Part 6   初恋 >

 

 

 

たった一人が加わっただけでも、雰囲気というものは全然ちがったものになる。

普段は大人3人と赤ん坊だけの静かなこの邸も、たまには賑やかになるというものだ。

もっとも、当の本人自身はそんな雰囲気とはかけ離れた人物なのだが・・・

 

 

「 ・・・・さあ、どうぞ。 お茶が入ったわ 」

薫り高い微風を連れて フランソワ−ズがトレイを運んできた。

「 ・・・ああ、新しいのを開けたのか。 いい香りだ。 」

ぱさり、と新聞を閉じてアルベルトはトレイを受け取ろうとソファから腰を浮かせた。

「 ありがとう、あ、気を付けて・・・ お湯、沸きたてだから・・・ 」

「 ああ。 ・・・ふふん・・・ まあ、紅茶もなかなかいいもんだ。 」

「 そうね。 それに、コレはグレ−トからの直送よ、今年の初摘みですって。 」

「 ・・・・ ほう? 」

「 わたしの舞台の時に差し入れたかったんだけど間に合わなかったそうよ。

 ふふ・・・でも、よかったわ、そのほうが・・・ 」

「 ふん?・・・・まあ。 いろいろあったからな、今回は。

 ああいう時もあろうというものだ。 いい勉強になったと思って次の励みにすればいいさ。 」

「 ・・・・ そう、ね。 」

・・・わかっちゃったのね・・・アナタには・・・

肩を竦めて、でもなぜかほっとする想いでフランソワ−ズはちいさく笑った。

 

いい匂いの湯気を漂わせ、ゆったりと語り合う二人を ジョ−はぼんやりと見詰めていた。

さっきから砂糖もなにも入れていないティ−カップを無意識にかき混ぜている。

 

・・・・ かちん・・・かちん、かちん・・・・

 

澄んだ陶器の音が ちいさく響く。

いったいこの二人は なにを話しているのだろう・・・

流れてくる会話が ジョ−にはまるで見知らぬ異国の言葉の羅列に感じられた。

 

「 ・・・・ですって。 ねえ、ジョ−、そうでしょう? 」

「 ・・! ・・え、あ・・・ごめん・・・ 」

「 もう・・・。 この頃ね、いっつもこうなのよ、わたしの話なんか全然耳に入らないの。 」

「 そ、そんなコト、ないよ。 ごめん・・・ちょっと他の事考えて・・・ 」

ほうらね、という顔でフランソワ−ズはアルベルトを見遣った。

「 まあ・・・な、ジョ−もいろいろあったから。 のんびりしたい時だってあるさ。 」

「 のんびりって・・・あ、そうだ! ちょうどいいや、アルベルト、君に味見してもらいたいモノが

 あるんだ。 きっと気に入るよ。 」

「 ほう・・・? 」

かなり唐突に立ち上がると、ジョ−はそそくさとキッチンへと出て行った。

 

ちょっと大きめな音をたてたドアを見向きもせずに フランソワ−ズはソファに沈んでいた。

・・・ カチ・・・カチカチ・・・

手にしたティ−カップがソ−サ−の上で小刻みに震えている。

「 ・・・・・ 」

「 ・・・ どうした? 」

「 ・・・・別に。 」

「 別に、って顔じゃないな、お嬢さん。 なんだ、また痴話喧嘩か? 」

「 痴話・・・って・・・そんなんじゃないわ。 喧嘩にもならないのよ、全然。

 そうね・・・わたしのことなんか眼中にないの。 喧嘩の対象にもならないの・・・ 」

「 そりゃ、すこし考え過ぎだぞ? ・・・お前がやられてアイツは半狂乱だったんだから。 」

「 ジョ−が・・・? 」

「 ああ。 半狂乱、というのは適切な表現じゃないな。 恐ろしいほど冷静だった。

 冷徹というか・・・感情の一切を失くしていた。 そうゆう時のアイツは・・・恐ろしい。 」

「 恐ろしい・・・? 」

「 なんの躊躇いも迷いも無い。 もし敵がそこにまだいれば完全に叩きのめすことしか

 アタマにないんだ。 大事なお前に危害を加えたことを決して許さない。 」

「 ・・・ そんな・・・ そう、なの・・? 」

「 そうさ。 だから アイツは最強なんだ。 」

「 ・・・でも・・・ それは・・きっとリ−ダ−としての責任感から、じゃない? 

