『  うたかたの日々  − (3) −  』

 

 

 

 

「 ・・・え〜と・・・。 これで全部よね。 スカ−トが10着にワンピ−スでしょ・・

 あとは ベビ−服が・・・いち、に、さん ・・・ 」

少女はちゃぶ台の上に広げたやわらかな色合いの布を丁寧に積みあげた。

全部を風呂敷で包む前に もう一度一番上のベビ−服を手にとってみる。

「 ふふふ・・・柔らかくていい気持ち。 どんな赤ちゃんがコレを着てくれるのかしら。

 イワンちゃんなんか・・・こんなの似合うわね。 」

そっと頬に当て 少女はほっこりと優しい生地の感触を楽しんだ。

「 ・・・ 赤ちゃんか・・・  いいなぁ ・・・ 」

 

この前、風呂屋で思いがけなく抱き上げた赤ん坊の温かい肌触りが蘇る。

にこにこと無邪気に笑いかけてきた瞳が 忘れられない。

 

「 わたしに子供、好き?って聞いたけど・・・ジョ−は・・・どうなのかな。

 ・・・ 赤ちゃん、好きかしら・・・ 」

じっと自分の顔を見つめていた青年の眼差しが なぜかこころに残っている。

「 ・・・ ジョ−の・・・赤ちゃん。 ちょっとクセっ毛の柔らかい髪で・・・

 そうよ、それで・・・ジョ−とそっくりな茶色の瞳よね、きっと。 」

暖房もなにもない、北向きの冷え込む部屋で少女はほてってきた頬を持て余す。

「 イワンちゃんみたいに・・・にこにこ笑ってちっちゃなお手々伸ばしてきて・・・

 お母さ〜ん、って抱きついてきて・・・。 ミルクの匂いとお日様の匂いがして。 」

少女は自分の言葉に はっとする。

あんたにもね、じきにこんなかわいい子が授かるよ・・・

そんな風呂屋での会話が思い出され、少女は一人で首の付け根まで真っ赤になった。

 

「 やだ・・・お母さんって・・・わたし・・・? ・・・でも。 わたし、こんな身体だし。

 ジョ−はきっとすごくいいお父さんになると思うんだけど・・・ 」

 

・・・ ふぅ 。

 

「 さ、急がなくちゃ。 コレを届けて、お買い物して・・・。お夕飯は何にしましょう。

  お肉が安いといいなあ。 」

ぷるん、と頭を振り ひとつ、大きくため息を吐くと、少女はしっかりと風呂敷包みを結び上げた。

「 えっと・・・ これで全部ね? 忘れ物はなし、と・・・ 」

コ−トを着て、リュックを背負い壁際に寄せてある杖を取る。

その杖は見た目はあまりよくなかったが 軽くてそれでいて安定感がありとても使い勝手がよい。

この部屋に二人で暮らし始めたとき、青年が工場の廃材を利用して作ってくれたのだ。

 

ジョ−の杖。

それは青年が留守の間、彼に代わって少女をまもってくれている。

 

これがあれば。 ひとりでも平気よ。 どこへでも行けるわ。

少女は愛しげに杖をきゅ・・・っと握った。

 

少女は誰かに腕を取ってもらうか、自身で杖をつけばなんとか歩けたが、

多くの荷物を持つのはたいそう負担がかかることだった。

それでも、青年手製の杖を小脇に挟み、自分で縫ったリュックを背負い仕上がった仕立物を

包んだ大きな風呂敷を大事そうにかかえて。

少女は 元気な足取りで夕方ちかい街に出て行った。

 

 

 

さ〜〜 いらっしゃい、いらっしゃい〜〜!

