Part 8.  誘惑 >

 

 

  

「 じゃあな、行ってくるから。 」

「 ・・・・う・・うん・・・ 行ってらっしゃい・・お兄さん・・・ 」

ドアから顔を覗かせた兄に ベッドの中からフランソワーズはそれでも

一生懸命笑顔をつくって応えた。

 

透き通った秋の陽射しが カ−テン越しにベッドにまで届くようになってきた。

気持ちよく晴れ上がった朝、フランソワ−ズはひどい二日酔いで伸吟していた。

 

「 ・・・あ・・・たま、いた・・・い・・・」

「 ほら、水。 なるべく水分を取るんだぞ。」

「 ・・・ ありがと・・・ 」

ペットボトルを枕もとに置くと ジャンは溜息をついて妹の顔を覗き込んだ。

「 いったい何を飲んだんだ? お前、自分の限度を知らないわけじゃないだろ? 」

「 ・・・・ も少し ・・・ 小さな声で ・・・おねがい ・・・ 」

「 ま、二日酔いで死んだヤツはいないからな。 時間が一番の薬さ。 」

「 うん・・・・・ 」

「 飲めよ、ほら。 」

枕に顔を埋めたままで呻いている妹に ジャンはあきれ顔でコップを差し出した。

「 ・・・・ そんなに沢山飲んだ・・・はずないんだけど・・・おかしいなあ。 」

「 ったく。 まあ、アイツが真面目なヤツでよかったけどな。 おい、気をつけろよ?

 若い女性のするコトじゃあないぞ。 みっともない・・・ 」

「 うん・・・。 あ・・・フィリップ、なにか言ってた? 」

「 いや? ああ、故郷に帰るって伝えてくれと言ってたな。 」

「 ・・・・ え? ・・・・ あ・・いた・・・ 」

驚いて身を起こした途端、フランソワ−ズは頭を抱えてまたすぐに突っ伏してしまった。

「 なんだ、振られたのかい? 」

「 ・・・ そんなんじゃ・・・ 」

「 まあとにかく 今日は大人しく寝てろ。 ん? 」

くしゃり、と妹の寝乱れた髪をなで、ジャンは笑って仕事に出かけていった。

 

「 ・・・・ 変だなあ・・・ ワインとあと・・・ああ、フィルのお勧めカクテルだけよねえ・・? 」

額からずり落ちてきたアイスノンをおさえ、フランソワ−ズは首をひねった。

「 あのカクテルになにか・・・? まさか・・・そうよね、だったらわざわざ送ってなんか来ないわ・・・ 

 ・・・あれ? <故郷>って・・・あちら側ってこと? 」

兄の言葉を思い出し、フランソワ−ズはますます考えこんでしまった。

「 とにかく・・・ 連絡してみなくちゃ・・・・ 」

サイド・テ−ブルの下に放り出してあったハンドバッグを拾い上げ、携帯をさぐった。

 

 

いつの間にか ベッドに起き上がり携帯を持つ手が汗ばんでいた。

・・・はぁ・・・・

フランソワ−ズは溜息をつき そのままぽすん・・・と後ろにひっくり返った。

・・・・ いた ・・・・

 

 − フィル? あなたは・・・ 誰?

 

まだずきずきするこめかみを押さえて フランソワ−ズはつぶやいた。

電話もメ−ルも繋がらない。 

いま改めて思い返すと、フィリップ、彼自身のことについてはほとんど自分は知らないことに気づいた。

カフェで待ち合わせたり ランチに行ったり。

ただなんとなく 街中やセ−ヌ川沿いを散歩したりもした。

そのたびに いつもフィリップは微笑んで自分のお喋りを聞いてくれていた。

彼は音楽や舞踊にも関心があり、なかなか的を得た批評も聞くことができた。

 

でも。

 

自分自身のことは ほとんど口にしていない。

どこに住んでいるのか、何をしているのか。

強いて尋ねはしなかったのだが・・・。

唯一教えてくれた電話番号とメ−ルアドレスは 今は断ち切られている。

故郷に帰る・・・・ ソレは単なる定番の<別れの言い訳>か、それとも・・・

 

 − あなたは・・・ なぜ、わたしの前に現れたの? ・・・なんのために・・・?