 わたし自身になんか関心がないのよ。 いっつも的はずれなコトばっかり・・・

 それもつまらなそうに、ぼそぼそ言うだけ。 わたしのこと・・・見てないもの。 あら、なに? 」

思わず吹き出して 口元に運んでいたティ−カップを危うく落としそうになったアルベルトを

フランソワ−ズは 驚いて見上げた。

 

・・・・なんなの・・・? ヒトが真面目に悩んでるのに。

 

「 ・・・い、いや・・・悪い、悪い! 同じなんでな、ちょっとあまりにも・・・ 」

「 同じって・・・なにが。 」

「 ふふん・・・ いや、な。 昔、オレも同じコトをよく言われたものさ。 ちゃんとワタシを見て、ってな。 」

「 ・・・・・ 」

「 見てるんだ、ちゃんと。 だが何か言うたびにどうも彼女のお気に召さないようでな、

 どんどん口が重くなってしまう。 」

ほら、とアルベルトはなにやらばたばた戸棚を開け閉めする音がひびいて来る方に目をやった。

「 ナンかやらかしてるぞ?  ・・・・ お前もアイツをちゃんと見てやれ。 」

「 ・・・・・ pardon ・・・ 」

ひくく呟くとフランソワ−ズは あわててキッチンへ出ていった。

 

 − ワタシを見て・・・か。 

 

あれはつい昨日のことだった気もするのだ。 そんなにも想いはいつも鮮やかだ。

耳朶になつかしいアルトの声がこだまする。

ソファに深々と身をしずめ アルベルトは静かに目を閉じた。

 

 

「 ・・・・ ジョ−・・? どうしたの、あの・・・手伝いましょうか? 」

「 え?! あ、あの・・・うん、頼んでもいいかな・・・ 」

キッチンの床に座り込んで なにやら床下収納庫に手をつっこんでいたジョ−はほっとした

面持ちをあげた。

「 なあに、なにか・・・出したいの? 」

「 うん。 こういう所に仕舞っておくといいって言われたんだ。

 せっかくアルベルトがいるからさ、味見してもらおうと思って。 」

「 ??? 味見? 食べ物・・・なの? 」

「 うん・・・。 ああ、あった! コレを・・・あ、ちょっとよけて? きっとこの匂いは

 きみは苦手じゃないかな・・・ 」

「 ??? 」

ジョ−が取り出した蓋付きの壺のような容器を フランソワ−ズはシゲシゲとながめた。

「 ね、よけてなって。 」

「 ・・・大丈夫よ・・・多分。 だって食べ物なんでしょう? 」

「 うん、まあね・・・ ほら、開けるよ。 」

「 ・・・・ (うわ・・・!) 」

chevre (  シェ−ブル ・ 山羊乳のチ−ズ )みたいだわ ・・・ 

ジョ−が蓋を開けた途端に漂ってきた匂いは そんなに耐え難いモノではなかった。

「 ・・・なあに・・・? チ−ズ? 」

「 え? 違うよ。 う〜ん・・・何て言ったらいいのかな。 ああ、そう、ピクルスみたいもの。 」

「 ピクルス? ・・・ああ、cornichon ( コルニッション ・ きゅうり ) のね? 日本の? 」

「 うん。 糠漬けっていうんだ。 コレをさ、ぼくがざっと洗うから・・こっちの胡瓜は薄切りにしてくれる?

 それでね、この・・・キャベツの葉っぱは割と大きめに切って。 ざくざく・・ってかんじに。 」

「 ・・・ これ、キャベツなの?!

