『 うたかたの日々  −(2)− 』

 

 

 

 

がたん・・・・

相変わらず動きの悪い窓枠が 大きな音をたててしまった。

 

 − いけない ・・・!

 

少女は首をすくめ それでもやっと開いた隙間に顔を押し当てた。

眼を凝らせたが 玄関脇にある橡の木が邪魔をして下の様子はわからない。

じっと耳を済ませてみたが、おそらく声を潜めているのだろう、会話はなにも聞こえなかった。

 

ジョ−に心配をかけてはいけないわ。

 

少女はなんとか窓を閉じるとそうっと音をたてないようにカ−テンを引いた。

ぽかぽか温かかった身体は あっという間に冷え切ってしまった。

 

・・・あの男( ひと )。 覚えてるわ、そうよ、ジェットって・・・。

ジョ−が前に一緒にバイクを乗り回していたグル−プのボスだったわよね。

 

お風呂の道具を片づけて ちゃぶ台の上を丁寧に拭いた。

御飯茶碗やらお箸を並べているときに 少女はあ・・・っと小さく声を上げてしまった。

 

あのジェットというヒト、目の周りに痣があって唇の端っこが切れてたわ・・・。

・・・喧嘩・・・したのかしら。

ジョ−も あの時同じような傷を負っていた・・・

そう・・・。ここに、一緒に住むようになってすぐだったわ。

なんでもないよって、ジョ−はそれしか言わなかったけど。

あれっきり、ジョ−はバイクを手放して・・・そうよ、喧嘩もしなくなった・・・

なのに。 どうして・・・?

 

手にしていたお皿をそっとちゃぶ台に置くと少女はもう一度窓辺ににじり寄った。

たてつけの悪い窓の木枠に 耳を押し付ける。

窓ガラスはきん・・・と突き刺すように冷たくぐんと外が冷えてきたのがわかった。

 

  「 ・・・・・ ヵ? 」

  「 そんなんじゃねえよ。 」

 

人通りもまばらに、夜の街が静まって来て窓の下の話し声が聞こえるようになってきた。

 

「 なんの用なんだ。 ぼくはもう そっちは関係ない。 」

「 <そっち>か・・・。 ふん、まあな、そんなもんだろ。 」

「 ・・・ ジェット? 」

「 おい、そう睨むなって。 難癖つけに来たわけじゃねえ。 

 ・・・・ オレ、行くから。 もう二度とお前らの前には現れないから、安心しな。 」

「 行くって・・・ まさか?  え、じゃあ、その傷は・・・・ 」

「 ま、一応のケジメってやつで。 オレも伊達にヘッドを張ってたわけじゃねえからよ、ハイ、抜けます、

 じゃあ、すまんさ。 そいつは覚悟の上ってもんで。 」

「 君、本気で・・・ 」

赤毛の若者は くしゃり、と吸殻を踏み潰した。

凍て付く星空にむかってぐん・・・と両腕をのばし、ばさりとおろす。

黒の革ジャンが大きく波打った。

「 ・・・はん。 俺も。 護りたいモノができたのさ。 オマツリは終いだ。 」

「 そうか・・・。 すごい決心だね・・・ さすが、ヘッドのジェットだ。 」

「 よせよ。 もう、オレはヘッドでもなんでもねえ。 」

「 ・・・うん、そうだね。 」

「 オレ、この近辺からは消える。 あとは アルテミスが束ねてゆくだろうよ。

  アイツにぞっこんのヤツもいるし。 ま、もう関係ねぇこったが。 」

「 ・・・・・ 」

「 じゃ、な。 ・・・・アイツ、あのキレイちゃんを大事にしてやれよ? 」

赤毛の逆髪をばさり、と揺らし彼はアパ−トの二階を振り仰いだ。

「 ・・・ああ。 絶対に護り通す。 」

「 ふん ・・・。 」

「 ジェット・・? ・・・ ! ・・・ 」

ずい、と一歩近づき青年の肩をがっしりと抑えると彼は強引に口付けをした。

 

