ズレ

 

 ここまで何かとりとめの無い話ばっかしてて、ちょっと読み返してみたけど、もう変ですね。日本語が!すみません。文の性格も軽装なところと重厚なところで入り乱れてて、まるで多重人格の人が文を書いたみたい!俺も人間だから書きながら感情が入ってるとき、そうでないときいろいろあるんですよ。(どうか俺を多重人格だとは思わないでください。)俺の中でも書きながら話のズレを感じることはよくあります。うん、こことここの言い回しがちょっと違うぞ?みたいな。そうなるとみんな奇麗事に聞こえてくるんですよ。ぼんやりとただいい言葉だけ、ずらずらと…。こうなると、ホント辛気臭いですよ。俺もいっぱいそんな本と出会ったけれど、読むのが疲れますね。俺がよく見ていたガチンコってゆう番組。「この後、とんでもない出来事が!この後、驚愕のできごとが!この後、意外な結末が!」これの繰り返し。視聴者もイライラしますよね。そんで、その内容が如何にもドラマチックになっていたら、も〜何か台本ありそうって気になる。辛気臭い。俺の文も下手したらこの部類に入ってるかも。要するに、反感を買ってるように思う。

 普通、こういったエッセイ集などで自分の考えをまとめた文というのは自分が伝えたい核になる部分があって、そこに肉付けしたようになっている。そこに、その人の訴えの真意性を図ることができる。でも、筋道がズレてしまったら、結局、真意性を失うことになる。

 なぜ、俺がわざわざこんなことを言うのか?一つは、ここで興味を無くしてもらいたくないこと。二つ目は、ズレる快感を知って欲しいということ。また、訳分からんこと言ってるわ、って思わんといてください。地層はズレによって安定を保ちます。俺も同じ。常日頃、一途に生きるより、自分の考えを違う方向から見て否定する。そうしてやるとまた新たな自分に会える。これが快感なんですよ!子供のころから冷静な方だった自分だからこそ成せる技かもしれないんですけど、是非やってみてください。

 ズレに関して非常に興味深いのが音楽にも言える。

 カラオケに行ったことがある人はリモコンでキーコントロールってゆう操作ができるの知ってるよね。あれは、半音刻みに音を上げたり下げたりできるわけなんだけど、あれだけで同じ曲でも雰囲気がガラッと変わる。実はこれは作曲でもよく使われていて現代のポップスでも非常に多くの曲がこの半音上げ下げを行っている。音楽用語でこれを変調と言うんだけど、曲の途中にこの変調を入れることによって、曲にうねりを持たせて、違和感をつくり出し、それを耳で聞いた瞬間に一瞬、すうっと心が揺らぐことがある。“曲に酔う”というのは大方こうゆうメカニズムである。俺が尊敬する小室哲哉もこの手法を多用している。

 話を戻すけど、ズレは日常茶飯事起こっているよ! 

電車が予定の時刻より遅く着くとか。座って本を読もうかと思うと満員で立つはめになったとか。今日は天気が悪いと思って傘をもって行ったら全然晴れてて、傘置き場に置いていたら、もって帰るの忘れちゃった、とか。言い出したら切りが無い。真実はひとつかもしれないけど、現実は矛盾しまくってる。それならば、この矛盾にも対応できないと、人生なんてやって行けないんです。逆に真実を求めること自体ムダのような気がします。真実反対!現実賛成。(ラルクの“DIVE TO BLUE”て歌詩にもあるように)真実は神のみが知るものだと、そう思います。でも、真理を追究しちゃいかんというわけじゃない。真理を追究するのは人間の宿命で、その方向さえ間違わなければ、いい人生を歩むことができる。その点、現実はひとつだけれども、受け止め方によって多様になる。”おいしい“の一言でも、その時のトーン(発音の調子)の違いだけでも明らかに次に出てくるシナリオは違うものとなる。ここに、人生の面白さがある。平安時代のひとが”ああ無常“といって人の一生を詠ったのも、時の流れの早さに人々、自分自身が変化していくのを切なく、はかなく感じたんじゃないでしょうか?

 ズレズレですな〜話が。とにかく、少しのズレも許せないせこい人間になっちゃだめよ。

(Bzの曲のLOVE PHANTOMより)

 

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