 

 

 − なんか・・・久振りだわ・・・ ジョ−と並んでキッチンにいるなんて・・・

萎れた風に見えるキャベツの葉ときゅうりをざぶざぶと洗うジョ−の横顔をコッソリ眺め

フランソワ−ズはこころが弾んだ。

 

「 ・・・うん、これならきみと触れるだろ? そんなに匂わないと思うよ? 」

「 大丈夫よ、ジョ−。 きゅうりは薄切り、だったわね。 」

「 頼むよ。 チーズと一緒に挟んだらカナッペになると思うんだ。 」

「 ああ、そうね、そんな感じの匂い・・・ 」

「 ・・・・ あの、・・・さ? 」

「 なに? 」

とんとんとリズミカルに胡瓜がスライスされてゆく。

その山をじっと見詰めたままで ジョ−は思い詰めた風に切り出した。

 

「 こめん・・・・。 ぼくってきみの仕事のこと、舞台のこと、全然わからなくて。

 アルベルトみたいに気の利いたことのひと言も言ってあげられない・・・ 」

「 ・・・ ジョ− ・・・。 」

「 あんな・・・大怪我してなんとか修復が終わって・・・・時間なんてほとんどなかったよね。

 それで、ちゃんと舞台に立つなんて凄いって思ったんだ・・・それしかぼくにはわからなかった・・・ 」

「 ・・・ありがとう ジョ−。  わたし、よかったよ、ってジョ−が言ってくれたから

 楽( 千秋楽。その公演の最終日 )まで がんばれたの。 」

「 フランソワ−ズ・・・ 」

「 ふふ・・・ 本当はね、もうぼろぼろで・・・。 表面だけはなんとか取り繕ってたけど・・・

 内面的には全然・・・。 そこまでわたし、出来なかったの。 」

「 内面? 」

「 そうなの。 解釈っていうか・・・感情表現というか。 先生は魂を置き忘れた踊りだったわねって・・・

 アルベルトも 音に自分の想いを詠わせるヒトだからすぐにわかっちゃったようね。 」

「 ・・・・すごいんだね・・・ ぼくは、ぼくには・・・きみしか見えなかった・・・ 」

「 ジョ− ・・・・ ありがと ・・・ 」

包丁を手にまな板に向ったまま、フランソワ−ズはことん・・・とジョ−の胸に頭を預けた。

 

 − わたし・・・ 好きだわ、やっぱりジョ−が大好き!・・・初めて好きになった・・ひと。

 

「 ・・・ フランソワ−ズ ・・・ 」

ジョ−も濡れた手を浮かせたまま、彼女の頬にキスをひとつ、落とした。

 

 

「 ・・・・どうかな? ちょっとアレに似てるだろ? ほら、えっと君の国の・・・酸っぱいキャベツ! 」

「 ザワ−クラウト、だろ? ・・・・ああ、ちょっと独特の香りはするが・・・それなりの歯ごたえ

 があって なかなか美味いな。 うん・・・懐かしい味だ。 」

「 ふうん・・・コレが<ぬかづけ>なの・・・ わたし、この胡瓜、好きだわ。 チ−ズととても合うもの。

 ねえ、日本人はどうやって食べるの? やっぱりカナッペとかサラダにして? 」

「 どうって、ぼくらはこのまま食べちゃうよ。 御飯のオカズにもなるしね。 」

古漬けに近くなってしまった胡瓜とキャベツだったが、意外な好評にジョ−はほっとした。

「 どこの国にもみんなが懐かしく思う味があるものだ。 」

「 そうだね。 懐かしいっていうか・・・<お袋の味>なんて言うけどね、日本では。 」

「 ・・・ おふくろのあじ ・・・? 」

「 うん。 何ていうかな・・・ 子供のころから母親によく作ってもらった懐かしい食べ物? 

 そんな意味なんだけどね。 」

「 ・・・・ そうなの? 」

「 あ、気にしないで? ぼくにだっていい思い出もちょっとはあるんだ。 

 孤児院の寮母サンでさ、すごく料理の上手なヒトがいて。 漬物が抜群に美味しくて・・

 ぼくは食事当番になると頼まれなくても ヌカヅケの手伝いをしてたよ。 」

「 ははん・・・ そりゃ、お前にとっては<初恋の味>だな。 」

「 え・・・ そうかな?・・・う〜ん、そうかも・・・。

 ショ−トカットの・・・いつも明るくて素敵なヒトだった。 よく叱られたけど優しい笑顔で・・・

 ああ、フラン、きみの友達の理恵子さんに似てるよ。 」

「 年上の憧れの女性( ひと )か? ふふん、ガキの頃からお前ってヤツは・・・ 」

フランソワ−ズは笑って二人の軽口を聞き流していたが つ・・・っと冷えた想いが湧いてくるのを

どうしても止められなかった。

それは 足の先から忍び寄り身体に這い上がり 胸の奥にまで沁み込んで行く。

そこはいつも、いや、ついさっきまで一番温かな場所なのだ・・・ 

 

「 え〜 だってさ、そういう・・・あ・・っと、ごめん。 ・・・・はい? 」

突然割り込んできた着信音に ジョ−は嬉しげに携帯を取り出した。

 

 − ・・・待ってた、の? ・・・だ・れ・・・? 