「 ・・・ 最後の駄賃だ。 」

「 ・・・・・・・ 」

 

に・・・っと口を歪め、若者はくるりと背を向けてゆうゆうと夜の寒気の中に消えていった。

 

 − ジェット・・・・。 がんばれよ。

 

青年は栗色の髪を掻き揚げ、彼の歩んだ後をじっと見つめていた。

 

 

 

「 ・・・ ジョ− ! 」

「 フラン・・・ 部屋で待ってろって言ったのに。 」

ぎしぎしと古びた階段を軋ませて青年が二階まで上ってきたとき、少女が飛びついてきた。

「 だって・・・ 心配で。 」

「 ああ、こんなに冷えて。 折角風呂で温まったのに・・・ 」

青年はしっかりとその華奢な身体を抱きしめた。

「 あのヒト・・・ ジェットって。 いつかの・・・バイクの仲間でしょう? 」

「 うん。 ・・・でも、もう抜けたそうだよ。 」

「 そうなの・・・。 」

「 ・・・さ。 晩飯にしよう? もう〜 ぺこぺこだ〜〜 」

「 ふふふ。 ・・・あ、お休みなさい・・・ 」

「 ・・・? ああ・・・ 大家さん。 お休みなさい。 」

二人はそろってぺこり、と頭を下げた。

おお・・と手をあげ、薬缶片手に老人が二階の一番奥の部屋に消えていった。

「 ・・・ イワンちゃんのミルク、つくるのかしら・・・・ 」

「 イワンちゃん? あの、お孫さんのことかい。 」

「 ええ。 お風呂屋さんで一緒になったの。 可愛いのよ、にこにこ笑って。 」

「 ・・・ 子供、好き? 」

「 大好き! 赤ちゃんって・・・ふわふわで温かくて。 いつまでも抱っこしていたいわ。 」

「 そうだね・・・ さあ〜 メシにしよう〜〜 」

「 はいはい。 うふふふ・・・たっくさん食べてね? 」

「 うん! ・・・・そ・れ・か・ら。 きみも食べたい、今晩。 」

「 ・・・・ ジョ−ったら・・・・ そんな大きな声で・・・ 」

首の付け根まで赤くなった少女を 青年はふわり、と抱き上げた。

「 さ〜 ご〜はんだごはん〜だ♪ 」

 

 

 

 

自分を包みこんでいる大きな温かい身体は 穏やかな寝息をたてている。

うなじに当たるすべすべしてでも張りのある腕に 少女はそっと頬を当てた。

 

 − ・・・ふう。

 

いつもならほとんど一緒に眠りに落ちてしまうのに今夜はなぜか眼が冴えてしまった。

ついさっきまでの昂ぶりの余韻が ゆっくりと身体全体に染み透ってゆく。

初めは苦痛でさえあった行為が 今、彼女にはなにものにも変え難い悦びとなっている。

 

 − ジョ− ・・・・ あ・い・し・て・る・・・・

 

少女は手を差し伸べ そっと青年の額にかかる髪を払った。

 

 − わたし。 あなたを ・・・ 満足させてあげている・・? 

 

自分の存在が彼の重荷に、足手纏いになっているのでないか・・・

そんな気持ちが いつもいつも少女のこころの片隅に重く沈んでいる。

両親と兄に囲まれ温かく裕福に育ってきた彼女の人生は あの事故で一変してしまった。

全てを失い、自由な身体すら失った。

 

もったいないねえ・・・あんなに器量よしなのに。

・・・あの脚、じゃあね。

 

呆然と立ち尽くす彼女の周りではそんな囁き声が始終付きまとうようになった。

余計モノ  厄介者  いらない存在

そんな言葉が、意識が彼女を苛み続けていた。

 

ジョ−と暮らしはじめた頃はとにかく彼の足手まといにならないように、と思うので精一杯だった。

・・・しかし。

 

 − ねえ・・・ジョ−。 わたし。 あなたの側にいていいのね・・・?