今日のメダマは 鮭だよっ! 脂がのって、どう、この色〜

白菜、入ったよ〜 今夜も冷えるよ、ナベものが美味しいよォ・・・

 

夕闇に急かされて足早に行き来する人々の間に賑やかな声が飛び交う。

そんな人波にともすれば巻き込まれそうになりながら 少女は一歩一歩踏みしめるように歩く。

コツ・・・ コツ・・・ コツ・・・

杖の音の合間に背中でごろごろと愉快な感触がある。

 

・・・ふふふ。 なんだか伴奏みたい。 ご〜ろごろごろ・・・♪

 

少女は楽しげにつぶやいた。

 

「 さぁさ。 コレ、持って帰っておくれ。 ・・・ああ、そのリュックに詰めてあげるよ。 」

「 おばさん・・・ 」

「 ほうら・・・ たんと持っていきな。 島ちゃんと一緒に食べておくれ。

 うちの娘が嫁ぎ先から送ってくれたんだ、甘いよ〜 保証つきさ。 」

仕立物を届けにいった先で 蜜柑を山ほど貰ってしまった。

「 こんなに沢山・・・ ほんとうにいつもありがとうございます、おばさん。 」

「 なぁに。 あんたの仕事は丁寧だし、評判がいいんだよ。

 アタシも鼻が高いョ! つぎのは 明日あんたんちにとどけるからさ。 今晩はのんびりしなよ。

 炬燵で島ちゃんとなかよくこの蜜柑を食べとくれ。 」

「 はい、ジョ−もお蜜柑大好きだから・・・ 喜びますわ。 」

「 うんうん。 ・・・あ、気をお付け、そこは一段下がるからね。 」

「 はい。 ・・・ じゃあ、 おばさん。 また・・・御免ください。 」

「 はいよ、島ちゃんにもよろしくね。 」

 

嬉しいな。 仕立て代も入ったし。今晩はデザ−トつきね。

え〜と・・・ やっぱりお肉は高いなぁ・・・

 

「 あら、フランちゃん。 買い物かい。 」

「 あ・・・ 裏のおばあさん。 こんばんは。 ちょうどよかったわ!

 あのね・・・頂きものなんですけど・・・ 」

少女は立ち止まりリュックを下ろした。

「 お蜜柑、どうぞ? すごく甘いんですって。 」

「 まあまあ・・・ありがとうよ。 じゃ・・・ばあちゃんからは・・・はい。ここに入れるよ。 」

口を開けたリュックに 大きな林檎がぽん、と収まった。

「 ・・・あら! 困ったわ、御礼がなにも・・・ 」

「 なに言ってるんだい。 そうそう、そうやって笑っておくれ。

 あんたの笑顔がいちばんさ。 」

「 ・・・おばあさん・・・ 」

「 さ、お互い油を売るのはこの辺にして。 晩御飯をつくらなくっちゃね。 」

「 ふふふ・・・。そうですね。 お林檎、ご馳走様でした。 」

「 うんうん、こっちこそ。 さ、 気を付けておゆき。 」

「 はい、おばあさんも・・・ 」

 

ぺこり、と頭を下げて。 杖をたよりにゆく少女に老婆は独り言していた。

 

・・・あんなに頑張っているんだもの。 ナンか、イイコトがなくっちゃねえ・・・

 

 

