『 うたかたの日々   −(4)−  』   

 

 

 

 

・・・こつん。

杖の運びがとまり、少女は道端に立ち止まった。

目の前には 瀟洒なつくりのショ−ウィンドウを備えた一軒の店がある。

 

− ANTIQUE SHOP −

 

気取った書体が彫刻のある樫のドアの上に踊っていた。

 

・・・ここなら。

 

少女はポケットの中で きゅ・・・っと手を握り締めた。

かじかんでいるはずの細い手は汗ばんで 掌の中のものをしとど濡らしている。

長年馴染んだ、懐かしいその感触を少女は もう一度しっかりと味わった。

 

パパ・・・ お兄さん。 ・・・ ごめんなさい、許して・・・!

 

コツ・・・コツコツ ・・・

少女は杖を抱えなおし、足を踏み出した。

 

 

 

 

少女が持ってきた風呂敷包みの中味に ざっと目を通すと

中年の女性は ほっと溜息をついた。

「 病み上がりなのに・・・ あんた、よくまあ。 でも、本当に助かるよ。

 アタシらの仕事は信用第一だからね。 」

「 ぎりぎりになってしまって・・・。 ごめんなさい。 今度のはベビ−服が多くて

 楽しかったです。 」

「 小物はね〜 器用なヒトにしか任せられないんだよ。 ・・・ああ、うん、流石だ。

 さ、これ。 御代と・・・これはお見舞いさ。 お風呂屋仲間みんなからだよ。 」

「 ・・・え・・・ まあ・・・ 」

大きなバナナの房が 少女の前にぼん、と置かれた。

「 フランちゃん、寝込んでるって聞いて・・・みんな心配してたんだ。

 さ、これで栄養、つけて。 ・・・ここに入れるよ? 」

「 あ・・・ ありがとうございます・・・ いつもいつも・・・ 」

丁寧に頭を下げる少女の背を その女性はそっと撫でた。

「 いいって・・・。 それにしても・・・島ちゃんは・・・優しいねえ・・・。

 仕事の合間にずっと晩御飯の買物とかしてたろ? トメさんも感心してたよ。 」

「 ・・・・・ 」

「 早く元気になって、島ちゃんを安心させてやりな。 」

「 ・・・ はい。 」

「 あんた・・・幸せもんだよ。 あんないい亭主、大事にしなくちゃいけないよ。」

「 ・・・ おばさん。 」

「 おっとっと・・・。 まだ 彼氏 だったねえ。 」

涙目で笑って、やはり涙を滲ませた少女に、その女性はうんうんと頷いた。

 

それじゃ・・・と、もう一度お辞儀をして、少女は立ち上がった。

 

 

 

 

  ・・・ ジョ− ・・・

 

きゅっと唇を噛み締め、背筋をしゃんと伸ばす。

店のドアをまっすぐに見つめた。

 

 − ジョ−。 わたしのタカラモノは、ね。

 

古ぼけたハンカチでも、この時計でもなく。

ジョ−・・・あなたなの。 あなたの幸せが・・・わたしのタカラモノよ。

 

そのためなら・・・。

 

改めて掌の時計を見る。

フタの裏には 懐かしい父の筆跡が読める ・・・ < 最愛の我が息子、 ジャン へ >

 

覚えている限り、この時計はいつも兄の側にあった。

すこし歳の離れた妹を 兄のジャンはとても可愛がってくれたが、

肌身離さず持っている金の懐中時計だけは なかなか触らせてはくれなかった。

 

「 コドモの玩具じゃないんだ。 」

いつもは優しい兄は 妹がどんなに頼んでも素っ気なく拒否をした。

・・・お兄ちゃん・・・ 意地悪。

きらい。 ・・・その時計、アタシは大きら〜いっ!

幼い日、そんな憎まれ口をなんど利いたことだろう。

思い返せば、大好きな兄を独占している<時計>に 焼きもちを焼いていた・・・のかもしれない。

 

 

 

 

「 お兄さん、あけるわよ ・・・ あら? 」

 

ティ−タイムに兄を呼びにきた少女は 戸口から首を差し伸べ兄の部屋をのぞきこんだ。

部屋の主はどこへ行ったのか、しんとした部屋でナイト・テ−ブルの上にちかり、と光るものがあった。

 

・・へえ? 珍しいのね。

 

そうっと足を踏み入れ、少女は兄のベッドの脇に立った。

いつもいつも。 

もうほとんど兄の身体の一部になっているようなあの時計が。

今日は ぽつん・・・と転がっていた。

 

なんだか 淋しそう・・・・

 

少女は細い指で 金の鎖を摘み上げようとしたが すぐにひっこめてしまった。

自分が触ったら・・・ 時計が機嫌を損ねるかもしれない。

 

いいわ・・・。

 

ぱふん・・・。 少女は兄のベッドの端にそっと腰をおろし、じっと視線を時計に注いだ。

 

わたしが、一緒にいてあげる。 お兄ちゃんが帰ってくるまで。

・・・ね? こうしていれば淋しくないでしょ?

