『 永遠に ― (2) ― 』
§ 薔薇と ( 承前 )
パタン ・・・ 窓を閉めかけて、窓際のマリーゴールドの鉢が乾いていることに気がついた。
わたしはキッチンにもどって グラスに水を汲んできた。
「 ごめんね・・・ 咽喉がからからね、ほら・・・美味しいでしょう? 」
グラスの水をいくつか並ぶ鉢に注いでゆく。 ぷるん、と葉を震わし花たちは満足そうだ。
「 ・・・ 楽しそうね ・・・ 」
カチン ・・・・
空になったグラスが 窓の桟に当たり清んだ音をひびかせる。
「 ・・・行ってらっしゃい、 か ・・・・ 」
見送った人の姿はとっくに雑踏の中に紛れていて ― もうすぐメトロの駅へと下りてゆくのだろう。
メトロに乗ってサン・ラザール駅に出て。 そして それから・・・列車で基地へ。
そうして兄は海外の駐屯地に向かうのだ。
・・・ いつものことよね ・・・・
平気 平気。 なれっこよね、と自分自身に言い聞かせた。
結局 窓を開け放ったまま、わたしはリビングのテーブルに戻った。
カフェ・オ・レはとっくに冷え切って飲めたものじゃない。
「 あ〜あ ・・・ つまんないなあ・・・・ 一人で朝御飯たべても美味しくないし・・・ 」
自分の皿の前に座ったけれど、 朝食の気分にはもうなれない。
「 ・・・ いっか。 ちょっと早いけど出かけるわ。
そうそう ・・・ 9区の方に新しいカフェがオープンしたって聞いたわ。
朝のレッスンの前にあそこに寄ってみよう っと 」
わたしは 食器をシンクに放り込むと そのまま出かける仕度を始めた。
― その頃 わたしは兄と一緒にカルチェ・ラタンに近い、古びたアパルトマンに住んでいた。
オトナになる前に 父と母を相次いで亡くし、ついでにたった一人の兄は空軍に身を投じ・・・
軍務の間、 ほんの短い休暇にもどってくるだけだった。
だからこのアパルトマンにいるのはいつだってわたし一人 なのだ。
淋しくなんかないもん ― もう慣れてしまったから・・・。
早朝の空は濃い瑠璃色をしていた。
次の季節の衣を纏い始めている ― 冬が 近づいてきているのだ。
「 ・・・ あ〜〜 ・・・・ ! いい気持ち♪ ちょっと早起きしてラッキーだったわ。
う〜ん ・・・ 空気の色がちがうわね。 きれいな泉の水みたい 」
わたしはご機嫌でハナウタなんぞ歌いつつ、公園を横切っていた。
色づいたマロニエの葉が ずいぶん芝生の上に散らばっていた。
「 そっか ・・・ もうそんな季節なのね。
夏も秋もずっとレッスンやらリハーサルで忙しかったし・・・
あ〜あ ・・・ ゆっくりヴァカンス〜 なんて別世界ね。 あら・・・? 」
晴れ上がった空だったのに 花壇の奥の茂みから霧が流れ出してきた。
しめった空気が 思いの他冷たくかんじられる。 わたしは足を速めた。
カツカツカツ −−−−
「 えっと ・・・ あっちの出口へゆくには ああ ここを突っ切ったほうが早いわね。 」
わたしは サンザシの茂みの方へ歩いていった。
「 ・・・ この木って いつでもなんとなく懐かしい気分になるのよね・・・ どうしてかなあ・・・ 」
ぶらぶらと一番大きな茂みをまわり込んだ時 ―
「 ・・・あ ! pardon Mademoiselle ! ( 失礼、 お嬢さん ) 」
不意に一人の青年が反対側から現れた。
「 ! ・・・ え あ ・・・ い いえ。 わたしの方こそ ・・・ぼんやりしていて・・・」
ぶつかることはなかったし、 ほんの少しだけジャケットが触れ合っただけ。
「 いや 僕のほうこそ ・・・ あれ? 」
「 ・・・? なにか・・・? 」
青年は 脚を止めしげしげとわたしを見つめている。
・・・ なんなのよ? 新手のナンパ?
でも このひと・・・ すごくいいスーツ着てるし ・・・
わたしはどぎまぎしつつ 彼の顔を見上げた。
― あ。 わたし 知ってる? この瞳 ・・・
「 ・・・・あ あの ムッシュウ。 どこかでお会いしました・・・よね ? 」
「 ― やあ。 覚えていてくれた? < ちっちゃなマドモアゼル> ? 」
「 ・・・・ ! アラン! アラン、ね そうでしょう? 」
「 当たり。 マドモアゼル・フランソワーズ。 」
彼 ― アランは 小さく笑うとわたしの手を取りさっと身をかがめ口付けをした。
うわ・・・! こんなコト、する人ってまだいるわけ??