ぱ〜ぷ〜・・・・

のんびりした音色と一緒に がらがらという賑やかな音が少女を追いかけてきた。

「 張さ〜ん。 こんばんは! これから開店ですか。 」

「 ほっほ〜♪ こんばんはアルね〜 フランソワ−ズはん。 」

まんまるな顔にちょろりと泥鰌ヒゲをはやした男が 屋台に繋いだ自転車を止めた。

「 ここであんさんに会えてよかったアル。 ・・・ほい、今晩二人で食べなはれ。 」

「 ・・・?  ・・・まあ、チャ−シュ−。 だってこれからお店でしょう? 」

「 これは〜特製の張々湖すぺしゃるネ。 店用じゃあないヨ、御礼アルね〜 」

「 御礼? 」

ばちん、と小さな目を大袈裟につぶってみせる店主に 少女は首をかしげた。

「 あんさんのカレシ、あの茶色髪の兄ちゃん、知り合いにわてのこの店を

 宣伝してくれはって。 そのおっさんがワテの餃子をえろう、気に入ってくれはってな。」

「 ・・・まあ、ジョ−が、ですか? 」

「 なんでもバイト先の・・・現場監督はんや言うてはって。 えらいムス〜っとしたお人やな、

 おもとったが、帰りがけに ココのは最高の味や、言うて褒めてくれてん。 」

「 そりゃ・・・張おじさんの餃子は天下一品ですもん。 」

古びた屋台に寄って少女は明るく言った。

「 ありがとサン。 ほいで、その現場監督はんがまた別のお友達つれて来てくれはってな・・・。

 このごろ、大繁盛アルよ。 」

「 まあ・・・よかったわ。 やっぱり本当に美味しいモノは、みんな好きなんですね。 」

「 味には自信、あってんけど。 ほんまに・・・あんさんらのお陰アルね。 」

たんと食べてや・・・・と店主はもう一度ばちんとウィンクすると、ごとり、と自転車を引き始めた。

「 今度な、二人して寄ってぇな。 ・・・待っとるアルよ。 サービスするネ 」

「 ・・・ おじさん。 御馳走様〜 ! 」

 

ぱ〜ぷ〜・・・・

再び間延びした音を吹き鳴らして、屋台はごとごとと夕闇の中進んでいった。

 

「 わ〜♪ 嬉しいわぁ・・・ チャ−シュ−がこんなに沢山!

 じゃあ・・・あとはモヤシとお葱と・・・そうだわ、お豆腐! あんかけの熱々つくろうっと。」

 

荷物が増えてリュックが肩に食い込む。

額にうっすら汗まで浮かべ、それでも少女は楽しげに歩む。

 

・・・ああ!ジョ−の喜ぶ顔が早く見たいわ。

 

くしゅ・・・っ!

小さなクシャミがこぼれ出てきた。

やはり、この前の夜、冷えてしまったようだ。

・・・早く帰らなくちゃ・・・ くしゅんっ!

薄いコ−トの襟をたて、少女は懸命に足を動かした。

 

 

 

「 ・・・あ。 ごめんなさい! 」

不意に電柱の蔭から姿をあらわした人影にぶつかりそうになり、少女は小さく声を上げてしまった。

急ぐ時などは 足元によけい気を使うのでやはり周囲への注意がどうしても疎かになる。

「 すみません・・・ あ・・・! 」

ぺこり、と頭を下げた途端に踏鞴をふみバランスを崩した少女の背に す・・・っと腕が伸びた。

 

「 大丈夫かい? 急に出てきてごめんよ。 」

「 ・・・あ、どうも。 はい・・・大丈夫ですから。 」

「 あんた、脚が・・・? ・・・ちょっと。 顔貸してくれないかい。 すぐすむよ。 」

「 ・・・・・・ 」

驚いて見上げた先には 白皙の美人がうすく微笑んでいた。

ぴっちりとした黒革のジャンプツ−スに 白いマフラ−が鮮やかに揺れている。

ぎりぎりまで下げられた胸元のジッパ−の奥に ほの白い深い渓間が覗かれた。

「 なんにもしない。 ちょっと聞きたいコトがあるだけさ。 いいだろう? 」

「 ・・・・・・ 」

きゅっと唇を噛み、蒼白な顔で少女は微かに頷いた。

 

 