ナイト・テ−ブルに頭をあずけ、少女は時計に話しかけた。

 

ちかり。

兄の時計が テ−ブルの上から微笑み返してきた・・・ような気がした。

 

 

「 ・・・ ファン? ・・・おい、起きろよ・・・」

「 ・・・・ ? んん ・・? 」

「 ほぅら・・・ お茶、なんだろ? 」

「 ・・・あ・・・ お兄・・・ちゃん ・・・ 」

「 あ、じゃないよ。 パパ達が笑ってたぞ。 僕の部屋で遭難しているのか?ってね。 」

「 ・・・わたし・・・ ごめんなさい・・・お兄ちゃんのベッドで・・・

 あのね。 お兄ちゃんの時計が一人ぽっちで淋しそうだったから。 お話してて・・・ 」

「 それで、一緒にお昼寝かい? ・・・ ふふふ。 ありがとう、ファンション。 」

くしゃり、と兄の大きな手が少女の髪を梳いた。

「 ・・・あん。 お兄ちゃんったら・・・。 」

「 さ、お茶に行こう。 パパとママンは待ちくたびれてるぞ。 」

「 あら。 誰のせいかしら? 」

「 ・・・ お待たせいたしました。 どうぞ、マドモアゼル? 」

「 Merci, Monsieur ・・・ 」

慇懃に差し出された兄の腕に、少女はするりと腕を預けた。

そして 気取った足取りで両親の待つティ−ル−ムへと出て行った。

 

その翌日から妹は兄の時計の<保護者>に昇格した。

 

避暑地のテニス・コ−トで。 冬のスキ−場のヒュッテで。

よく似た色の髪をなびかせ、活躍する兄の側で 少女の手にはいつも金の懐中時計があった。

海辺での別荘では 潮風やら砂埃を避け少女のポケットが時計の居場所だった。

 

 

「 あら。 ・・・ジャンはテニスなの? 」

「 ママン・・・。 ううん。 乗馬。 お昼前にキャサリンさんが誘いに来てクラブへ行ったわ。」 

「 まあ、そうなの。 ファンは置いてきぼり? 」

ティ−セットをテ−ブルに置くと アルヌ−ル夫人は 娘の髪をふわりと撫ぜた。

「 ・・・ 置いてきぼり、じゃなわ。 お留守番よ、時計さんと。 」

「 ふふふ・・・そうね。 じゃあ、私達だけでお茶を頂きましょう。 ファン、パパをお呼びして。 」

「 は〜い。 ・・・あ、ママンのカスタ−ド・パイね! 」

「 そうよ、熱いうちに、ね。 ・・・あら、あなた。 」

「 ・・・やあ、アツアツのパイに間に合ったようだな。 」

「 パパ! 」

アルヌ−ル氏は大股で庭を横切り、お茶の仲間に加わった。

少女は父の側に飛んでゆき 隣の椅子に腰をおろした。

真夏の風が お茶のいい香りを振り撒いている。

麻のテ−ブル・クロスの裾をゆらして 避暑地の午後の風が通り抜ける。

ガ−デン・チェアで ティ−タイムを楽しむ家族には明るい日差しがぴったりだった。

 

「 ねえ、ファン。 パパともご相談したのだけれど。 来月、お船で旅行しましょう? 」

「 ・・・え? お船で?? 」

そう、とアルヌ−ル氏は笑顔で夫人とうなづきあった。

「 丁度パパのお仕事のお友達の会社が大きなお船での旅を計画していてね。

 エッカ−マンさん、知っているだろう? ・・・それで、皆で参加しようかな、と思うんだが。

 ファンはイヤかい? 」

「 ううん、ううん! 大きなお船って・・・初めて! 

