「 ・・・ 遅かったね。 」
「 ・・・ え ・・・ ああ、ごめんなさい。 先に休んでくれればよかったのに・・・ 」
フランソワ−ズがベッドル−ムのドアをそっと開けたのは かなり遅かった。
スタンドだけが灯ったベッドから声をかけられ、フランソワ−ズはすこし驚いた。
ジョ−はとっくに眠っているだろうとばかり思っていたのだ。

「 うん・・・ なにか、すぴかと<ひみつ>の話、してるからさ。
 ・・・ それで、どこのどいつなんだ? いったいどこの馬の骨か・・・?? 」
「 ??? ジョ−、なんのこと? 」
ベッドから立ち上がり、ガウンを引っ掛けなんだかジョ−は機嫌が悪い。

・・・なに? どうしたの、こんなジョ−って・・・久し振り・・・

フランソワ−ズは呆気にとられ、しばらくぼんやりと夫の顔をながめていた。
「 だからさ。 <紹介したいヒトがいるの>とか ・・・ その〜 ナニだよ、ほら。
 そうゆうお付き合いをしているヒトがいるの、とか。 
 ぼくの大事な娘をかっさらってゆこうっていう勇気のあるヤツは ・・・ 」
「 ・・・・ あ ・・・ 」
「 子供だ、子供だって思ってたけど。 考えればきみと知り合ったのって
 すぴかたちとそんなに変らない年だったもんなぁ・・・。 」
ふう・・・とジョ−は天井に溜息をぶつける。
「 ま、とんでもない状況だったけどさ。 出会いには違いないし・・・。」
「 そうね。 確かに・・・。」
「 な? ぼくはどんなことでも覚悟は出来てる。 怒らないから・・・正直に話してくれ。 」
「 ジョ− ・・・ 」
「 ぼくは あの娘の父親なんだ、ちゃんと知る権利・・・・ってか・・・ 
 頼む、教えてくれ。 」
「 ・・・ ジョ−。 残念でした。 」
「 え? 」

ひとりで演説して大真面目で彼女の顔を覗き込んでいるジョ−に
フランソワ−ズはとうとうくすくすと笑いだしてしまった。

「 うふふふ・・・。 わたしもはじめはちらっとジョ−と同じ事、思ったけど。
 残念でしたね〜 そういう<ひみつ>じゃあなかったの。 」
「 ・・・ あ、 ・・・・ そ、そうなんだ。 ・・・ なぁんだ ・・・ 」
はぁ〜〜と大きく息をはき、ジョ−はぽすんとベッドに腰を落とした。

「 ・・・ああ ・・・。 心配して損したよ。 なんだか気が抜けた・・・ 」
「 ご苦労様。 その心配は、もうすこし先まで仕舞っておいてもいいみたいよ? 」
「 ・・・ ふうん  そうなんだ。  あれ、じゃあ? 」
「 わたしが<ひみつ>を話す番みたいね。 」

フランソワ−ズはジョ−の隣にしずかに腰をおろした。
夜気がしんしんと冷えてきた。
「 きみ、寒くない? ヒ−タ−を入れようか。 」
「 ううん・・・ ジョ−がいれば・・・寒くないわ。 」
「 ・・・じゃあ、もっと温まろうよ。 」
ぴたりと身体を寄せ合って、ジョ−は細い肩に腕を回した。
「 では、承りますが・・・? 」
「 はい、それではお話します。 」
くす・・・っとひとつ、ちいさな笑みを漏らせて、フランソワ−ズは髪を掻き揚げた。
「 これをね。 すぴかが・・・ 預かってきた、って言うの。 」
「 ・・・・ ? 」
するりと手渡された少し古風なアクセサリ−にジョ−はしげしげと目を凝らせた。
「 これ、ね。 大切にしていたブロ−チなの。 15の時、母から貰って・・・ 
 もともとは母の母、つまりわたしの祖母のものだったのよ。 」





