< Part 10. 距離 >
・・・・さむ。
フランソワ−ズはオ−ヴァ−の襟を掻き合わせ 首をすくめた。
ついこのあいだまで、足許で乾いた音を立てていた木の葉はもう何処にも見あたらない。
踏みしめる石畳が 固く冷たい音を響かせるだけだ。
時折行き違う人々も 襟を立てマフラ−に深く包まって足早に去ってゆく。
やはりあの邸は ずいぶんと暖かな地にあるのだ、とフランソワ−ズは思った。
海風はときにきつく吹き付けたが大抵の日、その寒さは青一色の空へと突き抜けてゆく。
照りわたる日差しは むしろ秋よりも強く、海原は夏よりも華やかにその表面を光らせていた。
そんな土地から たったの半日の旅路で戻って来たこの街は 空気も灰色に凍て付いている。
この辺りだったかしら・・・・
ふと足を止め、フランソワ−ズは黒い枝ばかりの街路樹に目をやった。
・・・ フィル ・・・・
ほんのつかの間だったけれど、彼の眼差しの優しさ・温かさは真実だった、と思う。
それは理屈ぬきに 肌で感じる心地好さ、彼の醸しだす雰囲気から直に伝わってきた。
だから、最後に会った時あんなに哀しい瞳でわたしを見たのかしら。
フィルだっておなじだわ。ジョ−と同じ。 そうよ、誰だって独りは・・・寒い。
立ち樹を揺らしてゆく木枯らしにも似た一陣の風がフランソワ−ズのこころを吹き抜ける。
どうして みんなが幸せになれないの。 どうして・・・・・
漂いはじめた夕闇にうながされ フランソワ−ズは兄の待つアパルトマンへと足を速めた。
「 お帰り。 ・・・・? 」
「 ただいま、お兄さん。 」
ドアを開けてくれた兄の無言の問いかけに フランソワ−ズも黙って微笑んだまま首を振った。
「 そうか。 焦ることはないよ。 親子でずっとここに居ればいいんだ。 ・・・おい、坊主がママンを
お待ちかねだぞ? もう泣かれて往生したよ・・・」
「 まあ、ごめんなさい。 お兄さん、子守なんか慣れてないから・・・」
「 まあなあ・・・。 あ、向かいのマダム・デュトワが応援してくれてさ、助かったよ〜 」
「 そうなの? 明日お礼を言わなくちゃね。 ・・・坊や? ママンよ・・・ 」
わざと開け放していたドアを閉め、兄妹は吹き出しそうになるのを必死でこらえた。
( ・・・お兄さん、なかなか上手じゃない? )
( ば〜か。 お前がへたくそすぎるんだよ! )
見詰めた目と目が 笑いで涙ぐんでいる。
ジャンは 目尻を拭いながら毛糸と毛布でぐるぐる巻きになった赤ん坊を妹に渡した。
≪ お帰り、フランソワ−ズ。 まったく冗談じゃないよ! ≫
くつくつ笑っている兄妹を横目に フランソワ−ズの腕の中から抗議のテレパシ−が発せられた。
≪ ず〜っとウソ泣きをさせられた上にさ。 お節介なヲバサンに妙なモノを飲まされて!≫
「 妙なモノ? 」
真っ赤になって脚をばたつかせているイワンの背を フランソワ−ズは優しくとんとん叩いた。
「 ふふふ・・・ そうなんだヨ。 なんかデュトワさんちの秘伝の妙薬とかでな、東洋の秘薬だって。
お前、知ってるか? ヨナキ・カンノムシに効くってご自慢だぜ。 ・・ヨナキ・カンノムシってなんだ? 」
「 さあ?? それで大人しくなったフリをしたのね? 」
≪ フリもなにも。 衝撃的に苦かったのさ!≫
今度は笑いをこらえて真っ赤になっている兄妹に イワンの膨れっ面は爆発寸前となった。
「 ・・・ くくく! でも、まあこれでお前が帰って来たことは隣近所中に知れ渡ったって事だな。 」
「 ええ。 これであとは待つだけ。 」
「 ・・・フランソワ−ズ。 俺は ・・・ 言ったよな? 絶対に無事に還って来いって。 」