 あ・・・お兄さんは? 乗馬やテニスの方がいいのかしら。 」

「 ふふふ・・・ファンは ジャンがいないと絶対にウンって言わないのね。

 大丈夫よ、これはね、ジャンがパパにお願いしたことなんだから・・・ 」

「 そうなの! わ〜〜嬉しい! ・・・あ、お兄さんだわっ! ちょっと知らせてくるわねっ 」

がたん、と椅子をひっくり返しそうな勢いで引くと 少女はぱっと家の方めざして

駆け出した。

その先に サマ−・ジャケットを手にした兄が急いでやってくる姿があった。

 

「 ・・・あらあら。 大事な時計も放り出して・・・ 」

「 ははは・・・ まだまだチビさんだな、ファンは。 」

「 いくつになってもお兄ちゃん・お兄ちゃん・・・ですものね。 

 ねえ、あなた。 今度の船旅ではパ−ティ−もありますでしょ、あの子にドレスを作ってやりましょうよ。 」

「 ああ・・・ まだちょっと早いが・・・ まあ、船の上だらかな、構わないだろう。 」

「 もう、14ですのよ? 来年はリセエンヌですわ。 」

「 なんだかなあ・・・ ついこの間までよちよち歩きだった<ちっちゃなファン>がなぁ・・・ 」

「 ふふふ・・。 実はね、約束だけでも・・・って ジュリアが言いますの。」

「 ・・・約束? ジュリアって、エッカ−マンの細君の・・? 」

アルヌ−ル氏は 危うく飲みかけの紅茶を噴出そうになってあわててナプキンを手に取った。

「 約束って・・・その、なに、かい?! ・・・あそこの息子は・・・えっと・・・」

「 カ−ルよ。 ジャンよりちょっと上。 しっかりした青年ですわ。 」

「 あ、ああ、思い出したよ。 親父が変人学者だからなあ、彼はじい様の会社を継ぐので大変だろ。 

 しかし・・・ファンはまだ子供だよ? それに、社交界にもまだ出ていないのにどうして。 」

「 どうもね、スキ−場かどこかでジャンと一緒に会ったのですって。 それ以来・・・ 」

「 ・・・一目惚れってわけか! う〜〜む・・・なかなか目利きなヤツだな! 」

「 ふふふ・・・ね? どうかしら? 家柄もつり合うしあなたの事業にも。 」

「 う〜ん・・・・ まあ、本人次第だろう? ファンの幸せが一番だよ。 」

「 それは 勿論ですわ。 」

 

「 遅れてすみません、パパ、ママン。 」

「 おう。 乗馬はどうだった? 」

妹に纏わりつかれている息子に、アルヌ−ル氏は目を細めた。

「 障害、結構飛べるようになったけど。 まだキャサリン姫には勝てませんね〜。」

「 あは! あのジャジャ馬姫はなあ・・・ 」

兄の横でうずうずしていた少女は 待ちきれずに父と兄の会話に割り込んだ。

「 パパ!ママン! お船の旅行のこと! お兄さんも大賛成ですって! ありがとう〜 パパ!」

「 ・・・おいおい。 お茶がこぼれるよ。 」

愛娘に首ったまにかじりつかれ、アルヌ−ル氏は相好を崩し上機嫌だった。

「 あらあら・・・ お船ではパ−ティ−もあるのよ。いつまでもそんな赤ちゃんだと

 誰もファンのお相手をしてくれませんよ。 」

「 ファンの相手って。 ママン、それは無理だよ。 しょうがないから 僕がエスコ−トしてやるさ。 」

「 ひっど〜い、お兄さん! 」

ぷ・・・っと膨れた少女に家族みんなが 声を上げて笑った。

高原の避暑地に 幸せな一家の明るい笑い声が響いていた。

 

 

・・・ それが。 幸福を絵に描いたようなアルヌ−ル一家の最後の休暇となった。

 

 

 

「 お先〜す! 」

「 お疲れサンで〜す 」

挨拶を残しつぎつぎと帰ってゆく仲間に答えつつ、青年はまだ洗い場を出ようとはしなかった。

ばしゃばしゃと水道の水で勢いよく工具を洗う。

こびりついた泥やら食い込んだ小石を丁寧に落としてゆく。

 

「 ・・・いつも熱心だな。 」

「 あ・・・ 監督・・・ いえ、ハインリヒさん・・・ 」

突然、ポン、と肩を叩かれ振り向いた青年は 声を上げて驚いた。

普段、ほとんど口をきいたこともない現場監督が 立っていた。

見事な銀髪が 現場の明かりに煌いている。

「 監督、で充分だ。 」

「 ・・・・ ハイ 」

「 どうだ?島村。 ちょっと付き合わないか。 ここは、俺が始末しておくから、着替えてこい。 

 なに、ほんの15分くらいさ、手間は取らせんよ。 」

「 はい・・・すみません。 」

青年は急いで手と顔を洗った。

 