 

むやみに疑いたくはなかった。

彼が自分を見詰めるまなざしは いつもやさしく暖かかった。

そう、ずっと前に<むこう側>で初めて会ったときと すこしも変わってはいない。

 

いいんだ、僕にかまわず・・・急いで逃げるんだ!

 

・・・あのとき、彼は自分たちを逃がしてくれた。

彼が普通の世界に どんなに焦がれているかは、ほんの少しの遣り取りからでも感じられた。

それは、<かれら>みんなの感情なのだろう。

そのためのキ−となる自分を逃れさせたことで 

彼が何の責めも負わされなかったとは 考えられない。

だったら・・・?

再び 出会ったのは・・・・ ?

 

イヤな結論には 行き着きたくはない。 

些細な事にも疑心暗鬼になってしまう自分もイヤだ。

よくあるコト、ボ−イフレンドの一人が去っていっただけ・・・ そう思いたい。

 

ねえ? 振られちゃったわね、フランソワ−ズ・・・・

 

見慣れた自分の部屋の天井を見詰めて ぽそりと彼女は呟いた。

涙が一筋 耳の横を流れ落ちた。

 

 

・・・ちゃんとしなくちゃ。

熱いシャワ−を浴びて うんと濃いキャフェを飲んで。 そう、頑張れば午後のレッスンに間に合う・・・

気分を変えて、出発しよう。 考えるのはそれからだわ。

 

まだ重い頭をおさえ、フランソワ−ズはのろのろと起き上がった。

 

 あら。

 

握っていた携帯が着信を知らせていた。

≪ メ−ルをありがとう、こちらは晴天です。 お待ちしています。 ≫

すっと 冷たいものが背筋を通った。

発信は ジョ−。 何気無い挨拶文はスタンバイ要請の定型メ−ルである。

この文面では 緊急招集ではない。 しかし何かが起きたことは確かなのだ。

 

・・・・ 行きたくない。

 

こんな気持ちでまたあそこに<行く>のはイヤだった。

忘れたくて懸命に目を逸らせ、それでも折に触れふと湧きあがってくる想い・・・

そんな日々も フィリップと過ごすことで随分と楽になっていたのに。

 

いいわ。 コレは<仕事>なんだもの。

舞台のパ−トナ−と同じよね? ・・・ジョ−は<仕事のパ−トナ−>。

わたしは 003 として参加すればいいのよ。

・・・そう・・・ それだけのこと ・・・・

 

フランソワ−ズは勢い良くベッドを出ると バスル−ムへ飛び込んだ。

 

 

 

≪ trrrrrrr・・・・  trrrrrr・・・・・ ≫

いっこうに応えの無い呼び出し音に 少々うんざりしてフランソワ−ズはちらりと時計を見た。

大丈夫。 時差を考えても、皆起きているはず。

メンバ−専用線に 誰も応答しない、という事は・・・

思いは 滅入る方へ 悪い方へ、と急カ−ブで落ち込んでゆく。

 

「 ・・・・ ああ、ギルモアじゃ。 待たせたの・・・ 」

欧州組に掛け直そうか、と思い始めた時息せき切った声が やっと返ってきた。

「 アロー? フランソワ−ズですけど・・・ 博士? 」

「 ・・・・ おお、おお・・・ フランソワ−ズかい。 今、どこかね? パリ? 」

「 博士・・・。 はい、兄のアパルトマンに居ます。 ・・・あの・・・ジョ−は・・? 」

「 久振りじゃのう、元気か? 兄上もお元気かな。 」

「 はい。 あの・・・ コ−ルが入っていましたけど・・・? ・・・ジョ−から 」

「 ああ、ああ。 うん、実にそうなんじゃが。 フランソワ−ズ、こちらに来られるかね?