やだ、わたしってばGパンにセーター、リフォームしたお兄ちゃんの革ジャン・・・なんてすごい恰好。
すっきり洗練された身なりのアランの前で なんだか顔が赤くなってしまった。
でもアランはそんなことは気にもかけずに、にこにこ・・・わたしの顔を見つめている。
「 ― 久し振りですね。 」
「 ムッシュ ・ アラン ・・・! 本当に? 」
「 ええ 本当に。 いやあ〜〜〜 この・・・・サンザシの茂みが導いてくれたのかな? 」
「 ・・・ そう ・・・ そうだったわね! あの時 わたし、サンザシの樹の下で 」
「 ふふふ・・・ベソかいてハンカチ握り締めていた。 」
「 ヤダ、そんなこと忘れてくださいな。 」
「 いやあ あんなに可愛いコのことを忘れるなんて無理ですよ。
泣きべそも可愛いかったけど、 その後で君はちゃんとレディの会釈をしました。
あの可愛いさといったらもう・・・ 」
「 いやだわ ムッシュ・アラン ・・ そんな昔話はもうやめましょう。
今はパリにお住いですか? 」
「 いえ ・・・ 母に付き添ってサン・トノーレ街へ買い物のお供なんです。 」
アランは苦笑して ちょっと肩を竦めてみせた。
「 まあ・・・ 」
「 マドモアゼル・フランソワーズ、 あなたは? ああ これからお出掛けですか? 」
「 ふふふ・・・ すごい恰好でしょう? わたし、バレエ団のレッスン生なんです。 」
「 それは素晴しい! もうすぐ可憐な白鳥姫になられるのですね。 」
「 まだまだ とても・・・ コール・ド・バレエで時々舞台に立てる程度ですもの。
ただいま 醜いアヒルの子 です。 」
「 あははは・・・相変わらず ユーモアのセンスがある方だな。
あ ・・・ 引きとめてしまいましたね、レッスンなのでしょう? 」
「 まだ大丈夫。 今朝はちょっと早起きして ― 兄を見送ったので ・・・
ヒマつぶしにカフェに寄ろうかな・・・なんてプラプラ歩いてました。 」
「 そうですか! それじゃ・・・ あの、お願いしていいかな。 」
「 なにかしら? 」
「 うん・・・ 母がね、 今カフェで待っているのですが。 花が欲しいって・・・
できれば 蔓薔薇みたいなのが欲しいと言うのですが・・・ 」
「 まあ この季節に蔓薔薇?
・・・・ そうねえ、サン・トノーレ街のお花屋さんにはないでしょうね。 」
「 どこか ご存知ありませんか? 」
「 んんん〜〜〜と ? ・・・ あ、そうだわ。 お花屋さんじゃないけど・・・
近所にお花を沢山育てているおばあちゃんがいるの。
お願いすれば 一枝、分けてくれるかもしれないわ。 」
「 え ・・・ それなら是非お願いしたいな。 ああ その前によかったら母に会ってやってください。」
「 お母様、どちらに? ・・・あら わたし、そのカフェに行くつもりだったんです。 」
アランの答えに わたしは目をまん丸にし・・・ そのまま二人で腕を組んで公園を突っ切っていった。
きゃ〜〜〜♪ ウソみたい〜〜
こんなステキなムッシュウと歩けるなんて・・・
わたしはウキウキ、早起きしたことに大感謝していた。
晩秋の朝の空気は 顔に突き刺さるみたいに痛かったけどもう気にならなかった。
うふふふ・・・ この姿 お兄ちゃんに見せたいなあ〜
そのカフェの日溜りの席に 毛皮の長いコートに身をつつんだ貴婦人が いた。
白くて華奢な手の側にはマフがおいてあった。
・・・・ うわあ ・・・・ なんて絵になるの・・・!
今時マフかあ〜〜 でもものすごくお似合い!
