<Part 4 願望 >
「 ・・・あの、さ。 夕食なんだけど 」
「 なあに、なにかリクエストがあるの? 」
その朝、珍しくジョ−はいつもよりかなり早く 朝食の席に降りてきた。
時計とにらめっこでト−ストを齧っているフランソワ−ズをちらりと見て
ジョ−はゆっくりとマグカップを置いた。
「 いや・・・リクエストっていうか。 きみって和食は・・・ダメかな? 」
「 わしょく? ・・・ああ、日本風の献立のことね? う〜ん・・・ 食べれないものも
あるけど。 あんまりよく知らないから・・・ わからないわ。 」
フランソワ−ズはカフェ・オ・レを味わうヒマもなくそそくさと席をたった。
「 日本風のお夕食がいいの、ジョ−? あの・・・サシミとかテンプラ、とか? 」
「 あ、特に食べたいものがあるってんじゃないんだけど。 その・・たまには、ね。 」
「 ふうん・・・ じゃあ、今度ちょっとチャレンジしてみるわね。
きゃあ、もうこんな時間?! いってきま〜す。 ジョ−、イワンのお風呂、お願い!
まだもう少し夜の時間だと思うけど・・・ 」
「 あ、ああ・・。 行ってらっしゃい・・・ 」
さっと掠めるようなキスをジョ−の頬に残し、フランソワ−ズはぱたぱたと忙しげに
リビングを駆け抜けて出かけた。
− いいけど、ね・・・。
ト−ストにカフェ・オ・レ。 ジャムとバタ−とチ−ズがすこし。
いわゆるコンチネンタル・スタイルの朝食のテ−ブルをながめ、ジョ−は誰はばかることなく
独りで大きく溜息をついた。
そして自分の前だけにあるに スクランブル・エッグとサラダの皿にのろのろと手を付け始めた。
梅雨どきの晴れ間は いつでもその照りつける日の強さに誰もが驚くものだ。
鬱陶しい雲の上は もうとっくに夏が来ている・・・人々はそんな事実に改めて気付く。
昼に近い陽射しのもと、足許には濃い影が落ちる。
そんな中を ジョ−はつい、弾んでしまいそうになる足許をわざとしっかりと踏みしめて
ことさらゆっくりと駅からの道を歩いて.いた。
− だってこれは仕事なんだから。
ジョ−は誰にも問われてはいないのに 一生懸命<言い訳>をむねのうちで
繰り返していた。
仕事・・・そう、次の特集を組むためにはどうしても必要な資料なんだから・・・
森山先輩の資料が一番完璧だし。 ちゃんと先輩からの指示で借りにゆくんだし。
たまたま先輩が海外のレ−スに出場するチ−ムに同行してるだけ、さ。
ほかの誰でもない、自分自身を納得させようとジョ−は懸命だった。
冷静に考えてみれば、それはかなりおかしな事なのだが彼はそこにまで気がまわらない。
「 いらっしゃい、島村君・・・。 お待ちしてました。 どうぞ? 」
「 ・・・こ、こんにちは・・・ お邪魔します・・・ 」
おずおずと鳴らしたインタ−フォンにすぐに快活な声が返ってきた。
ほどなくドアが開き、声の持ち主がさらに明るい笑顔でジョ−を迎え入れた。
「 はい、森山からメ−ルが来てます。 ちゃんと準備しておいたわ・・・。
これと・・・こっちのディスク。 これは写真ね、一応確認してくださる? 」
「 は、はい・・・。 どうもすみません、わざわざ・・・ 」
「 い〜え、全然。 私は森山に指定された資料を出してきただけよ。
言ってくだされば郵送したのに・・・ 取りに来させて、こっちこそごめんなさい。 でも・・嬉しいわ 」
「 え・・・あ、はい・・・・ 」
「 ねえ、丁度いいわ、お昼を食べてゆかない?島村くん。 君には物足りないかな?