 公演の予定は どうかね、大丈夫かな。 」

「 もちろんですわ。 あの・・・なにかジョ−に・・・? 」

「 ああ? いやいや、アイツは今ちょっと出かけておってな。 なに、個人的な用事で・・

 専用メ−ルを使って脅かしてしまったのう。 ちょっと気になるコトがあって、

 出来れば 君にも来てほしいのじゃが、どうかな? 」

のんびりした博士の口調に 少々拍子抜けの気分だったが ほっとした思いで

フランソワ−ズは携帯を握りなおした。

「 はい、わかりました。 ではなるべく早くそちらに帰り・・・いえ・・・行きますわ。 」

 

 

随分と低くなった午後の陽射しが 淡く彼女の影を舗道に落としている。

足許を彩る落ち葉も 朽ちた色のものが増えてきた。

 

フィルと会った頃は・・・ そうね、まだ綺麗な葉っぱが多かったわ・・・

自然に落ちてしまう視線を フランソワ−ズは舗道に彷徨わせていた。

稽古場へ寄り置いてあった荷物を引き取り、しばらく休む届けを出した。

 

 − また あの日々が始まる・・・

 

今の暮らしに、<普通の生活>に未練がないと言ったらそれは ウソになる。

しかし 

自分の役割を果たすコトに躊躇いはない。 覚悟はできている。

・・・ でも。

引き摺る想いが足取りをも遅らせ、ふと気づけばだんだんと濃くなってきた黄昏の空気が

いつの間にか回りに満ちていた。

コツ。

夕闇にも鮮やかな落ち葉に フランソワ−ズはふと身を屈め手を伸ばした。

 

「 ・・・・ フランソワ−ズ・・・ 」

「 ・・・・! ・・・・ フィル!」

突然の呼びかけに 驚いて見上げた先には フィリップの微笑みがあった。

 

「 まあ、いつ来たの? ちっともわからなかったわ・・・・

 あ・・・ あの・・・ 昨夜、ごめんなさい・・・ 迷惑掛けて・・・送ってもらって・・・ 」

頬を染めて口篭るフランソワ−ズを 青年は黙って見詰めていた。

「 あの、ね・・・。 携帯もメ−ルも繋がらなくて・・・ あの・・・故郷に帰るって・・・本当? 」

「 ・・・・ フランソワ−ズ ・・・ 」

「 ね・・・ 聞いてもいい? 故郷って・・・<むこう側>のこと? 」

「 気分はどう? きっと今朝は最低だったろうね。 ・・・・ごめん。 僕のせいだ。 」

「 フィル・・・? 」

「 でも、これだけは信じてほしい。 僕は本当にもう一度君に会いたかったんだ。 」

「 ・・・ だから、会いにきてくれたのでしょう? 」

「 君と会って、話をして。 ほんの暫くの間でも、君とこの・・・素晴らしい世界に居たかった・・・ 」

「 帰らなければならないの・・・? ・・・それは<むこう側>の・・・仕事のため? 」

「 ごめん・・・ 何も言えないんだ。 だけど、お願いだ、僕を・・・信じて・・!」

「 わかったわ。 あなたを 信じるわ。 」

自分の顔を見上げ微笑んでいるフランワ−ズの肩を フィリップはそっと引き寄せた。

 

