『 A demain ! − また、あした! - 』
**** お願い ****
このSSは 『 プレパレイション』 『 日々是好日 』 の続編になります。
登場人物・設定等ご理解いただくために、お時間がおありでしたら、
誠に恐縮ですが 前2作をお読み頂ければとても嬉しいです。 <(_ _)>
休日のショッピング・モ−ル。
ちょっと郊外にあるそこは まだ昼前だというのに家族連れやカップルたちで早くも賑わい出している。
海に近いこの街独特の明るい雰囲気が人々気持ちを誘うのかもしれない。
日用品売り場への階段近くで。
人待ち顔で立っていた見覚えのある若いガイジンさんに えり先生は声をかけた。
「 おはよう! フランソワ−ズ。 珍しいわね、こんなところで会うなんて。 ・・・えっ?!」
「 あ・・・おはようございます、えり先生 」
振り返ったフランソワ−ズの姿に 目を見開いたままえり先生は呆然と立ち尽くしていた。
セ−タ−にジ−ンズ、ハ−フコ−トのすらりとした姿が、これもびっくり顔で振り向いた。
彼女の腕の中には ・・・・
少しぐずぐずご機嫌ななめの銀髪の赤ん坊。
空のベビ−カ−のワキには 紙オムツの束が3個。
「 あ、あの・・・。 この子は、その・・。」
えり先生の視線に気付いたフランソワ−ズが 口を開いたとき。
「 あったよ〜、これだろ?イワンのお気に入りのミルクって? 」
両腕にベビ−・ミルクのカンを抱えて 茶髪の青年が意気揚々と現れた!
「 ほら、これ。 ここにしか売ってないってきみが・・・ 」
「 あ、ああ、そうなのよ。 ありがとう、ジョ−。 」
「 よかった。 あれ、きみの友達? コンニチワ 」
ぺこり、とお辞儀をした満開の笑顔に えり先生はしばし目を奪われていた・・・
「 まあ、そうだったの! ごめんなさいね、ちっとも知らなかったからちょっとびっくりしただけ。
うん、お似合いよ、あなた達。 大変でしょうけど、フランソワ−ズ、頑張って! 」
「 ・・・あの ・・・ えり先生・・・ 」
これは 誤解をとかねば!と、フランソワ−ズが一歩ふみだした時、 イワンのぐずぐず声が
泣き声に変わった。
「 あ、 すみません、ちょっと。 どうしたの? お腹すいた? 」
お出かけ用の白いベビ−・コ−トの背を 彼女はとんとんと叩いてあやした。
「 フランソワ−ズ、 これはネ、着せすぎ。 暑いんじゃない? ボクは。 」
それにね、おシリも濡れてるみたいよ?と えり先生はくすくすと笑う。
「 ね、なんでも聞いて? これでも娘が二人いるの、ママ業も先輩なのよ♪ 」
「 ・・・はあ、・・・・ 」
「 あの、さ。 なんだか・・・誤解、されちゃったみたいだね・・・? 」
イワンのほっぺをチョンっとつついて にこにこ顔で去って行くえり先生の背中を眺めて、
ジョ−が ぽつりと言った。
「 ・・・うん・・・ なんか、そうみたい。 」
「 ごめん・・・。 僕、はっきり言えばよかったかな、あの・・・ 」
ひとりで狼狽してる彼を フランソワ−ズは明るく笑って振り仰いだ。
「 うふふふ・・。 なんて? 」
「 う ・・・・ なんて言えばいいんだろう? 」
思わず見合わせた顔が 可笑しくて二人して噴出してしまった。
ベビ−・ル−ムで肌着を一枚脱がせ、オムツもさっぱりしてもらったイワンは
すぐにすうすう寝入ってしまった。
「 うふ・・ 気持ちよそさそう ♪ 」
「 ほんとに・・・ 夜の時間は普通の赤ん坊と変わりないんだね。 」
「 そうみたい。 それにしても・・・ホンモノ・お母さんは流石よね。 ちらっと見ただけで
いろいろわかっちゃうんだのもの。 」
「 赤ん坊にはみんなテレパシ−がある、なんて聞くけどね。
さ、帰ろうよ。 今晩ね、晩御飯のメニュ−にリクエストがあるんだ〜♪ 」
「 あら、珍しいじゃない? なあに? 」
ほら、とジョ−はぶる提げていた包みを振ってみせた。
「 鍋焼きうどん! さっき買ったコレを使おうよ。 僕がやるから、具をつくるの手伝って? 」
「 なべやき・・・? おなべ? ええ、いいけど。
でも、あの陶器のステキなキャセロ−ルを使うの? 勿体無いわね。 」
「 勿体無い・・・? なにが? 」
「 だって<鍋焼き>って焼いちゃうんでしょう? ほら、<ホイル焼き>とか・・・<紙包み焼き>
みたいに・・・。 あのキャセロ−ルは使い捨てには 見えないんだけど。 」
目をぱちくりさせていたジョ−が 程なく爆笑したのは言うまでも無い・・・・。
もっとも おかげで帰り道、彼はケ−キを奢るハメになったのだが。
− ぱん!
