竜が踊る(2)








 薪の火はパチパチと空に上り、
 ゾード川の辺、
 青年の笛の音、
 踊るオクシオーヌ・・・・・・
 ドラゴンの横で








 馬が嘶いた。







「ジュヌーン・・・・・・」








 オクシオーヌの幸せが望みだった。誰か・・・、自分ではない誰かと幸せになるのを見届けてこの国を去ろうと思っていた。少女の村を滅ぼした自分のそれが努め、死んでいった者たちへの償い。

 娘のように、妹のように、オクシオーヌを愛していた。








 彼の方を見て動かなくなった少女に葦笛を吹いていた青年が近づき肩を抱く。その瞬間ジュヌーンは頭に血が上るのがわかった。馬から降りて足早に2人に近づく。そしてオクシオーヌの前に立つと彼女の頬をぱんと叩いた。

「城に帰るんだ!」

 叩かれた衝撃でぐらついた身体を青年が抱きとめそれを見てさらに怒りが込み上げる。青年からオクシオーヌを引き剥がし乱暴に馬の方に連れて行こうとする。横にいたレッドドラゴンが攻撃態勢に入った。ドラゴンはオクシオーヌに懐いていたようだ。ジュヌーンはドラゴンキラーを抜く。本気でドラゴンを殺すつもりはなかったが、邪魔をされたくなかった。

 ジュヌーンはドラグーンだ。彼の攻撃力を一番知っているのは他でもないオクシオーヌだった。

「止めて!」
 オクシオーヌが叫び、青年がドラゴンをなだめようとした。ドラゴンの攻撃の気配が一瞬消えかけた。
「止めて、ジュヌーン。城に帰るから、この子を傷つけないで・・・。」
「・・・・・・・・・」
 すうっと剣を鞘に収め、ジュヌーンはオクシオーヌの腕を引っ張って歩いて行った。オクシオーヌは振り返りながら青年に言った。

「おババ様に伝えて!また来るって。それまでここを出て行かないでって言って!」
 青年が肯いた。

「またわたしに嘘をついてここに来るのか?」
 ジュヌーンが冷たく言い放った。
「ジュヌーン・・・、違う。わたし・・・」
「ここで言い争うつもりはない。城に帰ってからだ。」

 そしてオクシオーヌを馬に乗せると自分も乗って闇の中を城に向かって駆けていった。








「きゃあっ!」

 乱暴にオクシオーヌを彼女の寝室に入れ、魔法でろうそくに火を灯す。理性で押さえ込んでいた感情は少女に嘘をつかれていた事実を見せつけられた時に弾けた。16の年齢差などという余裕も分別も消えていた。ただ、オクシオーヌにとって自分は信頼するに値しなかったのかという思いがジュヌーンに衝撃を与えていた。夜毎に城を抜け出して男に会っていのに気付かなかった自分に対する怒りもあった。しかも・・・バスク村にゆかりがありそうな雰囲気だった。感じた疎外感。ジュヌーンはオクシオーヌに言い訳をする時間を与えず彼女に言った。意識して冷静に・・・。

「ここから1週間出ることはならない。わたしを騙した罰だ。」
 うつむいていた少女が顔をあげた。。
「ごめんなさい。ジュヌーンに嘘ついていたことは謝るわ!でもそれは嫌!!」
「駄目だ・・・。」
「お願い、ジュヌーン。お祭りには出なくてもいい。でもあそこには行かせて。もう嘘つかないから・・・!」
「君と論議するつもりはない。葦笛を吹くのも駄目だ。こっちに渡しなさい。」

 オクシオーヌは葦笛を身体の後ろに隠した。
「嫌! わたしが貰ったのよ。わたしの笛だわ。ジュヌーンにそんな権利ないわ!」
「権利? 君が権利という言葉を使うのか? わたしの信頼を裏切った君が。」
「ジュヌーン!」
 気持ちが昂ぶり大声を出すオクシオーヌにつられてジュヌーンの声も大きくなっていっていた。
「何度もわたしに言わせるな。渡すんだ!」
「嫌よ! これはバスクの・・・!」

