悪は正なり

 

21世紀にもなり、世の中も随分と便利になました。昔はよく剣玉やコマで遊んだものです。(コマを手の上でまわすやつなんて人気ものでしたから。)コマは回っているときだけ安定感を保ち、これが止まるとバランスをくずして地面に身を傾けてしまう。これはコマの遠心力がコマ自体の重力よりも大きくなれば軸対象に引っ張られることによってコマは回転し続けます。しかし、ここで重要なのは重心で、その重心が軸方向にかかっていなければ、コマはすぐバランスを崩します。でも回転数ωが大きければ、mrω²の遠心力が重力より十分大きくなるため、倒れにくいということになります。おもしろいですね。コマって。(こんなことを考えんでもコマはおもしろかったんですが。)

人生にも似ていますよね。回転し続けている時が人生の絶頂期だと考えれば気持ちも上昇し始め次々に成功していくものです。でもその平衡を失うとたちまちその勢いを失い立ち止まって悩んでしまう。回っているコマは美しい(カッコいい)から人の目をひく。けれども、止まってしまうと急にひいてしまう。こんなもんですよ。ぼくもカッコいい人のマネとか面白い人のモノマネはしたくなり、かわいい女の子みたら声をかけたくなります。

人間の情動としてはごく普通な?ことだなと思っているんですが、人は上辺だけで判断しちゃいけないな〜ってつくづく思うんです。人を上面だけで判断するのは失礼であるどころか大変危険なことだからです。人は見かけによらないですよ。政治家でさえ民間から集めた資金を簡単に流用するような時代ですから。

僕はこのように権力を棒に振るひとは大嫌いですが、人は権力(または地位)を得ると何か偉くなったような気になるものです。特に男の方が多いです。なぜか?それは回り続けるコマにたとえることができるでしょう。地位のある人は社会的にちやほやされやすい環境にあるのです。そんな人がとる態度というのは頑固であったり、わがままであったりして、そうゆうの全部周りの人が受け止めてくれると勘違いしてるんです。(そうゆう周りの人こそ、わがままに手をさしのべることに必死なのですが)するとアホの欲求はエスカレート。今度は周りの人をうまく利用して犯罪に手を染める。地位が高いもんだから新聞や雑誌にも大沙汰に載せられて、ああ恥ずかしい。見ている我々もあきれるちゅうわけや。事件供述によく「魔がさした、ついついカッとなってしまって」とかあるけど、人には必ず悪意があるなって思う。逆に悪意を持ってない人間のほうが恐い。善人ていわれる人ほど悪意をいだいていると思う。こいつはアホやとか、殺したろか〜死ねっくそ!とかetc

人が人を憎むなんて汚い感じしますけど、人が悪意を持つことは人の世の中では当たり前のことで、行動に移してしまうから犯罪になってしまうんです。その点、社会は悪そのものを排除しようとするため、悪意は人の闇に閉ざされ、回転を失ったコマに潜伏していきます。潜伏期間を過ぎた悪はやがてその人を自殺に追い込んだり、凶悪な犯罪者に変えたりします。悪意を持つのが真の人間の姿なんです。これが表向きの善意とバランスを保ち続けるからコマはうまく回転し続けるですよね。

ここで言いたいのは罪を犯してもいいということではありません。常に善の裏側に悪があることを認識していれば、その悪を時には(犯罪にならない程度に)発散させてやることも大事なんだよ。僕はそう考える。四不像には・・・すみません。

 

 

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