土木施設とライフラインの早期復活 3.被災市町村の行政機能の回復 4.災害廃棄物の処理 5.教育環境の確保 6.保険・医療・福祉の確保 7.雇用生活資金の確保 8.農林水産業の初期復興 9.商工業の復興 10.安全安心な地域社会の再構築 《復興のポイント》 1.災害に強いまちづくり宮城モデルの構築 ◇高台移転・職住分離 ◇津波避難タワーなどの避難施設 ◇交通基盤や防災緑地による多重防御 2.水産県みやぎの復興 ◇水産業集積地域、漁業拠点の集積再編 ◇新しい経営形態の導入 ◇競争力と魅力ある水産業の形成 3.先進的な農林業の構築 ◇海からすぐバッファーゾーン(緩衝地帯)という緑地・国営公園を造り、内陸部に水稲団地、大麦団地、大豆団地、野菜団地、花き団地、畜産団地を設け、居住区、流通加工区、交流区に分けた土地利用をする。 《沿岸被災市町・県全体の復興イメージ》 広域的な観点から、沿岸被災地域をおおむね「三陸地域」「石巻・松島地域」「仙台湾南部地域」に3区分し、基本的な復興のイメージを示す。 ◇三陸地域 高台移転・職住分離、漁港の集約・再編 水産加工品のブランド化、6次産業化 三陸の自然を活かした観光振興 三陸縦貫自動車道の整備促進 ◇石巻・松島地域 高台移転・職住分離、漁港の集約・統合、多重防御 松島・牡鹿半島などを活かした観光振興 ◇仙台湾南部地域 多重防御 空港・港湾を活かした物流機能、産業立地の推進 農地集約、6次産業化 国営公園・防災緑地の整備 常磐自動車道の整備促進 以上、主なものを列記しましたが、復旧・復興に向けて素早い対応に敬意を表します。 あとは民意と国の力があれば宮城県は強いリーダーシップのもとで東日本大震災に打ち勝つことができると確信しています。 |
私自身はこれまで、目に見える復旧・復興のお手伝いはしておりませんでしたが、今回の視察をして、今年の年末には現地(仮設住宅周辺)で「餅つき」をして、仮設住宅入居者や荒浜小学校の児童たちに食べて戴こうと決心しました。 幸いにも、会派全員が協力してくれることになりました。 9月議会が終わったら再度現地に赴き下準備をしてきます。 もしこのホームページをご覧になって、ボランティアでご協力して戴ける方がおられましたらご連絡ください。 (今回の募集は終了しました。ご協力ありがとうございました。) |
餅つき(仙台市被災者仮設住宅にて)へ |
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