手を打つ鋭い音とともに ピアノはぷつ・・っと音を止める。
「 ・・・・ もう一度。 初めから。 」
組んだ脚を動かしもせずに マダムは低くつぶやいて溜め息をつく。
「 ・・・・ はい・・・。 」
額にまつわる髪を 手で払いのけフランソワ−ズは初めの位置に戻る。
華やかなピアノ前奏に導かれ、可憐な17歳の乙女・ジゼルが登場する。
『 ジゼル 』 1幕より ジゼルのヴァリエ−ション( 女性一人の踊り )
恋する村娘・ジゼルの 生命の輝きに満ちた明るい踊りである。
プレパレイション。
ファ−スト・アラベスクから パンシェ カクイ−ユ エファセ・バッチュ・・・
ぱん・ぱん・ぱん・・・・!!
「 やめ。 ・・・・ 何度やっても、同じね。 フランソワ−ズ、あなた、ぜんぜん変わらない!
テクニックはね、安定してきたわよ、でもね。 どうして? 」
マダムは ふう・・・っと大きく息を吐いた。
「 このヴァリエ−ションは、たしかに難しいわ。 わかっててあなたを抜擢したのよ。
フランソワ−ズなら十分こなせるだろう、ってね。 」
ようく音を聴いてきて、とMDを一枚手渡し彼女はフランソワ−ズに向き合った。
「 はじめ、あなたのテクニックはどうしようもなかったわ、はっきり言って。
どこで勉強してきたのか、とあきれる程古臭くて。
でもね、 あなた、どんどん変わってきた。 新しい技術が身について毎日毎日違うヒトみたいで
見ていて気持ちがいいくらい。 それなのに・・・急に固まってしまったわ。 」
フランソワ−ズは きゅっとタオルを握り締めた。
マダムの視線が痛い。 まるで・・・ 自分の能力( ちから )のように彼女には
全てが見透かされている気がして、身じろぎもできない。
「 でもね、テクニックだけじゃないのよ。 あなたの気持ち、それの表現は・・?
ねえ。 それが・・・全然変わらないのは・・何故?
なにが あなたを縛り付けているの? その束縛を解いて、自由になって。
今のあなたは ・・・ なにかね、そう・・・ 機械仕掛けのお人形が踊ってるみたいなのよ。」
ぱさり、とタオルが落ちた。
「 次のリハまでに、ようく考えてみて。 わたしが求めているのは何なのか。
あなたには・・・わかる、出来るとおもうのよ。
・・・・ それでもダメなら、 残念だけど今回は降りてもらうわ。 」
じゃあ、お疲れさま、と言い残し老婦人はスタジオを出ていった。
− 機械仕掛けのお人形。
全身にまつわる熱い汗が 音を立てて凍りついた。
足元のタオルを拾おうと思っても どうやって身体を動かせばよいのかわからない。
キカイジカケ ノ オニンギョウ ・・・・
その言葉だけが がんがんといつまでも耳の奥で反響している。
ここにレッスンに通うようになってカンは戻ってきたし、昔とほぼ同じくらいのテクはこなせている、
と思う。
いや、以前には知らなかったパを憶えるのに必死だった。
毎日、毎回自分なりに精一杯努力しているつもりなのだ。
でも。
生身なら、・・・人間なら。
苦しい努力の結果、少しづつでも変わってゆけるのに、進歩してゆくのに!