 

「 あ、お茶、換えるわね。 ・・・あら、お湯がぬるいわ、入れ替えてくる・・・ 」

顔を見られたくなくて、フランソワ−ズはポットを手にさり気無く立ち上がった。

 

 

お湯なんて・・・ずっと沸かなければいいのに・・・・

フランソワ−ズはわざと最小にしたガスの炎を じっとみつめていた。

 

「 フランソワ−ズ? ちょっと・・・出かけてくる。 森山先輩のとこ、仕事のことでさ。

 あ・・・ もしかしたら、夕飯待たないでくれるかな・・・ 長引きそうだし。

 アルベルトは明日の便で帰るって言ってるから 朝イチで空港まで送ってくよ。 」

「 ・・・ そう? ・・・ 行ってらっしゃい・・・・ 」

 

顔だけキッチンに覗かせて、ジョ−の口調な心なしかいつもよりも早い。

そんな彼に フランソワ−ズはケトルを見詰めたまま返事をした。

微妙に外されているジョ−の視線に 気づいた自分が余計イヤだった・・・

 

 ショ−ト・カットの いつも明るくて素敵なヒト

 

なにげないジョ−の思い出話が こころの底にへばりついて離れない。

思わず何回も首を振る自分が ・・・ 可笑しい ・・・

ばかみたい・・・ そうね、そうよ、わたしって本当に・・・!

ふわり、と頬に纏わる髪が ことのほか鬱陶しかった。

・・・ああ なんだか・・・ みんな忘れたいな・・・

 

 

 

 

リビングから さして声高ではないが楽しそうな会話がもれてくる。

食後のお茶を囲んで博士とアルベルトが なにか論じあっているらしい。

 

 − こんなコトも ・・・ あったわね ・・・ そう、ずっと昔。 

 

洗い物をしながらフランソワ−ズは ぼんやりとそのドイツ語の会話の響きを聞いていた。

ずっと・・・昔。 パパとお兄さんが あんな風にお夕食後に話をしてたっけ・・・

・・・・ 帰りたいな ・・・・ 

カチン・・・ スプ−ンが1本、手をすり抜けてお皿にあたった。

 

 

 − ・・・・あ 。

洗い上げたディナ−セットを食器棚に仕舞い、ケ−キサ−バ−を引き出しに戻そうとした時、

偶然、それに手が触れた。

 

・・・ キッチン鋏。

 

使い慣れたそのちょっと大振りな鋏を フランソワ−ズはそっと掌にとった。

ひんやりとして すこし重たい。

 

 

ぱさり・・・・

いきなりシンクの中に金糸の束が落ち、散り広がった。

・・・ しゃり・・ん  

鋏が軋むたびに解き放たれた亜麻色の糸が 降り積もってゆく。

 

 − ジョ−・・・・。 やっぱりお夕食には 戻らなかった・・・・

 

しゃりり・・・ しょり・・り・・・

自由になった髪たちは 金の針となっててんでな方向にその切っ先を向ける。

 

なんでも よかった。

なんでも、とにかく今の自分がイヤで なにもかも捨ててしまいたい。

ちがう自分になりたくて 今までの殻は脱ぎ捨てたかった。

 

独りきりのキッチンに 鋏の刃が擦り合う音だけが拡がっていった。

 

 

 

翌日。

アルベルトを送り、昼過ぎに海に近い研究所へ戻ってきたジョ−を迎えたのは一枚のメモ用紙。

 

 − パリに帰ります。   さようなら 

 

 

Last updated: 11,06,2004.                  back    /    index    /    next

 

*****  ひと言  *****

このあと、時間的にやっと<Part1 溜息>に たどり着きます・・・

ああ! もうお題の半分を使ってしまいました。 (=_=)  

こんな煮え切らない二人はどうなるのでしょう・・・? ってヲイ!