「 ・・・? まあ ・・・ ちっちゃなマドモアゼル!? そうですわね? 」
思わず見とれているわたしに、マダムはすぐに気がついてくれた。
「 はい ・・・ 覚えていてくださって嬉しいです。 」
「 まあまあ・・・なんてキレイになったの? さあさ、こちらへお掛けなさいな。 」
「 はい ありがとうございます。 」
毛皮のコートの下には オートクチュールと思われるドレスが見え隠れしている。
「 ママン 蔓薔薇のことですけど ・・・ 」
「 え。 あら ・・・まあ そうなの? 嬉しいわ〜〜 」
アランが蔓薔薇の話を伝えてくれて、マダムは手を打って喜んでいた。
ふわ・・・・っといい香りが漂ってくる。 シャネルでもゲランでもない。
これって・・・ホンモノの薔薇の香りかしら。
「 ね、マドモアゼル・フランソワーズ? お遊びに来てくださいな。
もう ね アランったらお買い物の相手には全然ならないの。 」
「 うふふふ・・・ そりゃムッシュウには無理かもしれないです。
どちらにご滞在ですか? 」
「 ええ ・・・ パリに来た時にはいつもジョルジュ・サンクなの。
ねえ 是非いらしてね。 」
やっぱりあの最高級ホテルか、と思った。
「 ありがとうございます。 あの・・・ ムッシュウは? 」
「 フランソワーズ、 父はね 所用で海外に ― 東洋に行ってるんだ。 」
「 まあ そうなんですか? それじゃお淋しいですね。 」
「 そうなの。 ね マドモアゼル、 おしゃべりしましょう、パリジェンヌ達の間では
今 なにが流行っているのかしら お話してくださらない? 」
白い手が ほわん、とわたしの手を覆った。
手入れのよく行き届いたすんなりした指に ちかり、と指輪が光っている。
あれはダイヤね ・・・ ニセモノかと思うくらい大きいわ・・・
マダムは満面の笑みでわたしのおしゃべりを聞いている。
・・・でも、 こんな上流のマダムがわたし達のチープ・シックなんかに興味があるのかしら?
「 それで ― ? あ あの。 なにか? 」
ふとマダムの顔を見れば 目尻に涙が光っている。
「 え? いえ なんでもないわ。 ・・・ フランソワーズ、ステキな日々を送っているのね。 。
「 ・・・う〜ん ステキかどうか・・・ 元気だけは自慢できますけど。 」
わたしは肩を竦めてちょろっと舌を出してしまった。
「 温かい手ね。 温かい・・・ よかった・・・! 間に合ったのね ・・・ 」
「 はい ママン。 こんどこそ 」
「 そう ね。 これでお父様が ・・・ かれ を連れていらっしゃれば 」
「 ええ きっと。 今度こそ僕たちと 」
マダムとアランは 笑みを交わしとても満足そうに頷きあっていた、とても・・・・
「 ・・・ あの? 」
「 ああ ごめんなさいね、フランソワーズ。 なんでもないの、お気になさらないで。 」
「 フランソワーズ、 時間は大丈夫? レッスンの時間 ・・・ 」
「 ・・・え? あ ! いっけない・・・
ごめんなさい、マダム、 ムッシュ・アラン。 そろそろわたし、失礼しなくては。 」
「 ママン、 彼女はバレリーナなんです。 」
「 まあ〜ステキ! ね、 オペラ座で踊るときには是非教えてね。 」
「 あらら・・・・ そんな日が来るかどうか。 」
「 そのためにもレッスンに遅刻は・・・ね? フランソワーズ。 」
「 はい、今日は失礼しますわ。 マダム、 ムッシュ・アラン ・・・ またお目にかかりましょう 」
「 ええ ええ 待っているわ。 いってらっしゃい、フランソワーズ。 」
「 はい それじゃ ・・・ 」
ふんわりといい香りと一緒に頬にキスをもらい、わたしはカフェを後にした。
「 よかった ・・・本当によかったわ・・・ あの娘 ・・・ 」
「 ええ。 パパの方も上手くいっているといいですね。 」
「 そう願いたいわ。 」
洒落たカフェで 洗練された身形の親子は 安堵の笑みを交わしていた。
そんな彼らの会話を わたしは知る由もなく ・・・ 上機嫌でレッスンに急いでいた。
「 こっち こっち・・・ ムッシュ・アラン 」
「 アランでいいですよ。 え ・・・ 大通りから随分遠いのですね。 」
「 普通の下町ですもの。 大きなお邸がたくさんある左岸とは全然違うでしょ。
でもこの辺りの人たちは狭い庭や植木鉢にお花を植えています。 」
「 ほう・・・ ああ その中に蔓薔薇が? 」
「 はい。 ウチの町内にお花を育てる名人のおばあちゃんがいます。