 

栗色の髪に隠れていた穏やかな寝顔に 少女はもう一度そっと唇を寄せる。

秀でた眉に通った鼻筋、引き締まった口元・・・

ついさっきまでの熱い感覚が 身体中に蘇り少女は淡く頬をそめた。

青年は決して口数の多いほうではない。

時に必要最低限のことしか言わないときもある。

 

・・・でも。 わかる、わ。 わたし・・・ ジョ−の声がきこえるもの。

 

彼の戸惑い・畏れ・躊躇・・・・そして悦び。

あるときは 怒り・自己嫌悪・かなしさ・・・そして 淋しさ。

聞いてほしい、知って欲しい、受け止めてほしい。

 

そんな青年の想いは 彼の行為を通して奔流となり少女の中になだれ込んだ。

彼自身の熱い迸りを受け止めるとき、少女は彼の魂の叫びを一緒に聴いた。

 

だれか。 誰かいませんか。 ・・・ぼくの、ぼくを受け止め、愛してくれるヒト。

 

青年の広い背に腕をまわし、逞しい胸に顔を押し付け少女は彼に縋り付いた。

自分の全てを開け放ち、受け入れ、彼女も自分の想いを唱えていた。

 

・・・ だれか。 誰かいませんか・・・。 わたしを わたしの存在を必要としてくれるヒト。

 

 − ・・・・ わたし、でいい?

 − ぼく、がいるよ。

 

暗黒の空洞で闇雲に手探りをしていた二人は 望む相手を見つけ出したのだ。

そんな二人に いま、怖れるものなどありはしない。

 

 

どうしてこんなに眼が冴えてしまったのか・・・。

・・・わかっているくせに。

少女は青年の顔から目を逸らせ ことり、と彼の胸に顔を埋めた。

 

そう。 さっきの・・・ あの言葉。 あれが・・・。

 

 

「 ・・・ いつか・・・ これは本当に夢なんだけど 」

「 ええ、 なあに。 」

身体を離したあとで 青年は少女の亜麻色の髪を心地よさげに愛撫する。

それは彼のお気に入りで寝付くまでの習慣にもなっていた。

まだ余韻の波立つ身体で少女はこそっと青年に寄り添った。

 

「 ぼくは ・・・ 自分の工場を持ちたいんだ。 」

「 工場って・・・ 自動車の? いま、ジョ−が働いているようなところ? 」

「 うん。 ・・・コドモの頃はレ−サ−とか 憧れていたけどそれは別の世界のことだし。

 できれば自分が手がけた車がレ−スにでられれば・・・ もう最高だ。 」

「 そう・・・。 凄いわ、頑張って・・・ 」

「 ふふ・・<夢>だから何とでも言えるんだけど。 でも、な。 それよりも前に・・・ 」

かさり、と半身を起こし 青年は少女を真上から見据えた。

「 きみの脚。 なんとしても治してやる。 がんがん働いて金貯めて・・・ 」

「 ・・・ ジョ− いいの、いいのよ。 」

少女は腕を青年の首に絡めると 自ら彼の言葉を塞ぎに自分の唇を押し当てた。

長い口付けは次第に緩慢な気だるさを誘い 青年はじきに寝息を立て始めた。

 

・・・ジョ−。 あなた、そんなにわたしの脚のこと・・・。

 

もうとっくに諦めて今の状態をしっかりと受け止めてる、と思い込んでいた。

ジョ−の心遣いはとても嬉しかったが、それだけで充分だった。

この脚は ・・・ パパやママや。お兄さんの思い出のしるし。

そう、自分で想い定めていた・・はずだった。 

 

− 少なくとも、今晩までは。

 

少女は急に首筋に夜気をひやりと感じ もう一度強く青年の胸に顔を擦りつけた。

しかし、冷気とともに彼女の耳の奥に忍び込んだ言葉は消えようとはしない。

 

「 ・・・彼ならきみのその脚を治せると思う。 」

「 ・・・え・・・・? 」

老人はじっと少女の左脚をみつめ、淡々と言った。

 