「 ・・・このへん・・・ このあたりのはずよね ・・・ 」
島村すぴかは 手にした紙片を何度も確認していた。
今日もどんよりとおもい雲が空を覆って 灰色の大気がしんしんと冷えている。
石畳の道は凍て付きブ−ツの足元でなおさら固い音をたてる。
「 早くしなくちゃ。 暗くなってしまうわ。 」
花の都とはいえ、パリは考えてみれば札幌と同じくらいの緯度なのだ。
この季節、午後も早い時間に家々の窓には灯りがともり街灯は道に淡い光を落とす。

オ−ヴァの襟を掻き合わせ、すぴかはぐるりと周りを見回した。
様々な石づくりのモニュメントが ひっそりと時に埋もれて並んでいる。
天使であったり、愛の言葉を刻んだプレ−トであったり。
花を捧げた乙女の姿も見受けられる。
・・・ただ、それらは黙って思い出だけを抱え朽ちてゆくために存在していた。

ペ−ルラシェ−ル墓地。

パリのはずれにある大きな墓所である。
立ち尽くす樹々はほとんどがごつごつと枝だけとなり、たまに葉を持つものも黒ずんだまま
凍て付く大気に囲まれひそ、ともそよぐことがない。
冷気が足元から、アタマから すぴかにまとわり付く。

「 この列だわ、多分 ・・・ 」
小振りな十字架が並ぶ一角で すぴかは足を緩めた。
じっと目を凝らし、ひとつひとつ標された文字を追ってゆく。

「 ・・・ あった ・・・ 」


どれほど そこにいたのだろうか。
遠くから石畳を踏むくぐもった足音が聞こえてきて、すぴかははっ顔をあげた。
立ち上がろうとしたが 冷え切った身体は言うことをきかず、
彼女は大きく体勢を崩してしまった。

「 ・・・ 危ないっ! 大丈夫ですか? 」
「 あ・・・ああ。 すみません  」
誰かが後ろから優しい声とともにしっかりと腕を支えてくれた。
「 こんなところに長くいては風邪をひいてしまいますよ、マドモアゼル。 」
「 ありがとうございます・・・ 」
取り落としたバッグを拾い、曲がった帽子を直してすぴかは顔をあげた。
白金に近くなった金髪の初老の夫人が穏やかに微笑んでいた。
「 氷で滑ってしまいました。 今日は冷えますね。 」
「 そうね、ここは特にね。 ・・・ ああ ?! あなた ??? 」
「 ・・・ はい? 」
にこにこと笑っていた老婦人は 突然目を見開いてじっとすぴかを見つめた。
まだ彼女の腕に掛けられていた手に ぐっと力がこもった。
「 あ・・・ あの、 失礼、ごめんなさい・・・
 でも ・・・ あの あなた・・・ どこから・・・ どうしてここへ? 」
「 ・・・ え? わたし、ですか? 」
今度は老婦人の方ががくがくと震え始め、すぴかが驚いて彼女の腕を取った。
手にしていた小さな花束が ぱさりと墓地の凍て付いた石畳に落ちた。
「 ・・・ そう、そうよ。  」
「 わたし・・・ 日本から来ました。 」
「 ・・・ 日本?ああ、そう、・・・ そうなの。 ・・・そうよね、そんなはず・・・ない わ 」
「 パリに留学しているのですが・・・ 知り合いの墓地を捜していました。 」
「 ・・・ そうなの。 ごめんなさい、びっくりなさったでしょ。 」
老婦人は、また穏やかな笑顔にもどりすぴかの腕を軽く叩いた。
「 あなた、あんまり・・・よく似ていたから。 私の知人、いえ私の叔母に・・・
 そんなはず、ありませんのに、彼女かと思ってしまって・・・」
「 ・・・ 叔母様に・・・? 」
すぴかはやっとのことでその単語を口にした。
それ以外の言葉は 出てこなかった。
・・・言ってはいけない。 本能的にすぴかはそう思った。
「 ええ。 ああ、こんな寒いところで立ち話はダメね。
 あの、もしよかったら・・・・ 場所を変えてお話しません? 」
「 ・・・ はい。 」
「 よかった。 じゃあ、行きましょう。 ・・・ パパ、今度ゆっくり来るわね。 」
老婦人は振り返り、すぴかが屈みこんでいた十字架に言葉をかけた。
「 さ、行きましょう。 墓地の向かいにカフェがありますのよ。 」
「 ・・・ はい ・・・ 」
二組の足音が遠ざかり、凍て付く大気のもと墓地はふたたび静かな眠りについた。