 

「 ・・・あ、ここは・・・ 」

「 お前に紹介してもらっていらい、常連になっちまった。 よう、大人、邪魔するぜ。 」

「 アイヤ−、監督はん〜 あれ、ジョ−はんも! よう起こし。 」

横丁の屋台に慣れた様子で 現場監督氏は立ち寄った。

「 こんばんは、張さん。 」

「 ほい、今晩は。 さ、何にするネ? 」

「 オレはいつもの。コイツは・・・すぐに帰るから・・・餃子、包んでやってくれ。」

「 ・・・監督! 」

「 いいって。 たまには・・・奢らせろ。 さ・・・ちょっとだけ・・・ 」

まるで手品のように 湯気のたつコップが二人の前に現れた。

「 ほら、飲めよ? 焼酎のお湯割りさ、こんな夜にはちょうどいい。

 ・・・ああ、そんなに引きとめんから。 」

「 はい、頂きます。」

「 お前、いつも最後まで後始末してるな。 工具なんかきっちり洗って。 」

「 ・・・あ、遅くなってすみません。 やっぱ・・・大事にしたいなって。 」

「 ふん、いい心がけじゃないか。 たかがバイトなのに・・・ 」

「 バイトでも。 仕事は仕事ですから。 ・・・あ、生意気言って・・・どうも・・・ 」

「 いい心がけだな。 ・・・それはそうと、彼女の具合はどうだ。 」

「 ・・・はあ。 なんとか起きられるように・・ 御蔭様で・・・ 」

そっとコップを手にとった青年に 現場監督氏はちらり、と視線を流した。

「 そうか。 よかったな。 」

「 ・・・ はい。 」

「 ・・・なあ、立ち入ったこと聞いて悪いが。 お前の彼女の足? 」

「 え? ・・・ああ。 子供の頃事故で怪我して、その後遺症だって。

 でも! ある人から治す手立てはあるって聞きましたから。 僕がなんとしても治しやります。 」

「 ・・・ そうか。 ・・うん、頑張れよ。 」

「 はい! 」

「 お前らには 無用な差し出口かもしれんが。 心底惚れたオンナなら。 

 どんなことがあっても、離すなよ。  」

「 ・・・ 監督 ・・・ 」

「 人間は・・・特に男ってヤツは。 身近にある大事なものに目がいかんのさ。

 いっつも先ばかり見ていてな。 ・・まあ、そうじゃなくちゃ生きてゆけんが・・・ 」

「 ・・・ はあ。 」

「 ふふん・・・。 失くしてから気がつくってのは 一番の大馬鹿もののすることさ。 」

「 ・・・・ 」

「 ほい、監督はん。 あつあつの出来上がり、アルね! 」

屋台の主人が 自慢げに包みを差し出した。

「 お、ありがとよ。 さ、これ。 土産だ、持って帰れ。 」

「 ありがとうございます! 」

ずい、と腕を差し伸べたとき、監督の襟元からちらり、と光るものが覗いた。

 

 − ? なんだろう? ・・・指輪・・?

 

青年は目の端で捕らえたものが なぜか気に掛かった。

「 ・・・それじゃ。 監督、張さん、・・・ご馳走様でした。  失礼します。 」

「 ああ。 また、明日な。 」

「 また、来てな。 ・・・ 今度こそ、二人で来るアルよ〜〜 」

 

主人の軽口に照れた笑みを残し、ぺこり、と頭を下げると青年はぱっと身を翻した。

 

「 ・・・さ。 熱いのに替えまほ。 」

「 お、悪いな、大人 」

ほっほ・・・と太鼓腹をゆすって屋台の主人は湯気の立つグラスを客の前に置いた。

「 ・・・オレもたいがいお節介だな・・・ 」

「 わてらはな、監督はん? 苦労してはるお人が好きなんや。 」

「 違いねぇ・・・。 」

目の高さにグラスを上げ、湯気越しに二人は目を合わせに・・・っと笑った。

現場監督氏はそっとシャツ越しに胸に右手を当てた。

 

 

 

 

とくん・・とくん・・とくん・・・

・・・どうして今日は 心臓の音が聞こえるのかな・・・

 

少女はぱたり、と炬燵の上に身体を預けた。

 

・・・ ああ。 冷たくていい気持ち・・・

 

暖房もない冷えこんだ部屋なのに 火照った頬にテ−ブル板の冷たさが心地よかった。

 

ふう・・・。

へんなの。 ・・・息をするのって・・・こんなに意識しちゃうものだっけ?

