小説・「ジェイク」

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「ジェイクっていうのは君の事かなぁ?」
 柔らかな春の日差しの中、グランタン酒場の窓際のテーブルに突っ伏してウトウトしているオレを背後から呼ぶ奴がいた。
 眠い。
 春ってのはどうしてこう眠いのか。
 何をしているのでもないのに意味も無く眠くなる、春にはそんな魔物が潜んでいるのかも知れない。
 オレは自らの欲求に忠実に従い、惰眠をむさぼる事にした。
「ねえ、君がジェイクでしょ?」
 声の主は、今度は肩をゆすってオレを起こそうとする。
 オレは顔を上げる事無く手でそれを払いのけた。
「もう、仕方ないなあ・・・」
 オレを起こそうとしているそいつがスゥっと息を吸い込む気配がする。
 そして・・・
「起きろー!」
 オレの耳元で叫びやがった。
「ワァー!」
 これにはさすがのオレも飛び起きてしまった。
「な、何なんだよ一体?」
 まだキンキンする耳を指で押さえながら、振り返って声の主の姿を確認する。
 そこにいたのは、オレより頭一つでかい女とオレより頭一つ小さい男の二人組みだった。
 
 女の方は、背中まで伸びた金の髪を編んで一つにまとめている。
 歳は20くらいか。
 白い肌に青い瞳、マントやスカート、ブーツまでも青で揃えてある。
 オレの背丈ほどもあるスピアを手にし、鎧は白銀の胸当てを装備していた。
 その恰好からバルキリーだろうとオレは踏んだ。
 就職条件が比較的易しく、転職なんて無駄に年を取る儀式をしなくても上級職になれる。
 最近の女冒険者の間では流行の職業という訳だ。
 オレの耳元で怒鳴ったのはこの女だろう。
 一方男の方は、縮れた茶色の髪に無造作に伸びた髭面。
 言うまでも無い、ドワーフだ。
 イヤちょっと待て。
 もしもこいつがドワーフならば、髭面だからって男とは限らない。
 何しろこのドワーフという種族は女でも髭が生えているって言うしな。
 ドワーフの年齢ばかりはどうにも分からない。
 40ぐらいに見える奴が案外まだ10代だったりする事もザラだからだ。
 こいつらは身体はオレ達人間族よりも一回り小さいくせにパワーだけは半端じゃなくある。
 ドワーフは身の丈程もあるバトルアックスを抱え鎧はフルプレートの重装備。
 ロード? まさかな、どうせファイターに決まってる。
 オレが二人の姿をジロジロ睨んでいると
「ごめんなさい、ちょっと君に用があったものだから」
 背の高い女の方がしれっとした顔で応えた。
「お前さんがジェイクだな?」
 ドワーフの方が初めて口を開いた。
 声からするとやはり男だったようだ。
 この髭面のドワーフが女じゃなくて、オレは内心ホッとしていた。
「ああオレがジェイクだけど。あんたらは?」
「ごめんなさい。私はエイティ、バルキリーよ。そしてこっちはベア、戦士ね」
 女、エイティは自分達の事をそう名乗った。
「エイティ? 80のバアサンか?」
「違ーう! 私の本名はエイテリウヌ。長いから略してエイティよ」
 エイティは顔を真っ赤にして怒っている。
 どうやら普段からそんなふうにからかわれているんだろう。
「ワシの本名はベアリクス。だからベアだ」
「ふーん。で、どうしてオレの事を?」
 知ってるんだと聞こうとしたら、ベアがこの酒場のマスターを顎で差した。
 オレとも顔見知りの三十男のマスターがこっちを見ながらニヤニヤと笑っている。
 グランタン酒場は、冒険者達の情報交換の場として機能している。
 オレも常連としてここに出入りしては、魔法使いを必要としているパーティの依頼を受けて冒険に乗り出すという訳だ。
 この二人の用事も、まあそんなところだろう。
「腕の良い魔法使いがいないか聞いてみたら、あそこにいるってね」
 エイティの顔がフッと緩んだ。
「エイティよ、こんなガキで大丈夫か?」
 ベアの方は不満顔だ。
 ガキで悪かったな。
「あら、かわいいじゃない。私は気に入ったわ」
「問題は腕だ」
「まだ声変わりもしてないのね」
「使えるのかコイツ?」
 オレを目の前に言い合う二人。
 あー、うっとうしい!
「で、何か用か?」
 オレは話を進めるべく、ベアの方は相手にしないようにエイティに聞いた。
「うん、実はね、山の上の教会を調べに行くのに付き合って欲しいの」
「山の上の教会だと?」
 オレの眉がピクリと動いた。