玄関脇での青年達の会話が気になって、少女がそっと二階の上がり間口まできたとき、

後ろから、ぽん、と肩を叩かれた。

 

「 ( きゃっ・・・! ) ・・・ あ、ああ・・・ 大家さん・・・ 」

「 やあ、さっきは風呂屋でうちの坊が世話になったの。 ありがとうよ。 」

「 あ・・・いえ、そんな・・・ 」

「 こんなところでどうしたね? 今夜は冷えるから・・・そのなりでは風邪をひくぞ? 」

「 あ、はい。 いえ・・・あのちょっと・・・・ 」

「 あ〜 ちょっと小耳に挟んだんじゃが。 きみの脚、怪我の後遺症なのかな。 」

「 ・・・はい。 機能回復の訓練が十分に出来なくて・・・。 断裂した腱が萎縮してしまったのです。

 でも。 平気です、わたし。 」

「 ・・・ふむ・・? 詳しく検査せねばわからんが・・・。

 腕のたつ医者をしっているよ。 この分野では第一人者じゃ。 エッカ−マン博士という。」

「 ・・・ あの・・・ 」

「 費用は掛かるが。 彼ならその脚を治せる。 」

「 ・・・えっ・・? 」

「 きみだって自由に動きたいじゃろう? まだ、若いんじゃし。 」

「 ・・・あの ・・・ 大家さん、いえ、ギルモアさん? あなたはどうして・・? 」

少女の大きな瞳にまじまじと見つめられ、老人はふ・・・っと苦く笑い眼を逸らせた。

「 ・・・とんだお節介を焼いてしまったかの。 どうも、なあ・・・ 」

「 いえ、そんな。 お節介だなんて。 ただ・・・ わたしの脚のこと、ちょっとお話しただけですのに。 」

「 ふふん・・・。 昔取ったなんとやら、ってことか・・・ 」

「 ・・・ お医者様、でいらしたのですか? 」

老人はなお一層背を丸め自室の方へ戻りかけた。

「 ・・・ワシかい。 女房と・・・・娘まで同じ病気に奪われて。

 家族すら護れなかったヤツに 医者などやってゆく資格はないんじゃよ・・・・ 」

「 ・・・ まあ ・・・ 」

息を呑み、言葉の継ぎ穂を失っている少女に老人は優しく頷いた。

「 きみは。 きみたちには。 ・・・幸せになってほしい。 」

「 ・・・・・ ギルモアさん・・・・ 」

おやすみ、と低く呟くと老人はひっそりと自室に消えた。

 

 

この脚が 自由に動くようになる・・・? 

いいえ。

そんな・・・ 大それた夢を見てはいけないわ。

ねえ、フランソワ−ズ。

あんた、今のままで十分幸せじゃないの。 そうでしょ? それに・・・そんなお金・・・

そうよ! いま、わたしに一番大切なのはジョ−のこと。

ジョ−の夢が叶うように すこしでもお手伝いしなくちゃ。

 

少女は滲んできた涙をそっと指先で払い、青年の寝顔に視線を当てた。

 

・・・ねえ、ジョ−。 わたし・・・ 今が一番しあわせよ。

 

細い首を差し伸べ、青年ともう一度、唇を合わせると少女はしっかりと眼をとじた。

 

 − おやすみなさい、ジョ−。 あなたと同じ夢が見られるかしら・・・

 

 

「 ・・・・ フラン ・・・? 」

少女の身体が自分の腕の中で軽く波打ったとき、青年は目を覚ませた。

自身、そのままで耳をすませればじきに穏やかな寝息が聞こえてきた。

 

なんだ・・・? 寝ぼけたのかい・・・

 

唇にかるく笑みをうかべ、彼はあらためて腕にそろりと力をいれ少女を抱き寄せた。

豊かに広がる亜麻色の髪から 身体全体からほのかに甘い香りが湧き立つ。

シャンプ−でも パウダ−でも なく、 それは彼女自身の芳香・・・。

青年だけが知っている少女の愛の香りなのだ。

 