ふふ・・・ご馳走なんかできないけど。 ちょっとだけ、いいでしょ? 」
「 ・・・・は、はい・・・あの・・・ スミマセン・・・ 」
ひとりどぎまぎと、顔を上気させているジョ−を 森山夫人は楽しそうに見やった。
「 そんなに畏まらないでって・・・。 普通のお昼ご飯よ、期待しないで 」
「 ・・・は、はあ・・・ 」
気さくな笑顔を残してキッチンに消えた夫人は すぐに湯気のたつトレイを運んできた。
「 はい、お待たせ。 ・・・あ、和食、大丈夫よね? 」
「 はい、勿論。 こんな外見ですけど僕は日本人ですよ。 親父はどこかのガイジンだったらしいけど 」
「 ・・・ ごめんなさい、私ったら・・・ 」
「 あ、僕こそすみません!気になんかしてませんから。 わあ!美味しそうですね〜頂きます! 」
「 はい、どうぞ♪ たくさん召し上がれ 」
御飯とお味噌汁と。 玉子焼きに胡瓜の糠漬け。 それだけのごく簡単な膳だった。
ジョ−は目を輝かせて箸を取ると、気持ちがよいほどの勢いで次々と皿を空けてゆく。
そんな彼を 森山夫人は嬉しそうに眺めていた。
「 コレ・・・ものすごく美味しいですね! 」
「 そう? 香の物って好き? 嬉しいわ、わたしが漬けたのよ、それ。 」
「 え、そうなんですか? 」
「 そうよぉ。 わたしね そうゆうことって好きなの。 ふふふ・・ウチの人はどうでもいいみたいだけど、ね。」
「 そんな・・・もったいないですよ・・・ 」
「 フランソワ−ズのお料理の方が美味しいわよ、きっと。 ・・・一緒に暮らしているんでしょう? 」
「 あ・・・ええ、まあ・・・。 ウチはト−ストがバゲットにカフェ・オ・レですから、毎朝。
やっぱ日本人ですからね、たまにはこうゆうの食べたいですよ。 」
「 気に入ってもらえて嬉しいわ。 そうだ、よかったら糠床を分けましょうか?家でもできるのよ。
・・・・あっと。 ダメねえ? フランソワ−ズに糠味噌に手を突っ込ませるわけには行かないわ。 」
「 ・・・・はあ・・・ 」
「 う〜ん・・・なら、ね? よかったらいつでも食べに来て。
どうせ 独りだから。 今度は晩御飯にでもどう? あ・・・フランソワ−ズに叱られるかしら? 」
「 え、いいんですか? 嬉しいなあ! 」
本人たちに特別な意図などないのに、モノゴトだけが独りでに動きだしてしまうこともある。
この時、二人は全くなんの他意もなく気持ちのよい知り合いだと互いに思っていた。
下の通りでバスを降りると、ギルモア研究所まではかなりの坂道が続く。
午後には西日がまともに照りつけ、これからの季節徒歩ではハ−ドな道である。
− 日傘をもって来ればよかったわ・・・
フランソワ−ズが買い物袋を持ち直したとたんにバッグの中で携帯が鳴った。
・・・ジョ−のメ−ルね。 ・・・・ ジョ−・・・また?
フランソワ−ズは溜息をつくと バッグの上からそっと携帯に手を当てた。
読まなくてもわかってる、と思った。 読みたくない、読むのが・・・こわい。
----- 今日は遅くなるから、夕食さきに食べて -----
そんな短いメ−ルがこのごろ頻繁に入るようになった。
はじめは仕事が忙しいのだろう、と単純に思っていた。
でも・・・・。
よけいな詮索をする自分がいやだったが、黙っているのはもう耐えられなかった。
今晩こそ、ジョ−にきちんと聞いてみよう。
妙な勘ぐりはしたくない。 ジョ−のことも理恵子夫人のことも信じたい。
それに、とフランソワ−ズは眉根を寄せる。
いま、出来る限り雑事にかまけたくはない。
先日のアルベルトからの知らせは 特に急を要するものではなかった。
しかし、とにかくなんらかの行動を起こす日がある事を心づもりしておく覚悟は必要だ。
次の公演のこともあるし。これ以上、余計な気をまわしたくないわ・・・
そんな風に割り切りたい反面、もうひとりの自分が耳元でひそかに語り続けている。
そう・・・? ほんとうに・・? ・・・ねえ、ジョ−。わたしの御飯・・・不味い・・・?
日本の献立を作れば・・・ お夕食にちゃんと帰ってきてくれるの・・・?
あなたの気に入るようにするには・・・どうしたらいいの?
あなたの気に入るオンナになるには ・・・ どうしたら いいの ?
かさ・・・。 捜してきた主婦向きの雑誌が腕からすべりおちそうだ。
両手の買い物袋が 急にその重みを増したような気がした。
バレエ団の食堂は いつもざわざわとしている。
人の出入りは頻繁で それは流れの急な川にも似ていた。
のんびり食事を摂るヒマのある者はあまりいなかったし、ワケあり話は外のカフェに行くのが
当然の成り行きだろう。
そんな落ち着かない場所の片隅で フランソワ−ズは先ほどから熱心に辞書をめくっていた。
「 あらぁ〜 フランソワ−ズ、こんな所にいたの? とっくに帰ったと思ってたわ。 」
「 ああ、えり。 ・・・うん、ちょっとネ。 あ、そうだわ、ねえ、聞いていい?