 バスクという単語にオクシオーヌがはっとする。その何かを隠そうとした表情を見逃さなかったジュヌーンの目が冷たくなる。
「・・・バスクの・・・何だ?」

 オクシオーヌをじろりと見下ろして先を促す威圧感にオクシオーヌは震えそうになった。今までジュヌーンにこんな態度をとられたことは無かった。それだけに彼がどれだけ怒っているかがわかった。本当のことを言わなかったのは・・・・・・

「言うんだ、オクシオーヌ!」

 わたしが本当のことを言えなかったのは・・・・・・

「オクシオーヌ。」

 ぽろぽろと涙がこぼれて止まらない。

「ジュヌーンが嫌だと思ったから・・・!バスクの話をすると時々苦しそうな顔をするから・・・、だから、だから・・・、だからバスク村出身のお婆さんに会ったって言えなかった!バスクの笛だって言えなかった!」

「・・・何?」

「あなたはまだ過去を悔いて苦しんでいるわ! わたしはあなたに苦しそうな顔はさせたくなかったから・・・! だから黙っていたのに・・・・・・!」

「・・・!!」

 オクシオーヌの言葉はジュヌーンに雷のような衝撃を与えた。まさか彼女の口からこのような言葉を聞こうとは全く思ってもみなかった。

 目の前で泣きじゃくる少女にかける言葉も思いつかず黙っていたジュヌーンは寝室を出て行こうとした。

「ジュヌーン・・・!」
「笛はいい・・・。」

 それだけを告げると自分の寝室に戻り、魔法ではなく手を使って燭台のろうそくに火をつけた。寝台に腰を落とす。カチャリと腰に下げていたドラゴンキラーが音をたてた。

「・・・・・・」

 それを抜く。鈍く光るそれを両手で握る。ジュヌーンは立ち上がると寝台の上に突き刺した。殺したいのは己自身だった。








 コリタニ城を守る兵に今日の昼までに戻ってくると告げる。兵士は彼がこんな時間に再び城を出ることを訝しがり、何か大変な事が起こったのですかと聞いてきた。ジュヌーンは兵に心配するような事ではないからと言い残してはね橋を馬で駆けていった。松明の明りで見た限りだったが、ジュヌーンの表情が固い事に兵士は気がついていた。

 夜明けまでにはまだ時間があった。満天の星が光っていた。オクシオーヌとコリタニに来る途中、何度も野宿した。森で、草原で。地面に転がって星を数えた。オクシオーヌが言った事を覚えている。

「星は好き。一人ぼっちの時、いつも優しく包んでくれたわ・・・。」

 それに何と言えばいいのかわからなかった。オクシオーヌもジュヌーンの返事を期待しているわけでもなく、ただ彼女は言ったのだ。

「でも、一緒に見てくれる人がいる時の方がずっと優しく包んでくれるから不思議。」
 両手を空に広げる。
「ほら、ジュヌーンもしてみて。」
 いい年の男が?とか思ったが、彼は少女の望むとおりにしてやった。
「ね、温かい気持ちになるでしょう?」
 全然温かい気持ちにならなかったが、同意を求める少女に一人ぼっちの寂しさを知らない男は仕方が無いので肯いた。オクシオーヌが嬉しそうに笑う。彼女の笑顔を見る方が温かい気持ちになれた。

 オクシオーヌはその頃よくバスクの話をしていた。ジュヌーンに平和な時のバスクの話をすることで彼女は自分の傷を癒していったのだろう。だが何時の頃からか、少女はバスクの話をあまりしなくなった。日々の暮らしに思い出すことも少なくなったのだろうとジュヌーンは思っていた。それが・・・、バスクの事を口にしなくなったのは彼に苦しそうな顔をさせたくなかったからだとは…! 