・・・吸って・・・吐いて・・・ふう・・・・

 

少女の潤んだ瞳で ぼんやりとテ−ブルの上を眺めていた。

そこには。

かなりの厚さの封筒と ・・・ 金の時計。

 

この お金・・・ そう、あのお店のヒトがくれたのよ、買取代金ですって・・・。

でも、ここにちゃんと、<あなた>はいるのね。

<時計さん>・・・ そう、あなたのこと、そんな風に呼んでいた・・・

・・・あのひと・・・ 誰 ・・・・?

骨董屋さんのヒトは 最初意地悪だったわ。

こういう骨董でも新品でもない中途半端なモノは 買えないって・・・。

そしたら。

お店の奥の方にいた・・・あのヒトが・・・

そうよ、なぜかわたしとこの時計をじっと見つめて・・・じ〜っと見て。

それで・・・ えっと・・・

なにかお店のヒトとぼしょぼしょ話をしてたんだわ。

それから・・・

お嬢さん、これは僕からのプレゼントです・・・って。

これを・・・この時計を返してくれて。

そしたら お店のヒトがこの封筒もくれて・・・

 

わたし。

だまってお辞儀して・・・それで・・・。

 

なにか・・・頭がぼうっとして・・・・ 

ちっちゃいころ・・・? え・・と・・・

お兄さん・・・? そう、お兄さんがいて・・・パパとママンがいて・・・

・・・ううん。 わたしはずっと・・・ずっと教会の施設で育った・・・はず・・・?

 

ああ・・・! なんだか・・・よくわからない・・・。

・・・ ジョ− ・・・・!

お願い!ジョ−

わたしの手を握って。

わたしの髪を梳いて。

わたしに キスして ・・・・ わたしを抱きしめて。

・・・ お願い ・・・!

 

  − そばに いて。

 

 

 

「 ・・・島村くん? 帰っているかい。 ギルモアじゃが・・・ 」

とんとん・・・と遠慮がちなノックに 穏やかな声が響いてきた。

 

・・・あ。 大家さん・・・

 

炬燵の上に突っ伏していた少女は ようやく顔をあげた。

くしゃくしゃになった髪を手で押さえ、涙で汚れた頬を古びたハンカチで慌てて拭った。

 

「 あ・・・はい。 ちょっと・・・待ってください、今・・・ 」

「 ああ・・・ゆっくりでいいよ。 気を付けて・・・ 」

労わりに満ちた声音にほっとしつつ、少女は戸口ににじり寄った。

 

「 ・・・こんばんは、大家さん。 あの、まだジョ−は帰らないんですけど・・・多分、もうすぐ・・・ 」

「 おお、そうかね。 ・・・じつはなあ。 フランソワ−ズさん、あんたに会いたいというお人が・・」

「 ・・・え・・・ わたしに ・・・? 」

 

「 ・・・ ファン・・・ ファンション・・・? おまえか、・・・本当に??? 」

「 ・・・え ・・・・ 」

大家の後ろから 割り込んできた人物がかすれた叫びをあげた。

 

「 ・・・ジャン ・・ お ・・・兄さ・・・ん・・・・? 」

どうしてこんな言葉が口から出たのか・・・少女は自分でもわからなかった。

「 おまえ・・・ 生きていたのか・・・! 」

「 ・・・あの・・・ 」

「 カ−ルが・・・カ−ル・エッカ−マンがさっき連絡してきた。

 信じられんが・・・もしかしたらって。 骨董屋で見た時計は・・・ジャン、お前のだったって。 だから・・・」

「 ・・・あ ・・・! 」

思わず後ずさった少女はバランスを崩し、悲鳴を上げた。

「 ・・・あぶない! ・・・え? おい、しっかり!! 」

 

 ・・・ この腕 ・・・ この温もり。 ・・・この匂い。 わたし、知ってるわ・・・

 

倒れこんだ腕の中、少女は薄れてゆく意識のなかでつぶやいていた。

 

「 おい、ファン? ・・・ああ、すごい熱だ・・・どうして・・? 」

「 やはり、妹さんでしたか、アルヌ−ルさん。 」

「 あ、はい。 ギルモアさん、でしたね。 はい、確かにこの子は僕の妹です。

 14の時、船の事故で行方不明になっていた、妹のフランソワ−ズです。 」

「 そうでしたか・・・・。 ああ・・・またぶり返したようですな。 」

老人は兄の腕に抱かれた少女の額にそっと手を当てた。

「 ぶり返した・・・? 妹は・・・病気だったのですか? 」

「 なに、ただの風邪ですが。 ・・・ちょっと身体が弱っているようですな、妹さんは・・・。 」

「 ・・・可哀想に・・・ 可哀想に ・・・ファン ・・・ 」

兄は涙をぼろぼろとこぼし、腕の中の少女を抱きしめた。

あの事故から5年近くが経っているのに、腕の中の身体は14歳のころと大してかわらぬ細さなのだ。

 

・・・ファン・・・! いったい、どうして・・・!