「 もしも。 ・・・・ 一緒に来てくれって言ったら。 君は ・・・・ どうする? 」

「 ・・・・ え・・・? 」

眼を見張ったフランソワ−ズの頬に 彼はおずおずと手を当てた。

「 ・・・ ああ ・・・ 君は。 こちら側で・・幸せかい? 」

「 こちら側って・・・ フィル・・? ・・・・ あ・・・! 」

不意に背に廻させた腕に力が篭ったとたん、熱い唇がフランソワ−ズの言葉を封じた。

・・・・ フィ ・・・リップ ・・・・

それまでの彼に似合わぬ強引さで 舌が歯列を割ってきたとき、

フランソワ−ズは一瞬眩暈に似た感覚に襲われた。 

身体から自然と力がぬけ 脚が膝が わななくのを抑えられない。

離れなくては・・・!と思いつつも身体はまったく言う事をきかず、

それどころか 甘やかな刺激をもっと求めて舌が勝手に絡んでゆく・・・

 

街路樹の黒いシルエットが 舗道に長く伸びている。

乾いた音をたてて舞う落ち葉が 抱き合った二人に纏わり散っていった。 

 

頭の隅から濃い霧がわきあがってきて すべてが柔らかな靄に包みこまれる、と思ったとき。

 

 − フランソワ−ズ・・・!

 

突然 懐かしい声が響きセピアに彩られた面影が浮かんだ。

 

 − ・・・ ジョ− ・・・・

 

力強い腕が 先ほどと逆にぐい、と自分の身体を突き放す。

「 ・・・ ダメだ・・・!  君は、君のこころはこちら側にあるんだ・・・ 」

「 ・・・・ フィル ・・・ ? 」

霞がかかった瞳で ぼんやりと自分を見上げているフランソワ−ズの身体に 

フィリップは もう一度、こんどはふわりと腕を廻した。

 

 − さようなら・・・  ありがとう、フランソワ−ズ・・・・!

 

頭のなかに沁みこむように声が聞こえた、と思った次の瞬間。

フランソワ−ズは ただ一人、夕闇のなかに佇んでいる自分に気が付いた。

 

 − ・・・ フィル・・? フィリップ??

 

夜のにおいを含んだ木枯らしが 彼女の足許から音をたてて枯れ葉を掬い上げていった。

 

 

 

 

「 お兄さん。 わたし、日本に行くわ。 

 フィリップの事も気になるし、どうも・・・<仕事>になりそうなの。 」

兄妹で温かい夕食の席に向き合ったとき、フランソワ−ズは躊躇わずに切り出した。

「 ・・・・ そうか。 気をつけろよ。 還って来い、必ず。 」

「 ・・・ お兄さん。 」

少ない言葉のうしろに 兄のあまりに多くの積もる想いがあった。

穏やかな瞳、自分と同じ色のあたたかな視線が彼女にはことさら心地好かった。

 

「 ヤツとちゃんと話あってこいよ? わかってくれるはず、はお互いの我侭だ 」

「 ・・・・うん。 」

「 ・・・ もう泣きながら帰ってくるのは・・・ナシだぞ? 」

「 ・・・うん・・・ お兄ちゃん・・・ いたいなあ・・・もう・・・!」

つ・・っと伸びた兄の手が 肩口でぴんぴん跳ねている亜麻色の髪をひっぱった。

「 今度会うときは、元通りカ−ルしてるな? 」

「 ・・・・・ 」

微笑みあって兄と妹は いつものようにゆったりと食事を楽しんだ。

 

 

とっぷりと暮れた舗道で、街灯に身をかくすようにして向かい側のアパルトマンの一室を

見上げている青年の姿があった。

古びた石畳の路を行き交う人通りは もうほとんど絶えている。

そのかわり、左右に見える窓からは 暖かな光がそれぞれに漏れてきていた。

 

「 出来ない・・・! 僕には出来なかった・・・  さようなら・・・フランソワ−ズ・・・ 」

 