この、忌まわしい・機械を埋め込まれた・優秀な・・・マガイモノの身体は。
あるレベル以上は、変化することを断固拒否する。 本人の意思などまるて無視して、この身体は
黙り込み・・・・冷たく固まったまま 変わってゆく事を否定する。
キカイジカキケ ノ オニンギョウ ・・・・
− わたしだって・・・! 変わりたい、新しい方向に拡げてゆきたい! ・・・・なのに。
ぎくしゃくと、まさに機械仕掛けのように ぎこちなくフランソワ−ズはタオルを拾った。
身体を折り曲げた途端に なみだがぱたぱたと床に水玉模様を描いた。
「 ・・・ ねえ・・? 」
ぽん・・・とピアノが鳴った。
「 ・・・あ。 お、お疲れ様です・・・ ありがとう・・・ございました・・・
何回も すみませんでした・・・ 」
楽譜を揃えていたピアニストさんが 躊躇いがちに声をかけた。
「 お疲れ様。 そんなこと、気にしないで? 」
「 はい・・・・ ありがとうございます・・・ 」
タオルで半分顔をおおい、一生懸命涙を隠しているフランソワ−ズに ピアニストさんは
暖かな笑顔を向けてくれる。
「 そんなに、落ち込まないで? マダムはあなたにとても期待してるから、求めるものもたくさんに
なってしまうのよ。 それにね、 あなた、ちゃんと変わってるわよ? 」
「 ・・・え・・・・? 」
ピアニストさんは ぱらぱらと曲のワン・フレ−ズを弾く
「 貴女の音感。 ああ、やっぱりバレエって西洋のモノなんだな、って思ったわ。
日本人の音感って なんか、この、微妙にズレてるの。 気分的にかしら、尾をひくのね、わずかに。
あなたには それが無いもの。 弾いてて気持ちが良いほど、時にはこっちがあなたの音採りに
ひっぱられてゆくわ。 初めはすこしぎこちなかったけど、どんどん研ぎ澄まされてゆくってかんじ。
これは、すごい宝物よ? 」
「 音って・・・。 きっとわたしの取り方は 四角四面で温か味がぜんぜん無いって思えて・・。
その・・・き・・機械、 みたいって。 」
うつむいて消え入りそうに ぽそぽそ話すフランソワ−ズにピアニストは優しく笑いかけた。
「 そんなコトないって。 始めのころは確かに、正確なだけだったけど。 大丈夫、今は全然。
ちゃんと あなたの味があるわ。 まあ、独創的になりすぎるのも困りモノだけど。
もちろんね、正確なだけっていうのも大事なことなのよ? そうでしょ? 」
じゃあね、がんばって、と帰って行った彼女の励ましは それこそ涙が出るほど嬉しかった。
うれしかった・・・ けれど。
この街でも 冬の陽は落ちるのが早い。
行き交う人々の足は 自然と夕闇にせかされる。
早い流れの人波のなか、 漂う落ち葉のような亜麻色の頭が ひとつ。
有名な並木道は その色とりどりの葉をほどんど地面に散らばし終えていた。
− 自然は・・・かわってゆくから 綺麗なのよね・・・・・・ わたし、は。
足の下で ひそやかな音をたてる落ち葉ですら、羨ましい。
芽吹きから 若葉 本葉 そして 枯葉へと 様変わりしてゆく彼らが。
俯いたら 涙がこぼれるから。