「 ・・・ほら、よ。 熱いから、気をつけて・・・。 コレで少しは温まるだろ? 」

「 ・・・・ ありがとうございます。 ・・・くしゅっ! 」

二人は商店街から一筋はずれたところにある人気のない神社の境内に向き合っていた。

ぽろっと手渡されたコ−ヒ−缶を 少女はコ−トの端で包み込んだ。

「 そのコ−トじゃ・・・寒いわけさ。 伊達の薄着はよしなよ。 」

「 ・・・・ これしかコ−ト持ってないんです。 」

あは。 ジャンプス−ツの美人はコツンと自分自身の頭を小突くとしゅるりとマフラ−を外した。

「 悪い。 余計なコト言っちまった。 ・・・ダメだねぇ、アタシって。 こう・・・細かい気使いが

 できなくて。 さあ、これ。 」

「 ・・・・ え ? 」

目を見張ったまま 突っ立っている少女の肩にふわりと白絹のマフラ−が掛けられた。

「 お詫びのしるし、さ。 あんたにやるよ。 」

「 そんな・・・ これって絹でしょう、大切なものなんじゃないですか? 」

「 ・・・大切って・・・ どうしてわかるんだい・・・ 」

「 だって・・・・。 このマフラ−、シミひとつ無いですもの。 綺麗ですね。 お返しします。

 あ、わたし、全然気になんかしてません。 貧乏なのは本当ですから。 」

「 あ、いいって。 貰ってやってくれないか。 頼むよ。 」

「 ・・・・・・ 」

「 なんかハナシに入りそびれちゃったけど。 アタシはアルテミス。 

 このあいだの夜、うちのヘッドがあんた達のとこにいったでしょう? 」

「 ヘッド・・・? この間って・・・・ ああ! 」

「 アイツ、なにか言ってなかったかい。 その・・・行き先とか。 」

「 ジェット・・・さんのことですね? 」

「 そう、そうだよ。 急に抜けるなんて言って。 それっきり、どこにも・・・ 

 ねえ、ジョ−になんか言ってなかったかな。 」

アルテミスと名乗った女性は 少女の肩をしっかりと掴んだ。

「 ・・・ごめんなさい。 わたし、先に部屋へ戻っていたので何も判りません。 」

「 本当かい? 頼む、なんでもいいから・・・教えてほしいんだ。 」

この通り、と小さく頭を下げるアルテミスに 少女は困ってしまった。

「 あの。 アルテミスさん? わたし、本当に何も知らないんです。

 ・・・あ、ただ・・・ ジョ−が・・・ アイツはもう来ないって。 」

「 ・・・もう来ない・・・って。 ・・・・そうかい。 」

その女性は少女の両肩に手を置いたまま しばらくじっと俯いていた。

ばさり、と豊かな黒髪が前に落ち端整な顔を隠した。

 

 − このひと。 泣いているわ・・・

 

微かな震えが両肩に伝わってくる。

嗚咽ひとつ漏れてくることもなく 涙の一滴も伝い落ちはしていない。

でも。

 

 − こんな風に泣くひとも ・・・ いるのね。

 

「 ・・・あ、引きとめて・・・悪かったね。 アリガト。

 そこまで・・・送ってゆくよ。 」

「 いえ、大丈夫です。 それよりも・・・これ・・・・ 」

やっと肩を離してくれた女性に 少女はマフラ−を差し出そうとした。

「 ・・・いいって。 コレ、アイツのなんだ。 」

「 ・・・いいの・・・・? 大事なもの、なんでしょう? 」

「 もう。 わすれる。 決めたんだ。 あんたにやるよ。

 ・・・あんた、しあわせになりなよ? ・・・きっとだよ・・・ 」

強引に白絹のマフラ−を少女の手に押し付けると その女性はぱっと身を翻した。

「 ほんと、ごめん。 ・・・ ありがとう。 」

境内の石畳を派手に鳴らして 黒革のジャンプス−ツ姿はあっという間に宵闇に溶け込んでしまった。

じきにバイクのエンジン音が遠ざかっていった。

 

「 ・・・ アルテミス、さん ・・・ 」

ひゅ・・・っと夜風が少女の手にあるマフラ−を吹き上げた。

「 いけない! 早く帰らなくちゃ。 ジョ−が帰る前に晩御飯の仕度・・・・ 」

少女は しっかりと小脇の杖を握りなおした。

 

 

 

「 ・・・あらっ! いけない、もうジョ−が帰ってるわ。 大変・・・ 」

アパ−トの前、最後の角を曲がったとき 少女は小さく悲鳴を上げた。

古いアパ−トの二階、剥ぎ合わせのカ−テンの向こうに灯りがともっている。

「 そんなに・・・おしゃべりしちゃったかな。 ・・・急がなくちゃ。 」

コ−トの下に巻きつけたマフラ−はさすがに温かく 少女は元気に家路を急いだ。

 

