『   風たちぬ   − 2 − 』 

 

  

 「 ・・・え・・・ わたしが、ですか・・・?」

それまでにぎにぎしく響いていた蝉の声がにわかに遠のいた。 照りつける盛夏の陽射しが一瞬煌々とした照明に

変わった気がしたのは自分だけだろうか・・・・フランソワ−ズはさらに大きく目を見張った。

「 そう。 秋の定期公演の小品集に、ね。 フランソワ−ズ、あなたと 毬華( まりか )ちゃんで、創作。

 音はバッハの ・・・・・・。 事務所にMD渡してあるの、ダビングしてよっく聴いておいてね。 リハ−サルの

 スケジュ−ルも出しておくから、NG no good ここでは参加不可の日、の意 ) を提出して頂戴。 」

コレグラファ−( 振り付け師 )のマダムは 言いたいことだけを言うとにっこり笑ってさっさと踵を返した。

・・・まだ目をぱちぱちさせて呆然とつったっているフランソワ−ズと 艶やかに微笑んでいる小柄な美少女を

カンパニ− ( バレエ団 ) のざわついた廊下に残したまま・・・。 

 

「 Bonjour, あら、初めまして、かしら・・・? 私、柘植 毬華 (つげ まりか)。 よろしく? 」

「 ・・・あ、ああ・・・ あの、 こ、こんにちは・・・。 フランソワ−ズ・アルヌ−ル、です。 」

・・・・くすくすくすっ・・・・・  見詰め合っていた日仏の娘たちは思わず同時に笑い出した。

「 うふふふ・・・ 相変わらずよねえ、あのマダムは・・・・。 いつでも思いっきりマイ・ペ−スなんですもんね・・・ 

 あ、 フランソワ−ズさんは日本語、大丈夫なんですか? よかったら・・・私、日常会話くらいならフランス語で

 なんとかなりますけど? 」

「 あ・・・、大丈夫、日本語でどうぞ。 <さん>は いりません、えっと つ・げ さん? 」

「 くすっ・・・ 私も <さん>は いりません、 毬華って呼んでください。 えっと・・・フランソワ−ズ・・? 」

「 あら・・・そう、ですよね、マリカ。 あの、フランスにいらしたの? 」

「 ええ、ロ−ザンヌ( ロ−ザンヌ国際バレエ・コンク−ル )通ってちょびっと奨学金貰って。マルセイユのムッシュウ・

  F. のところに先月まで。 フランソワ−ズはご家族で日本に? お父様のお仕事の都合、とか? 」

「 え、・・・あの・・。 家族って、あの、後見人の方が・・こっちで仕事を・・・。 奨学金ってすごいわね、じゃあ、

 ここのバレエ学校からのエリ−トさんね。  そんな方と・・・わたしなんか、ただのレッスン生なのに・・・ 」

「 あらぁ・・つくづくバレエって西洋のものだと思うわ、あなたの踊りとか見てると。 ホント、日本人には・・難しい。

 一緒に踊れるなんて凄く嬉しいわ、憧れてたの。 がんばりましょ、 よろしく、ね? 」

「 あ・・・・わたしこそ。 」

 

騒がしいほどの蝉のコ−ラスをバックにフランソワ−ズにも新しい扉が開かれはじめた。

 

 

                                          **********

 

 

「 あの、な・・・僕も仕事を始めようと思うんだ。 コズミ博士が紹介して下さってね。 」

「 ・・・・ そう? ・・・・ 」

勢い込んで話すジョ−に、フランソワ−ズは助手席からぼんやりと生返事をかえした。

 

 さしもの猛暑もその勢いを少しずつ失い出す頃、フランソワ−ズは連日<ぼろぼろ>の状態で帰宅していた。

深夜に近いこともあり、玄関からバスル−ムに直行、あげく、倒れこむように眠ってしまう。 

そんな日々の中、珍しくオフの日曜の午後、ジョ−は彼女をドライヴに誘ったのだ。

強い陽射しの下でも 流れる風に僅かずつ爽やかさが含まれてきたようでフランソワ−ズは窓をいっぱいに開け

亜麻色の髪をその風にゆだねていた。

「 うん、車のシステム・エンジンの開発関係なんだけどね、 これがさ・・・・。 」

「 ・・・・ふう・・・ん・・・? ・・・ 」

「 まあ、内容はともかく。 結構ハ−ドなんだ、時間的にも。 ・・・だから。出来ればもっと便利なトコに

 移ろうかな・・・って。 それで、きみもさ・・・・忙しいだろ、だから・・・あのもしよかったら・・・一緒に・・・ 」

「 ・・・・・ う・・・ん・・・・? 」

「 だから、その・・・つまり・・一緒に、さ。 あ〜・・・一緒に暮らさないかっ・・・て・・・ イヤかな  ・・・?・・・ 

 ・・・・ なんだよぉ〜、フラン・・・ 寝ちゃったのか・・・。 ちぇ・・・・っ・・・ 」

  − 結構勇気だして言ったんだけど、な・・・。 眠り姫は夢のなか、ってことか。

自分の肩に寄りかかってきた亜麻色の髪をちょっと撫でて。 ジョ−はこそっと小さなキスを盗んだ。

せっかくのドライヴも彼女の気持ち良さそうな寝顔をながめての一人旅になってしまった。

 