・・・フランソワ−ズ。 愛してるよ・・・

 

軽く結ばれた唇は桜色に輝き、それだけでも充分に青年の気持ちは熱くなる。

こんな可愛いヒトが 自分の腕の中にいるなんて。

彼はいまでも ときどき信じられない気分になるのだ。

 

あの時。 ひょっと気が向いて墓参りにいったから・・・

そうだよなぁ。 

・・・そう思ったら。 神父さまがぼく達を結びつけてくれたんだ。

そうさ、きっと・・・。

 

青年のこころは海に近い寂れた墓所に飛んでいた。

 

 

 

その日、どうしてこんな辺鄙な場所を訪れる気になったのか

彼自身にもよくわからなかった。

 

ただ・・・ 前日ふと流れたきたうわさ話がこころにひっかかっていたのかもしれない。

 

 − あのボロ教会の神父さんねぇ、亡くなったんだってさ。

 − へ〜え・・・ もうトシだったからね。 

 − それで あの孤児院も閉鎖だそうだよ・・・

 − 仕方ないだろ。 皆自分のことで手一杯だからね。

 

 

海辺に近い墓地は閑散としていた。

神父の葬儀の時なら 関係者が少しは集っていたであろうが、

今は人影も見当たらず イヤは音をたてて開いたアイアンレ−スの門には錆びが浮いていた。

 

・・・あれ。

 

敷石の端から伸び放題の雑草を踏み分けていった彼は ふと足を止めた。

モノト−ンの墓標の中に 柔らかな色彩が見えた。

午後の陽を受けて それは温かな煌きを放っている。

 

・・・? ああ、誰かいるんだ。

 

 

「 ・・・こんにちは。 あなたも・・・お参りですか? 」

「 ・・・あ、ああ。 」

青年が躊躇いつつ 神父の墓所の前にゆきついたとき、墓前に跪いていた少女が振り向いた。

亜麻色の髪が波打ち 光の欠片が彼女を彩った。

 

 ・・・ 天使 ・・・?!

 

「 教会関係の方? わたしは、神父様のところでお世話になっていたものです。 」

「 ・・あ、いや。 オレは・・・その。 」

「 教会も施設も閉鎖されましたのよ。 ・・・ここへ来るのも・・・今日で最後ですわ。 」

「 ああ、そうなんですか ・・・ 」

少女がひどくゆっくりと身体の向きを替え 周囲の柵につかまるのを青年はぼんやりと見ていた。

「 ・・・以前に、教会にいらした方? 」

「 あ、ああ・・・。 もっとも<いらした>のは施設の方だけど。 」

あら、と少女は目を見張った。

 

 ・・・ 空の色だ ! 

 

青年は惚れ惚れとその大きな瞳に見入っていた。

「 まあ、そうなの? ・・・きっとわたしとは入れ違いだったのね。

 あなたとお目にかかったこと、ないと思いますもの。 」

「 ・・・ オレってあそこも半分飛び出したようなもんだし。

 卒業後は一回も帰らなかったから。 あんたとは初対面さ。 」

「 ・・・でも、こうしてお参りに来てくださって・・・嬉しいわ。 」

「 ・・・オレなんかが来ても神父様は喜ばないだろうけど。 」

「 そんなこと、ないわ。 」

「 ・・・え? 」

「 そんなことない。 神父さまは凄く嬉しそうよ。 」

「 出まかせ、言うな・・・ 」

「 出まかせじゃないわ。 ・・・ だってわかるもの。 」

「 わかる・・・ ? 」

「 ええ。 わかるわ。 神父さまにとって教会の子はみんな可愛い大事な子供だったわ。 」

「 ・・・・・・ 」

「 あなた、島村ジョ−君、でしょ? よく神父様、話していらしたわ。 」

 