それだけの理由で フランソワ−ズはかろうじて顔をあげて歩いていた。
「 あ・・・・っ! 」
すぐ横に滑り込んで来た車を避けようとした時、 窓から見慣れたやさしい茶色の瞳が
覗いているのにやっと気付いた。
聞きなれた車のクラクション。
「 ぼんやりして・・・。何回も鳴らしたのに・・・ どうしたの? 」
「 ・・・ ジョ− ・・・・ 」
まじまじと彼を見詰めて。 このヒトも。 変わらない、変われないヒト・・・。
「 ジョ−は。 年を取りたいと思う? もっと・・・オトナになりたいと思う? 」
「 ?? なんだい、突然。 どうかしたの、何かあったの・・? 」
「 わたし・・・ やっぱり機械なの? 」
「 え? 」
ジョ−は とにかくこの思いつめたお嬢さんを助手席に引っ張り込んだ。
「 ごめん。 僕は、この身体になってそんなに年月が経ってないから、本当言うときみのキモチは
理解できないんだと思う。 少なくとも今はね。 」
「 ・・・・・ そ、そうだったわね・・・ 」
「 あ、誤解しないで、フランソワ−ズ。 でもね、そんな僕でも。<変わった>って思うんだ。 」
「 変わった・・?! あなたは・・・あなたは、年を取れるの?! 」
「 いいや。 ねえ、フランソワ−ズ。 <変わる>ってさ。 表面とか外見だけじゃない、と思うよ。
そりゃ 勿論イチバン目につくのは容貌とかだけど。 」
「 外見だけじゃない・・? 」
「 僕はさ、バイトで車の整備とか勉強してるだろ、車もね、変わってゆくんだ、ちゃんとね。 」
機械だってもね、とジョ−は楽しそうに言った。
「 相性がわかってくると 車の方もどんどん僕のいいパ−トナ−になってくるんだ。
まあ、最高にピッタシってのは・・・ 今のところドルフィン号に勝るのは、ないけどね。 」
「 じゃあ・・・・わたしは。 テクニックがもうこれ以上伸ばせないなら・・・ 解釈、表現力かしら? 」
「 僕は専門的なことは よくわからないけど? お客くらいにはなれると思うよ・・・ 」
「 そう?! じゃあ、お願いしたいの! ウチで、ああ、地下のロフト、空いてるわよね? あそこで・・ 」
「 あ、うん、ごめん。 今、ちょっとドルフィン号のメンテナンスを始めてて、さ。 」
ひゅ・・・っと口の中が干上がった。 舌が・・・・こわばる。
「 ・・・・また・・・・ あれに。 乗る日が近いの・・・?」
「 いや。 ・・・・ああ、隠しても仕方ないよね。 まだはっきりしないけど、多分。そう遠くない日に、ね。 」
「 ・・・・ そう。 」
ひざの上で 少し震える手がきゅっとスカ−トを掴んだ。
「 ドイツから、アルベルトからちょっと気になる連絡が入った。 ほうっては置けない。
せめてきみの舞台が終わってからだと いいね。 」
「 ジョ−。 」
かっきりとジョ−を振り仰いだその顔に たった今までの泣き出しそうな少女の顔は消えている。
「 ちゃんと。 ちゃんと言ってね。 その時には。 」
「 ・・・ わかった ・・・ 」
大切なのは何なのか。 それをいまさら口に出す必要はない。
「 ねえ、ジョ−。 また、あの美味しいお鍋のパスタ、作ってね!
