2003年ミラノALS/MND国際会議参加、報告第4弾!

会議3日目に、新しく「専門職フォーラム」なるものが設けられ、“患者である事”が私の専門の仕事ではありませんが出席致しました。
会場は、主催者の予測より100人ほど多くの集客があり、討論も私の想像以上に熱をおび重ねられました。

実は、新しい企画だったので、新鮮味に期待を致しておりました。
それ故メンバーには、良い研修となれば幸いと思い、絶対参加を言明しました(当初は観光を予定していました)。

ところで午前中最後に、実は日本では考えにくいテーマが討論されました。

それは『ある患者が眼球の動きさえ止まり、コミュニケーションが全く取れなくなるトータルロックトインになる以前に
「もし自分がトータルロックトインされたなら、呼吸器を外して欲しい」と希望を出した。
そして彼はトータルロックトインされた。さてあなたは専門職として、彼の呼吸器を外せるか?』という設問です。

以前何かで読みましたが、欧米の患者は何らかの目的を持ち呼吸器を装着し、その目的を達成したならば、呼吸器を外すという事があるようです。

例えば“娘の結婚式に出席する”とかが、その典型らしい様です。

そういえば、私のアメリカ人の患者友達(メール交流・呼吸器装着)の夢は“娘の結婚式で娘とダンスを踊る事”と、ある日のメールに書いてありました。
私は怖くて“その先はどうするの?”とは、とても尋ねられません(書けません)でした。
それにしても自分の意志により、呼吸器を外せるか?私には難しいです。

「今が幸せなのに、何故自ら命を断つ?」それが正直な私の思いです。

ところで、それについて述べ出すと、話が脱線してしまいます。


そう、只今報告させて頂いてます事は「専門職フォーラム」についての報告で、私の死生感コラムなどではありません。
ましてここでの設問は、主体者をドクターやナースにおいたもので、私のような患者ではないのです。
とどのつまり、私は門外漢という訳です。

それではここであらためまして、設問を振り返りましょう。
つまり、『あなたの患者がトータルロックトインされる以前に「先生!もし私がトータルロックトインされたなら、私の呼吸器を外して下さい」と希望をあなたに告げた。
そしてその患者はトータルロックトインされた。
つまり、コミュニケーションが取れなくなった。
あなたの脳裏に、彼が心変わりしていないかとの恐怖がよぎる。
さてあなたは専門職として、彼の呼吸器を外せるか?』という、濃過ぎるほど濃い設問です。

これがフォーラムで討論され始め時私は、昨年メルボルンにご一緒した患者さんS氏の事を思い出していました。
S氏はコミュニケーションについて、昨年の同盟会議に於いてJALSAの後押しの元、代行者さんによる発表をなさいました。
ここで内容等の細かい事は申し上げませんが、実は氏はトータルロックトインされていたのです。
私の目には、ご自分の意志で壇上に上がられた様には、見えませんでした。
恐らく、誰の目にも。

それでも私は心の中で祈りました“この発表が氏の志しであらん事を(取り巻く人達と、思いが一緒であらん事を)”。
と同時に“その尊い生きざま、見届けさせて頂きました”と言う氏を称える気持ちが、心の底より溢れ出しまた。
私也の魂からの応援です。
正直“この氏の発表は、この会議の流れでは、日本人以外に理解される事はない”と思いました。

なぜなら「2003年ミラノALS/MND国際会議参加、報告第1弾」で2002年メルボルン国際会議の様子を再考致しましたように、この会議は

『行く末の明らかな患者に対する解答は、不偏であり議論の余地は無く、それを言い伝える人こそが主体であり、澱みなく解答を伝えるための訓練を要する。』
つまり「ALSとは間違いなく死に至る病気だから、如何に安らかなる死を患者にもたらすかが肝要である。そしてその役割を担う者こそ、ALS界の主役である」と言う基軸を持つ会議であるからなのです(あくまでも私の主観です)。
その時私は思いました「もし来年ミラノ国際会議に来るならば、患者として何かを主張しなければ!主体は患者のはずだから!!」と
<*あえて報告第1弾を引用致しました。お許し下さい>

そんな事を考えていた私は、2003年ミラノALS/MND国際会議参加、報告第1弾第2弾第3弾!のような経過をも経ています。
このフォーラムの討論を、当然ながら黙って聞き流す訳にはまいりませんでした。

“日本人患者の意見、きっちり言い切って見せるぜ!”と瞬間意気込んだのでした。でも、そうは問屋が卸しません。

何せ私の場合、文字盤を利用し⇒それをメモ化して⇒翻訳をし⇒手を上げ代読発表をする(フォーラムに於いては、専門職でもないのに)。
この手順を、極限られた時間でこなさなければなりません。

故に結局

「私は日本の患者です。
私の呼吸器は体の一部です。
それを止めるのは自殺を意味します。
日本では考えられない事です」

とだけ発言致しました。これで精一杯でした。

結論!「文化の違い」で片付けられました。
お粗末様です。【続く】

【続く】