「 お兄さん。 大丈夫よ。 わたしは一人じゃないもの。 」
「 ・・・・・ 」
ふたたびほんのりと頬を染めた妹を ジャンは愛しげに見詰めた。
「 アニキとしては複雑な思いだなあ。 お前をこんなに綺麗にしたアイツが・・ちょっと妬けるな。 」
「 やだ・・・ お兄さんったら・・・ 」
「 さ。 夕飯にしよう。 お前が下ごしらえしていったブイヤベ−スがいい具合に煮えているよ。」
「 わあ、嬉しい! お腹、ぺこぺこなの!ねえイワンもそうでしょ? 」
むくれているイワンを優しく揺すって フランソワ−ズは兄とキッチンへ向かった。
≪ ボクが付いて行くよ。≫
どうにも結論が出ないミ−ティングの最中、皆のアタマにイワンの声がひびいた。
≪ それならいいだろう、ジョ−?≫
「 それならって・・・ ぼくは別になにも・・・ 」
「 ・・・ったくよ〜!」
ジェットのツッコミにこの時ばかりは 全員が苦笑して賛同した。
相変わらず顔を赤らめもじもじしているジョ−を尻目に アルベルトが一同を見回した。
「 それじゃ。 もともとフランソワ−ズに異存はないのだから、決まりだな。
先方さんの出方次第ってことになるが とりあえずスタンバイしよう。 」
「 おう。 坊、今回姫君のナイトはお前だ。 しっかり頼むぞ? 」
グレ−トが 揺りかごの赤ん坊を覗き込んだ。
≪ わかってるよ。 ・・・ジョ−、キミのフォロ−次第なんだからネ ≫
「 う、うん・・・。 」
いきなり話を振られて ジョ−はいっそう赤面して俯いてしまった。
「 ほいほい。 ではまずは腹ごしらえネ。 飲茶の用意をするから1時間後に食堂に集合アル!」
大人の威勢のいい掛け声を潮に、メンバ−達はそれぞれ自室に引き揚げて行った。
「 ・・・ ジョ−? 」
「 ・・・ え? 」
最後に席を立ち 重い足取りで階段を登ってゆくジョ−をフランソワ−ズは見上げて声をかけた。
「 なんだ・・・ もう先に部屋へ戻ったと思ってたよ? 」
「 ううん。 あなたのこと、待ってたの。 」
ジョ−はぱっと顔をほころばせ 走り降りてきた。
「 なに? 」
「 うん・・・ ね?わたし、大丈夫だから。 イワンも一緒だし。 それにこうするのが一番いいのよ。」
「 ・・・ わかってる。 わかってるけど、でも・・・ 」
「 お兄さんにも ちゃんと訳を話して協力してもらうわ。 それならいいでしょう? 」
「 わかってるんだ、アタマではね。 きみを囮にするしかない。 だけど・・・ 」
「 ストップ。 いつかも言ったでしょう? わたしだって003なのよ? 」
「 うん・・・ 」
フランソワ−ズはまだ憮然としているジョ−の唇に指を当て、くすりと笑った。
「 それに、フィルを知っているのはわたしだけですもの。<別人のよう>かどうか判るのも、ね。 」
フィル、という言葉にジョ−の頬がぴりり、と引き締まったが、なにも言いはしなかった。
「 だ・か・ら。 そんな顔しないで? わたしは大丈夫。でも、フォロ−をお願い。 」
「 ・・・・・うん。 」
「 さぁ、久振りの大人の飲茶を楽しみにしましょ。 」
「 そうだね。 」
するりと絡めてきた細い腕を ジョ−はこっそりと握る。
寄り添ってきたいい匂いの髪にキスを落とすついでに 耳元で囁く。
「 ・・・今晩、いい? きみの部屋・・・ 」
「 ・・・・・ 」
微笑みはそのままだったが ジョ−は握った手がすっと強張るのを感じた。
「 フランソワ−ズ。 あの ・・・ ごめん。 そのぅ。 この前のこと・・・ 。」
「 ・・・・もうこれからは絶対許さないわよ? 」
「 ・・・ うん ・・・ 」