わたし〜 お腹ぺこぺこなの〜 」
重くなってしまった雰囲気を変えたくて フランソワ−ズはことさら明るい声を上げた。
「 お鍋のパスタ・・? ああ! この前の鍋焼き饂飩のこと? 」
「 そう、そうよ、その <Ou dont - う・どん- > 。 美味しかったわあ・・・
トッピングが沢山なのもよかったし。 」
「 寒い時にはサイコ−だよね、じゃあ今晩も作ろうか。 」
「 わい♪ じゃあ、メインは軽めにするわね。 わたし、減量中なの。 」
「 ・・・メイン・・? 」
「 アレは前菜のパスタなんでしょう? 」
とっておきの笑顔が 運転席をのぞきこむ。
「 ・・・あ、 う、う〜ん・・・・ 」
鍋焼き饂飩一人前が<前菜>かよ・・・それで減量中とは、とジョ−は内心苦笑したが
先日の<爆笑>経験を生かして? 一生懸命マジメな顔で前方をにらんだ。
「 あ〜あ・・・・ 美味しかった・・・! 」
ほうじ茶がその香ばしさを リビングに燻らせている。
「 饂飩にフライやチ−ズも 合うんだねえ。 新食感だなあ・・・ 」
「 博士が 帰国なさったら是非、食べていただきたいわ。 」
「 そうだね〜 和洋折衷っていうか・・・ホント美味かった! 」
意外なほど 美味しかったフランソワ−ズ流・鍋焼き饂飩にジョ−も満足のようだった。
「 ふふふ・・・ ちょっと減量はお休みだわ〜。 ・・ああ・・・、ごめんなさい・・・ 」
白い手が 覆いきれないほどの大あくびが漏れる・・・・
「 毎日、キツそうだね。 公演前ってこんなカンジなの?」
「 うん、そうね。 ・・・・ふふ、わたし。へたっぴだからしごかれてるのよ、居残りで。 」
「 僕には詳しいことはわからないけど。 そんなに難しいモノを踊るの? 」
「 『 ジゼル 』 の一幕のヴァリエ−ションなの。 派手なワザは無いの。
でもね、きちんと正確に、それでいて役柄を十分に表現するにはイチバン難しい踊り、かな。
ダンサ−の実力がいちばん透けて見えるって言われてるわ。 」
「 ふうん・・・。 でも、凄いじゃないか。 そんな踊りを貰うなんて? 」
「 ・・・・じつはね。 もう、しかられてばっかり・・・。 」
「 さっきの約束、いいよ? ここでも出来るかな? 」
「 え、いいの? じゃあ、ちょっと待ってて。 準備してくるわ。 ああ、それならあんなに
食べるんじゃなかったわあ〜 」
ジャマなものを隅に寄せて ジョ−は即席の舞台空間をつくった。
ぱっと音が、踊りが止まって たった今までの華やかな空間は またリビング・ル−ムにもどった。
「 ・・・・・ どう・・・・? 率直な感想を ・・・・おねがい ・・・ 」
きれぎれの息で 流れる汗をぬぐいもせず、フランソワ−ズは熱心に問いかける。
はじめて 間近に見る彼女の踊る姿に ジョ−はしばし呆然としているように見えた。
ふう・・・っと 大きな吐息をもらし、彼はさかんに考え込んでいるようだ。
「 ・・・・うん・・・・。 あの、さ。 誰にむかって踊ってたの。 はじめ、このお嬢さんは誰か
劇中の人物に対して踊ってるのかな、って思えたんだけど、すぐにそのカンジがなくなって。
かといって お客に対してってワケでもないような? う〜ん、そうだな・・・
ごめんね、自分だけで踊ってるみたいだった・・・ 」
「 ・・・・ あ ・・・・そ、そう、なの・・・? 」
− 自分だけ。
踊りを見せている、という設定の恋人も、 実際の観客も。
わたし。 なんにも意識していないわ。
周りが見えてない自分、自分の技術だけをみている自分。
何気無いジョ−のことばは 飾り気が無いだけにずばりと本質を指摘していた。
わたし・・・ なにを考えていたの。 なにを踊りたいの。
「 ごめん! ・・・何かイケナイ事を言っちゃったかな・・・? 」
「 あ、ううん、ううん! すごい重要なアドヴァイス、貰っちゃったな~って思って。 」
「 そ、そうなんだ? 」
じっと黙って考えこんでしまった自分を ジョ−が心配そうに見詰めている。
そんな彼の ひとりどきまぎとした姿が嬉しくて、フランソワ−ズの口元は自然にほころんだ。
「 ありがとう! 最高のプレゼントだわ、ジョ−♪ 」
あっけに取られているジョ−に、フランソワ−ズはぱっと抱きついて キスをした。
「 さ! もう一度 お茶を淹れるわね! ああ、ケ−キがあったはずよ? 」
「 ・・・・ 太るよ、フラン・・・・ 」
キッチンへ跳ね飛んでゆく後姿に ジョ−は聞こえないように こそ・・・っと呟いた。
とっくに日付けがかわったころ。
足音を忍ばせてリビングに降りてきたフランソワ−ズは そっとカ−テンを払った。
広々と南がわに向いた窓が 稽古着姿の自分をくっきりと写しだす。
あなたは ・・・・ だあれ? 誰を踊りたいの?