 

「 とにかく。 今すぐに連れて帰ります! ええ、僕は亡父の事業を継いでいるのですが、

 今はこちらの親しい知り合いの邸に滞在しているのです。」

「 そうですか・・・ 」

「 ・・・ おい、ファン・・・? 」

「 ・・・あ・・・。 わたし・・・ 」

「 さ、お兄ちゃんと ・・・ 帰ろう? パパやママンもきっと見ていてくれるよ。 」

「 ・・・ 帰る・・・? わたしのお家は ここよ。 」

「 ここって・・・。 ここは島村、というヒトの部屋なんだろう? 」

「 そうよ。 ・・・わたし。 ジョ−の、島村ジョ−の妻よ。 わたしのお家は ここ。 」

「 ファン・・・ 」

「 ・・・離して・・・。 もうすぐ、ジョ−が帰ってきます。 晩御飯を暖めておかなくちゃ。 」

「 ・・・あぶないっ・・! 」

「 ・・・あ・・・・ ! 」

無理に兄の腕をすり抜けたが、少女はすぐにその場にくず折れてしまった。

 

「 ・・・わかったよ、わかったから。 今はともかく、病院に行こう。 ・・・熱が高い・・・ 

 な、診察してもらって、薬を貰って。 それで、またここに戻ってくればいいだろう? 」

「 ・・・ だらしないわ、わたし。・・・また、風邪なんか引いて。

 また・・・ジョ−に心配をかけてしまうわ・・・ 」

「 ・・・だから・・・ ね? 早く治すためにも・・・ 病院へ行こう。 すぐに帰れば

 夕食には間に合うよ、ね? 」

「 ・・・そう・・・」

「 うん、うん。 さ・・・おいで。 寒いだろう、お兄ちゃんが抱いていってあげるから・・・ 」

「 ・・・ちょっと・・・・待って。 」

兄の腕を押しとどめ 少女は炬燵に這い寄った。

 

「 ・・・ これで よかったんじゃろうか ・・・・ 」

大家の老人は 廊下に佇んだまま、じっとその部屋を見つめていた。

 

 

 

「 ・・・ただいま。 ・・・フラン? 寝ちゃったのかい? 」

青年は弾む足取りをゆるめ、そっとドアの外から声をかけた。

「 フラン・・・? おい・・・? 」

いつもならすぐに開かれるドアは固くとざされ、部屋はしん・・・・と静まり返っている。

「 ・・・おい? いないのか・・・? 」

慌てて握ったドアノブはするりと動き 青年は戸口でたたらを踏んだ。

「 ・・・ ? ・・・・ 」

 

薄暗い豆ランプが狭い部屋をぼんやりと照らしている。

鼻が閊えそうな三畳一間が ・・・ なぜか今夜はやけに広く感じられた。

 

・・・ 少女の姿は ない。

 

 

・・・ フランソワ−ズ ・・・

がたり。

ふらふらと二三歩踏み込んだ青年の脚に 炬燵がぶつかった。

ぼとり、と彼の手から油じみた包みが落ちた。

 

・・・え・・・?

 

ぼうっと落とした視線の先になにか白いものが浮かび上がって見えた。

 

 < ジョ−へ。 すぐ戻ります。 待っててね。   フランソワ-ズ >

 

きっちりした書体のメモは 大きなバナナの房で押さえてあった。

 

 

・・・・ フランソワ−ズ ・・・・ 

 

しんしんと冷え込む薄暗い部屋で 青年はいつまでも立ち尽くしていた。

 

 

Last updated: 08,23,2005.                   back     /    index    /     next

 

 

**** <ファンション>は フランソワ−ズの愛称です。 (<フラン>はゼロナイ・ファンの間だけかな?)

    フランソワ−ズはセレブなお嬢様なのでした♪ え・・・どこの国?って・・・ソレは目を瞑ってください〜〜(泣)