彼女の花壇は縁に蔓薔薇が絡み付いていますわ。 」
「 そうか・・・ ありがとう、マドモアゼル・フランソワーズ。 」
「 フランソワーズ、ですってば。 ああ ほら あそこです ・・・
マリーおばあさん・・・? フランソワーズですけど〜〜 」
わたしは翌日、ムッシュ・アランを近所の家に誘った。
この季節、 高級花店には温室咲きの薔薇やら蘭は溢れているだろうけれど
野の花に近い蔓薔薇は とても置いてはいない。
マルシェにだって出ていないかもしれない。
「 アラン? マリーおばあさんが どうぞ、って。 」
「 ありがとう! 」
「 おや、こちらがファンションの ぼ〜いふれんどさん かい? んまあ〜〜いいオトコさんだね〜 」
「 お おばあさん・・・! 」
マリーおばあさんはにやにやしてアランのことをじ〜〜〜っと見つめている。
「 マダム ・・・ ありがとうございます、蔓薔薇をくださるそうで・・ 」
「 ああ ああ 可愛いファンションのためさ、好きなだけ持っておゆき。 」
「 ありがとうござます。 母が好きなので・・・ ほんの一枝、頂きます。 」
「 そうかい そうかい よければこっちには冬薔薇があるよ。
お店で売っているのほど大輪じゃないが ・・・ ちゃんと冬の風に耐える薔薇だよ。 」
おばあさんは 秘蔵の鉢が並ぶ方に案内してくれた。
温室こそ持っていないけれど一番日当たりのいい場所だ。
「 さあ 気に入りがあったら切っておくれ。 」
ああ、花バサミをもってこようね、とおばあちゃんは家の中に戻っていった。
「 アラン、お気に入りはありました? 」
「 ・・・ これは見事な薔薇ですね。 」
「 そうでしょう? ねえ どうぞお好きなのをお母様に・・・・ 」
「 ・・・ いや ・・・ 」
アランはなぜか 薔薇に触れようとはしなかった すこし離れてじっと花を見つめている。
「 アラン? お気に入りは見つからないの? 」
「 ・・・あ いや・・・。 うん、これはやはりここで咲いているのが美しいよ。
僕はこの蔓薔薇を頂いてゆきます。 」
「 そう・・・? マリーおばあさん それじゃわたし達これで失礼しますね〜 」
わたしはドアをあけて声をかけた。
「 ・・・ファンション。 ・・・ これを ・・・ これを持ってお行き。 」
玄関にいたおばあさんはなぜか硬い表情になり 首から銀の十字架を外すとわたしに押し付けた。
「 ・・・え? 」
「 なんでもいいから。 これを! いつでも持っているんだよ。 いいね。 」
「 ・・・ マリーおばあさん・・?? 」
「 あんたに 神様のご加護がありますように・・・! 」
「 ・・ ?? 」
わたしはわけもわからずに 十字架をポケットにいれるとアランのもとにもどった。
「 お待たせしました。 それじゃお母様のところにお届けしましょう。 」
「 ありがとう ああ 本当にキレイだ ・・・ 」
アランはわたしが手にした蔓薔薇をじっと見つめていた。
ピンクの花が 晩秋の風に触れてゆらゆら揺れている。
「 この花は 本当の薔薇ほど <強く> はないから ・・・ 」
「 え なんですか? 」
「 ・・・ いや なんでもないよ。 本当にありがとう、フランソワーズ。
ああ この街に住みたくなってきたなあ。 」
「 まあ! そうなさったら? ホテル住まいではなくて、郊外のどこかに ・・・
ムッシュウがお帰りになったらお願いしてみたらいかが? 」
「 そうだなあ。 うん ・・・ 父がいい知らせを持ってきてくれるといいんだが。 」
「 お帰りが待ち遠しいわね。 」
わたし達は 連れだって冬の気配が濃くなってきた街を抜けていった。
「 ― 失礼します、 島村ジョーです。 」
「 ああ ジョー、 お入り 」
「 はい ・・・ 」
ドアが開くと セピアの髪の少年が遠慮がちに顔を覗かせた。
黒のズボンにカッター・シャツ、サイズが合わないジャケットを着ている。
どうやら 学校から帰ってすぐらしい。
彼はドアを閉めると、 もじもじしつつ神父様を見つめた。
「 ・・・ あの? 」
「 呼びたててすまなかったね、 ジョー。 この方が 君の父上のご友人だそうだ。
ムッシュウ、 彼が島村ジョーです。 」
「 シマムラ ジョー君 ・・・ 」
神父様と向かい会っていた紳士が ゆっくりと振り向いた。
「 は はい ・・・ あの・・・? 」
あれ!? ・・・ こ このヒト どこかで会ったことがある・・?