「 わかった? じゃあ、今夜は独りでお休みなさい。 」
またあとでね、とフランソワ−ズはするりと腕を引き抜き、身軽に階段を駆け上っていった。
「 ・・・・あ ・・・・! 」
だれもいない廊下で ジョ−はひとりアタマをかき立ち尽くしていた。
「 ・・・バッカじゃねえの? アイツ・・・ 」
「 しっ! もう放って置け。 」
「 さよう。 おぬし、今に馬に蹴られること請け合いだ。 」
「 みんなもって僕もだけど。 たいがいに物見高いねェ・・・ 」
階上( うえ )の欄間からのぞく顔とひそひそバナシに どうやらジョ−は全く気付いていないようだ。
− とにかく。 彼らは行動を開始した。
どんどんどん ・・・・
時ならぬ大きなノックが 古びたアパルトマンのそのフラット中に響き渡った。
早朝、まだ出勤するヒトの姿もまばらな時間である。
「 ・・・ふぁい・・? 誰だ、こんな早く・・・ 今、開けるから ・・・ 待って・・・ 」
ガウンを引っ掛けてジャンは 大アクビで玄関へ出て行った。
「 ・・・ どなたですか? ・・・え? ああ・・・。 」
「 − ジャンさんっ! あ、あの! ・・・ アイツが ・・・ 」
「 ・・・・・ 」
ドアを開けるなり飛び込んできた栗色の髪の青年に ジャンは非難の一瞥を投げた。
( ヘタクソめ! )
「 君か。 」
「 ジャンさん! えと・・・あ・・・あのアイツがいなくなっちゃったんです、こちらへ来ていませんか?」
「 ああ。 来てるよ。 赤ん坊を抱えて 泣きながら帰って来たよ。 」
「 そ・そんな。 あわせてください・おねがいします。」
「 妹はもう帰らない、と言ってる。 ジョ−、君とはもうやってゆけない、と。 」
「 そ・そんな。 あわせてください・おねがいします・・・ あれ?ちがった・・ 」
尊大に腕組みをして青年を睨みつけていた・・はずのジャンはあわてて彼を引っ張り込んだ。
「 ! こんな時間に近所迷惑だ、とにかく中へ入れよ・・・」
「 そ・そんな。 あ!ちがう、あの・・・ は・はい。ありがとうございます。 」
しっかり閉まっている近所中のドアの向こうで ほっと溜息のもれる音がした・・・ような気がする。
まだカ−テンを引いたままの薄暗い居間で、フランソワ−ズが懸命に笑いを堪えていた。
揺りかごの中でもイワンが肩を震わせ、おしゃぶりを落としそうである。
「 ・・・はあ・・・!」
ジャンはどさり、とソファに身を投げた。
「 おい。 勘弁してくれよ・・・・ 台詞くらいちゃんとおぼえとけ! 」
「 ・・・す、すみません。 ぼく、芝居って駄目なんです。緊張すると・・・みんな忘れて、真っ白。」
部屋の真中で棒立ちのまま、ジョ−は真っ赤になって俯いている。
「 大丈夫よ、みんなそこまで気がついてはいないわ。 」
ようこそ、とジョ−のほほに軽くキスしてフランソワ−ズはまだなみだ目で笑った。
「 そう願いたいね。 さて。 ジョ−君? 今度は真面目に言うぞ。 」
「 はい・・・。 」
「 絶対に無事に 妹を還すんだ。 君もだぞ、いいな? 」
「 はい!」
冬の遅い朝日が ようやくカ−テンの隙間から淡い光を射しいれてきた。
「 ジャンさん! ちょっと・・・ 」
「 ? お早うございます、マダム・デュトワ。 なんですか? 」
来たな、と思いつつジャンは何食わぬ顔で向かいの住人に挨拶をした。
「 あの、ね・・・ 悪いとは思ったんだけど。 聞こえちゃったから・・・今朝。
妹さんのご亭主、追っかけてきたんだって? 」
「 え? ええ、まあ。 」
「 ふ〜ん・・・ それで・・・どうするつもりなの?」
「 どうって・・・。 これは妹達の問題ですから。 二人でよく話し合うようにいいました。