鈍い街灯のあかりにきらりと青年の髪が煌く。

「 ・・・・ ! 」

振り向いた青年の前には いつの間にか黒尽くめの人影が路を塞いで立ちはだかっていた。

「 ・・・・ お前たちは ・・・・ 」

「 たいむ・りみっとハスギテイル。 オマエハ今回モ 使命ヲマットウデキナカッタ。 」

「 ・・・ああ! もう僕は沢山だ! お前らの考え方は 間違ってる。 

 自分達の<居場所>を確保するために 強引に入れ替えるなんて狂気の沙汰だ!」

「 無能モノハ不必要ダ。 」

「 ヒトはそれぞれ、与えられた場所でその生を精一杯全うするべきじゃないのか! 」

「 失敗ハ身ヲモッテ償エ。 処分スル旨 指令ガデテイル。 」

「 ・・・・ くそ・・っ! 」

「 逃ゲテモ無駄ダ。 」

ぱっと身を翻し舗道を駆け去ろうとしたフィリップの背に全く抑揚のない機械音声が

届くと同時に 黒い影から一条の光線が発せられた。

 

一瞬 辺りが明るくなった・・・ようだった。

それは 稲光よりも瞬時であり、気が付いた人間はいなかっただろう。

ほんの瞬きのあと・・・・ 黒い影は消え去り ただフィリップだけが立ち竦んでいた。

それもまたわずかの間で 次の瞬間には青年の身体はぐらり、と傾いだ。

 

・・・・ フランソワ−ズ・・・・ 君に会えて・・・よかった・・・・

 

全身に痙攣がはしり、その輪郭がぶれてゆく。

薄れてゆく意識の中で フィリップは何かを見極めようと懸命に眼を見開いていた。

それは。

陽にきらめく髪をした 空の色の瞳の・・・少女・・・・

 

 − ・・・・ああ ・・・・ 空が ・・・・ あおい ・・・

 

よろめいた彼の身体は 地に崩れ落ちる前に空間から完全に消えていた。

 

 

 

 

「 ・・・・ 着きましたよ。 大丈夫ですか、歩けますか? 」

ジョ−は静かに車を止めると 助手席の理恵子夫人にそっと声をかけた。

「 ・・・・ ありがとう。 大丈夫 ・・・ 」

眼を閉じぐったりと背もたれに身を預けていた夫人は しずかに口を開いた。

「 ああ、そのまま待っていてください。 ぼくがドアを開けますから・・・ 」

「 ・・・・・・ 」

ジョ−の手を借りて 理恵子夫人はひと足づつ踏みしめるように車から降り立った。

そしてしゃんと頭をあげると しっかりと腕の中の白い箱を抱えなおし、ゆっくりと玄関口にむかった。

秋も終わりの風に 夫人の黒い服の裳裾がかすかに揺れた。

 

 

「 さあ どうぞ。 島村君のお好み、あつあつのブルマンよ。 」

「 あ・・・ すみません、お疲れなのに・・・ありがとうございます。 」

あわててソファから立ち上がったジョ−に 理恵子夫人は微笑して首を振った。

白い手が 湯気のたつカップを静かにテ−ブルの上に置いてゆく。

「 お礼を言わなくちゃならないのは私の方だわ。 

 本当に ありがとうございます。 島村君が居てくれなかったら・・・ 私・・・ 」

「 理恵子さん・・・ 」

「 だらしないわね、私。 ああいう仕事には危険は付き物だし・・・ 万が一の覚悟は

 ちゃんと出来ていると思っていたのに。 ・・・ 取り乱して・・・ 恥ずかしいわ。 」

「 あんな状況なら、誰だって取り乱しますよ。 当り前です、ぼくだって・・・ 」

「 島村君・・・ 」

ソ−サ−を持つ夫人の手が 微かに震えた。

 

 

かつての名レ−シング・ドライバ−、森山公一氏の乗ったマシンは原因不明のクラッシュを起こし

突如 炎上した。

誰もが予想しえない、有り得ない突発事故にさしものクル−達も棒立ちだった。

テスト走行にそなえての調整、体調を崩しようやく復帰してきたドライバ−に 

なぜか森山氏は きっぱりと言い渡した。

「 俺が代わる。 今のアンタには 任せられない。 」

さかんに抗議をするドライバ−を押しのけ、困惑顔のメカニックたちを目顔で制し、

森山氏は 黙ってマシンに乗り込んだ。

 