「 きゃ〜 大変! もうこんな時間?!  あ、おはよう、 ジョ− 」

ぱたぱたぱた・・・・・ 盛大なスリッパの足音とフランソワ−ズの叫びでその次の週は始まった。

「 おはよう、 珍しいね? きみが寝坊するなんて。 」

「 ちゃんと目覚まし、掛けといたのに〜〜〜 どうして止めちゃったのかしら・・・ あ、今、朝ゴハン・・ 」

「 もうすぐコ−ヒ−がはいるから・・・ ト−ストも。 」

「 わっ♪ ありがとう、ジョ−。 ああ、もう遅刻だわ、あ〜ん食べてるヒマないわ〜 いってきます! 」

「 あ、ねえ、フランソワ−ズ! 今日の帰り、迎えに行くよ。 いつもの時間なんだろ? あの・・・さ・・

 ちょっとハナシがあって。 」

「 え、なに? あ〜ごめんなさい、後でね〜〜 いってきまぁす! 」

「 ・・・あ〜あ・・・ うん、今日こそちゃんと聞いてもらうからね。 折角のチャンスなんだから・・! 」

まだ空気が揺らめいてるような彼女の軌跡に ジョ−はじっと目を凝らせていた。

 

 

 

                                                **********

  

 

 バッハの華麗なピアノ曲が途切れることなく流れている。

外見はもとより、その踊りの本質からして全く異なるふたりのダンサ−が床を鳴らし音を捕らえてゆく。

 

  と。 ぷつっ・・・・・  空間から突然音が消え・・・ 残るのは荒い呼吸の音だけ。

 

「 ・・・ああ! だめだめっ ね、毬華ちゃん、これはねオ−ロラでもオデットでもないの。 あなた自身、

あなたそのものを踊ってちょうだい。 つくっちゃダメ。 そこんとこ ようく考えてみて。 オヒメサマじゃないのよ?

これは、ね。 技術じゃなくてあなた自身、そう、柘植 毬華、で踊って欲しいの。 研究して! いい? 」

「 ・・・・ はい・・・・  スミマセン  」

コレグラファ−のマダムとフランソワ−ズの双方に ちょっと微笑んで毬華は小さく頭を下げた。

「 じゃ、フランソワ−ズ。 あなたのソロから、ね〜  そう、ジュッテ〜で出てくるところから・・・

そう・・・そうね・・・そう。   うんうん・・・あなた、どんどん変わってゆくわね、こっちが楽しみになっちゃうわ・・・!」

 

華麗な音の流れに身を任せ フランソワ−ズが舞う。

彼女の通った空間はその色が 彼女が踏んだ音はその響きが きらきらと変化してゆく。

 

「 うん・・・・ あなた、古典 ( 『 白鳥の湖 』や『 ジゼル 』等の古典バレエ ) よりもこういうモダン系 

 のが合ってるのかもねえ・・・ 毬華と逆ね。 まあ、ちょっと意外なオドロキだわね・・・ フランソワ−ズには

 ちょっとキツイかなって思ってたのよ。 毬華とは逆のタイプが欲しかったから・・・でも、嬉しい誤算だわ。 」 

満足げに頷くマダムの笑顔に 自分自身こそが驚いているフランソワ−ズは微笑み返すのが精一杯だった。

 − よく・・・わかないのは、わたしの方・・・ でも、凄くキモチいいわ、ピッタリ来るっていうか・・・

 

ミュ−ズの女神に愛でられた振付家とダンサ−は新しい世界の創造に没頭していった。

毬華はそっとスタジオのドアを閉めた。その唇に残っていたいつもの微笑は遮断された音と共にすっ・・と消えた。

 

 