 その教会の話なら聞いた事がある。
 このダリア城下から南東へ数キロ、小高い山の頂にある教会。
 とっくの昔に打ち捨てられて今はもう無人のはずのその教会から、夜な夜な若い女の叫び声が聞こえるというのだ。
 叫び声だけならまだしも、モンスターまで出るという。
 その噂は瞬く間に広がって、最近では誰もそこへは近付かなくなったって話だ。
「その教会を調べに行くって訳か?」
「そういう事」
 エイティが大きく頷いた。今時物好きもいたもんだ。
「いいぜ、付き合っても。で、報酬は?」
 これが一番肝心な話だ。
「上がりを人数分け。平等にってね」
「ふーん・・・分かった」
 オレはその条件を飲む事にした。
 打ち捨てられたとは言え教会は教会、探せば何か金目の物が見つかるかも知れないしな。
 最近暇だったし、暇つぶしを兼ねた儲け話なら悪くない。
 この二人がどのくらい使えるかは分からねえけど、よっぽどの化け物でも出て来ない限りはオレの呪文で何とかなるだろう。
「それじゃあ明日の朝、街外れで待ってるから」
「遅れるなよ」
 それだけ言うと、エイティとベアはオレの返事も待たずに行ってしまった。
「山の上の教会か・・・」
 オレは窓の外へ視線を移した。
 もちろんここからではその教会を見る事は出来ない。
 街外れまで出て目をこらせば見えるだろう。
 この酒場が面している大通りは比較的整備が進んでいて、絶えず人や荷車が行き来している。
 その喧騒を避けるように、陽だまりには白黒のネコが一匹、気持ち良さそうに昼寝していた。
 街の中というのはとかく平和で退屈なものだ。
「面白くなりそうだな」
 オレの心は早くも冒険の舞台へと歩き出していた。

 翌日の朝。
 いつもより少し早めに起きたオレは寝グセだらけの頭をかきむしりながら大あくびをした。
 前の晩から汲み置きしておいた桶の水で簡単に顔を洗ってから、壁に掛けてある鏡を覗く。
 短く刈った黒い髪に黒い瞳。
 自分で言うのも何だが、それなりに見れる顔だと思う。
 春とはいえ朝はまだ冷える。
 オレは思い切って寝巻きを脱ぎ捨てると、ベッドの脇に投げ捨ててある白くて長ーい布を拾い上げた。
 慣れた手つきでその布、サラシを自分の身体に巻いていく。
「またでかくなったみてえだな・・・」
 思わず溜息が漏れた。
 オレの胸には二つのふくらみがある。
 男には無くて女にだけあるふくらみだ。
 つまりはそういう事、生物学的にはオレの身体は女なのだ。
 でもオレは自分の事を女だとは思っていない。
 イヤ、頭ではオレは女だとは分かっているのだが、心が、感情がそれを受け入れないのだ。
 我ながら面倒なヤツだとは思うけど、こんなふうに育ってしまったんだから仕方ない。

 オレには両親がいない。
 死んだのかそれともオレを捨てたのか、そんな事は分からないし今となってはどうでもいい。
 オレを育てたのはベインというシケタ魔法使いのジジイだった。
 ジジイという程の歳でもなかったのだろうけど、シワだらけで老けた顔をしていて、とにかく冴えないヤツだった。
 ベインは何故かオレを男として育ててしまったんだ。
 綺麗な服を着る事も髪に花を飾る事も、そして女らしい遊びをする事も許さなかった。
 ベインはベインなりに思うところがあったのかも知れないと人から言われたりもしたが、オレにはそうは思えなかった。
 どうせものぐさなヤツの事だ、「女の子の育て方」なんて分からないから男として育ててしまった、そんなところだろう。
 オレを魔法使いに仕立て上げたのもベインだった。
 もちろんその教育方針はスパルタだ。
 朝から晩まで魔法の修行、そんなだったからベインとはいつも喧嘩ばかりしていたけど、そのおかげで今のオレはこの歳にしてマスターと呼ばれる魔法使いになれたんだ。
 それは感謝しても良いかと思う。
 でも、そのベインも3年くらい前に死んでしまった。
 戦死らしいが詳しい事は知らない。
 ヤツが死んだと聞いても涙一つ流さなかったしな。
 さっき「この歳にして」と言ったけど、オレは自分の本当の歳を知らない。
 誕生日すら知らないんだからしょうがねえだろ?
 14、5歳くらいだろうとは思うけどね。
 最近になって急に「女らしい身体」に成長していく自分に正直戸惑いを感じている。
 胸はふくらみ、月に一度の女の日もちゃんとある。
 それでもオレは男として生きる事を選び、続けている。
 体形が変わったからって幼い頃から仕込まれた男としての人生までは簡単に変える事は出来ないからだ。
 オレがオレである為に、オレは男として生きている。
 そんなところだ。