ジゼル・・? それとも フランソワ−ズ?
ぼう・・・っと浮かび上がった白い顔。
ソレは 機械仕掛けのお人形 ・・・? たましいの無い冷たい作り物?
いいえ。 ちがう。
それは・・・ いつの時代にも どこの街にもいる あったりまえの <恋する女の子>。
ならば。 どう 踊る?
わたしも 恋をしてるわ。 だったら。 できないはずは ない。
かた・・・・
ひそやかな音と共に 恋する乙女が可憐に舞いだした。
「 ・・・ ちょっとは わかってくれたみたいね? Pas mal、ね。( 悪くない、の意 ) 」
はあ・・・っと今日はちょっぴり満足気な溜め息をついて、でもマダムのお小言は山盛りである。
「 この前よりは マシってことだから。 次までにね・・・ 」
宿題が つぎつぎとマダムの口から飛び出してくる。
越えなければならない山は 果てしなく続くのかもしれないけれど。
− 冷たく 固まってしまうよりずっと、マシよね・・・
注意の一言ひとことを フランソワ−ズは噛み締めて、うなずく。
「 わかった? ほんとに・・・ もう、どうしようって思ってたのよ、この前。」
嬉しいはずなのに、 なぜか涙がぽろんと転がりおちた。
「 さ、今からがスタ−トなのよ。 泣き虫お嬢さん? 」
「 ・・・・ 先生 ・・・・ 」
「 ウチの子にも こんな泣き虫はいないわ、ねえ? 」
マダムは苦笑して ピアニストさんに振り返る。
「 ま、それだけ若いってことかしら。 こころも身体もまだまだ熱くて柔らかいのよね〜
あらら・・・・・ 褒めてるのよ、ほんとに、もう・・・・ 」
黙って ぽろぽろ涙を落とすフランソワ−ズに、マダムは暖かい微笑をなげる。
「 わたしね。 10代の後半に初めてパリに留学したの。日本人では、多分初めてね。
そこの学校で、もう全然オチこぼれのお客さまだったけど、まわりの全てが素晴らしくて何でも
吸収しようって必死だった。 いつもイチバン最後まで自習してたわ。
ある日、最後に稽古場の 廊下を歩いてて、あるスタジオから音が流れてるのに気付いたの。
一人のダンサ−が踊ってた。
そう、ジゼル・一幕のV.をね。 彼女は最上級生で、わたしでも顔を知ってるくらいの優等生。
・・・・すばらしい、ジゼルだった・・・・。
それまでに、いえ、それからも、今日になるまで、あんな すばらしいジゼルは、見たことがないわ。
テクニックも、雰囲気も、その笑顔もなにもかも。
17歳のかがやけるジゼルそのものだったわ。
勿論、彼女はわたしが覗いてるなんて気付かなかったけれど。
その人ね、あなたに似てる、いえ、そっくりなのよ。
初めてあなたをオ−ディションで見た時叫びだしそうだったわ。
ねえ、本当に。 伯母様かお祖母様かしら、年齢から考えれば? あなたの身内で
バレエをやっていらした方は いないの? 」
「 ・・・・・ 」
フランソワ−ズは ただ、黙ってしずかに首を横に振ることしかできなかった。
口を開いたら大声で泣きだす、と思った。
・・・わたしを、ほんとうのわたしを覚えていてくれるヒトがいた・・・!