「 ただいま。 ジョ−、ごめんなさい。 遅くなってしまったわ。 」

「 フランソワ−ズ、お帰り〜。 ・・・ああ、いいんだ、今日はぼくがすこし早くあがったのさ。 」

「 まあ・・・そうなの。 今、すぐに御飯の用意するわね。 ふふふ・・・今日は〜ご馳走よ? 」

「 へえ・・なんだろ。 ・・・その前に、さ。 」

「 ・・・あ・・・ あ・・・ん・・・ ジョ− ・・・ 」

リュックを下ろした少女を 青年はひょいと抱き竦め唇を求めた。

 

「 ただいま、の挨拶〜 」

「 ・・・ もう ジョ−ったら・・・ 」

息を弾ませ、頬をほんのりと染め少女と青年は見つめあい・・・笑いをはじけさせた。

「 さ、晩御飯よ。 すぐだから・・・ちょっと待ってね。」

「 手伝うよ。 え〜と・・・茶碗とか出すね。 」

「 まあ、ありがとう・・・。」

少女はリュックから荷物を出すと 手早くコ−トを脱いだ。

「 今日ね、 みなさんからいろんなもの、お裾分けしていただいたの。 ほら・・・

 お蜜柑でしょう、 お林檎でしょう。 それから・・・ 」

「 ・・・ フランソワ−ズ ・・・? 」

「 これはね、あの張さんから ・・・   え・・・? 」

「 フランソワ−ズ。 ・・・コレは・・・どうしたんだ。 」

 

青年の 低い声がびん・・・と響いた。

たったの今までとは 別人の声音だった。

・・・いや、声だけではない。 

 

「 コレ・・・ どうして、持っているんだ? 」

「 え・・・ あの・・・・ 頂いたの。 」

ぐっと襟元を掴まれ 少女はとぎれとぎれにしか応えられない。

「 ・・・誰に。 いつ、どこで・・・! 」

「 ・・・ ジョ−・・・どうしたの? このマフラ−が ・・・ 気に入らないの? 」

「 誰にもらったんだ! 」

「 ・・・ ジョ−。 ・・・あっ! 」

しゅるり・・・激しい衣擦れの音とともに少女の胸元から白絹が手荒く抜き取られた。

「 コレを・・・ 貰ってて遅くなったのか。 ジェットに会ったんだな! 」

「 ジェットって。 違うわ、コレは女のヒトに貰ったのよ。 」

「 出まかせ言うなっ ! 」

 

ぴん・・・と狭い部屋の空気が突如 凍りついた。

 

暖房もない冷え込んだ部屋でも たった今まで暖か色の空気がふくふくと満ちていたのに。

なぜか・・・ 涙はこぼれなかった。

少女は 大きな瞳をもっともっと大きく見開いてまじまじと青年を見つめた。

 

「 ジョ−・・・ わたしが信じられないの? 」

ひゅっと干上がった口から 低い声がやっと絞り出た。

「 ・・・・! ・・・。 わるかった・・・ つい。 大声だして・・・ごめん。 」

青年は はっとして腕を緩め声を落としたが。

 

 − こんな眼・・・。 ジョ−の眼じゃないわ。 

 

「 ・・・・・・ 」

少女は ただ黙って。 ただ・・・ じっと青年を見上げていた。

「 コレは ・・・ヤツのじゃないか。 コレはあのヘッドのシンボルで誰にも勝手に

 いじれるもんじゃないんだ。 」

片手に握ったマフラ−を 青年は苦い顔で見つめる。

「 コレを巻けるのは ヘッドと・・・そのオンナだけなんだ。」

「 女のヒト。 背が高くて・・・すらっとした綺麗なヒトよ。 わたしが震えていたらコレを下さったわ。

 こう・・・長い黒髪を結んでいたわ。 え・・・っと アルテミスさん・・・・ 」

「 アルテミス? 」

「 ええ。  あのヒト、・・・ジェットさんの行方を知らないかって。 」

「 ・・・ そうか。 ごめんよ・・・きみを疑ったりして。 」

「 ・・・・・ 」

そっと頭をふった瞬間、少女の身体がぐらりと傾いだ。

「 お・・・っと。 ・・・ フラン・・・? おい、 フランソワ−ズ!? 」

咄嗟に差し伸べてくれた青年の腕の中に 細い身体がずるずると倒れこんできた。

「 どうした? ・・・ああ! ・・・ ひどい熱だ。 」

驚いた青年がかき抱いたその肩が ・・・ 背が ・・・ 熱く波打っている。

乱れた亜麻色の髪の下で 長い睫毛を閉じた蒼白な頬が震えていた。

「 ・・・畜生っ! オレは・・なんてバカなんだ・・・! 」

 