 オクシオーヌの幸せを望み、見守っているはずの自分が現実には過去を引きずり過去を悔いて過去に縛られているだけの男だったのだ。オクシオーヌに愛される価値は無い・・・・・・。

 ジュヌーンは初めて己の愚かさに気がついたのだった。



 夜明けを待つ。闇は薄れて朝が来る。

 ジュヌーンはオクシオーヌを見つけた場所に馬をひいてゆっくりと歩いて行った。ゾード川の漁で生活の糧を得る男の影が朝もやの中に浮かんでいた。

 川の辺にテントを張った旅の一座はまだ大半は眠っていたが、彼の訪れがわかっていたかのように昨夜の青年が立っていた。視線が合う。きつい眼差しだ。青年はジュヌーンに背を向けて歩き出した。ついて来いと言わんばかりに。青年の後ろ姿を眺めながら、彼がオクシオーヌを見る眼差しはきっと限りなく優しいのだろうとジュヌーンは確信していた。

 この一座は動物を連れていた。レッド・ドラゴンの他、熊やロバの芸を見せる生業をしているのだろう。もちろん音楽も。
 案内されたテントの中にその老婆がいた。齢80を過ぎたような、皺だらけの小さな老婆が絨毯に座っていた。ジュヌーンは一礼をした。

「ガルガスタンの竜騎士か?」
 老婆が口を開いた。
「はい。」
「・・・光を失いかけたわしの目ではおまえさんの顔も良くわからぬ・・・。残念じゃて。バスクを滅ぼした男の顔をはっきりと見ることが出来んとはな。」
 老婆の濁った目がまっすぐにジュヌーンを見上げ、こっちへと手招きをした。ジュヌーンはゆっくりと老婆の前に進み膝を折った。老婆は長身の彼の半分くらいの大きさだった。
「わしに聞きたいことがあるのであろう?」
「はい・・・。」
「娘には聞けないか?」
「・・・はい。」
 老婆はくしゃくしゃの顔を歪めて笑った。
「ガルガスタン一の竜騎士が少女にどう接してよいやら迷っておるか?」
「・・・・・・・・・・・・。」
 無言の返答がそれを物語っていた。

 老婆はゆっくりと話し出した。オクシオーヌのことを・・・。

「あの娘は踊りを習っておったんじゃよ・・・・・・・・・。」

 死者を弔うバスクの踊り・・・。竜使いの村の娘が15になると必ず教えられる、とても大切な踊り。
オクシオーヌはその踊りを習う前に一人になってしまったのだった。老婆の目の前の男が村を全滅させたから・・・。

 ああ、と思う。ああ、それで・・・オクシオーヌは黙っていたのだ。わたしが殺した村人たちを弔おうとするために。

 耳の奥で声が聞こえる。村人たちの逃げまどう声。炎は夜の空を焦がす。刃向って来た者は全部斬った。女や子供も炎に消えた。バルバトス枢機卿に反対するバスクの住人は全員粛清の対象だった。命を奪う事に罪の意識はなかった。民族浄化政策でこの国は治まると信じていた。村人の死体は一まとめにして穴に入れた。小さな竜使いの村の人口は数百もなかった。そうして彼と彼の竜騎士団が村を全滅させコリタニに帰還した後で、一人生き延びた少女は呆然と立ち尽くしたのだろう。オクシオーヌはその時の様子だけはジュヌーンに話そうとしなかった。

 竜使いの村の人たちはずっと昔から死んでいった者たちを踊る事によって死の世界から神のもとへ送ろうとしたのだ。波の音から始まる海の泡がやがて宇宙に消えていくその先の世界で愛する人が安らかな眠りにつけますようにと。

 オクシオーヌはだがその術を持たなかった。それがバスク出の老婆と出会うことによって少女は弔おうと決めたのだ。ジュヌーンには内緒で、バスクの村人たちを。彼が苦しむと思ったかがらこそ知られたくなかったのだ。

