コミュニケーション論

ここで羞恥心の話がでたので、日本人のこれについて考えてみよう。大阪の人は気前がいい、東京の人は冷たい。今の時代そんな地域的な人種の違いが存在するのかと思うけれど、中高年のひとを見ているとその差ははっきりとわかる。でも、若者はどうだろう?あんまり関係なくなってるんじゃないの?俺が思うに携帯電話のせいだと思う。世の中も今や移動通信機器が次々と販売され、その利用目的は圧倒的にコミュニケーションによるものされている。お互い遠距離で恋愛していてる彼氏彼女ともいつでもこのコミュニケーションができる。すばらしい、俺は便利な時代に生きてるんだなーってつくづく思う。近年、社会はティーンエイジャーの時代っていってとにかく若者に注目が行った。音楽のフィーバーぶりは記憶に新しい。ファッションの流行なんかもいまだに若者が主体だ。でもここまでは日本の文化面にしかすぎない。冒頭でも述べたが、日本の経済をここまで成長させてきたのは工業によるところであるが、この背景には一つ二つ世代前の人による惜しみない努力が時の運の流れでここまでやってきたんだ、ということを忘れてはならない。若者の中にはこれを知らない奴もいるかもしれないがこれを知らずして、日本の平和は絶対に訪れないと確信している。ここ数年教育についてもいろんな見直しがされているが目立つのは緩和ばかり。問題を簡単にしてどうするのか。ゆとりが大事にしても、優しさと愛情は違うと俺は思う。英語なんていまだにやり方を変えない。世界でも英語能力の乏しい国としてレッテルをはられ続けているのに!この裏づけとなるのが、日本人の恥ずかしがりな性格です。俺が一番初めに、

 Don‘t be shy !

という言葉が思い浮かんで、アメリカ人と日本人を比較しました。

外国(アメリカ)では話し言葉以外にもジェスチャーや表情に変化をつけている。オープンなしゃべり方をするのでこちらも安心して軽く返答することができる。そういった会話の中ではたとえ面白くなくても笑い(英語で言うならばsmile)を作り出す。打ち解けやすいといえる。英会話の基本は相手の目をみながら会話するということ。目を見て話さないというのは、相手が嫌いの意思表示だそうだ。ともかく俺が言いたいのはこの現代における日本と世界各国でコミュニケーションに大きな違いがあるということ。日本人はもはやメールで会話をするなんて当たり前の時代に突入している。メル友なんて言葉がはやるのは日本ぐらいであろう。そんなところで自分の虚像を作り出し、またその虚像を楽しむのも日本人特有である。バーチャルリアリティは快感を生み出すものだが時間を越えて必ず誤解を生み出すものだと思う。虚構は虚構であり現実にすることは不可能なのだ。ここら辺をどうやら戦後50年間で蓄積してきたために今の経済は身動きが取れなくなったようだ。高度経済成長という契機を得た日本が今に至って矛盾を感じているところ。それは、かつて勤勉といわれた日本の制度や文化を見直し本当の意味でのゆとりをもった社会を願っている。

 俺の社会批判はどうですか。今はもうファジー世代も落ち着いて複雑系の時代というけど、簡単になってるのはテレビのリモコンの操作ぐらいかもね。

 

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