<わたし>は死んではいなかったのね。 あなたの心にちゃんと生きていたのね・・・。
あなたが 生きているかぎり、ほんとうの<わたし>も、 生き続ける。
ああ・・・・・ 今度は。 嬉しい涙が・・・・ 止まらない・・・・
・・・よかったね、本当の<フランソワ−ズ>。 あなたはあの日、死んでしまったけれど。
こうして ここに、この方のこころの中に生きていたのよね。
鏡に映った 乙女がひとり。
ひとりきりの稽古場で、今日はこころゆくまで泣きたい、とフランソワ−ズは思った。
流れるのは。
温かい ・ 生きた人間の ・ なみだ。
わたしは 機械 じゃない。
「 ・・・ フランソワ−ズ。 ここに居たんだ? 」
「 ジョ−・・・・ 」
ドルフィン号の最後尾の甲板で フランソワ−ズは白く波立つ航路の先にじっと視線を飛ばしていた。
緑あふれる陸地が どんどんとその姿を小さくしてゆく。
名残を惜しむテ−プのように 亜麻色の髪がいまやってきた方へとたなびいている。
「 もうすぐ潜航するから。 」
「 ええ。 ごめんなさい、すぐにもどるわ。 」
「 見納め? 」
「 あらやだ、そんなコト言わないでよ、ジョ−。 」
「 ・・・・ ごめん。 」
ほとんど 緑の線だけになった陸地からフランソワ−ズはぱっと視線を上げた。
空へ。 どこまでも澄んだ・まっさおな・空へ。
ジゼルは 恋が破れこころが壊れ 死んでしまったけれど、
それでも なお 恋するこころは 消えなかった。
じゃあ、 わたしは・・・?
あの ヴァリエ−ション、まだ恋の破滅を微塵も感じていないシアワセ一杯の乙女のおどり。
あれを 踊ったわたしは。
すう・・・・っと フランソワ−ズは胸いっぱいに潮風をすいこんだ。
生きているわたしは
この熱い想いを いつまでも持ち続けよう。
それが・・・・ 人として、生身の人間として生きる証。
「 せっかく 踊れる毎日だったのにね・・・ 」
じっと 遠ざかってゆく陸を見詰める彼女に ジョ−がそっと声をかけた。
「 あの舞台。 凄くよかった・・・!
いつか リビングで踊ったヒトとは 全然別人みたいだったよ。 」
「 ・・・・ ありがとう。 ジョ− 」
「 折角 いいセン行き始めたのに、ね。 」
カツン・・・とジョ−は足元のデッキをけった。
「 ・・いいの。 いつか、また、とおい明日。 もしかして、また、踊れる日が来るかもしれないし。
ううん、きっとそんな日をむかえられると 信じてるわ 」
「 そうだね。 きっと。 そんな日が・・・ 」
何年か 何十年か のちの日
また、 この地に住むことがあるかもしれない
その時は 行ってみよう、訪ねてみるわ、あのお稽古場。
泣いたり ・ 笑ったり ・ そうして みんなと汗を流した・・・
そうね、
案外 マダムはまだ矍鑠としているかもしれないし。
えり先生が がんばっているかもしれないわ。
そして
みんな わたしを見て 言うのよ。
「 ・・・・以前、 あなたのお母様を 知っていたわ。 」
そうね、 その後なんて言うの、ねえ、みんな?
「 出来なくて悔し涙に くれていたのよ 」 とか。 「 見事にオ−デイションに落っこちてたわ 」とか。
う〜ん、できれば 「 ステキに綺麗に踊るヒトだったわ 」 なんて、言われたら嬉しいわ。
そうなの、そうやって
いまの わたし を覚えていてくれるヒトがいるかもしれない。
大丈夫、それだけで、わたし。 生きてゆけるわ。
ううん・・・・
それだけ、じゃあないわね?
ジョ−。 あなたが、いてくれるから。 支えてくれるから。
わたし、 微笑んで言えるの。
− A demain! ( また あした!) ってね。
見詰め合い、そして おなじ水平線のかなたへと視線を投じて、
ジョ−とフランソワ−ズは ゆったりと お互いの暖か味に自分自身を預けあっていた。
***** Fin. *****
Last updated
: 2,26,2004. index
***** 後書き by ばちるど *****
フランソワ−ズの職業復帰談−その3、です。 ひとまずこれで終了。
彼らの本来の<仕事>を考えると やはり復帰は無理かと思われます。
オタク極まりないネタで 申し訳ありません。 <(_ _)>