ずっと前 ・・・ どこか とても気持ちのいい場所だった・・・
少年は穴のあくほど 熱心にその紳士のことを見つめてしまった。
「 ・・・ ジョー。 失礼ですよ。 」
見かねて 神父様が彼を嗜めた。
「 ・・・! あ ・・・ す すみません ・・・! 」
「 なに、構いませんよ 」
紳士はにこにことジョーを見ている。
「 シャルル・ポーラル といいます。 君の父上とは昵懇な仲でしてね。 」
「 ! ・・・ 」
「 ジョー。 ムッシュウ・ポーラルは ― 」
「 ・・・・ ええ ??? 」
神父様の話に セピアの髪の少年はただただ ・・・驚くばかりだった。
ひゅるん ・・・・ 北風が二人を追い抜いていった。
ジョーは荷物を持ち先に立って国道めざして歩く。
後からゆく紳士は かなり躊躇っていたが声をかけた。
「 ― ジョー君。 」
「 はい? あ・・・もうすぐですよ。 そこで車を拾えばあとは 」
「 いや。 本当にいいのかね? 」
「 ・・・ なにが ですか。 」
「 本当に君は ・・・ あの施設に残る、というのか。 」
「 ムッシュウ・ポーラル・・・・ 」
スーツケースのキャスターから手を離すと ジョーは真正面から紳士に向き直った。
「 はい。 ムッシュウのお申し出はとても嬉しいですけど ・・・ 」
「 君の父上にはいろいろと事情があって ・・・ すぐに君を迎えられないが代わりに私が 」
「 はい、ちゃんと了解しています。
ぼくは ― ぼくは父さん・・・いえ 父が母やぼくのことを知っていてくれた、というだけで
それだけで 嬉しいですから。 」
「 ・・・ ジョー君、 だったら一緒に来ないか。 君の運命のヒトとも 」
「 うんめいのひと? 」
「 いや ・・・ なんでもない。 」
「 ・・・ぼくは ― 今、ここを離れることはできません。
ぼくの力なんて微々たるものだけど ・・・ 神父様の側に居なくちゃならないんです。 」
「 ・・・ そうか。 それでは気が変わったらいつでも連絡して欲しい。 」
「 ― ありがとうございます。 ムッシュウ ・・・ 」
「 ジョーくん。 ・・・・ 覚えていないかな、 小さな亜麻色の髪の女の子を ・・・ 」
「 ???? 」
「 ・・・ まあ いい。 これは君が決めることだ。 私には無理強いはできない。 」
「 すみません ・・・ 」
「 謝る必要はないよ。 ― 君に会えてよかった。 」
紳士は少年の手を握った。 温かい血の通う、精気に溢れた若者の手 ・・・
彼はまだ本当の生命を生きている。 ツクリモノではない、真実の熱い命を。
「 いつでも いつでも呼んで欲しい ・・・ 君が助けを必要としたときには。 」
「 ありがとうございます ムッシュウ ・・・ 」
紳士はじっと・・・温かい視線をジョーに当ててから 車中のヒトとなった。
「 ・・・・ 本当の父さんみたいなヒトだ ・・・ 」
おにいちゃあ −−−− ん ・・・・・
空の彼方から ふと ・・・ 懐かしく思える声が聞こえた。
「 ・・・?? ぼく どうかしてるなあ ・・・ 」
ジョーはぷるん、とアタマを振って踵を返した。
「 ねえ ・・・ 蔓薔薇の咲いているところを知らない? 」
「 ・・・・え?? 」
突然、 後ろから声が飛んできた。
ジョーが驚いて振り返ると ― そこは 見知らぬ街の風景が広がっていた。
「 そ ・・・ そんな ・・・ ぼくは今 あのヒトを見送って帰るところだったんだ・・・
海辺のあの町で・・・ でも ここは ・・・ ? 」
とん ・・・ となにかが彼の背中に触れた。
「 ? ・・・ あ す すいません ・・・ 」
「 え ・・・いえ わたしこそ ・・・ 」
ジョーの後ろには彼と同じくらいの年頃の女性が いた。
あれ ・・・? このヒト。 どこかで会った よな?