 

 

カツカツカツ・・・カツ・・・

青年の手元から飛び散る氷片が 薄暗い明かりにもちかり、と煌く。

何処からか外の冷気が忍び込み、アパ−トの廊下はぐっとその気温を下げていた。

カツカツ ・・・ カツ!

吐く息も白く、氷を砕く手は真っ赤になっていたが青年は寒さなどまったく感じていなかった。

 

 − ちくしょうっ・・・! オレは!

 

ぎり・・・と唇を噛み締め、彼は氷を砕き、集め、氷枕の中に入れた。

 

少女の熱が下がらない。

夕方、青年の腕に倒れこんだまま、彼女は意識を失ってしまった。

熱く、そして小刻みに震え続けその身体を青年は慌てて布団に横たえた。

とにかく。 この熱をどうにかしなければ。

 

冷蔵庫の氷はすぐに使い果たし、駅前の牛乳屋に頼んで余った氷塊を分けてもらった。

それももう半分以上、彼女の額の上で溶けてしまっている。

 

 − ・・・ちくしょうっ・・・! はん、<絶対に護り通す>だと? 聞いて呆れるナ!

 

飛び散る氷が、指先を刺す冷気が、ぴしぴしと自分を責めている。

青年は そんな痛みではまだまだ足りないと思った。

 

いちばん大切なタカラモノだ、と言ったのに。

きみがいれば それで充分だ、と誓ったのに。

 

・・・下らない嫉妬に駆られ、彼女のこんな状態にも気がつかなかったのだ。

 

  ・・・ わたしが信じられないの・・・?

 

あの時、かっきりと見開かれた少女の眼に涙はなかった。

ただ。

深い、ふかい、哀しみだけが彼女の瞳に満ちていた。 

 

 − ちくしょう・・・! オレは・・・最低のヤツだ!!

 

ガツンっ・・・ ばしゃり・・・・

残りの氷塊が音をたてて 青年の拳の下で割れた。

 

 

「 ・・・ どうしたね? 今時分・・・・ 」

「 ・・・あ、大家さん・・・ 」

大きな手が ぽん、と青年の肩に置かれた。

「 彼女・・・具合が悪いのかね。 」

「 ・・・ え ・・・ 」

「 いや、なに。 宵の口に・・・君の電話が聞こえてしまっての。病人がいるから休む・・とな。 

 風呂にも来んし・・・ 近所の婆さん連が心配しとったよ。 」

老人は廊下の隅にある赤電話の方を 軽くあごで杓った。

「 あ・・・はい、あの。 多分風邪だと思うんですけど。 熱が高くて。

 ずっと冷やしているんだけど 全然下がらなくて・・・ 」

「 なにか・・・薬を飲ませたかね。 」

「 ・・・・・ 」

青年は俯いたまま微かに首を振った。

「 ・・・そうか。 ちょっと・・・ 待っておいで。 」

「 大家さん・・・? 」

 

 

額と首筋に触れ、脈を測り。 それだけで老人は少女の側から離れた。

そして持ってきた手摩れのした黒革の鞄をあけた。

「 ・・・さあ・・・ コレを飲んで。 あとは温かくしてゆっくりお休み。 」

「 ・・・・・・ 」

少女は潤んだ瞳でじっと老人を見上げると 差し出された薬を素直に口に含んだ。

「 そうじゃ、ウチに使わん毛布があるから。 君、と取りにきてくれんか。 」

「 ・・・すみません・・・」

いやいや、と老人は手を振って 青年を押し出すようして一緒に部屋を出て行った。

 