「 ・・・シマムラさん・・・? 」

コンコンと窓を叩く音にジョ−は驚いて雑誌から視線を上げた。

「 はい? ああ、 ええっと・・・あ・・・・マリカ、さん? 」

「 こんにちは、初めまして。 柘植 毬華です。 お迎えご苦労様。 あのね、フランソワ−ズからの伝言です。

 まだ終わらないから先に帰っててって。 」

「 あ、 そうなんですか。 え、でもアナタは・・・? 一緒に踊るんでしょう? 」

「 ふふふ・・・わたしはお小言頂いて、ね。 先に帰されたの、フランソワ−ズみたいに才能、ないから。

 大変なの、どうして私なんかが彼女と選ばれたが不思議だわ。 嬉しくって夢みたいよ。 だってね、

 フランソワ−ズは私の密かなアコガレの人、だったんですもの〜。 ほんと、シマムラさん、あなたのカノジョは

 素晴らしいわ!  なんか・・・妬けちゃうな〜わたしのフランソワ−ズを取らないでって? ふふふ・・ 」 

「 え、・・・そうなんですか。 僕、フランソワ−ズの仕事のことには疎くって・・・。舞台も、正直いってあんまりよく

 わからないことが多いんですよ。 居眠りしちゃってよく怒られてます。 あ、すみません・・・ 」

「 まっ・・! 正直な方ねえ。 うふふ・・・別な意味で彼女が羨ましいわ、私。 」

「 ・・・・?・・・はあ・・・ 」

「 じゃあ、私、これで。 お先に〜お疲れさまでした・・・  あっ・・・つうっ・・・・! 」

「 ! 大丈夫? どうしたんですか、脚・・・? 」

振り返った途端に 脚を押さえて屈みこんだ彼女にジョ−は驚いてドアを開け手を差し伸べた。

「 あ・・・ありがとう、ゴメンナサイ・・。 ずうっと踊りっぱなしだったから。 私、フランソワ−ズみたいにタフじゃ

 なくて・・・ダメですね・・・、あ、でも平気。 いつものコトだもの・・・ 痛いのには慣れてるわ。 」

「 さあ、どうぞ? 捕まって下さい。 送って行きます、お宅はどっちの方ですか? 」

ぎこちない笑顔を返す毬華の腕をジョ−はそっと支えた。

「 あら・・・・ありがとうございます。 いいんですか・・・ あ、でもなんだかフランソワ−ズに申し訳ないわね。 

 ちゃんと報告しきますから、ご安心を。 」

「 そんな、べつに僕たちは・・・。 」

くすっ・・・笑いを含んだ黒目勝ちの瞳でまっすぐに見上げられジョ−はやけにどぎまぎしている自分を持て余した。

「 はい、 これ、 私のネ−ム・カ−ド。 ね、 私たちって実は今日が初対面なんですよね? 」

「 あ、 どうも・・・。 えっと・・・ じゃあコレ。 すいません、хa@と名前しかないけど。 」

「 まあ、 ありがとうございます。 」

 − ああ、 このヒトはフランソワ−ズよりひとまわり小柄なんだ・・・・

すとん・・・と助手席に収まった毬華に横目を使い、そのこと自体に狼狽したジョ−は慌てて視線を戻した。

 − ・・・・ったく・・・。 なんだって僕は・・・・・

 

 

 単調で連続した振動と音はいつでもどこでもヒトを眠りに引き摺り込むものらしい。

その日の最後に近い時間の地下鉄では まばらな乗客のほとんどが揺れる半夢の世界を漂っていたようだ。

抱え込んだ大きなバッグに半ば寄りかかって、フランソワ−ズも瞼の重さに逆らえなくなっていた。

「 ・・・・あれ・・・・ 今朝、迎えに行くって・・・ジョ−、言ってた・・・・・かな・・・? 」

かたた・・ん、かた・・・ん・・・・ かたた・・・ん・・・

心地好い振動の中では考えごとは不向きのようで、彼女の亜麻色の頭も自然に前に垂れていった。

 

 

「 フランソワ−ズ? な〜に、そんなに携帯に熱い視線、送って。 待ち人来たらず、かな? 」

カンパニ−の更衣室、その片隅で携帯を手に<固まって>いる彼女に先輩のひとりが声をかけた。

「 あ・・・いえ、その、ちょっと。 連絡待ちなんです。 」

「 ふうん? 珍しいわね、あなたが携帯いじくってるなんて 」

「 あら、知ってるわ、いつかアナタを迎えにきた栗色の髪のひと、でしょう? 彼氏、よね? 」

「 え・・・べつに・・・そんな・・・ 」

 − やだ、そんな大声で・・・・。

明るく割り込んできた毬華の声がやけに高いと感じたのは 気のせいだろうか・・・・

「 へえ・・・そう? だって、一緒に住んでるんでしょう? 」

「 ・・・まえはね。 」

「 どうしたの・・・?  ・・・別れたの・・・? 」 

「 別れたって・・・そんな、そういう仲じゃ・・ない・・もの。 ・・・・ただ・・・引越したの、彼。 先週。 」

「 えっ、そうなの? 引っ越したって・・・転勤、とか? 遠くへ行ったの、カレ? 」

「 え、ううん・・・。 すぐ近く、よ。 F駅の近くなの。 仕事、忙しくって時間がもったいないからって・・・」

「 ふう・・・・ん・・・。 そう・・・。 」

 − あ・・・? マリカのことジョ−に紹介したかしら・・・ 会ったこと、あったっけか・・・?