いや 彼女によく似た少女 かな ・・・
ジョーはいつもの引っ込み思案はどこへやら夢中で彼女の腕を引いた。
「 あの! 」
「 ?! なにか・・・ 」
見つめかえした怪訝な顔に 彼はどうしても見覚えがあった。
「 ・・・ あの ・・・ そのう ・・・・ 」
「 はい? 」
大きな碧い瞳がまっすぐにジョーを見つめている。
ぼくと会ったことがありませんか
― そんな陳腐な、ナンパ野郎みたいなセリフ言えるワケがない。
ジョーはぐ・・・っと 呑み込みあわてて別のことをたずねた。
「 ・・・あ あの! ここ ・・・ど どこですか? 」
「 え ・・・ 〇〇〇公園ですけど ・・・? 道に迷ったのですか? 」
「 あ そ そうです はい! 」
公園の名前はよく聞き取れなかったが どうも外国の名みたいだった。
そういえば 目の前の<見覚えのある>彼女も どう見てもガイジンさんだ。
ここはいったい ・・・いや、自分はどうかしてしまったのだろうか ・・・?
ジョーはぼ・・・・っとして ただただ 目の前のいる彼女を眺めていた。
「 わたしも ・・・ どうやら出口を間違えたみたいなの。
あのね、 この公園はとても広くて ・・・ 奥の方までは行ったことがないの ・・・・ 」
「 そ ・・・ そうなんですか ・・・ 」
「 なんとか大通りの方の出口まで行きますから ・・・ ご一緒しましょう?
そうすればアナタも道がわかるでしょう? 」
「 ・・・ は はあ ・・・お お願いします。 」
「 はい。 多分 こっちだと思うけど ― 」
彼女はジョーの先に立って歩き始めた。
目の前を金色とクリーム色が混じったみたいな色の豊かな髪が揺れている。
・・・・ な なんて キレイなんだ ・・・!
「 − はい? 」
「 あ ! い いえ その・・・あ、 その花! その花、き キレイですね! 」
ジョーは慌てて彼女が手にしていた花を指した。
「 ああ これ? ええ ・・・ 蔓薔薇なんだけど。
ある方がね、どうもお気に召さないみたいなのよ。 」
「 え 誰が ― あ すいません、立ち入ったこと、聞いて・・・ 」
「 いえ 構わないわ。 ある貴婦人が蔓薔薇が欲しい・・・って仰るから。
これを捜してきたのだけれど ・・・ なんだか違ったみたいなの。 普通の薔薇じゃダメで・・
ねえ これ・・・ 蔓薔薇ですよねえ ? 」
「 ・・・ うん 多分 ぼくも花屋じゃないから詳しくないけど ・・・
あ、以前にね、こんな花がいっぱい柵に絡んでいる家があって とてもキレイだった。 」
「 ― え ・・・ その家って ドアに彫刻があって ・・・・ 」
「 キレイなマダムが いい香りのするお茶とお菓子をどうぞ・・・って ・・・ 」
「「 あなた ・ きみ あそこにいた ? 」」
二人は しっかりと頷きあい見つめあった。
碧い瞳は セピアの髪の少年を セピアの瞳は 亜麻色の髪の少女を 思い出した。
「 やっぱり 夢じゃなかったんだわ・・・! 」
「 夢? 」
「 ええ。 あの後で目が覚めたら兄の背中だったの。
背負ってもらって家に帰る途中だったわ。
皆夢だよ、待ちくたびれて寝てしまった間に見た夢だ、って父も兄も言ったわ。 」
「 ・・・あれは! 夢、じゃないと思う。 」
「 あら なぜ? 」
「 あの時 ・・・ ぼくが持っていたスーパーの袋・・・ なぜかちゃんと施設の、あ いや
住んでいたトコの台所に届いてたんだ。 誰も運んでいないはずなのに・・・ 」
「 そうなの・・・ 」
「 ウン。 信じられないけど ・・・ 」
「 ねえ? ・・・ わたし ね。 また会ったの! あの時のお兄さんとそのお母さんに! 」
「 え ・・!? ぼくも 出会ったんだ、 あの時の背の高いムッシュウに ・・・ 」
「 わたし達 ・・・ あの家族と縁があるのかしら。 」
「 わからない ― でも なにかが あるんだ、きっと。 」
「 ・・・ そうね。 あのお家 ・・・ また行ってみたいわ。 」
「 うん そうだね。 なんだかとっても ・・・ 落ち着く場所だった・・・ 」
「 あんなお家で暮らせたら 幸せでしょうね。 」
「 あは ・・・ そうだね、 夢みたいだけど ・・・ 」