 少女の気持ちが胸に痛い・・・。痛くて愛しくて、ジュヌーンは膝をおったままじっとうつむいていた。

「わしが村を出たのはもう60年近く前のことじゃ。竜使いの村人は今よりもずっと蔑まれていた。あの村を飛び出して苦しかったことの方が多かった。あの時は何故、村を出たのじゃろうかとずっと考えておったが、もうすぐ死ぬ時になって理由がわかった。」

 老婆はジュヌーンの顔に手をのばし、顔を上げさせた。

「バスクの最後の娘にあの踊りを伝えるためだったんじゃよ・・・。」

「わしが生きてきた意味がこれだった。」

 老婆の光を失おうとしている目がはるか遠くを見た。
「ガルガスタンの竜騎士よ、おまえさんも死ぬ時になって初めて自分が生きてきた意味がわかるじゃろうて・・・。」
 老婆はジュヌーンに淡々と言った。ジュヌーンはそれを聞きながら、きっと自分は最後の生の瞬間まで後悔し続けるのだろうと思っていた。多くの人の流した血と奪った命の上に成り立つ自分の人生、生きてきた意味など無いが、それでもオクシオーヌが自分のために死者を弔うバスクの踊りを踊ってくれたら少しは救われるのだろうか?



 ジュヌーンは朝もやのたちこめるゾード川の岸辺を馬をひいて歩いていた。ゆっくりと、城に向かって。オクシオーヌがわたしの家だと言ったコリタニ城は朝もやの中霞んで見えない。老婆が帰る間際の彼に言った言葉が胸に響いていた。

「あの娘は踊ることで未来を見ようとしているんじゃよ・・・・・・。」

 未来・・・、彼女の前に広がる未来。自分といる事で少女の未来は限られていると思えた。16も年の離れた男に恋をしていると錯覚している。そのことから間違いだなのだと。

 ジュヌーンは密かにオクシオーヌを手放そうと決めていた。








 朝靄に灰色のコリタニ城がかすんで見えてきた。はね橋を渡り城壁の中に入ろうとしてジュヌーンはいくつかの影が橋の前にあるのに気がついた。

「・・・オクシオーヌ・・・?」

 その影はオクシオーヌと4匹のバハムートだった。ドラゴンたちは少女を守るようにオクシオーヌを囲んでいた。オクシオーヌはジュヌーンの姿を見ても動こうとしなかった。ただ視線をすぐに逸らし俯いた。
 わたしを待っていたのか・・・?
 何時からここで・・・?
 そんな思いが浮かぶ。ジュヌーンは手綱を離し、ゆっくりと娘の方に歩いて行った。自由になった馬が道端の草を食む。

 オクシオーヌの4匹のバハムートたちはジュヌーンにもよく懐いていた。オクシオーヌの前にいた彼らは自然に少女からの離れジュヌーンに道を譲る。
 
「オクシオーヌ・・・。」
 少女の名前を呼ぶ声がかすれている気がした。ビクッと少女が固くなる。
「・・・部屋を・・・、出るなって言われたけど・・・」
「・・・・・・。」
「謝ろうと思って、ジュヌーンの所に行ったらジュヌーンがいなくて・・・、わたし・・・」
 少女は彼と視線を合わせようとせずに、うつむいてぼそぼそと言葉を続けた。茶色いくせ毛が湿っているにのに彼は気がついた。きっと・・・。
「わたし・・・」
 少女の言葉を遮るようにジュヌーンが言った。
「謝らねばならないのはわたしの方だ。」
 その言葉にオクシオーヌが顔をあげた。目が腫れている。ずっと泣いていたのだろう。ジュヌーンはオクシオーヌをそっと抱き寄せ腕の中に収めた。優しい抱擁だった。
「すまなかった・・・、何も知らなくて君に酷い事を言った。」
「ジュヌーン・・・?」
「自由にしていい。好きなだけあそこに行っていい。」
「・・・えっ?」
「君が言った老婆に会ってきた。」