「 ここのオ・レはなかなか美味しいの、どうぞ? 」
「 ありがとうございます。 」
歩道にはぽつぽつと街灯が灯り始め、
すぴかと老婦人の姿も
カフェのガラス窓にくっきりと映る時間になった。

  − 外から見たら。 わたし達って ・・・

すぴかは窓から視線を外し、
だまってカップの中のカフェ・オ・レを見つめた。
「 あの、ね。 」
「 ・・・ はい。 」
「 見ず知らずの方に、突然本当にごめなさい。 
 でも・・・
 あなたは ・・・ そっくりなのです。
 そう・・ 私の父が生涯捜し続け、待っていたヒトに。 」
老婦人はカップを置くと、静かに語り始めた。
カフェのライトを受けた髪が煌く。 
その光は彼女の髪の往年の色あいを
再び蘇らせていた。
「 お父様が・・・? 昔の恋人とか・・・ 」
「 いえいえ・・・恋人ではありませんのよ。
 父の妹、私の叔母にあたるヒトです。 
 父のたったひとりの妹は、
 18の時に正体不明の組織に浚われて・・・
 以来父は世界中をまわって
 さがして さがして 捜し続け 
 とうとう彼女の足跡を見つけることを
 できずに亡くなりました。
 息を引き取る間際まで 
父は叔母のことを気にかけていましたわ。 」
「 ・・・ そうなんですか・・・ 」
すぴかはカフェ・オ・レから、
目を上げることができなかった。
彼女を見つめれば
 きっと涙が零れてしまう・・・
俯いたきりの少女に優しい視線をあて、
老婦人はバッグを引き寄せた。
「 これは ・・・・ 
その叔母の大好きだったブロ−チです。
 どうぞ、手にとってご覧になって。 
・・・ええ、たいしたモノではありません。 」
目の前にひろげれらてた
スワト−のハンカチ。
すこし端が黄ばんだ布に
そのブロ−チは大切に包まれていた。

すぴかはそっと手をのばし掌に掬いあげる。

「 ・・・綺麗 ・・・ 素敵なアンティ−クですね。 」
「 もともとは父と叔母の祖母、私から見れば曾祖母のものだったそうです。
 叔母がその母から譲り受け、とても大事にしてお気に入りだったとか・・・ 」
「 幸せなブロ−チですね。 皆さんに大切にされて。 」
真珠の表面に虹色の光が宿る。
周りの銀細工は曇っていたけれど、その精緻な細工は見事なものだった。
「 ・・・  どうぞ。 」
「 ・・・ え? 」
「 どうぞ。 差し上げますわ。 」
「 ・・・そんな・・・ だめです、そんな大切な・・・お形見、ですわね?
 お父様と叔母様の思い出の品でしょう、頂くわけには・・・ 」
頭をふって懸命にその包みを返そうとするすぴかの手を
老婦人は両手でやさしく包んだ。

「 いいのですよ・・・。 
 こんなにもよく似た面立ちのあなた。 
 あなたに会えたのも、きっと亡き父の引き合わせでしょう。
 ・・・ どうぞ、コレを持っていてください。 」
「 マダム・・・ 」
「 私も年を取りました・・・ いずれ、近い将来あそこに・・・父の側にゆくでしょう。
 その時に報告しますわ。 アレは 叔母とそっくりのお嬢さんに預けましたって・・・ 」
「 ・・・ お父様に ・・・ 」
すぴかは涙でもうなにも見えず、咽喉も嗚咽で塞がってしまった。
「 そんなに泣かないで・・・・ 遠くの国からきたお嬢さん。
 父も きっとよろこんでいますわ。 ・・・ね? お願いします。 」
「 ・・・・・ 」
すぴかは懸命に目を見開き 老婦人を見つめた。
自分に微笑みかけている瞳は ・・・ 母と同じ色だった。
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