『 風たちぬ −1− 』  

 

 

 昼すぎからぽつぽつと落ちてきた雨が すでに本降りの様相を見せ始めていた。

秋の雨はそれでなくとも早まってきた日暮れをさらに急き立てているようである。

( ・・・・遅いなあ・・・・ )

カ−テンを引くついでに一層暗さを増してきた空に目をやり、ジョ−は何度目かの溜め息をついた。

 

≪ うん・・・ひとりで大丈夫、わかると思うわ。リハ−サル終ったら午後のお茶に間に合うように行くわね? ≫

迎えにゆく、というジョ−の言葉にフランソワ−ズは電話のむこうでいいのよ、と笑って応えていたのだ。

( もう、5時近いじゃないか・・・  どうしたんだろ・・・やっぱり。 )

電源を切っているのか繋がらない携帯に舌打ちし、ジョ−は車のキイを手に取った。

 と、まさにその時。 彼の苛立ちを見透かすように玄関のチャイムが鳴った。

 

そのあまりの絶妙のタイミングに苦笑し、しかし半ばほっとして彼は大またで玄関へ向った。

「 やあ、 遅かったね、心配したよ・・・?  フランソワ−ズ!! 」

明け放ったドアの前には 全身ぐしょ濡れのフランソワ−ズが立っていた。

「 Bonjour, ジョ−。 遅くなってごめんなさい! 」

彼女の髪から、スカ−トから零れ落ちる雫が足元にちいさな水溜りを作り始めていた。

 

 

                               ********** 

 

 

 ジョ−がかなり唐突に≪独立≫を口にしたはその年の夏も終わりのころだったろうか。

「 ・・・・え? 独りぐらしって・・・どういうこと、ジョ−? 」

「 どういうことって。 そのまま、さ。 F駅の近くにいい物件が見つかったんだ、駅に近い割りに静かで環境もいい。」

「 ここを・・・出てゆくってことなの。・・・・どうして・・・? なにか・・・気に入らない事が、イヤな事でもあるの、

 この家に・・・・ そんな、急に・・・ 」

「 え、ちょ、ちょっと・・・ ごめん、気を悪くしないで・・・。 勿論、この家は大好きだよ、当り前だろ?

 僕の、僕たちの大切なホ−ムなんだもの、気に入らないなんてそんな事あるわけないじゃないか。 」

大きな瞳をますます大きく見開いて、それでもだんだんナミダ声になってゆくフランソワ−ズの頬にジョ−は軽く手を

添えて微笑んだ。

「 そうゆうことじゃなくて。あのさ。この前から始めた車関係の仕事、あるだろ。ココはやっぱりなにかと不便なんだ。

 それにきみも稽古やリハ−サルで忙しいのに、家のこととか僕のコトで迷惑をかけたくないしね。」

「 ・・・! 迷惑、だなんて、そんな、ジョ−・・・・ 」

思ってもみなかった彼の発言にフランソワ−ズはどうしてよいか、ただ呆然とジョ−の顔を眺めるばかりだった。

「 あ、週末とかには帰ってくるし。 それに勿論、あっちにはいつでも来て? はい、コレ、きみ専用。 」

− しゃりん・・・・ ストラップより長めの金色のチェ−ン。 その先に揺れているのは。

「 ? キイ・・・? 」

「 そうさ♪ あ・い・か・ぎ! きみの部屋でもあるってこと。 」

手の平に乗せられた見慣れぬ鍵のひんやりした感触がフランソワ−ズには 嬉しいのか悲しいのかよくわからなかった。

「 ・・・・ そ。 お仕事のためなら・・・・ 」

 

「 そんなに気にしなくても、なあ、フランソワ−ズ。 」

キッチンで洗い物をしていると静かに入ってきたギルモア博士がそっと声をかけた。

「 え・・・あの、べつにそんな・・・ 」

「 アイツはずっと集団生活育ちだから。 一度くらい独り暮らしを経験したいだろうよ、若いオトコとしては、な。

 ま、その辺を理解してやっておくれ。 なあに、案外じきにネを上げて帰ってくるかもしれんし・・・ 」

「 そう・・・ですよね・・・ 」

言葉とはうらはらにシンクを見詰めたまま固まっている彼女の背を博士の大きな手がぽんぽんと優しく叩いた。

「 ジョ−に限らず、お前たちがみんなそれぞれに 自分自身の生活を・・・幸福を・・・求めて欲しいと

 わしは思っとるよ・・・・。 いずれみんな、フランソワ−ズ、お前も含めて、ひとりひとりの道を歩んで行ってくれたら、

 と願っておるんだがな・・・。 もちろん、お前たちが一緒に歩んでくれたなら・・申し分ないことだ・・・ 」

「 わたしは。 わたし、は・・・ 」

なにかあついカタマリが喉をぐっと塞いでゆく。 と、同時に つうっ・・・とナミダが一筋、ほほを伝ってシンクに落ちた。

 