 少女が驚いた表情でジュヌーンを見上げた。少女から身体を離しオクシオーヌの茶色の目を覗き込んでジュヌーンは言った。

「君は君のしたいことをすればいい。・・・そうして欲しい。」
「ジュヌーン・・・、嫌じゃないの?」
「何故・・・?」
「だって・・・」
 言いよどむオクシオーヌにジュヌーンは苦笑した。
「君に気を使われるとわたしの立場がないな。一応君の倍生きている人間としては。」
 ふざけた口調で本心を誤魔化す自分を卑怯と思いながらジュヌーンは続けた。
「・・・無理してバスクのことを隠されるとその方が辛いよ。」
「行っていいの・・・?」
「ああ・・・。お婆さんが言っていた。君に教えたいそうだ。バスクの古い歌、言い伝え、踊り・・・。自分が生きている間に知っていることは全部・・・。」
 オクシオーヌは微かに笑った。
「全部教えてもらうなら時間が足りないわ・・・。収穫祭が終わったらここを発つって言っていたから。」
「一緒に行くか・・・?」
 さりげなく言葉を続けた。ジュヌーンの本心に気がつくはずもなく少女は首を横に振る。
「・・・そう・・・、か。」
「ここにいてジュヌーンの仕事を手伝いたいわ・・・。いいでしょ?」
「・・・ああ・・・。」

 良かったと少女が笑った。オクシオーヌを手放そうと決めた男の胸がちくりと痛んだ。

「朝食はまだだろう? 一緒に食べようか。」
「ううん、いい。おなか減っていないから。わたしこれから出かけていい?」
 どこにとは言わなかったが、オクシオーヌが行く場所はわかっていた。ジュヌーンは肯く。
「バハムートたちも連れて行くのか?」
「この子たちに踊りを教えてもらうの。ヤンのレッド・ドラゴンは踊るのよ。ヤンが言った。頭がいいドラゴンならきっと覚えるって。」
「頭がいい・・・ねえ?」
 ジュヌーンはオクシオーヌのドラゴンたちに目をやった。・・・あまり頭が良いとは思えなかったが黙っていた。
「誰か一匹くらいなら覚えられるよねえ?」
 オクシオーヌは雲水たちの頭を撫でる。それを眺めながら、ジュヌーンは昨夜オクシオーヌの肩を抱いた青年を思い出した。背の高いまだ二十前後の若者だった。ジュヌーンはオクシオーヌに聞いた。
「ヤン・・・と言うのか、彼は。」
「そう、まるでバスクの民のようにドラゴンを使うの。バスクの歌も上手でわたしは彼から笛を習ったの。」
「・・・・・・・・・。」
 屈託なく彼のことを話す少女をジュヌーンは複雑な思いで見下ろした。無意識に言葉が出る。
「彼が・・・」
「え?」
 その先に続けようとした言葉をあわてて飲み込む。
「何?」
「いや、何でもない・・・。」
「?」

 いったい何を言おうとしたのか・・・? 若者のジュヌーンを見るきついまなざしが思い出されて彼は心の中でそれを振り払った。

 飲み込んだ言葉はジュヌーンの心に小さな棘となってささったまま・・・。








 その日の昼近く、コリタニの町から警備兵が大あわてて城に駆け込んできた。

「大変です! 若い女が魔法を使って暴れています!」
「はあっ!?」

 若い女が誰なのか・・・、簡単に想像がついてジュヌーンは大きくため息をついた。








 城の地下牢。ジュヌーンがコリタニで捕らえられた女と向き合っていた。

「・・・・・・」
「頭がガンガンするわ・・・」
「水を飲むか?」
「・・・葡萄酒がいいわ。」
「カチュア!」
「・・・・・・冗談よ、怒らないで。」
「・・・・・・・・・・・・」
「あの馬鹿はどこ・・・?」
「ここにはいない。」
「・・・逃げ出したのね?」
「知らん」
「で、わたしはいつまでここに入っていればいいの?」
「当分だ。」
「・・・わかったわ・・・・・・。」
「何か用があったら直接わたしを呼べ。」
「その時は。」
「ったく、ヴァレリアの女王が酔っぱらって大暴れなどと・・・!」