ショウクチキリってなあに? 辞書にも載ってないのよ・・・ 」
「 ・・・ ショウクチキリ・・・? 」
ほら、とフランソワ−ズはテ−ブルに広げた雑誌の1ペ−ジを指し示した。
えり、と呼ばれたフランソワ−ズと同じくらいの年頃の女性は少し面食らった風に
一緒にその箇所をのぞきこんだ。
「 ・・・ああ、小口切り、ね? えっと・・あ〜葱とかを、こういう風にする切り方だったと思うけど? 」
彼女は手を包丁にみたてて、ぷつぷつと切る動作をしてみせた。
「 コグチギリってよむんだ・・ふうん・・・ 細かくスライスするんじゃないのね。 」
「 そうだね〜。 なに? 【 和風のお惣菜 】? へえ・・・フランソワ−ズ、あなた
こういうの、作るわけ? 和食スキなの? 」
「 ・・・う、うん・・・ 」
なぜかぽっと熱くなってしまった頬を隠したくて、フランソワ−ズは紙面に俯いた。
「 ? あ〜 わかった♪ カレシのお好みでしょう? 見たわよ〜この前のパ−ティーで。
綺麗な茶髪だったね〜 日本人なんだ? 」
「 え・・・ カレシって・・・ そんな。 う、うん、日本人よ。 」
「 でも、偉いわねえ・・・。 アタシは自分ひとりの分を作るのも面倒くさいもの。
そっか〜 あのカレシはフランス料理よりもイモの煮っ転がしがいいってわけ、か。 」
「 別に、そうはっきり言ったわけじゃないけど。 ・・・日本人でしょ、やっぱり和食が
食べたいかな・・って思って・・・・ 」
「 はいはい〜 お惚気ゴチソウサマ♪ 」
「 やだ、そんなんじゃ・・・ないってば・・・ 」
− そう・・・そんなんじゃあ・・・ないのよね・・・・
軽口まじりに冷やかされているはずなのに、フランソワ−ズはどんどん沈んでゆく自分の
気持ちがたまらなくイヤだった。
「 ・・・フランソワ−ズ? 」
「 ・・・・・・・ 」
急に口をつぐんでしまった友人の顔を えりはそっと覗き込んだ。
「 ・・・ごめん、なにか気に触るコト、言った? 」
「 え、・・・あ、ううん! そんなことないわ、ごめんなさい。 和食って・・難しいなって
思ってただけ。 う〜ん・・・ ? 」
「 ああ、よかった。 ねえ、今度の公演、出れるんでしょう? マチネ(昼公演)でも
折角グラン ( グラン・パ・ド・ドゥ ) 貰ったのになんか先生に言ってたじゃない? 」
「 ええ・・・ ちょっとね。 急な予定が入りそうで、こちらに迷惑かけてもって思ったの。
でも・・多分・・・ そっちはなんとかなりそう。 問題は・・・わたしの方よ! 」
普段の快活さを取り戻したフランソワ−ズに引き込まれ、えりもけらけらと笑った。
「 や〜だ! アナタがそんなこと言ってどうするの〜。 楽しみにしてるネ、
フランソワ−ズのジゼル♪ 」
「 う・・・ 頑張るわ・・・ あ、ごめん、もう帰らなくちゃ・・・ 」
「 あ〜そうか♪ 今夜は素敵なカレシに 和風晩御飯〜だもんね。
こっちも 頑張れェ〜〜 オトコは美味しい餌に弱いからサ。 じゃね〜 」
「 ・・・ a demain ( またネ ) えり・・・ 」
軽い足取りは カンパニ−の門を出るまでだった。
− ジョ−。 今日は晩御飯に 帰ってくるわよね・・・・?
よいしょ、と大きなバッグを持ち直し、料理の雑誌を胸に抱えて。
フランソワ−ズはひとつだけ溜息をつくと、しゃんと顔を上げて歩き出した。
まだ本格的な熱気をはらんでいない夕風が ふわり、と彼女の髪にまつわっていった。
Last updated:
10,18,2004.
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***** ひと言 *****
・・なんかイヤなジョ−君です。彼の泣き所って<普通の家庭の味>
じゃないかな・・・なんて思うのですが・・。フランソワ−ズもはっきり
しませんね〜〜 梅雨空カップル? ああ・・鬱陶しいですか?
次回くらいからやっと皆?が腰をあげる・・・かな・・・