 名残の夏を飾るその年さいごの入道雲が盛大に湧き上がった日、ジョ−は意気揚々と引越していった。

 

 

                                                                      *********

 

 

「 ねえ〜 ジョ−! なにか着る物を貸して・・・ 」

「 ちょっとまって! 」

バスル−ムへ大声で返事をかえし、ジョ−はあわてて寝室へ飛んでゆきクロ−ゼットを覗いた。

「 ・・・なにかって・・・ウチには女物なんて置いてないんだよ・・・ え〜と・・・・? 」

しばらくゴソゴソやったあげく、彼は洗い立てのバスロ−ブとタオルを手にバスル−ムにとってかえした。

「 フラン・・? ココに置くから・・・。 あ、濡れた服は乾燥機、使えよな。 」

「 うん、ありがとう。 」

声とともにくもりガラスの向こうに彼女の白い肢体が浮かび上がり、ジョ−はどぎまぎと眼をそらせ退散した。

 

 

「 バス停をひとつ間違えたみたい。 駅の反対側に出ちゃって・・・もうどうしようかと思ったわ。

 傘も携帯もお稽古場のロッカ−に忘れてきちゃったから・・・・ 」

ジョ−のバスロ−ブに包まり洗い髪をタオルでぬぐい、フランソワ−ズはちょっと肩をすくめた。

「 ・・公衆電話みつからなかった?・・はい、きみのお気に入り、カフェ・オ・レというかホットミルクのコ−ヒ−割り 」

湯気のたつマグカップを手渡して、ジョ−は苦笑まじりの溜め息をもらした。

「 ほんとに。 あんなにびしょ濡れになってさ・・・風邪ひくよ? リハ−サル、忙しいんだろ、新作なんだって? 」

「 あ・・・ありがとう・・・わあ・・・美味しい! ふふふ・・大丈夫、忙しくって風邪ひくヒマなんかないもん。 」

・・・あれ・・・どうして新作だって知ってるのかな・・・わたし、言ったっけか・・ 両手で大振りのマグカップを抱え

フランソワ−ズはいい匂いの湯気と一緒になにか違うモノが浮かびあがり心をちらりと横切って行くような気がした。

 

「 なら・・いいけど。 無理するなよ〜 」

「 うん・・・ ああ、美味しかった〜ゴチソウサマ。 ・・・あら、この写真? 」

カップを戻したトレイを運ぼうとして、立ち上がったフランソワ−ズはサイド・ボ−ドにある写真立てに眼を留めた。

「 うん? ああ、それ、いいだろう?きみのオヒメサマ、その16歳の眠り姫好きなんだ、なんかとってもきみらしくて。」 

「 そう・・・? あら、でもコレ随分前のロ−ズ (注: ロ−ズ・アダ−ジオ。『眠りの森の美女』一幕でのオ−ロラ姫

 の踊り。ここではヴァリエ−ションの方 ) じゃない? よくこんなの見つけたわねえ、ジョ− 」

「 ・・・もらったんだ。 へえ・・・そんなに前のなんだ、全然知らなかったよ。 」

さらりと言われそのあまりの自然さになぜか フランソワ−ズはまた何か妙にちぐはぐなモノを感じていた。

・・・ もらったって・・・誰に・・・? 口に出せばなんてコトはないのだがなぜかそれを押しとどめるものがあった。

「 今度ね、違うのもってくるわ、ほらこの前の。 三幕のグランの方。 ( 注: 同じく 『 眠り〜 』三幕での

 グラン・パ・ド・ドゥ。 オ−ロラ姫とデジレ王子の結婚式。) わたしはあっちの方が好きなのよ。 」

「 じゃあ、さ。 独りで踊ってるとこ。 パ・ド・ドゥはどうもね・・・・ 」

「 いや〜だ、ジョ−ったら。 あ、じゃあ安心して? 次の作品は確かに pas de deux (二人の踊り) だけど

 相手はオンナノコだから。 」

「 ふうん・・・・そうなんだ・・・ 」

− なんで彼は目を逸らせるのかしら・・・他愛ないおしゃべりの合間にもふっ・・となにかがその影を落とす。

気のせい、よ。 別々に暮らしてるからって気の廻しすぎだわ・・・わたしって・・・・

ちょっぴりの自己嫌悪を振り払いたくてフランソワ−ズはことさら明るく話しかけた。

「 そうなの。 ジョ−、あなた、知らないかしら彼女。カンパニ− ( 注: バレエ団のこと ) のソリストでね、

 とっても綺麗で可愛いヒトなの。 今度、紹介するわね? 」

「 ・・・へえ・・・・・ うん・・ 」

「 年末の 『 くるみ〜 』 ( 注: 『くるみ割り人形』 全世界的に年末恒例プログラム )は、きっと彼女の

 クララで、う〜ん・・・わたしは一回でも雪の女王が回ってくれば嬉しいんだけど。 ほら、コレ 」

片手でトレイを持ったまま、フランソワ−ズは軽くステップを踏み 空いている手をひらひらさせて見せた。

 ( 注: 『 くるみ〜 』 の <雪の国>のシ−ンでちらちら降る雪の様に手を細かく動かす振りがある )