 牢屋に入れられたヴァレリアの女王がこめかみをおさえたり、首をまわしたりして、なんとか頭痛を紛らわそううとしている。それを見ていたジュヌーンが呆れて言った。

「自分でヒーリングをかけたらどうだ?」
「魔力が残ってないわ。」

 盛大なため息がでた。魔力が0になるほど使ったのだ。幸い人命が失われるような事には至らなかったようだか、損害の補償はハイムが出すだろう。

「クレリックをよこそうか?」
「結構よ。・・・・・・・・・ジュヌーン・・・」
「何だ?」
「何も聞かないのね?」
「どうせ・・・、ヴァイスと喧嘩したのだろう?」
「・・・あたり・・・」
「オクシオーヌが帰ってきたらここに来させよう。彼女に愚痴るといい。」
「何時?」
「さあ・・・」
 見上げたジュヌーンの顔がわずかにくもったのをカチュアは見逃さなかった。ゴシップ好きは女王も庶民も関係ないのだ。
「ねえ、ジュヌーン。オクシオーヌとはどうなっているの?」
「・・・・・・。」
「もう手を出した・・・?」
「・・・どこぞの馬鹿も昨日わたしに同じ事を聞いたぞ。」
 ヴァイスと同じと言われカチュアがむっとした。
「彼の話題はしないでちょうだい。命令よ。」
「・・・囚人がわたしに?」
 苦笑する。カチュアが苦虫を噛み潰した。
「明日にはシスティーナたちが来る。いっそのこと収穫祭にもシスティーナにでてもらうか?」
「・・・・・・・・・・・・」
「ただの娘は今夜で終わりだ。明日からはベルサリア・オヴェリスに戻るんだ。」
「わかってるわ・・・」

 それだけ言うとジュヌーンは牢を後にした。竜騎士の後姿を見送ったカチュアはたてた膝に頭をつけた。せっかくヴァイスと昔みたいに自由に出来て楽しかったのに・・・、カチュアは意地を張って素直になれなかった自分が嫌だった。が、それ以上に黒髪の幼馴染の不誠実さに怒りが収まらなかった。

「ヴァイスの・・・バカ・・・・・・!」

 手の中の魔力がぷす〜っと音をたてた。



 ジュヌーンの言った通り、夜オクシオーヌが食事を2人分持ってカチュアのところに来た。カチュアは解放軍で戦っている時からこのバスクの少女を気にかけていた。弟のデニムは特別だったが、あと気に食わない黒髪の男と水のセイレーンと異国の鳥はおいといて、オクシオーヌとはそこそこ上手くやっていた。1年ぶりに会った少女は少しだけ大人びた顔をして牢屋の中の女王に会いにきたのだ。

 少女も牢屋に入り、ろうそくの明りをたくさんつけて、夕食を取りながらカチュアとオクシオーヌはたくさんしゃべった。兵はジュヌーンからの命令で持ち場を離れていた。ヴァレリアの女王とバスクの娘は政治のことでなく、身近な男性のことをあれこれと、笑いながら、怒りながら、ため息をつきながら・・・。オクシオーヌははにかみながらジュヌーンが好きだとカチュアに言った。カチュアは少女の初々しさに微笑み、頑張ってねと告げた。オクシオーヌの少し淋しげな笑みが気になったが口には出さず、かわりにカチュアはここにいない男の悪口を言った・・・。



 そのヴァイスはというと・・・、コリタニのあまり上品とはいえない館にいた。昨夜ジュヌーンが宿を後にしてから始めた喧嘩の原因はどっちもどっちだった。とにかくヴァイスはカチュアをほっぽりだしてよそで夜を明かし、一晩中寝ないでヴァイスを待っていたカチュアは朝から酒を飲んでいたが、昼前に安っぽい化粧の匂いをぷんぷんさせて帰ってきたヴァイスにプツンとなったのである。