「 ・・・本当にありがとうございました。 」

「 ふむ。 ま・・・心配はいらんよ、普通の風邪のようじゃ。 」

「 そうですか・・・! 」

「 ただ、なあ。 栄養状態が悪い。 もっときちんと食べなくてはな。 」

「 ・・・はい。 」

「 君たち、近々一緒になるんじゃろう? ・・・奥方を大事にせにゃ、な? 」

「 ・・・ はい。 」

「 あの脚もな。 追々治してやったらいい。 」

「 ・・・ 脚、って。 フランのあの脚・・・ 治るんですか?! 」

思わず声を上げた青年を 老人は目顔で嗜めた。

「 ・・・なんじゃ。 彼女から聞いておらんのか? 」

 

 

 

・・・よかった。 ずっと息が楽になってる・・・!

 

少女の寝顔を覗き込み 青年は安堵の吐息を漏らした。

大家の老人から借りた毛布を そっと布団の上からかける。

これで・・・すこしは温かくなるだろう。

彼は おずおずと腕を伸ばし、枕に散らばる少女の髪に触れた。

 

ごめん・・・。 自分のことばかりで、きみのこと、ちっとも見えてなかった。

 

枕元に少女のリュックが転がっている。

片付けようと 持ち上げたとたんにごろごろと何かが転がり出た。

・・・おっと・・・!

こぼれ出た蜜柑や林檎と一緒に 見覚えのある小さな布が目についた。

 

・・・あれ。 これって。 あの時の・・・

 

「 ・・・ ジョ ・・ - ・・・ 」

「 ! フランソワ−ズ! ああ、気分は・・・どう? 」

吐息に近い声を聞きつけ、青年はぱっと少女の側へ寄った。

「 この ・・・ もう・・ふ ・・・ 」

「 うん、大家さんがね、貸してくれたよ。 ・・・あのヒトって不思議なヒトだね。 」

「 ・・・ お医者・・・さま ・・・ だった・・んですって ・・・ 」

「 ・・・へえ〜・・・そうなんだ。  ああ、汗が・・・ 」

青年は手にしていた布を 少女の頬に当てた。

「 ・・・あら・・ これ・・・ 」

「 ・・・うん? ああ・・・ ごめん、きみのリュックに入ってて・・・ 」

「 ・・・・ 」

少女は黙って微笑むと 青年の手にあるハンカチに眼を当てた。

 

「 ・・・これ、ね。 お守りなの。」

「 お守り・・? 」

「 ええ。 ・・・あの事故の時、わたし何もかも失くしてしまったけれど。

 このハンカチは スカ−トのポケットに入っていて・・・・。 」

布団の中で 少女の瞳はひときわ潤んでいた。

「 これ・・・ 14のお誕生日に兄さんから貰ったの。 薔薇の刺繍と 

わたしのイニシャルを入れてもらって・・・ すごく嬉しくて・・・ わたしの宝物だったのよ。 」

コホン・・・ 小さな咳が出てしまった。

青年は 手にしていたハンカチを彼女の顔の脇に置いた。

 

「 ほら。 大事にしなよ・・・。 」

「 ・・・ うん。 ありがと、ジョ−。 」

ほろほろと大粒の涙が 淡く上気した頬をすべり落ち、そのハンカチを濡らした。

 

「 ・・・ねえ。 ・・・ジョ−の宝物って なあに。 」

「 ぼくの? 」

「 うん。 わたしにも・・・教えて? 」

「 ・・・ぼくのタカラモノは ・・・ 」

 

青年は枕元ににじり寄り少女の頬を両手で掬った。

 

「 きみの この笑顔 ・・・・ そして・・・ 」

 

 − き ・ み

 

「 ・・・え ? 」

「 だから。 ぼくの宝物は きみ、さ。 」

「 ・・・ ジョ− ・・・ 」

「 誓うよ。 ぼくはもう二度と・・・きみを泣かせたりはしない。 」

「 ・・・・・・・ 」

「 ・・・あ、やだなぁ・・・・ ぼくが誓ったそばから・・・そんなに 泣くなよ・・・ 」

 

 

 

