忌部氏所縁の地を訪ねて
[『古語拾遺』が語るもの]
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-- 2010.02.04 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2016.10.31 改訂

 ■はじめに









 私は四国忌部氏について私見を簡単に述べて居ますので、先ずはそれを▼下▼からご覧下さい。
  板東のドイツ人俘虜たち(The German captives in Bando, Tokushima)





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 06年1月18日(水)に私は備前焼(※5~※5-2)の窯が在る伊部(いんべ)の里に行って来ました。もうお解りと思いますが、ここは忌部氏が嘗て居た所忌部神社が在ります。ここに来るにはJR山陽本線から赤穂線に乗り換えて伊部(いんべ)駅で下車します。






















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 ■結び - 










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【脚注】
※1:忌部/斎部(いむべ/いみべ/いんべ)氏は、古代の氏族の一。朝廷の祭祀に奉仕。伝承上の祖は天太玉命。姓は連(むらじ)・首(おびと)など。連は天武天皇の時に宿禰(すくね)に昇格。他に伊部・諱部などとも書く。
※1-1:天太玉命(あまのふとたまのみこと)は、日本神話の五部神(いつとものおのかみ)の一。天岩屋戸の前で天香山の真榊を取り、玉・鏡・和幣(にきて)を掛け、天照大神の出現を祈った。忌部氏(斎部氏)の祖とする。
※1-2:天富命(あまのとみのみこと)は、日本神話で、天太玉命の孫。神武天皇の時代、天種子命と共に神事を司り、又、造営に与り、鏡・玉・木綿(ゆう)などを作ったと言う。
※1-3:天種子命(あまのたねこのみこと)は、日本神話で、天児屋根命の孫(一説に子)。神武天皇の即位に天つ神の寿詞(よごと)を奏し、後に祭祀を司ったと言う。中臣氏の祖
※1-4:天日鷲命(あまのひわしのみこと)は、出雲の国譲り神話に登場する神で、『日本書紀』の一書では作木綿者(ゆうつくり)として居る。古代の木綿(ゆう)とは楮(こうぞ)のことで織物繊維の原料にされて居た。又、天照大神が天岩屋戸に隠れた時、穀木綿(ゆう)を植えて和幣(にきて)を作ったことから麻植神(おえのかみ)とも言う。阿波の忌部連、弓削連、多米連、天語連などの祖神




※2:古語拾遺(こごしゅうい)は、歴史書。斎部広成著。1巻。807年(大同2)成る。古来中臣氏と並んで祭政に与(あずか)って来た斎部氏が衰微したのを嘆き、その氏族の伝承を記して朝廷に献じた書。記紀に見えない伝承も少なく無く、「三種の神器」(鏡・剣・曲玉)に対し神器二種説(鏡・剣)を説く。
※2-1:斎部広成(いんべのひろなり)は、平安初期の官人(生没年未詳:770頃~830頃か)。斎部氏の勢力が衰えたことを嘆き、807年(大同2)「古語拾遺」を著してその由来を明らかにした。



※5:備前焼(びぜんやき)は、岡山県備前市伊部(いんべ)一帯で12世紀頃から作られる焼締めの炻器(せっき)。多くは赤褐色で無釉。伊部焼
※5-1:炻器(せっき、stoneware)とは、(明治40年頃の造語。「炻」は国字)素地が良く焼き締り、吸水性の無い焼物。焼成の火度が磁器よりも弱く、多くは有色で不透明。気孔性の無い点で陶器と区別する。土管・瓶・井戸側・火鉢などの大形物に用いる。常滑焼備前焼信楽焼はこれに属する。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※5-2:伊部焼(いんべやき)は、岡山県備前市伊部(いんべ)から産出する、釉(うわぐすり)を施さない焼締めの炻器(せっき)。赤褐色の焼肌を持つ。備前焼。狭くは江戸前期の備前焼のみを指す。

















    (以上、出典は主に広辞苑です)

【参考文献】
△1:『古語拾遺』(斎部広成撰、西宮一民校注、岩波文庫)。




△3:『カラーブックス やきものの旅』(宮崎修二朗著、保育社)。



●関連リンク






補完ページ(Complementary):四国忌部氏についての私見▼
板東のドイツ人俘虜たち(The German captives in Bando, Tokushima)








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