「 もう年末のハナシかい? あれは楽しいから僕でも好きだけどね。 」

「 なあに、じゃあ、いつもは退屈してるってことなの? でもね、今度の作品はきっとジョ−でも楽しめると思うわ 」

「 そう願いたいね・・・、また居眠りしてきみに怒られたくないもんな。 」

− やあねえ、もう・・・。でも。 ああよかった、やっぱりわたしの思い過ごしよ、いつものジョ−だわ・・・・

フランソワ−ズはほっとしてお茶のトレイをキッチンに運び軽い足取りで居間へ戻って来た。

 

「 今度の作品はね、ポアントは履くけどちょっとモダンっぽい振りが多いのよ。こんなステップがあって・・あっ・・・」 「 ・・・・ おっと・・・ 」

大きすぎる借り着のバスロ−ブの裾を踏んで つんのめったフランソワ−ズを彼はとっさに抱きとめた。

「 あっ・・・・ ありがと・・・ あ・・・ 」

タオル地を通して彼女の柔らかな身体が直に感じられ、ジョ−は耐え切れずそのまま彼女の唇を求めた。

「 ( ・・・・う・・・な、なに・・・) 」

いきなりいつもの軽いキスとは違う強い吸い上げを感じフランソワ−ズは脚の力が抜けくたくたと彼に縋りついた。

やっと唇を解放すると ジョ−はそのままお気に入りの彼女の髪に顔を埋め左耳の後ろに軽くキスをした。

「 ・・・なあ・・・いいだろ・・・? 」

「 ・・・・うん・・・・ 」

耳の付け根まで真っ赤になってフランソワ−ズは彼の胸に顔を押して付け、消え入るようにつぶやいた。

 

 ・・・・ああ・・・・ 雨のおとがきこえる・・・・ ひそやかな さみしい やさしい・・・秋のあめの音・・・・

わたし、なんでこんな時に全然関係ないことに気をとられてるの・・・

ジョ−の熱いくちづけを全身に感じ次第に高潮しゆく自分自身の一方で フランソワ−ズは妙に褪めた想いを

持て余していた。

彼の思いの他繊細で巧みな指先が頬を首筋を辿り胸元にかかる。 

びくっと一瞬身体を強張らせたがフランソワ−ズはきゅっと目を閉じ彼の動きに身を委ねようと力を抜いた。

 

・・・あ・・・・・? 

所在無さげに枕の脇に伸びた彼女の手に、指に、ふと当たった固いもの・・・なあに・・・ヘア・ピン・・・え・・?・・

それは、どこにでもあるありふれたヘアピン・・・・・ でも。 これは・・・・・ この、ピンは。

 

すうっ・・・・と周りの全てが色あせ身体の芯熱は褪め果て 空気までもがきしきしと音をたてて冷えてゆく・・・・

 

「 ・・・・やめて・・・。 いや。 ジョ−。 」

「 ・・・なに、どうしたの、 急に・・・ 」

急に身体を起こし自分の手を押しとどめたフランソワ−ズにジョ−は驚いたようだったがすぐにまた全身の重みを

傾けてきた。

「 ・・・・っ!・・・・ 」

渾身の力をこめてそんな彼を押し戻して、フランソワ−ズは彼の訝しげな瞳をじっと見据えた。

 

「 ・・・・・これ。  どなたかの忘れ物、よ。 」

 

差し出された手の平には。 ヘアピンが二本。

 

「 ・・・・? きみのだろう・・・? 」

「 ジョ−。 これは、このピンは。 黒髪のヒトが使うもの、よ・・・・。 」

「 ・・・・!・・・・ 」

 

「 帰るわ。 」

 

凍み付いた表情のままじっと彼を見詰め、それきり口を噤みフランソワ−ズは静かに部屋を出ていった。

 

「 ・・・・・フランソワ−ズ ・・・・・ 」

 

なぜか一歩も踏み出せず、ジョ−はただ、ひとりきりの部屋に雨音だけがやけにはっきりと響くのを感じていた。

 

 − その夜の雨上がりと共に 間近かな冬の到来をつげる風が吹き始めた。

 

 Last update: 5,13,2003          index / next

 

  **** 言い訳 by ばちるど ****

 平ゼロ・ジョ−君をお好みの方、ごめんなさい〜。 パラレルですから・・・どうぞご勘弁を・・!

 脳波通信機とかど〜して使わんのってつっこまないで下さい(^_^;) 次回まで少し間が空くと思います。申し訳ありません!