 サラシを巻き終えたオレは胸に手を当てその感触を確かめた。
 よし大丈夫、キツク巻かれたサラシはオレの女の部分をしっかりと覆い隠している。
 それが出来たらこれもベッドの脇に投げ捨ててあったローブを拾い上げ頭からすっぽり被った。
 オレの身体には少し大き目、実際に着てみるとダボダボだ。
 これもオレの体形を隠すためだ。
 最近の女魔法使いの流行といえば、ヒラヒラとしたドレス調のものだったり、肩や腹を意味も無く露出させたデザインだったりする。
 腰の部分をベルトやリボンで結んでスタイルの良さを強調するものがほとんどだ。
 色だって赤やピンクなどの派手なものが好まれているようだ。
 しかしオレが着るのはそんなチャラチャラしたものじゃない。
 何の飾りっ気も無く、色だって元は白だったのがすっかりくすんでしまっている。
 もちろんベルトなんか無しの着流し姿だ。
 そしてローブの上から黒いマントを羽織った。
 今日出掛けるのは山の上にある教会、春とはいえ山にはまだ雪が残っている。 
 多少なりとも防寒対策は必要だろう。
 支度が出来たらテーブルの上にあったパンをミルクで流し込む。
 これで朝メシも完了、オレは部屋を出た。

「あらジェイク、早いね」
「ああ」
 宿のロビーへ出たところでオレに声を掛けたのは、ここの女将のガーネットだ。
 歳の頃は四十過ぎだと思う、一人でこの宿を経営しているのだ。
 実は・・・
 この女将はオレの正体を知る、この街では数少ない人物の一人なのだ。
 オレがこの宿に泊まり続けて10日程経った頃だった。
 ガーネットは、一向に風呂に入ろうとしないオレを見かねて無理やり共同浴場へ連行した。
 もちろん男湯にだ。
 幸い風呂場は無人だったが、オレは必死に抵抗した。
 それにも関わらずガーネットはオレを押さえつけ、強引にローブを剥ぎ取ってしまった。
 オレの身体を見て初めは驚いていたが、すぐに事情を察するとその日はしばらくの時間風呂場をオレの為に貸し切りにしてくれたのだ。
 普段は人目を避ける為なかなか風呂に入らないオレだったけど、その日ばかりはしばらく振りでのんびりと湯船に浸かる事が出来た。
 風呂から出るとオレは自分の事を出来るだけ正直にガーネットに話した。
 一通りの話を聞き終わったガーネットはたった一言「あんたも色々あったんだね」と言ってオレの頭を撫でてくれた。
 それ以来ガーネットは何かとオレの世話を焼いてくれている。
 どうせ空いているからと個室を格安で提供してくれたり、食事や身の回りの面倒を見てくれたりしているのだ。
 3日に一度くらいは風呂にも入れてくれる。
 だだし女湯にだ。
 その時ガーネットは入り口に「掃除中」の札を出し、他の人が入ってこないように気を配ってくれるのだが、ガーネットがちょっと目を離した隙に入ってくるヤツが時々いる。
 そんな時オレは、出来るだけ顔を合わせないようにして一目散にその場から逃げる。
 女同士だと思えば別に逃げる必要も無いんだけどな。
 とにかく、ガーネットはオレの理解者であり恩人でもあるのだ。
 感謝してるぜ。

「今日は何だい?」
「山の上の教会へ行くって連中の手伝いだよ」
「ええ? あの気味の悪い教会かい?」
「たいした事ねえよ」
 顔をしかめるガーネットに、オレはわざと大げさに手を振ってみせた。
「でも物騒な世の中になったねえ。街の外にはモンスターが出回ってるって言うし」
「そうだな」
「それにね、ここだけの話だけど・・・」
 ガーネットはそこで言葉を切るとオレの耳元に顔を近づけ
「何でも最近アガン王が行方不明だって噂だよ」
 神妙な顔つきでそう囁いた。
「王様が行方不明? 何でまた?」
「あたしが知る訳ないだろ。エライ人には庶民には分からない事情ってものが色々あるのさ」
「ふーん。まっ、オレには関係ねーよ」
「それもそうだね」
 オレとガーネットは声を揃えてケラケラと笑った。
「そろそろ行くから」
「気を付けて行くんだよ」
「ああ」
 オレはガーネットに軽く手を振ってから冒険者の宿を後にした。

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