「 ま、忙しいのはお互いサマだもん、しょうがないわよ。 離れてみるのも、新鮮でいいかも、よ? 」

「 え、ええ・・・・。 」

 − マリカはきっと気を使って言ってくれてるんだ、彼女はとてもイイヒトだもの・・・・

相変わらず艶やかな毬華の笑顔を眺め、フランソワ−ズはそう自分に言い聞かせていた。

わざわざ自分自身に納得させるのは何か妙なコトだ、とうすうす感じ出している自分をフランソワ−ズは

無理にでも打ち消したかった。

 

 

                                                **********

 

 

 海に近いから・・・・この邸にいるとどこよりも早く次の季節の訪れに気が付くみたい・・・・

フランソワ−ズは開け放ったフレンチ・ドア越しに、幾分その色合いを変え始めた空に視線を飛ばしていた。

「 おや・・・・ マドモアゼル、今日は久々にオフですかな? 」

「 グレ−ト・・・。 あなたこそ。 今日は早番? 張さん、このごろちっともここに帰ってこないわよね。 」

まだ日中の暑さが幾分か漂う宵の口、ぽつねんとリビングのソファに埋まっていたフランソワ−ズは少し驚いて

顔を上げた。

「 おお、忙中閑アリ。 いや、芸術家には ゆとり が必要であるゆえ。 休養は魂の、そして人生の糧。 」

相変わらずのグレ−トの言動に フランソワ−ズは思わず笑みをもらせた。

「 ダンサ−も本日は休養です。 ・・・・・ジョ−と約束があったんだけど・・・急に、仕事ですって・・・ 」

「 ほほう・・・? 独立・少年もいっぱしの <仕事人> になったってワケですかな。 」

「 そうみたい・・・。 わたしも忙しくて彼のスケジュ−ルと合わせられないし・・・ オトコの人って・・・やっぱり

 仕事がイチバン大切なのかしら、ね。 」

ナミダが浮かんで来るのを紛らわそうと彼女は ことさらじっと空を見詰めた。

「 この国では・・・ナンといったかな?そう、棚からボタ餅。 いや・・・ちょっとニュアンスが違う気もするが・・・

 もとめよ、さらば与えられん、と。 マドモアゼル、座って待ってても・・・美味なる果実は落ちてきませんぞ? 」

「 え・・・? 」

ちょっと驚いて視線を戻したフランソワ−ズに、元シェイクスピア役者は大仰に肩を竦めてみせた。

「  風は、 いつどこから吹いてくるか、ソレを見極めるのが ソレに気付くのが なにより  肝心 」

「 風・・・? 」

「 さよう。 風が吹いて・・・変わってゆく。 天気も、おお そして 人生も。 」

「 天気も・・・人も・・・? 」

フランソワ−ズは首から提げている小さな鍵に服の上からそっと手を当てた。

「 おや。 ほんとうに風が変わりつつあるなあ・・・ 明日あたり一雨きそう、ですかな。 」

わざと彼女に背を向け、グレ−トは風に玩ばればたばたと旗めきだしたカ−テンを止めにいった。

 

 − この風にのって 想いが届けばいいのに・・・・ でも。 それは、それじゃ、駄目なのよね・・・

  

変わり易い天気、不安定な空模様・・・・ だんだんと早くなってきた雲の流れを見上げてフランソワ−ズは

そっと唇をかんだ。  

 − 風を、 捕まえなきゃ・・・・。 自分から・・・。

雨を誘い出しそうな・・・・・流れる雲は自分の心の投影かもしれない。

 

 ( ジョ−の所に行ってもいい? 午後のお茶に間に合うようにゆくわ。)

駆け出しの役者のように幾度も幾度も短いセリフを口の中で繰り返し・繰り返し。しっかりと鍵を握り締め。

とっくに覚えている番号をもう一度確かめながら押してゆく・・・ひとつ・ひとつ。 ゆっくりゆっくり。

 

 − Trrrrrrrrr...Trrrrrrr ....

 

じっとりと汗ばんだ耳に携帯を押し付け、フランソワ−ズは全身で次の <音> を待っていた。

 

                            

                             Last update: 5,24,2003         index  /  back  /  next

 

       ***** 言い訳 by 管理人 ******

ハナシが時間的に行きつ戻りつしています、ややこしくてスミマセン(汗)。 あはっ!典型的少女漫画の展開になって

来ました〜 <お約束>のヒトも出てきたし。 ますます『009』からは遠ざかってます・・・(;一_) それでもイイヨ、と

寛大なお方、もう少し御付き合い下さいませ。 <m(__)m>