じゃあ、わたし・・・と少女はゆっくりと歩き出した。

小さな杖を突き、ひどく左脚を引き摺っている。 

青年の前を通り過ぎたとき、敷石の端に足をとられ少女は姿勢を大きく崩した。

 

「 ・・・あ、あぶない! 」

「 ・・・!  あ・・・ ありがとう・・・ 」

「 そら・・・つかまって。 どこまでゆくんだ、送ってゆくよ? 」

「 ありがとう。 ・・・でも、大丈夫。 一人で・・・行けます。 」

「 ・・・・・・ 」

青年の手を押し返し、少女は薄く微笑んだ。

「 ・・・ さようなら。 来て下さって・・・ありがとう。 」

「 あ、ああ。 きみも ・・・ 」

それきり振り向きもせず 少女はゆっくりと墓地を出て行った。

 

 

・・・あ、これは。

しばらく神父の墓前に佇んでいた青年は 顔を上げた時、なにか白いものが視界に入った。

墓標の影になにか・・・落ちている。

腕を伸ばして拾い上げたのは小さなハンカチだった。

きちんと洗ってはあるが生地は傷み 隅の刺繍は毛羽立って色褪せている。

 

ああ・・・。これってさっきの彼女のじゃないか。 

大事にしているんだろうな。 ・・・あの足だ、きっとまだその辺りにいるかも。

 

たしか、大通りまでは一本道だった・・・と青年は小走りに墓地を後にした。

 

 

 

「 ・・・・ なにするんだっ! だめだっ・・・!! 」

「 ・・・ きゃ ・・・・!! 」

青年は飛び出すなり、崖っぷちに立つ人影をうしろから抱きとめ一緒に手前に転がった。

 

「 ・・・ いた・・・ 」

「 おい? ・・・やっぱりきみか。 駅の方まで行っても全然見当たらないから

 もしかって逆のこの崖の方に来てみたんだけど・・・ 」

「 ・・・ 放っておいてくれればよかったのに・・・・ 」

「 ・・・ 馬鹿っ! 」

青年は 腕の中の身体をきつくゆすった。

少女の瞳から溢れた涙が青年の頬にも飛び散った。

 

「 離して・・・! わたし・・・もう、居るところが・・・ない・・・

 わたしは いらないニンゲンなのよ 」

「 そんなことない! 」

「 うそよ、そんな・・・ 」

「 ぼくが! ぼくが きみに居て欲しい。 きみが・・・必要なんだ! 」

「 ・・・ 同情ならお断りよっ! 」

「 違う! そんなんじゃ・・・ないよ。 ごめん、ぼくの言い方が悪かった・・・ 」

くす・・・っと少女はひくく声を上げて笑った。

「 ・・・なに? 」

「 <ぼく>の方がずっと似合ってるわよ? 」

 

 

 

あの時。

あれは本当に神父様の導きだったんだ、と青年は信じていた。

荒涼とした海辺の墓地は 今の彼にとって暖かい思い出の場所になっている。

 

 

ひとりだったぼくのそばに。

いま・・・ きみがいる。

ぼくの本当の夢は・・・・ 温かい家庭。

とうさんがいて、かあさんがいて。 兄さんときみが幸せに過していた

そんな家庭を ぼくもつくりたい。

 

何よりも大切な宝物。

青年は脆いガラス細工を扱うよりも慎重に・・・・少女の細い身体をわが身で覆った。

 

ぼくの、 ぼくだけの ひと。 ぼくの ・・・ 宝物。

きみのためなら ぼくは何だってできる!

 

 

北風が 古びた窓の木枠をがたがたとゆすった。

きびしい冷気が ぼろアパ−ト全体にしんしんと凍み透る。

 

有り合わせの布を縫い合わせた質素なカ−テンで覆われた三畳の部屋で

古びた毛布と薄い布団に包まって 青年と少女は至福の眠りに身をゆだねていた。

 

 

・・・それは 運命が彼らにくれたわずかな安息の時間( とき )であった。

 

 

 

Last updated : 08,09,2005.                back    /    index    /    next