 風も水も炎も大地も神聖系も暗黒系もついでに竜言語の魔法まで何でも使える“プリンセス”はヴァイスめがけて攻撃魔法を使った。ヴァイスは本気でヤバイと思ってあっという間に逃げた。カチュアを止めることも出来たが後が面倒だった。カチュアが意識的に魔法をセーブしてまわりの人間を巻き込んでいないのはわかったし、ジュヌーンが飛んでくるだろうと踏んでここは逃げることにしたのだ。

 ベッドの上、上半身は裸になって寝そべっていた。女が入ってきた。金茶色の髪、青い目、ぽってりした唇は紅い。髪の色がカチュアと同じだとヴァイスは思った。








 次の日、システィーナたちと合流したヴァイスはコリタニ城に入った。カチュアはそんなヴァイスを見事に無視して、まわりの人間はまた彼らが喧嘩したのだと思い知るのであった。








 カチュアのために用意された部屋は城で一番日当たりの良い部屋だった。絨毯をひき石の床の冷気を防ぐ。牢屋で一晩過ごした身体にとってはベッドがあるだけで有難かった。実際は地下牢で寝たために身体中が痛かったためだが、表向き女王は長旅で疲れたと言う事にして早々に部屋に引きこもって寛いでいた。オクシオーヌが一緒にいた。彼女はじっとカチュアを見ていた。

「何?」
 優しく少女に問いかける。オクシオーヌは少し間をおいて答えた。
「きれいだなあと思って・・・」
 カチュアは笑った。
「あなたも充分可愛いわよ?」
「本当?」
「ええ、びっくりしたわ、綺麗になって・・・。ジュヌーンもそう言う?」
「ううん・・・」
「・・・でしょうね。いっつも眉間に皺をよせてしかめっ面してるものね、彼は。ああ、あのドレス!着てみた?」
 小さく肯いた。
「で、ジュヌーンは驚いていた?」
「・・・別に・・・・・・」
 燃えたと言えないオクシオーヌだった。

 しばらく部屋にいたオクシオーヌはカチュアがうとうとしはじめたのでそっと部屋を出た。廊下を歩いていると、向こうから果実をかじりながらヴァイスが歩いてきた。彼の部屋はカチュアたっての願いで、城の外れに変更されていた。

「食べるか?」
 懐からよく熟れた果実を出して笑いながらヴァイスは言った。
「どこからそれを?」
「地下の貯蔵室からだ。コリタニ城の機能を調べていたら見つけた。」
 にやっと笑う。ようするに勝手に失敬してきたというわけだ。
「・・・いい城だ。銃眼も多いし荒壁も頑丈だ。軍事的な城塞として機能がしっかりしていて食料の保存もかなり多い。長期の攻防戦にも耐えられるな。」
 何でも無い事のようにそう話すヴァイスにオクシオーヌはぽかんとした表情で見上げた。ヴァイスもジュヌーンほどではないが長身だった。
「何だ・・・?」
「ここに来て、そんなこと言った人初めてだから・・・。」
「おまえ、俺をただの馬鹿だと思っているだろう?」
 苦笑しながらヴァイスは少女の手にかじってない方の果物を渡した。オクシオーヌが赤面するのを見てため息をつく。
「ドラゴンステーキ食うしか能がないと思ってねーか?」
「そんなこと言ってないわ!」
 むきになってオクシオーヌが大きな声を出した。
 笑いながらヴァイスは向こうへ歩いていく。オクシオーヌはヴァイスの後姿に言った。
「ヴァイス・・・!」
 何だといった表情で彼が振り向いた。オクシオーヌは息を大きく吸い込むとこう言った。