「 イヤなことや 悲しいことなんかなんにもなくて ・・・ 愛し合うヒトと一緒に笑って過したいわ。 」
「 ・・・ き きみを泣かせるヤツは ぼくが許さない! 」
「 え ??」
「 あ ・・・・ ご ごめん ・・・ 勝手なコト言って ぼく ・・・ 」
「 ううん すごく 嬉しい ・・・! わたしも ・・・ アナタと 」
「 一緒に 行くかい ? ずっと笑って過せる場所へ ・・・ 」
「「 ・・・え?? 」」
二人の前に 暗い髪をした青年が立っていた。
「 ムッシュウ・アラン! 」
「 ボンジュール、マドモアゼル・フランソワーズ。 こんにちは シマムラ・ジョー君 」
「 ・・・あ こ こんにちは ・・・ 」
「 君も僕たち家族のことを覚えていてくれたんだね。 嬉しいなあ・・・ 」
「 アランさん。 あ あの! ぼく ・・・ ムッシュウ・ポーラルに、あなたの父上にお会いしました。
ってか ・・・ ついさっきまで 話をしていたはず・・・なんだけど・・・ 」
ジョーは首をひねり、 なにがなんだかさっぱり判らない、といった様子だ。
「 うん ・・・ それで ジョー君、 君は父の申し出を受けてくれるのですね? 」
「 ― あ あの ・・・ すみません ぼく・・・ 」
一瞬彼は俯いて言葉を濁してしまったが すぐに顔をあげはっきりと言った。
「 ぼくは 行けません。 」
「 ジョー君 ・・・! 」
ずっと穏やかだった青年の声が びん、と跳ね上がった。
「 あ・・・失礼 ・・・ しかし! 聞いてくれ。
今 あの教会を離れておけば君はある事件に巻き込まれない。 そして 運命も
・・・ 君の運命も違った方向に進むのだよ? 」
「 なんだかよくわからないけど。 やっぱりぼく、帰ります。
小さい子達の面倒をみてやらなくちゃならないし。
今日はぼくが風呂場掃除の当番なんだ。 皆で協力しないと、やってゆけないんです。
皆で ぼく達の神父様を援けなくちゃ。 」
貧乏ヒマなし、ってことかなあ・・・と ジョーは明るく笑った。
「 ジョー。 君はどうしても・・? 」
「 すみません。 ― 神父様はぼくにとって親代わり ・・・ ううん、大切なヒトなんです。
身寄りもない捨て子だったぼくを引き取って育ててくれました。 」
「 その・・・大切なヒトを殺めたと疑われるのか ・・・ 」
「 え?? 」
「 いや ・・・ なんでもないよ。 君は本当に・・・ いいのかい。 」
「 はい。 ぼくのこと ・・・ ぼくなんかのこと、気に掛けてくださってありがとうございました。 」
「 ・・・ ジョー。 彼女のことは 」
「 ― 彼女 ? 」
「 そうだ。 覚えているのだろう? 一緒にお茶を飲んだ、あの女の子だよ。 」
くるり、 とジョーは振り向いた。
そこには 温かな微笑みを湛えた瞳が彼を見つめていた。
「 ジョー。 行って? いま、あなたが大切に思う方のところに。 」
「 ・・・・フランソワーズ 」
なぜか自然にその名前が口をついて出た。
「 うん。 ありがとう ・・・ 」
「 ううん ・・・ わたしもお兄ちゃんのこと、大切だもの。 」
二人は 静かに微笑み合い見つめあう。
「 また ― 会えるよ、きっと。 ・・・ ね? 」
「 ええ。 サンザシの樹のそばで・・・ きっと。 」
「 うん。 じゃそれまで サヨナラ 」
「 Au revoir ・・・・ 」
ジョーは差し出された白い手にちょ・・・っとだけ触れると サンザシの茂みの陰に消えていった。
「 ・・・ あ ・・・? 」
フランソワーズが もう一度眼を凝らしたときには 茂みの向こうには誰もいなかった。
冬の太陽がうすい光をぼんやりと投げかけているだけだった。
「 ・・・ ジョー ・・・・ それに ムッシュウ・アランも ・・・ 」
気がつけば手にしていた蔓薔薇は消えていた。
「 ・・・ アラン ・・・ 持っていってくださったのかしら。
マダムが気に入ってくださると嬉しいのだけれど。 ・・・ あら 霧が晴れたわ? 」
フランソワーズは周囲を見回し ふ・・・っと息を吐いた。
「 さ! フランソワーズ! 寄道はオシマイよ、レッスンに行かなくちゃ。 」
大きなバッグを持ち直すと 亜麻色の髪の少女はすたすたと歩きだした。
― バタバタバタ ・・・! カンカンカン !