あ、すいません、遅れますので・・・ 」
「 ああ、ごめんなさいねえ。 いってらっしゃい。 」
軽く会釈をして出勤してゆくジャンを デュトワ夫人は不満げに見送った。
「 話し合う、ねえ・・・。どうも頼りなさそうな若造だったけど・・・。あの兄妹も苦労が絶えないねえ・・ 」
カツカツ・・・
靴の下で石畳がその表面と同じように冷たい音をたてる。
寄り添って歩く二人以外に 路をゆく人影は見当たらない。
今日は そよ、とも風が吹いてはいない。 それだけに冷気が澱んで地表に凍み付いているようだ。
こんな日、この街では寒さが足許から這い上がってくる。
くしゅん・・・
亜麻色の頭が小さく傾いだ。
「 寒い? これ・・・ 」
「 大丈夫よ、ありがとう、ジョ−。 」
自分のマフラ−を外そうとしたジョ−をフランソワ−ズは軽く押し留めた。
「 平気。 ・・・ほら、日本のお家が暖かいでしょう、ちょっとこっちの気候を忘れてしまったみたい。 」
「 ・・・ そう? 」
「 それに・・・ ちょっと緊張してる、かな? 」
「 フランソワ−ズ。 ぼくはやっぱり・・・ 」
「 ジョ−。 もう決めたはずよ? 」
「 ・・・ うん。 ごめん。 」
「 ね? どんなに遠く離れても。 わたしのこと、見つけてくれるでしょう? いつかの時みたいに・・
わたしのこと、見分けてくれるわね。 」
「 ああ。 勿論。 芝居は下手でも、これだけは誰にも負けないよ! 」
「 ふふふ・・・ジョ−ったら。 わたしもね、どこにいてもジョ−の声が聞こえるわ。」
「 フランソワ−ズ・・・。 」
くしゅん・・・
また 亜麻色の髪がゆれた。
「 ああ、やっぱり寒いんだろ? ちょっとぼくがイワンを抱いているから・・・ほら、このマフラ−使えよ?」
「 うん・・・ ありがとう。 じゃあ、はい、・・・ いい? 離すわよ。 」
≪ 気を付けて! 何か・・・誰か・・・ 来る!! ≫
「 え・・・!?」
ジョ−がワインを抱き取った瞬間に するどいテレパシ−が響いた。
と、同時に突如あらわれた人影が フランソワ−ズに飛びつき抱えそのまま宙に跳んだ。
「 あ − っ! 」
一瞬遅れてジョ−は地を蹴った。
− 加速装置・・・・ 駄目だっ!
スイッチを噛む寸前、ジョ−は腕のなかのイワンの存在を思い出した。
フランソワ−ズよりももっと生身の赤ん坊を抱えて 加速はできない。
カツ・・・・!
イワンを抱いたジョ−が 石畳の路に降り立った時、
すでにフランソワ−ズの姿は どこにも見えなくなっていた。
≪ ジョ−! 跳ぶんだ! ≫
呆然と宙を見詰めてたジョ−に イワンの指令がとんだ。
「 え? 駄目だよ! 君を抱えては無理だ。」
≪ ちがうよ。 加速するんじゃなくて、普通に跳躍するんだ。 あとは僕が君を飛ばすから
君はフランソワ−ズの事を念じて! ≫
「 ・・・わかった。 ぼくの<念>がナビゲ−トするんだね。 」
≪ そういうこと。 さあ、いくよ?≫
「 ・・・・了解。 くっ・・・・! 」
イワンを抱えたままジョ−は再び地を蹴った。
凪いだ地上に一陣の風がまきおこり・・・ それが鎮まった時彼の姿も消えていた。
Last
updated : 12,13,2004.
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***** ひと言 *****
なんか平ゼロ・ジョ−っぽくなったかも?? あまり<距離>というお題には
合っていません。 どうも次の章<約束>と一緒にして考えてやってください。
設定・構成の甘さのツケが回ってきたかも〜〜(;_;)