「そのだらしのない下半身をどうにかしないと駄目よ!」

 くるりと身体を反転させて駆け出していく。絶句したヴァイスはしばらく固まったままだったが、我に返ると
「オクシオーヌ!おい、オクシオーヌ!!」
と叫びながら少女を追いかけていった。

 きゃははと笑いながらバスクの娘が城の階段を駆け足で下りていく。軽やかな足取りだ。オクシオーヌに追いついたヴァイスが後ろから彼女を羽交い絞めにしてオクシオーヌの頭を抱えて髪をくしゃくしゃにする。

「ガキのくせに、偉そうな事言ってんじゃねえ!」
「ヴァイスだってガキのくせに!」
「俺様は3つ年上だ!」
「ジュヌーンに比べたら全然ガキよ!」
「あっちが老けすぎてんだよ!どーみても40顔だぜ、ありゃ」

 そんなことを言い合いながらじゃれあっていた。

 彼らは気がつかなかったが、それをジュヌーンと部下の兵たちが階段の上から聞いていた。ジュヌーンの眉間の皺がさらに深まる。兵たちは笑いをこらえるのに必死だった。



 夜、食事が終わってヴァイスがジュヌーンの部屋にやってきた。ジュヌーンはちらりとヴァイスを一瞥すると再び手にしている書物を読み出した。ヴァイスは構わず彼の寝台に腰を落とす。ジュヌーンはヴァイスの方を見ようともせずに言った。

「昼間はずい分と楽しそうだったな。」

 それが、オクシオーヌとじゃれあっていたことを指しているのだとわかるとヴァイスは口の端をつりあげて彼に聞いた。
「妬いてんのか?」
「まさか?」
「ふ〜ん・・・。」
「おまえに素行の悪さを悔い改めろとは言わん。が、オクシオーヌに手を出したら命はないと思え・・・!」
「俺が本気になっても?」
「なるはずはないだろう?」
「・・・わからねーぜ? オクシオーヌはいい子だからな。」
 ヴァイスがそう言ってもジュヌーンは顔色一つ変えなかった。

「それよりも・・・」
 そう言ってヴァイスがあたりを窺うようにまわりを見回し声をおとした。
「昨夜、俺バスクの民らしい男を見たぜ。俺くらいの年の男。」

 ジュヌーンは書物から顔を上げてヴァイスを見た。目が剣呑に光る。

「レッドドラゴンをつれて何か人相の悪い男たちと話していた。心当たりあるか?」
「いや・・・」
「あっ、そー。バスクの民ならオクシオーヌと関係あると思ったが、一応伝えたからな。オクシオーヌは?」
「コリタニの町に出かけている。」
「ふ〜ん、じゃあな。」
「ヴァイス、ちゃんと自分の部屋に戻れよ。これ以上のもめごとはご免だからな!」
「わかったよ。」
 ヴァイスはブツブツ言いながら部屋を出て行った。内心ありゃ絶対何かあるなと思っていた。

 ジュヌーンは手にしていた本を閉じると部屋の窓から外を見た。オクシオーヌは今夜は帰ってこない。脳裏にあの青年の顔が浮かぶ。彼と一緒だ。彼はバスクの血はひいていないとオクシオーヌは言っていた。それは確かだろう。老婆の血縁でもなさそうだった。それに、バスクの民ならオクシオーヌとは面識があったはずだがそれらしき様子はなかった。

 若者がジュヌーンからかばうようにオクシオーヌを抱き寄せた時の雰囲気、自分を睨む目、無条件に彼によせる少女の信頼と憧れ。ドラゴンを操る彼ならばと思わないことはない。

 だが、そう思うにはジュヌーンはあの若者のことを知らなすぎた・・・。ジュヌーンはさっきのヴァイスの言葉が警鐘に聞こえるのを止めることが出来なかった。



 多分、そう遠くない日に、彼女はバスクの死者を弔う踊りを踊るだろう。そして・・・、わたしはオクシオーヌをコリタニから送り出すのだ。ハイムにか、それとも・・・・・・?








 
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