そして。

 

ジョ−が病院に駆けつけたときには 全てが終わっていた。

教えられて尋ねた霊安室には ひとり理恵子夫人が控えていた。

 

「 ・・・・ あの・・・・ 」

「 ・・・・ ああ・・・・ 島村・・・君 ・・・・ 」

色を失い蒼白くしずんだ顔で 夫人はゆっくりとジョ−に視線をむけた。

その頬には 涙の跡はなく、ただ蒼ざめたまま夫人は小刻みに震えているだけだった。

 

「 わたしのせい・・・ わたしが ・・・公一を ・・・殺したんだわ・・・ 」

「 ! 理恵子・・さん! 」

ジョ−を見詰めていた瞳に 涙が溢れた瞬間、夫人はそのままジョ−の胸に倒れこんだ。

 

 

 

「 あの・・・ね。 病院で私が言ったコト・・・あれは・・・ 」

「 ・・・ 忘れました。 ぼくは何も聞いていませんよ。 」

ブラックのコ−ヒ−をかき混ぜて ジョ−は目をそらせた。

「 ううん、聞いて欲しいの。 ・・・あれは 本当なのよ、あの人を死なせたのは私なの。 」

「 ・・・ 理恵子さん・・・ 」

夫人はコ−ヒ−カップをテ−ブルに戻すと 姿勢をただし真っ直ぐにジョ−を見詰めた。

「 理恵子さん。 」

ジョ−も きちんと座りなおし夫人に向き合った。

「 ・・・ どんな経緯があったにせよ、今日は。 今夜は静かに過ごした方がいいと思います。 」

「 島村君・・・ 」

「 森山先輩も・・・ そう望んでいますよ。 アナタがゆっくりと休めるようにって。 」

「 ・・・ ゆっくりと ・・・ ? 」

「 ええ。 さあ、ぼくももう失礼します。 送ってきて長居なんて最低ですよね。 」

「 ・・・・・・・・ 」

「 コ−ヒ−、すごく美味しかったです、ご馳走さまでした。 ・・・じゃあ、ぼくは・・・ 」

「 ・・・・ そう ・・・? 」

 

「 お邪魔しました。 失礼します・・・ お休みなさい。 」

「 ・・・ ありがとう・・・本当に。 ・・・ お ・・・ やすみ ・・・なさい・・・ 」

玄関口で ジョ−は挨拶を返そうと もう一度振り向いた。

 

 − ・・・・ !

 

そこで彼が見たものは。

いつもの明るく屈託のない理恵子夫人では勿論なく、

黒い服に身を包み気丈に振舞う彼女でもなかった。

 

ぼんやりとした灯りの元で その女性( ひと )は 消え入りそうに揺らめいて立っていた。

哀しみも 苦しみも 後悔も・・・すべての感情を失った瞳が

濡れ濡れと黒く じっと彼を見詰めていた。

 

 

「 ・・・・ し・・まむら・・・く・・・  ・・・ ジョ− ・・・・ ! 」

 

 

それは・・・声では無かったのかもしれない。

こころに直に そのひそやかな叫びが響いた、と感じたとき・・・

 

ジョ−は。

 

静かに後ろ手で玄関のドアを閉め ・・・・ そして 内鍵をおろした。

 

 

 

Last updated:11,23,2004.                back    /    index    /    next

 

 

*****  ひと言  ****

chapterが進むに従ってだんだん長くなってきました〜 困ったです・・・

ひとつ、告白(^_^;)。 フィリップの最後の台詞は 某漫画の主人公の

最後の呟きをパクリました〜〜 スミマセン!(大好きなんだも〜ん♪)

本当はジョ−君に言わせたかったのですが・・・