誰かが階段を駆け下りてくる。 コンシェルジュの老婆はやれやれ、ドアを開けた。
「 これこれ・・・ 静かにしておくれ。 」
「 ご ごめんなさ〜〜い、おばさん! 」
足音の主の声が上から響いてきた。
「 おやま。 フランソワーズかね。 どうしたんだい、そんなに急いで・・・ 」
「 あのね! 今日 お兄さんが休暇で帰ってくるの!
駅で待ち合わせしたのに〜〜 わたしったら寝坊して ! ごめんなさ〜〜い ! 」
カンカンカン −−−−−!
靴音と一緒に本人が駆け下りていった。
「 ま 転びなさんなよ。 」
「 は〜い ・・・ きゃあ たいへ〜〜ん!! 」
声の主はアパルトマンを飛び出した。
「 ― フランソワーズ。 」
「 きゃ!? ・・・・ああ ムッシュウ・アラン? 」
ドアの前で 一人の青年にあやうくぶつかるところだった。
「 いきなり、失礼。 急用があります、一緒に来てくださいませんか。
ほら ・・・ 母もおりますから。 」
「 え・・? あ ・・・マダム・・・ ごきげんよう・・・ 」
青年の少し後ろには 長いコートの婦人が立っていた。
「 ボンジュール ・・・ マドモアゼル。 」
「 ね、ほんの少しで終わりますから。 」
青年は彼女の肩に腕を回し 行く手を遮った。
「 ・・・ごめんなさい、今日はだめ。 お兄ちゃん、いえ 兄が帰ってくるの。 」
「 ほんの少しです。 どうか・・・! 」
「 本当にごめんなさい。 あの! わたし、すごく急いでて・・・ごめんなさい!
あ! これ! この蔓薔薇〜〜 ! マダムにどうぞ!! 」
「 ・・・あ ・・・! 」
彼女は一輪の花を襟から抜き彼に渡し、そのままするり、と青年の腕を掻い潜り道を駆け出していった。
「 ああ・・・! フランソワーズ ・・・!! 」
「 だめよ。 あの娘が望んだことなのですもの。 」
婦人が首を振り 静かに青年を嗜めた。
「 しかし! このまま黙って見ているわけには! 」
「 ― あ・・・! ・・・ 無駄なことなのに ・・・ 」
青年は 彼女の後を追い走ってゆく。
「 ・・・フランソワーズ・・? あああ!! なにをするッ!!! 」
彼の前方で 彼女が一台の黒い車に押し込められつつあった。
「 まてーーー!!! お前ら!! やめろ、やめるんだ ッ 」
「 ― なんだ? 」
「 おい 拙いぞ、騒がれると・・・ ぐわっ!! 」
青年の鉄拳が唸り、黒服のオトコたちがぶっ飛んでゆく。
「 ・・・ フランソワーズ! 大丈夫か!? 」
「 ・・・ あ ・・・ アラン ・・・? 」
クスリでも嗅がされたのか 彼女は焦点の合わない瞳でぼんやりと彼を見ている。
「 わ・・・わた し ・・・ お兄ちゃん ・・・が ・・・ 」
「 フランソワーズ! さあ こっちへおいで! 」
「 ・・・ああ ・・・ 」
青年が彼女を抱き寄せた その時 ― チカリ ・・・ なにかが彼女の胸元で光った。
・・・・・!? あ ああああ ・・・ これは・・・!
な なぜ 銀の十字架を ・・・?
彼は怯みよろめいて後退りした。
「 !? い いまだ! このまま 突っ走れ〜〜〜 」
黒服のヤツラは再び彼女を車に引き込むと 猛然とスタートしていった。
「 ― ・・・・ フランソワーズ ・・・・! 」
アランは 呆然と舗道に立っていた。
その手には 一輪の花、薔薇の花が ・・・ それはすでに枯れている。
「 ・・・ せめてもの慰めは また会える ということか ・・・ 」
足元に青年の溜息と共に枯れた花びらが散ってゆく ・・・ 彼の呟きも彼自身もやがて空に消えた。
翌日、 新聞の片隅で一人の少女が行方不明になった、と簡単な記事が報じられた。
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: 08,30,2011. back / index / next
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続きます!
しまった・・・! 平ゼロ設定 なはずなのに〜〜
これは原作バージョンですねえ >> 拉致場面 ・・・ (;O;)
お目こぼし願います〜〜〜 <(_ _)>
銀の十字架 と 薔薇 が ダメ ・・・ もうわかりましたよね?