ほら。あったかくしてろよ・・・

出掛けに青年は笑って ぱさろ、と自分のジャンパ−を少女の布団の上に置いていった。

 

「 ジョ−・・? これ、だめよ! あなたが寒いでしょう?」

「 平気、平気。 駅まで走ってゆけばちゃんとあったまるさ。

 きみこそ、ちゃんと大人しく寝てろよ? まだ熱があるんだから。 」

あわてて起き上がろうとした彼女の肩を 押さえて青年はさっと唇を寄せた。

「 ・・・ふふ。 ぼくはこれでもうアツアツさ。 じゃ、な。 」

「 ・・・ ジョ−。 ・・・あ、行ってらっしゃい・・・・」

ぎしぎしと廊下を軋らせて 聞きなれた足音が遠ざかってゆく。

 

しばらく眼を閉じて じっとその音を追っていた少女はやがてゆっくりと身を起こした。

まだ、ほの温かいジャンパ−をそっと羽織った。

 

  − ・・・ ジョ−の匂い。 ふふふ・・・あったかい・・・

 

そろそろと布団を這い出し、彼女は押入れを開けた。

風呂敷包みいっぱいに 仕立物が入っている。

 

・・・やらなくちゃ。 おばさんに迷惑はかけられないわ。

 

少女はく・・・っと頭を擡げて 暗い電灯のもとで縫い物を始めた。

 

 

「 ・・・こちらは・・・島村君の部屋ですかな。 」

こつこつと ドアを叩く音とともに 落ち着いた声が響いてきた。

「 ・・・ あ・・・ はい。  ちょっと・・・ちょっと待ってください。 」

縫い物に夢中になっていた少女は 針を置くとあわてて襟元をかき合わせた。

敷いたままの布団ににじり寄り、とにかくぱふんと折り返した。

手櫛で髪をなでつけてから、ドアまで壁をつたってゆく。

 

「 はい・・・ 島村 ジョ−の部屋ですが。 いま・・・出かけてます。

 あの、何方ですか。 」

「 ・・ああ、 夜はバイトだ、と言っていたな。 我輩は ブリテンといいまして。

 島村君に昼間来てもらっている自動車工場の経営者です。 」

「 ・・・まあ。 」

 

 

 

それじゃ、よろしく。

ブリテン氏は 慇懃に少女と握手をすると剥げ頭を振りたてて帰っていった。

 

彼を送り出すと少女はちゃぶ台の前に くたりと座り込んだ。

 

「 島村君は、O.K.してくれないんですよ。 」

ブリテン氏の言葉ががんがんと耳の奥で 響いている。

彼の工場で 優秀な若手を集めて第二工場をつくる計画が持ち上がった。

下請けではなくて 開発に力をいれたいのだ、とグレ−ト氏は熱弁をふるった。

その新しい現場にジョ−にも参加して欲しいのだという。

ただ・・・ いくらかの資金が必要である。

「 貴女からも 勧めてくれませんか。 彼は将来、優秀な技術者になりますよ。」

 

  − ・・・ ジョ−。 あなたの夢が ・・・ その第一歩が ・・・・。

 

・・・お金が・・・あれば。

 

きゅっと唇を噛み締めると 少女はちゃぶ台の上に置いた裁縫箱を開け一番底に手を入れた。

やがて、少女の掌の上に小振りの懐中時計が現れた。

 

ジョ−・・・。 ごめんなさい。 わたし・・・ジョ−に隠し事をしていたの。

これ・・・ わたしのお兄さんの時計なの。

あの事故、遭難したとき、偶然ポケットに入れていたのは あのハンカチとこの時計。

たまたま お兄さんのを預かっていて・・そのまま。

もう・・・忘れたはずだったの。 でも。

 

 − ・・・これを売れば。 すこしでも・・・

 

まだ熱の残る身体が ぶる・・・っと震える。

暗い電灯の光の元でも 少女の手の中で懐中時計はきらり、と華やかに煌いていた。

 

 

 

Last updated: 08,16,2005.                  back    /    index    /    next

 

*****  え〜ん・・・どんどん長くなります〜(泣)